2026年1月に配信されたDLC「Woolhaven」では,冬の神Yngyaが物語の中心に据えられている。だがこのキャラクターは,もともとゲームの片隅にある収集品のテキストに名前が出てくるだけの存在だった。
姿も声もないまま放っておかれた神が,なぜDLCの主役になったのか。講演はその答えをたどるように進められた。
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Zhou氏がMassive Monsterに加わったのは2021年で,「Cult of the Lamb」発売の約10か月前だった。以後,「Woolhaven」を含む4回の大型アップデートと,自ら脚本を書いて社内のアーティストが絵を描いたコミック「Pilgrim」に携わってきた。
「Cult of the Lamb」は,「The Binding of Isaac」のようなローグライクと,「Stardew Valley」のような拠点運営を組み合わせたゲームだ。プレイヤーは闇の神によって死から呼び戻された子羊となり,その神の名のもとにカルト教団を興す。
森の動物たちを信者に迎えて教団を大きくすると,新たな力が手に入る。その力で,かつて子羊を処刑した古い信仰の司教たちを1人ずつ倒し,囚われた神を解き放っていく。
司教を倒すたびに,彼らがなぜ神を封じたのか,子羊が彼らの企みのなかでどんな役割を担っているのかが少しずつ明らかになる。直前に同じステージで行われたLis Moberly氏の講演における分類でいえば,世界を先に決める「World-First」のゲームにあたるだろう,とZhou氏は話していた。
Zhou氏が加わった時点で,3人のディレクターがビジュアルとゲームの前提,主要キャラクターを固めており,世界と物語の大枠はできあがっていた。Zhou氏の仕事は,それらを矛盾なくつなぎ,古い信仰が支配する土地を奥深く謎めいた世界に落とし込むことだったという。
インディーゲームの開発者が目指すものは,結局のところ自分が遊びたいゲームを作ることだ。物語も同じで,Zhou氏とディレクターたちは,自分たちがずっと好きだった種類の物語を作りたかったと語った。
30代のZhou氏は,FanFiction.netやDeviantArt,Tumblrでファン文化にどっぷり浸かって育った。好きな作品に夢中になるなか,ファンの考え方も,ファンを引き込む作品の条件も身をもって知っていた。
その条件とは,想像の余地を残すことだという。
Zhou氏が好きだった世界は,ただ消費するだけでなく,ファンアートを描いたりファンフィクションを書いたりと,自分で何かを作りたくなる世界だったのだ。
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そうした作品は,自分の願望を投影する隙間を残していた。書き手の多くにとっては目新しい話ではないかもしれないが,自分が作る側に回ってから,Zhou氏はそれをどうすればうまくやれるのか,ずっと考えてきたそうだ。
Zhou氏が世界を作るときには,3種類のプレイヤーを思い浮かべている。「比喩が入り乱れる講演なので覚悟してほしい」と前置きしてから紹介したのが,スキマー,スイマー,ダイバーの3種類だった。
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スキマーは水面をかすめるように進むプレイヤーで,ゲームを遊ぶために来ている。物語は自分の行動に文脈を与えてくれれば十分で,始まりと中盤と終わりが分かれば,それ以上は深入りしない。
Zhou氏にとっては,実はこの層がもっとも満足させにくい。複雑で細かいアイデアを,誰にでもすぐ分かる形に煮詰めなければならないためで,いつも苦労しているそうだ。
スイマーは水をかいて泳ぎ進むプレイヤーだ。物語やその裏の意味にもそれなりに興味があり,好きなキャラクターがいることもあって,メインの道筋にあるセリフはだいたい読んでいる。
ダイバーは深く潜り,すべてを見つけて理解しようとする。細部をつなぎ合わせ,イースターエッグを探し回り,ファンWikiを書いて保守したり,RedditやDiscordに顔を出したりする,オンラインのコミュニティの柱のような人たちだ。
ダイバーは作り手にもっとも高い水準を求めてくる。それだけ作品を深く大切にしてくれているわけで,ありがたい存在なのだ。
以降の話は,物語と世界に関心を持つスイマーとダイバーをどう引き込むかに絞る,とZhou氏は断った。どんなゲームにも物語や世界にまったく興味のないプレイヤーはいるもので,それはそれでかまわないという。
1つめの手法は,ルールではなく法則を作ることだ。自由で限りのない世界を作る話と矛盾するようだが,と述べつつ,Zhou氏は想像力には足がかりが必要だと説明した。
白い紙を渡されて何でも好きなものを描けといわれても,人はどこから手をつけていいか分からない。だが,海に住むものを描けといわれれば,サメやクジラ,クラーケン,人魚などが次々に浮かぶはずだ。
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Zhou氏のいう法則とは,上がったものは必ず落ちるといった物理法則のようなものを指している。法則は世界の一貫性を保つためにあり,制限を加えるルールとは別物だ。
「Cult of the Lamb」の法則は,「力は王冠から生まれる」「王冠には信者が必要」「自然がすべてを支配する」の3つだという。プレイヤーに明示してはいないが,法則が物語のすべてを導いており,ゲームの手触りとしても感じ取れるものになっている。
法則があるから,世界は行き当たりばったりに見えない。開発チームが法則を破ることもあるが,それは意図的に破るもので,覆すべき法則がなければ覆す面白さも生まれない。
法則を書くときには,できない,しない,といった言葉は使わない。それらは,やるべきこととやってはいけないことを示すルールの言葉で,法則では,上がったものは落ちるかもしれない,くらいの書き方になるという。
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この図は,Zhou氏がチーム向けに作った神々と力の序列だ。できることを狭めるものではなく,新しいキャラクターや出来事を世界のどこに置けば自然になじむかを考えるために使っている。
キャラクターは図の外にいるが,その例外は意図して設けたものだという。キャラクターは世界の法則に逆らってもいいが,その代償は払わなければならない。
2つめは,問いを多く投げ,答えを少なくすることだ。問いを投げて10分後に答えてしまえば,プレイヤーにはその間に何があったのかを想像する時間も余地も残らない。
何が起きたのかを教えるのではなく,何が起きたと思うか,どうしてそうなったと思うかを問いかける。そうすればプレイヤーは想像を働かせ,物語を受け取るだけでなく自分で埋める側に回ってくれるという。
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開発チームは説明しすぎないよう気をつけており,「言葉は少なく,込める意味は多く」を心がけている。プレイヤーが直接目にしない画面外の出来事に触れることが,「Cult of the Lamb」の世界に広さと不思議さを与えるいちばんの手段だったそうだ。
アイテムの説明文やセリフにある1行が,あとになってプレイヤーが,あるいは開発チーム自身が追いかけるアイデアの種になる。
ゲームのなかには,答えの出ていない問いがあふれている。プレイヤーに示されるのは氷山の一角で,たとえば自分が最後の子羊だという大筋だけで,詳しいことは語らない。
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ほかの子羊はどうなったのか,誰が消したのか,といった問いのうち,もっとも大事なものには答えを出す。何もかも伏せて話の筋が通らなくなっては困るからだが,1つの問いに答えるたびに,ほかに2つの問いが残るようにしているという。
残った問いは,ファンが自分なりの解釈や考察を育てる土壌になる。問いはテキストにもアートにもアクションにも仕込まれていて,答えより問いのほうが多いため,謎めいた雰囲気が生まれるのだ。
プレイヤーは謎解きが大好きで,ゲームはイースターエッグ探しの場になる。ゲーム内のテキストを洗い出し,背景のアセットを調べ,ときにはデータマイニングまでするのだが,どうやっているのかは自分にも分からない,とZhou氏は笑った。
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3つめは,同じことを2度同じように言わないことだ。出来事そのものは同じでも,見え方は人によって異なる。
作り込まれたキャラクターは,自分の住む世界や,そこで起きた出来事について,自身の立場や偏りに染まった意見を持っているべきだという。気に入った,嫌いだった,納得できなかった,くだらないと思った,と反応はさまざまで,それぞれの願望や動機が感じ方を左右する。
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キャラクターが場所や事件,ほかのキャラクターに触れるときには,どんな態度で,どの程度知っているのかがはっきり分かるように書くそうだ。よく知っている者もいれば,ほとんど知らない者もいるし,同じ出来事をまるで違うふうに見る者もいる。
同じ話題でも,キャラクターごとに新しい情報がある。原因と結果が網の目のようにつながり,世界が動いている感覚が生まれる。
しかも,プレイヤーは誰の言い分を信じ,誰の側に付くかを選べる。ファンに愛されるキャラクターが生まれるのは,この仕組みによるところが大きいという。
未来の自分たちのためにも「点を打っておく」
Zhou氏は,こうした手法をプレイヤーへの捧げものと呼び,点つなぎのゲームにたとえた。プロットの要所や設定の断片,イースターエッグといった点を置き,プレイヤーがそれをつなぎ,絵を浮かび上がらせることを期待する。点と点の間で何をするかは,プレイヤーに任されている。
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点つなぎで大事なのは,点の間隔だ。ルールや答えを与えすぎたり,同じことを繰り返したり,プロットを立て続けに詰め込んだりすると,プレイヤーを締め出してしまう。
想像で埋める場面も,自分で作り出す瞬間も残らない。7000語のファンフィクションも,100ページのファンコミックも生まれる余地がなくなるという。
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逆に点を離しすぎると,プレイヤーは迷子になる。前の出来事と後の出来事を無理なくつなぐ手立てがなくなり,物語は行き当たりばったりで出来の悪いものに見えてしまう。
点をほどよい間隔で置けば,プレイヤーは自然と書き手の思い描いた形に線を引いてくれる。もっと良いのは,その形が育って,書き手とプレイヤーが一緒に作った新しい何かに変わることだという。
ゲームの物語は語って聞かせるものではなく,書き手とプレイヤーが一緒に作るものなのだ。どちらか一方のものではなく,両方のものになるという。
この点つなぎの考え方は,プレイヤーのためだけのものではなかった。
Zhou氏によれば,Massive Monsterはかなり場当たり的で混沌としたスタジオであり,実際に手をつけるまで次に何を作るのか分からないことも多い。
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Zhou氏がチームに加わった当時も,何かを作ることだけは決まっていたが,それが何なのかは分からなかった。結果的には4回の大型アップデートとコミックを手がけたのだが,ひと続きの直線的な物語をつなぐのは難しかった。
将来のアップデートのために伏線を張りたいのに,そのアップデートの中身が分からない。Zhou氏が出した答えは,開発チーム自身をプレイヤーと同じように扱い,自分たちにも想像の余地を残すことだった。
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Massive Monsterの開発は,主にゲームデザインとアートが引っ張っている。物語ももちろん大事なのだが,このゲームの魅力の中心は手触りと見た目で,ビジュアルは早い段階で固まることが多い。
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だからZhou氏は,アイテムの説明文やセリフ,収集品など,問いを仕込める場所をゲーム内から探した。最終的にどんな形になるか分からなくても,謎を加えられる場所に点を置いていったのだ。
かなり直感的な作業だ。ごく早い段階でプロットの要所に点を置いておき,機会が来たらどう使うか分かるはずだと自分を信じるしかないこともあるという。使わずに終わったとしても,プレイヤーが世界を膨らませる燃料にはなるだろう。
姿を見せないキャラクターを作る。誰も詳しく知らない出来事に触れる。適当に置かれたように見えるアイテムや名所に,歴史や文脈を持たせる。どれにも背景がありそうに見せておけば,いざアップデートに登場するときにはすでに伏線ができている。
キャリアでいちばん満足した瞬間かもしれない,とZhou氏が振り返ったのが,冒頭で触れたYngyaをめぐる一件だった。Yngyaは,メインの道筋から大きく外れた場所にある設定資料の収集品のなかで,名前だけが出てくるキャラクターだった。
姿を見ることも出会うこともできない。Yngyaがいて,今はいなくなった,と書かれているだけだったという。
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当時のゲームの世界には季節がなく,いつも夏のまま。季節の巡りを入れる案は出たものの,最終的に見送られていた。
それでもZhou氏は,この案には大きな可能性があると感じていた。いつか作ると決まったときに備えたかったし,決まらなくてもファンが何かを作るきっかけになると考えて,Yngyaの名前を残したのだ。
実際,目ざといファンがこれを見つけ,唐突に名前の出てくるキャラクターが世界にどう収まるのかという考察を次々に投稿した。
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名前を残した翌年,季節をテーマにしたDLCを作ることが決まったとき,Zhou氏の準備はできていた。Yngyaを冬の神としてチームに提案し,すぐに使える新キャラクターとして採用へこぎつけたのだ。
最初のトレイラーが公開されると,ファンはすぐさまYngyaとのつながりに気づき,考察を組み立て始めた。DLCが配信されるころには,Yngyaはアップデート全体を支えるキャラクターになっていたという。
Zhou氏は本編を見直して,DLCのテーマに合いそうなキャラクターやアイテム,出来事への言及を拾い上げ,新しいコンテンツのなかにも新たな点を置いていった。
過去の自分が残したアイデアや選択肢を今の自分が使ったわけだが,おかげで世界はより引き締まり,開発チームが10歩先まで読んでいたかのように見えた。しかし,実際はまったくそんなことはなかったとZhou氏は打ち明けた。
閉じなくていい可能性は閉じずにおき,点を十分に置いていた。それだけのことだったという。
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物語の責任者であれ,世界を作る立場の人であれ,もっとも有効な道具はプレイヤーの想像力だとZhou氏は言う。背景を作り込んでいない部分でも,十分な方向性を示して想像をかき立てれば,プレイヤーが細部を補ってくれる。
余白を残しておけば,プレイヤーは世界のなかに自分の居場所を切り開き,自分の考えや願望や創作で満たしていく。
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「10代のころの自分を思い出す」とZhou氏は講演の最後に話した。幻想的な世界が好きで,何千語ものファンフィクションを書き,ファンアートを描き,オンラインのコミュニティで考察を交わし,友達を作っていたころの自分だ。
今は作る側にいるが,あまり変わっていないという。書くものも作るものも,すべては自分のなかのファンを喜ばせるためにあり,ゲームは自分だけのものではなくみんなのもので,結局はみんなファンなのだ,とZhou氏は話を結んだ。
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