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40周年を迎えたファミコンのハードを懐かしんでみる。ビデオゲームの楽しさを教えてくれた,赤と白の可愛いヤツ
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印刷2023/07/15 10:00

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40周年を迎えたファミコンのハードを懐かしんでみる。ビデオゲームの楽しさを教えてくれた,赤と白の可愛いヤツ

 任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)が,本日(2023年7月15日)40周年を迎えた。“日本の家庭用ゲーム機の歴史は,ファミコンなくして語れない”と言えるほど重要なハードだが,なにせ40年前なので,今や現物を見たことがない,そもそもよく知らないというゲーマーも多くなってきているのではないだろうか。

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 ファミコンが発売されたのは,1983年7月15日のこと。当時の価格は1万4800円だった。同時発売ソフトは「ドンキーコング」「ドンキーコングJR.」「ポパイ」の3本で,価格は3800円だ。当初,ソフトは任天堂からのみ発売されていたが,「ロードランナー」でハドソン,「ギャラクシアン」でナムコがサードパーティとして参入。いろいろなメーカーのソフトが楽しめるようになった。

 ファミコンと言えば,赤と白のボディが思い浮かぶが,TVにファミコンを内蔵した「ファミコンテレビ C1」や,海外版の「Nintendo Entertainment System(NES)」,周辺機器である「ディスクシステム」とファミコンの一体型となる「ツインファミコン」といったバリエーションも存在する。
 後継機「スーパーファミコン」が1990年に発売されてからも,ファミコンの歴史は途絶えず,1993年にはRCA端子を持つ「AV仕様ファミリーコンピュータ」(通称,NEWファミコン)が出ているし,公式最後のライセンスソフト「高橋名人の冒険島IV」の発売は1994年。ファミコンがいかに長い間愛され続けたかが分かる。日本におけるビデオゲームの象徴といっても過言ではないだろう。

 そんなファミコンだが,今のゲーム機に慣れた目で改めて見ると,変わったところも多く,なかなか興味深い。40周年の節目となるこの日に,ファミコンを眺めながら思い出話をしていこうと思うので,リアルタイムで遊んだ人は懐かしみつつ,また世代ではない人は「へー,こんなだったんだ」ぐらいの感覚で読んでもらえれば幸いだ。

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初期ファミコンのボタンは四角形


 こちらは非常に有名な話なので,現物を見たことがなくても知識として知っている人も多いだろう。よく知られるファミコンの[A/B]ボタンは丸いが,発売当初は四角い形をしていた。材質もゴムであり,斜めに押すとコントローラにめり込む不具合が見られたという。発売から1年ほどで現在のプラスチック製丸ボタンとなった。
 ただ,四角ボタンに不具合が起こったのは,任天堂としても想定外だったという。発売前に100万回の打鍵テストが行われたものの,特に不具合はなかったので発売に踏み切ったというのだから,ユーザーの使い方が想定とは違っていたのだろう(関連リンク)。今回は四角ボタンのファミコンを用意できたが,押し心地も丸ボタンと違うのが面白い。

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 個人の思い出として語るなら,ファミコンといえば丸ボタンであり,四角ボタンは当時でさえトリビアになるようなレアモノだった印象がある。壊れやすいという話も伝わっていたものの,筆者の周囲には現物を見たという者がおらず,幻のハードだと思っていた。
 丸ボタンはファミコン以降のハードでもずっと受け継がれ,今や「ゲーム機のコントローラ=丸ボタン」のイメージがあり,スマートフォンの仮想コントローラ(バーチャルパッド)でさえ丸いボタンが使われることが多い。「ボタンは丸型」というファミコンで生まれた感覚は,今もずっとすべてのゲーマーに受け継がれている,ということかもしれない。

海外版ファミコンとなるNES用コントローラ(写真上)もボタンは丸型
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取り外せないコントローラ


 ゲーム機のコントローラは,取り外して持ち出したり,あるいは別のコントローラに付け替えたりできるのが普通だ。故障した際も,メーカーにコントローラだけを送ればよく,修理中も替わりのものがあれば問題なくゲームが楽しめる。
 しかし,ファミコンのコントローラは取り外すことができない。本体背面からケーブルだけが飛び出す形で接続されているため,に固定されており,本体側面にはコントローラを置くためのミゾまで設けられている。
 もっとも,コントローラ自体はとても頑丈で,連射機能付きの「ジョイカードMK.2」など,別売りコントローラを拡張端子に接続する機能もあったので,取り外せないこと自体をそれほど不便に感じた人は少ないと思う。

コントローラのケーブルは取り外せない
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ファミコンのコントローラは,本体側面のミゾにセットできる
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 このコントローラ,何が不便かと言えば,ケーブルが短いことだ。長さは70cmほどしかないうえに,背面から伸びているのでさらに短く感じる。これを持ってプレイがエキサイトすると,ケーブルをいっぱいに引っ張ってしまい,本体がガタンと動く。その結果,衝撃で接触不良を起こして画面がめちゃくちゃに。操作不能の進行不可状態に陥るのだ。
 しかも,コントローラが固定なので,ケーブルの長い製品に取り換えることもできない。

 いや,そもそも「そのぐらいで進行不可になるってなんだよ」と思うかもしれないが,ファミコンはめちゃくちゃ衝撃に弱かった。ケーブルを引っ張ってガタンとやっちゃう以外にも,うっかり蹴とばしたり,母親がかけていた掃除機がぶつかったりなど,リアルタイムに遊んでいた人ならいろいろな悲しい記憶を抱えていることだろう。

 ちなみに,任天堂はファミコンから2年後に登場したNESでは取り外し可能なコントローラを導入している。その後に発売されたNEWファミコンでも取り外せるようになり,その後も据置ゲーム機では取り外し式が通例となった。
 今やワイヤレスコントローラが当たり前になり,ケーブルの長さに困ることすらなくなったが,それにしても,どうしてファミコンのケーブルはわざわざ後ろから伸びていたのだろうか……。

NESやNEWファミコンは本体前面にコネクタがあり,コントローラは取り外せる
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2P側のコントローラだけにマイクがついていた


 これも実に有名な話だが,ファミコンのIIコントローラにはマイクが内蔵されており,自分の出した声がTVから聞こえてくる。単なるおまけ機能というわけではなく,ファミコンの側からは「マイクに音が入力されているかどうか」を判定することができ,これをゲームに使えるのだ。「バンゲリングベイ」ではマイクに向けて「ハドソン」と叫ぶと飛行機を呼び集められる。「たけしの挑戦状」では主人公がカラオケを歌うシーンで実際にマイクに向けて歌う必要がある。「ゼルダの伝説」では,マイクに何か叫ぶと音に弱い魔物「ポルスボイス」を一撃で倒せる。「ドラえもん」ではジャイアンがいる時マイクに向かって叫ぶと敵を全滅させられる。「スターラスター」ではマイクで助けを呼ぶと回復してくれる「スターノイド」が現れる……などなど,心に残る使われ方をしている。
 実際にやってみると分かるが,TVから自分の声がするというのはテンションが上がる。ゲーム機が声に反応するというのはハイテクの香りがしたし,友達にマイクを任せるといった遊び方もできた。
 なお,ファミコンのマイクは「音が入っているか,いないか」の判定しかできない。筆者などは「何を言っているかファミコンが判定できているはずがない」などと言いつつも,律儀に「ハドソン!」とか「助けて!」とか叫んでいた。そこにはごっこ遊びにも似た面白さがあり,ゲーム機に叫ぶのは照れるが楽しかったのだ。

IIコントローラだけにマイクがある。特定のソフトではマイクを使った謎解きや裏技が存在した
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 しかし,今になって考えてみると,マイクが搭載されているのがIIコントローラだけというのも,面白い仕様だ。
 一方で,IIコントローラには[START]と[SELECT]のボタンがなかったりする。こうしたコントローラの非対称性は,本体に固定されていたからこそと言えるかもしれない。2人でゲームを遊ぶ場合も,モード選択やポーズは“司会役”である1Pが担当すればいいということなのだろうか。
 対戦などにおいては,1Pのみがポーズ権を有するという不公平さもあって,時には対戦相手のプレイを邪魔するために[START]連打で小刻みにポーズをかけたものだ。もちろん,次に遊んだ時に1Pを取られてやり返されるのだが……。
 なお,海外版ファミコンであるNESや,新型のNEWファミコン,スーパーファミコン以降はコントローラが共通となった。ポーズ権のために1Pを取り合うというのは,日本のファミコンならではの思い出なのだ。


映像はTVの空きチャンネルで表示していた


 現代のゲーム機は,HDMI端子でディスプレイに接続し,HDMI出力で画面を表示するのが主流だ。しかし,ファミコンはTVの空きチャンネルでプレイしていた。
 そのために欠かせないのが,ファミコンに付属する「RFスイッチ」だ。このスイッチの仕事は,TVと,TV放送を受け取るアンテナ線,そしてファミコンの間に入って,“TV視聴とファミコンを両立させる”ことだ。当時のTVは,関東は2チャンネル,関西は1チャンネルが空いていて,何も放映されていなかった。どちらのチャンネルに映像を流し込むかはファミコン側の「CH」スイッチで決める。そして,TVとファミコンはRFスイッチで接続され,空きチャンネルでファミコンを遊び,チャンネルを変えれば普通のTVを見られる仕組みになっていた。

ファミコンの背面。中央が「1チャンネルと2チャンネルのどちらをゲームに使うか」のスイッチ。右側の丸い端子がRFスイッチ用で,ここから映像と音声が出力される
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 HDMIケーブルを1本差すだけで済む現在と比べると,かなり煩雑で,当時ファミコンをつないでもうまくいかない場合,大抵はRFスイッチの接続かCHスイッチの設定ミスが原因だった。筆者も知り合いから「ファミコンが映らないから何とかしてくれ」と頼まれることがあり,まずはこの2か所をチェックしたものだ。アンテナ線とTVのつなぎ方も,TVの機種や生産時期によって,直づけ,コネクタ式,フィーダー線の使用といった複数の規格が存在していた。経年劣化したコネクタをなんとかこじ開けてアンテナ線を取り出したり,芯線が折れて被覆をむき直さなければならないこともあり,ファミコンの接続は意外にハードルが高いものだった。ファミコンの取扱説明書でも,TVとの接続に多くのページが割かれていたほどだったのだ。
 後の時代では多くのTVが外部入力を備えるようになり,ツインファミコンやNEWファミコンもRCA端子に対応。つなぎ方も簡単になった。

こちらはNESの背面。RF接続なのは日本版と同じだが,使うチャンネルは3と4から選ぶ形式
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こちらもNES。RCA端子でも出力が可能
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AV仕様ファミリーコンピュータ(NEWファミコン)の背面。専用ケーブルを使い,RCAで接続できる
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初期はデータをセーブできなかった


 こちらも有名な話だ。初期のROMカセットはゲームの進行状況をセーブすることができなかった。コンティニューでゲームを続けるにしても,進行状況はファミコンの電源を切るまでの,いわばその日限りのもの。翌日になって改めて電源を入れたら,また最初からやり直さなければならない。現代のゲーマーからすれば,本当に意味不明な話に聞こえると思うが,セーブなんてものはなかったのだ(パソコンではカセットテープやフロッピーディスクといった読み出しと書き込みができる記憶媒体が使われていたので,あくまでファミコンの話だ)。

 そうした中,ゲーム進行をパスワードで記録し,例え電源を切ってもパスワードを入力すると続きから遊べるソフトが出てきた。有名なパスワードが「ドラゴンクエスト」(以下,ドラクエ)初期作にあった「復活の呪文」だろう。「ドラクエ」で20文字,「ドラクエII」では最大52文字にもなったひらがなのパスワード,日本語として意味の通らない文字列を,キャラクターを復活させるための「呪文」であると見立てたセンスは非凡としか言い様がない。
 もちろん,ゲームを終える際に復活の呪文をメモして幾度かチェックするための時間は必要だ。復活の呪文をメモする前に電源を切ってしまえば,ゲームの進行は失われてしまうし,チェックを怠ると「じゅもんが ちがいます」となる。

 それでも,「ドラクエ」は楽しかった。「ドラクエII」当時,筆者は親に黙って友達からファミコン本体を借り,隠れてゲームをしていた。親が買い物などで不在となった数時間がプレイのチャンス。熱中するあまりに親が帰ってくるギリギリまでプレイを続けてしまうこともしばしばあった。夢中になって遊んでいると,車が車庫に入る音が聞こえてきて,復活の呪文をメモするヒマもなく,あわててファミコンを隠したなんてことも何度かあった。そんな体験にもめげず,遊び続けたことは言うまでもない。

 セーブ関連の話を続けると,ファミコンのソフトの中に,バッテリーバックアップ機能を持つものが出てきた。平たくいうと,ROMカセットに内蔵した電池で電力を供給することにより,セーブデータを保持するという仕組みだ。
 プレイヤーをパスワードから解放するということで,バッテリーバックアップは歓迎された。そうしたソフトの1つが「ドラクエIII」だ。「りせっとぼたんを おしながら でんげんを きってください。りせっとをおさずに でんげんをきると ぼうけんのしょが きえてしまう ばあいがあります!!」というメッセージを覚えている人も多いだろう。普通にいきなり電源を切ると,ファミコンが誤動作を起こしてセーブデータが破損する可能性がある。しかし,リセットボタンを押したまま電源を切れば,より安全にゲームを終了できるのだ。苦労して育てたキャラクターが消えてしまうというのは大ごとであり,できれば経験したくない悲劇。スーパーファミコンでは対策されたが,筆者などはリセットボタンを押したまま電源を切る癖がなかなか抜けなかった。

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変わった周辺機器の数々


 ファミコンには,今にして思えば「なんじゃこりゃ?」という感じの面白い周辺機器がいろいろあった。今回,実物も用意できたので,いくつか紹介してみよう。
 まずはこの手袋型のコントローラ「パックス・パワーグローブ」だ。もともとは任天堂の公式ライセンスを取得してアメリカで発売された製品で,日本では1990年に登場した。

「パックス・パワーグローブ」。使用には練習が必要であると明記された,ユニークな周辺機器。写真上部の黒い物体はセンサーユニット
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 操作方法としては,装着して手を上下左右に動かすことでキャラクターが動き,指を曲げるとボタンを押したのと同様の効果が得られる。さまざまなジャンルのゲームに対応した14の「プログラム(操作方法)」のプリセットが用意されており,前腕部のボタンで切り替えが可能だ。手首を立てたり,後ろに引いたりといった動作も検知できる。プログラムの中には,画面にパンチを繰り出すとキャラクターがパンチを繰り出すといったものもあり,夢は大いに広がるのだが,写真が予想できるとおり,操作には相当な習熟が必要だ。しかし,このデザインは2023年の今見てもワクワクさせられるサイバーさがある。1万9800円という,ファミコン本体以上のお値段だったこともあり,一度は操作してみたい憧れの周辺機器だった。

パワーグローブの裏面
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 お次は,ファミコンから3年後に発売された周辺機器「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」だ。このファミコン本体よりデカい箱は,「ディスクカード」という9cmほどの四角い記憶媒体を挿入できる。それまでのROMカセットはデータを読み出すだけだったが,ディスクカードはデータの読み書きが可能だ。そのため,ユーザーはディスクカードをお店に持ち込み,500円の料金を支払うことで,中身を好きな対応ソフトに書き換えることができた。当時の環境で,ワンコインでゲームが買えたのだ。

「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」。前面のスロットに「ディスクカード」を入れ,黄色ボタンで取り出す
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ディスクシステムは乾電池で動かすこともできた(ACアダプタは別売りだった)
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 書き換えができるということは,もちろんゲームの進行状況を書き込んで記録(セーブ)もできる。初のディスクシステム用ソフトは「ゼルダの伝説」で,主人公のリンクが広大なフィールドを冒険するという,ディスクカードの利点を活かしたものだった。2023年の我々は「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」をプレイし,ウルトラハンドでの愉快な工作やパラセールによる着地失敗,ボコブリンの馬車強奪といった遊びを存分に楽しめるが,これらはディスクシステムやディスクカードがあって今に連なるものである。そして「メトロイド」もディスクシステムから始まったシリーズである。もしこのハードがなかったら,現在のゲーム界はもう少し違うものになっていたかもしれない。

 発売当時は,ディスクシステムが大々的にアピールされていた。筆者は,今後のファミコンソフトがディスクシステム主流になるような印象を受け,購入するべきか否かを迷ったことを今でも覚えている。定価は1万5000円,ファミコンをもう1台買えるお金が必要だった。PCゲームも遊んでいた筆者としては「ディスクシステムでパソコンの時代が終わってしまう!」という(今思えば謎の)危機感を覚えたものだ。ファミコンが得意なのはアクションゲームで,アドベンチャーやRPGはパソコンの領域というのが,この時代の一般的な認識だったように思う。筆者は学生のクセに「パソコンゲームはオトナの嗜みだな!」と勝手な優越感にひたっていたのだが,ディスクシステムでアドベンチャーやRPGが出てきたら,そうも言っていられなくなる……ということなのだろうか? まあなんというか,恥ずかしい限りである。
 最終的には,知り合いの家で「ゼルダの伝説」や「メトロイド」を見せてもらうと「これは欲しい!」と一瞬で陥落した。

ディスクシステムの上に本体を乗せて置くのが一般的だった。ドッキングしているようでかっこよく見えるかもしれないが,ただ置いているだけで,本体を固定するためのミゾやコネクタはない
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 ファミコンでプログラミングができる周辺機器なんてものもあった。1984年に発売された「ファミリーベーシック」がそれだ。
 ファミリーベーシックは専用ROMカセットとキーボードで構成され,搭載された「NS-Hu BASIC」によるプログラミングが可能だ。ファミリーベーシックではマリオや宇宙船といったキャラクターのドット絵が予め用意されており,専用の命令文で簡単に動かせる。
 また,用意された部品をエディタで組み合わせ,ゲームの背景を作ることもできた。当時はプログラミングをするのはもちろん,絵をどうやって作るかも悩みの種だったので,この環境が魅力的に感じられたことを覚えている。

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 専用ROMカセットには乾電池をセットする場所があり,データレコーダとあわせてプログラムを保存することが可能だった。占い,音楽,計算といったモードも用意されており,プログラミングを親しみやすくするための工夫が見て取れる。
 起動時にファミコンが自己紹介をし,ユーザーの名前を聞いてくるシーンは有名だ。「ハイ」「イイエ」「コンニチワ」といった選択肢で簡単な会話も楽しめ,この辺りは任天堂らしいセンスと言えるだろう。

 入門書や,ゲームプログラムを収録したカセットテープとセットになった書籍も発売された。徳間書店の「ファミリーベーシック ゲームポシェット」は,そうした書籍の一つで,ファミリーベーシック製ゲーム24本を手軽に遊ぶことができた。価格は1980円とROMカセットの半額ほどなのだから,なかなかにお得といえるだろう。

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専用ROMカセット,キーボード,データレコーダ。価格は1万4800円と,高価な周辺機器だった
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データレコーダの上部を引っ張ると,持ち運び用と思しき取っ手が出てくる
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データレコーダの取扱説明書。マイクに向けてプログラム名などをしゃべり,その後にプログラムを記録する使用法が想定されていた
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「ファミリーベーシック ゲームポシェット」。ファミリーベーシックのプログラムを収録したカセットテープと冊子がセットになっていた
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紙の説明書の思い出


 これはファミコンに限らないが,思い出話をしたいので触れておこう。今やゲームのパッケージをあけると,ソフトが入っているだけだが,当時は紙の説明書が付属していて,操作方法などはそこで確認するものだった。現在のような「まずゲームを立ち上げ,チュートリアルで実践しつつ操作方法を学んでいく」方式ではなく,「まずは説明書を読み,操作方法を頭に入れてからゲームを立ち上げる」のが基本であり,ゲームを起動したところで,親切に遊び方なんて教えてくれない。
 とはいえ,楽しみな新作ゲームなのだから「一刻も早く遊びたい!」と気持ちが逸り,即座にゲームを立ち上げるようなことも少なくなかったし,ソフトを買って帰宅する電車の中で説明書を読むこともあった。

 個人的な話をすると,ゲームをできない時間であっても楽しめるのが説明書であった。とくにファミコン時代の説明書では,ゲーム内で表現できることが限られていたからか,ゲームの世界観や敵キャラクターの細かい設定などが語られていることも多く,プレイへの期待感が高まったものだ。
 「ドラクエII」の説明書に掲載された武器防具の解説付きリストなどは良い例で,読んでいるだけでワクワクした。「メトロイド」にはマップが掲載され,「戦場の狼」では戦場劇画を読めるなど,説明書そのものが楽しみの1つだったのだ。
 その分,ということか。中古ソフト屋で説明書のないソフトは説明書付きのソフトより,だいぶ安価で売られていた。おこづかいと相談で,あえてこうした品を買っていきなりゲームに挑戦するのも,独特の面白さがあったと思う。


ファミコンがビデオゲームの楽しさを教えてくれた


 まだまだ語りたいことは山のようにあるが,ひとまずはここまでにしておこう。改めて振り返ると,ファミコン時代を経験しているからこその「当たり前」が,今にして思えば「なんでこんな仕様だったんだろう」と思うこともあった。若い世代から見たファミコンが,どういうものとして映っているのか気になるところだ。
 ファミコンが社会現象を起こしたことで,家庭用ゲーム機が娯楽として広く知られることとなった。ファミコンの本体やコントローラ,ROMカセットはビデオゲームの象徴としてアイコン化した,といっても過言ではない。リアルタイムでは有害論も語られたものの,今やファミコンは愛とノスタルジーを呼び起こすアイテムだ。
 今回,撮影のために編集部の早苗月 ハンバーグ食べ男氏にファミコン本体や周辺機器のコレクションを借りたのだが,筆者は胸が熱くなった。経年劣化で黄ばんだプラスチックや溝に詰まった汚れは,子供とともに遊び続けたがゆえの勲章であるかのように感じられたのだ。良いものを見せてもらって,この場を借りて改めてお礼を言いたい。

 おそらくは50年,60年後もファミコンは語り継がれているだろう。ビデオゲームの楽しさを教えてくれた,赤と白の可愛いヤツ。それがファミコンなのだ。

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