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ファミコンのカートリッジに見る,草創期ならではの活気と混沌。ゲームソフトのメディアの形が,パブリッシャごとに違う時代があった
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印刷2023/07/15 10:00

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ファミコンのカートリッジに見る,草創期ならではの活気と混沌。ゲームソフトのメディアの形が,パブリッシャごとに違う時代があった

 任天堂のファミリーコンピュータ(以下,ファミコン)が本日(2023年7月15日),発売40周年を迎えた。
 
 数々の人気シリーズを生んだことはもちろんだが,現在にまで続く本格的な家庭用ゲーム市場というものを根付かせた点においても,ゲーム史上に残る名機と言っていいだろう。

 それだけに逸話も多く,とくにサードパーティ絡みのビジネスにおいて,任天堂が試行錯誤したことはよく知られる。同社はそもそも他社の参入を想定していなかったようなので,そこからライセンスをはじめとする仕組みを作り上げたり,低品質なソフトの流通を防ぐチェック機構を設けたりするのには,相当な苦労があったようだ。

 そんな当時の状況がうかがえるものの1つに,ゲームソフトの提供媒体であるROMカートリッジの形状がある。スーパーファミコン以降,任天堂ゲーム機用のパッケージ版ソフト(ROMカートリッジやROMディスク)は,基本的に任天堂が生産しており,ラベル以外の色や形状はほぼ統一されている。しかしファミコンでは,主に初期に参入したメーカーが,カートリッジの独自生産を行っていたため,形状がバラバラだったのだ。

 独自生産を行っていたのは,ナムコ,コナミ,バンダイ,ジャレコ,アイレム,サン電子,タイトーの7社(社名はいずれも当時)。また,任天堂が製造するカートリッジにも大型のものがあるなど,さまざまな形が入り乱れており,当時のファミコンの周りには,独特の“賑やかさ”があった。
 本稿では,その任天堂と独自生産7社のものを中心に,“さまざまなファミコンカートリッジ”を紹介していこう。当時を知らない人にも,“賑やかさ”を感じてもらえれば嬉しい。

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任天堂


 ファミコンカートリッジの“スタンダード”となるのがこちら。サードパーティのタイトルであっても,任天堂がカートリッジを製造する場合は,この形状だった。

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 写真の「ドンキーコング」(ファミコン本体と同じ1983年7月15日発売)をはじめとした最初期のタイトルは,ラベルに心電図のパルスのようなデザインが描かれているのみで,ゲーム画面もキャラクターのイラストもない。世界的に有名なキャラクターを使った「ポパイ」(同じく1983年7月15日発売)もこれと同じだったのだから,徹底されていた(これらの初期作品は,後にイラスト入りラベル版も販売された)。

 なお任天堂は2022年12月と2023年5月に,このデザインの商標出願を行っている。ファミコン40周年への動きかどうかは分からないが,思い入れを持っている人も多いだけに,何らかの展開を期待したい。


 任天堂カートリッジのラベルがイラスト入りになったのは,「ワイルドガンマン」(1984年2月18日発売)などの光線銃ゲームから。

 そして,多くの人の記憶に残っているのが「スーパーマリオブラザーズ」(1985年9月13日)だろう。マリオの赤を目立たせ,ファミコン本体の白との組み合わせも鮮やかな黄色のカートリッジだった。
 ラベルには,海や地上といったフィールドや,そこにひしめく多彩な敵,躍動するマリオなど,ゲームの世界が活き活きと描かれている。今見てもワクワクしてくる素晴らしい絵柄だ。

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 コーエーの「信長の野望 全・国・版」(1988年3月18日)などで採用された大型カートリッジも,コーエー独自ではなく任天堂が生産したもの。写真のカートリッジには左上に「Nintendo」のロゴがあるが,ここが「FAMICOM」になっているものもあるようだ。
 このタイプのカートリッジはほかのタイトルでも使われたが,「信長の野望 全・国・版」が最初。しかも金と黒という高級感あふれるデザインで,5000円前後のタイトルが多かった中,9800円という価格でリリースされたこともあり,当時の子供に「でかい」「高い」と衝撃を与えた。

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通常のカートリッジにはない「Nintendo」ロゴの刻印が
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 任天堂がカートリッジを生産したサードパーティタイトルでは,ハドソンの初期タイトルが印象に残っている人も多いだろう。カートリッジの形状に加え,ラベルも任天堂の初期デザインを踏襲したと思しきもので,イラストはなく,同社のロゴである「Hu」の文字がアレンジされたデザイン。「ナッツ&ミルク」「ロードランナー」(ともに1984年7月20日発売)や,写真の「バンゲリング ベイ」(1985年2月15日発売)などが,このラベルデザインでリリースされている。

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 ハドソンのファミコン5作目となる「スターフォース」(1985年6月25日発売)で,他社同様のイラスト入りラベルが登場したが,そこにはゲーム本編に出てこない人物がフィーチャーされていた。このあたりのゆるさは,当時のシューティングゲームの“あるある”だった。

 なお,「バンゲリング ベイ」は「IIコントローラーのマイクを使って叫ぶと,飛行機を集められる」という裏技でも知られる。このあたりの「今見るとびっくりするファミコンの当たり前」については、別の記事で特集しているので,そちらも読んでほしい。

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 任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)が2023年7月15日,発売から40周年を迎えた。日本の家庭用ゲーム機における巨人とも言えるハードだが,なにせ40年前なので,現物を知らないゲーマーも多いのではないだろうか。今のゲーム機と比べてみると,変わったところも多い。この記念日に,改めてファミコンのハードを懐かしんでいきたい。

[2023/07/15 10:00]


ナムコ


 カートリッジの上部は横方向にラインが刻まれ,そこに「namcot」(ファミコンやMSX向けタイトルで使用されたレーベル)のロゴがあしらわれた独自デザイン。ラベルはゲーム画面とイメージイラストが組み合わさったものが多かった。
 当時のナムコは鮮烈なビジュアルと独自性の高いゲームデザインで知られていたが,そのセンスはファミコンのカートリッジにおいても発揮されていたと言っていいだろう。

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 ナムコは,写真の「ギャラクシアン」(1984年9月7日発売)でファミコンに参入したが,初期タイトルのカートリッジやパッケージには,「ギャラクシアン」の「01」から始まるナンバーが入っている。これは「スカイキッド」(1986年8月22日発売)の「18」まで続いた。

 「スーパーゼビウス ガンプの謎」(1986年9月19日発売)からナンバリングがなくなり,紙箱だったパッケージがプラスチックの大きなケースに。デザインも統一されたことで,ズラリと並んだケースには独特の美しさがあったので,本棚に並べて眺めた人も多いだろう。ハードケース採用のタイトルには,カートリッジの上面に貼るシールが同梱されていて,好きなものを選べたことも特徴だった(初期タイトルは出荷時に貼られているもののみ)。
 シールつながりでは,「プロ野球ファミリースタジアム'87」(1987年12月22日発売)が,前年にリリースされた「プロ野球ファミリースタジアム」(1986年12月10日発売)と同じラベルに「'87」のシールを貼っただけになっていたことも,当時を知る人には懐かしいはず。

写真の「ドラゴンバスター」(1987年1月7日発売)や,「スーパーゼビウス ガンプの謎」のカートリッジは金メッキで,ゴージャスな気分に浸れた
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「プロ野球ファミリースタジアム」は,ハードケースに入ってのリリース。使っていないシールまで入ったナムコのファミコンタイトルは,中古ソフト屋でもあまり見かけないはず
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 また,後期にリリースされたタイトルでは,「namcot」ロゴがカートリッジの下に移った大型ROMカートリッジも使われた。

「ファミスタ'91」(1990年12月21日発売)など,大型カートリッジのタイトルも,ハードケースは同じ大きさだった
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コナミ


 黒のカートリッジに大きなラベルが貼られているのが,写真の「イー・アル・カンフー」(1985年4月22日発売)など,コナミ初期タイトルの特徴。ラベルは上面に回り込む形になっており,当時コナミがリリースしていたMSX用カートリッジに似たデザインだ。

これはコナミタイトルに限った話ではないが,カートリッジ上面にタイトル名が書かれているものは,ケースに並べて収納したときなどに,どのタイトルか判別しやすかった
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 向かって左側には,小さな穴が開けられている。コナミのカートリッジ以外にも穴が空いたカートリッジはいくつかあり,特に用途が決められていたわけではなかったが,当時ファミコンを販売していた店の一部では,試遊台で使用するカートリッジの穴にヒモを通して盗難防止のために使われたこともあったようだ。

 「コナミと言えば黒カートリッジ」のイメージが定着しつつあった頃に,「沙羅曼蛇」(1987年9月25日発売)で,突如として半透明の「スケルトン」カートリッジが採用された。内部の基板が透けて見える様子はインパクト抜群で,ゲーマーの注目を集めることに。

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 後期になると,「がんばれゴエモン外伝 きえた黄金キセル」(1990年1月5日発売)「魍魎戦記 MADARA」(1990年3月30日発売)「ラグランジュポイント」(1991年4月26日発売)などのタイトルが,大型のカートリッジでリリースされた。ラベルが左上に寄せられて,その下に「KONAMI」のロゴが入ったデザインはなかなかの格好よさだ。

写真は「がんばれゴエモン外伝2 天下の財宝」(1992年1月3日発売)
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バンダイ


 上部の角が丸く,側面にギザギザのラインが入り,ラベルの上に「BANDAI」のロゴが入ったデザイン。直線的なデザインが多かった中で,曲線を活用したバンダイのカートリッジは目立ち,すぐ見分けがついた。

「キン肉マン マッスルタッグマッチ」(1985年11月8日発売)は,公式大会の賞品だったゴールドカートリッジや,集英社のプレゼント企画で用意された緑カートリッジもあった。ゴールドカートリッジは「登場キャラクターの1人を,入賞者が好きな超人と入れ替えられる」という特殊な仕様のため,中古市場では高値となり,フリマで100万円近い金額で落札されて話題になったことも
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 「アスレチックワールド」「ランニングスタジアム」といった「ファミリートレーナー」(1986年11月12日発売)用のソフトや,「ファミコンジャンプ 英雄列伝」(1989年2月25日発売)は大型カートリッジで,それぞれ「Family Trainer」「FAMICOM JUMP」の刻印入り。メーカー名ではなく,タイトル名の刻印は珍しい。それだけ多くの売上を期待されていたということだろうか。

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 さらなる変わり種は「超時空要塞マクロス」(1985年12月10日)。これはバンダイが発売したゲームにもかかわらず,「namco」のロゴが入ったカートリッジとなっている。これは,本作の開発を担当したナムコがカートリッジの生産も手がけることになったことが理由と思われるが,左上の刻印が「namcot」ではなく,社名の「namco」ロゴになっているので,ナムコタイトルのカートリッジを流用したわけではなさそうだ。

 カートリッジの裏面にはバンダイとナムコのロゴがある。この2社が後に合併し,現在のバンダイナムコエンターテインメントになったことを思うと,感慨深い。

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アイレム


 アイレムのファミコンカートリッジと聞いて,まずLEDを思い出す人は多いのではないだろうか。カートリッジをファミコンに差し込み,電源を入れるとLEDが光る独自仕様だ。

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 なぜこの仕様になったのか? 写真の「スペランカー」(1985年12月7日発売)をプロデュースし,LED付きカートリッジを発案したスコット津村氏によれば,「ファミコンの電源を入れたままROMカセットを抜かないようにするため」とのこと。
 この仕様に任天堂は難色を示したが,その前にあった出来事で,津村氏が任天堂に“貸し”を作っていたことで実現したのだという。

 詳しい話は以前掲載した津村氏へのインタビューを読んでほしいが,「任天堂に貸しを作る」という豪快なエピソードは,ゲームビジネスの規模がまだ小さく,ルールや慣習のようなものも定まりきっていない時代だからこそ生まれたエピソードのように思える。

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 「スペランカー」「ロードランナー」「スパルタンX」「ムーンパトロール」「ジッピーレース」「10ヤードファイト」。これらアイレムの名作タイトルを手がけた人物が,スコット津村氏だ。御年70歳,ゲーム業界に関わって37年という経歴を持ちながら,これまで表舞台に立つことのなかった氏だが,今回,来日するということで,その経歴や当時の制作裏話,現在のゲーム業界について思うことなどを聞いてみた。

[2012/07/23 12:00]


サン電子(サンソフト)


 「SUNSOFT」の刻印入りだが,そこを除くと任天堂カートリッジとよく似た形状のカートリッジ。「スーパーアラビアン」(1985年7月25日発売)「いっき」(1985年11月28日発売)「アトランチスの謎」(1986年4月17日発売),そして写真の「ファンタジーゾーン」(1987年7月20日発売)など,初期のタイトルは白のカートリッジが多かったため,その印象が強い人も多いのではないだろうか。

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 4Gamer読者には今さら説明するまでもないかもしれないが,ファンタジーゾーンはセガが開発したタイトルだ。カートリッジにはセガのロゴこそないものの,裏面に「(C)1986 SEGA」というクレジット表記がしっかり入っている。「SUNSOFT」の刻印入りROMカセットが任天堂のゲーム機にセットされ,セガのゲームが動くという3社コラボだったわけだ。

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 セガはファミコン発売と同日の1983年7月15日にSG-1000,1984年7月にSG-1000II,1985年10月にセガ・マークIIIを発売するなど,任天堂と家庭用ゲーム機の市場争いを繰り広げていた。「ファンタジーゾーン」は,1986年6月にセガ・マークIII版が発売されているが,1年遅れで第三者を介するとはいえ,ライバルハードに自社開発のゲームを提供したわけで,若い層のゲーマーには信じられないかもしれない。

 サンソフトの公式Twitterアカウントによると,セガ開発タイトルのファミコン移植を提案し,実現させたのは,当時サンソフトの事業部長で,後にサン電子社長を務めた吉田喜春氏だったとのこと。吉田氏の辣腕ぶりは多くの知るところだが,当時のゲームビジネスが“何でもあり”だった雰囲気も伝わってくるエピソードだ。


 写真は用意できなかったが,「なんてったって!! ベースボール」(1990年10月26日発売)では,ゲームデータが入ったスロット付きのROMカートリッジに,最新の選手データが入った「子ガメカセット」を差し込む「ダブルカセットシステム」というユニークな取り組みが行われた。
 現在のゲーム機ならオンラインでアップデートファイルを配信すれば済むが,当時はネットワークが一般的でなかったため,こうした独自のやり方が必要だったわけだ。


ジャレコ


 左上に「JALECO」ロゴが刻印されたデザインのカートリッジ。色もカラフルで,「忍者くん 魔城の冒険」(1985年5月10日発売)は主人公の装束に合わせた赤,「シティコネクション」(1985年9月27日発売)はパッケージアートの自車「クラリスカー」のオレンジにマッチした黄色(但しゲーム内では赤),「フィールドコンバット」(1985年7月9日発売)はプレイフィールドの地面と同じ緑といったように,ゲーム内容にちなんだと思しきカラーリングが多かった。

2000年ごろにインターネットを利用していた人の一部には,2500本以上の「燃えろ!!プロ野球」を収集してオブジェなどを作っていたサイト「悶えろ!!モエプロゲッターズ」でもおなじみのカートリッジ
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 写真の「燃えろ!!プロ野球」(1987年6月26日発売)も,まさしく燃えるような赤なのだが,黒のカートリッジも存在することを知っているオールドゲーマーも少なくはないだろう。DVD「THE ゲームメーカー」に収録された,“菊地名人”こと菊地博人氏へのインタビューによれば,これは「燃えろ!!プロ野球」が売れまくって赤のカートリッジが不足し,「妖怪倶楽部」(1987年5月19日発売)の黒カートリッジを流用したためだという。

 また,「燃えろ!!プロ野球」はバグが多かったため,返送されてきたROMカセットを社員総出で分解し,はんだごてでチップを取り外して修正済みのものと入れ替えたという話も残っている。現在ならアップデートファイルの配信で対応するところなので,ここでも時代を感じる。

 「燃えろ!!プロ野球」をヒットさせたジャレコは,その後「燃えろ!!プロテニス」(1988年4月15日発売)「燃えろ!!プロサッカー」(1988年12月22日発売)「燃えろ!!柔道WARRIORS」(1990年6月29日),写真の「寺尾のどすこい大相撲」(1989年11月24日発売)など,スポーツや武道ものを多くリリースした。これらは新デザインのカートリッジで,サイズが大きくなったほか,JALECOに加えてロゴマークの刻印が入る形に。端子用のカバーも付属していた。

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タイトー


 タイトーのファミコン参入タイトルは,もちろん「スペースインベーダー」(1985年4月17日発売)。ラベルに「スペースインベーダー・パートII」とあるが,1面から8面まではオリジナルの「スペースインベーダー」で,9面からが「パートII」という内容だった。

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 カートリッジは,右上に「TAITO」の刻印が入ったもの。ほかのメーカーは社名を左上か真上に配置することが多いので,その点では独自のデザインだ。
 ラベルにはシリーズナンバーがあしらわれている。ナムコのように,途中でナンバーの表示をやめるところもあったが,タイトーのナンバーは,途中のタイトルで消えることもありつつ,ファミコン最終作となった「ジェットソン Cogswell's Caper!」(1993年4月23日発売)の「48」まで続いた。

 「たけしの戦国風雲児」(1988年11月25日発売)や「爆笑!!人生劇場」シリーズなど,中期にリリースされたタイトルのカートリッジは,ロゴが右下になった新デザインに。後期の「キャプテンセイバー」(1992年9月29日発売)などは,上部が丸くなったデザインになっている。

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ファミコンのカートリッジからは,当時の活気と混沌が伝わってくる


 同じプラットフォーム向けのソフトなのにさまざまな形があるというのは,ファミコン時代を知っている人にとっては当たり前のことなのだが,そうでない人は驚くかもしれない。
 色も形も違うカートリッジが入り乱れる様子は,日本の家庭用ゲーム業界が本格的に始まったばかりの時代にあった活気と混沌が反映されているようにも感じられる。

 最近のゲーム機で多く採用されている光学ディスクの場合,ひと目でどのプラットフォーム向けかを判別するのは難しいし,ダウンロード販売の普及によって,そもそも物理メディア自体が少なくなりつつある。

 今回,改めてさまざまなカートリッジを振り返ってみたが,そこをきっかけに思い出す各パブリッシャの特徴や人気タイトル,エピソードは実に多かった。
 本体の発売から40年経っても,そんな力があふれているファミコンのカートリッジは,これからも忘れさられるようなことはないだろう。
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