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15周年を迎えた「信長の野望 Online」。サービス開始当初から本作を見てきた開発・運営チームメンバーに“信On”の15年を振り返ってもらった
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印刷2018/07/11 12:00

インタビュー

15周年を迎えた「信長の野望 Online」。サービス開始当初から本作を見てきた開発・運営チームメンバーに“信On”の15年を振り返ってもらった

 今を去ること15年前の2003年6月12日,MMORPG「信長の野望 Online」(以下「信On」)の正式サービスがPlayStation 2(以下,PS2)で始まった。……と言っても,若い読者にとってはまだ生まれていなかったり,あるいは「あまりにも昔すぎる」話だろうと思うので,まずは簡単に当時のMMORPG(など)の状況を並べてみよう。

「信長の野望 Online」15周年
画像集 No.030のサムネイル画像 / 15周年を迎えた「信長の野望 Online」。サービス開始当初から本作を見てきた開発・運営チームメンバーに“信On”の15年を振り返ってもらった

ウルティマオンライン」:1997年11月(エレクトロニック・アーツ)
EverQuest」:1999年3月(Daybreak Game Company)
リネージュ」:2002年2月(エヌシージャパン)
Final Fantasy XI」:2002年11月(スクウェア・エニックス)
ラグナロクオンライン」:2002年12月(ガンホー・オンライン・エンターテイメント)
信長の野望 Online」:2003年6月(PS2版。PC版は2004年2月)
Second Life」:2003年6月(Linden Lab)
メイプルストーリー」:2003年12月(ネクソン)
リネージュ2」:2004年6月(エヌ・シー・ジャパン)
World of Warcraft」:2004年11月(Blizzard Entertainment)

 このように,MMORPGという世界が急激に成長してきた時期に,信Onのサービスが始まり,そして今なおサービスが行われているのだ(この時代に生まれた多くのタイトルが生き残っていることも興味深い)。

「信長の野望 Online」メインビジュアル
画像集 No.017のサムネイル画像 / 15周年を迎えた「信長の野望 Online」。サービス開始当初から本作を見てきた開発・運営チームメンバーに“信On”の15年を振り返ってもらった

 言うまでもなく,15年というのは大変に長い時間だ。その間にはMMORPGの大ブームもあれば,人気が下火になった時期もあり,また昨今のようにモバイルでのMMORPGが注目されるようになったりと,MMORPGのトレンドだけを見てもその変化はかなり激しい。
 またこの15年間におけるコンピュータの技術的進歩も著しく,インターネット関係の技術やインフラも大きく変化した。当然ながらそういった変化は,ゲーマーがゲームに求めるものの変化にも結びついている。

 そんな中,15年にわたって変わらずプレイヤーに愛され続けている信Onは,どのようなポリシーに基づいて運営されてきたのか。またこの15年のなかで,どのような変革を成し遂げてきたのか。信Onの開発と運営に携わってきた4人のキーマンに,当時を振り返ってもらいながら話を聞いた。

ディレクター 川又 豊氏(左)とテクニカルディレクター 吉越正樹氏。サウンドディレクター 中園秀久氏とメインプランナー 木下雅也氏の2人は発言のみでの参加
画像集 No.001のサムネイル画像 / 15周年を迎えた「信長の野望 Online」。サービス開始当初から本作を見てきた開発・運営チームメンバーに“信On”の15年を振り返ってもらった 画像集 No.009のサムネイル画像 / 15周年を迎えた「信長の野望 Online」。サービス開始当初から本作を見てきた開発・運営チームメンバーに“信On”の15年を振り返ってもらった


なぜ「信長の野望」がMMORPGになったのか?


4Gamer:
 本日はよろしくお願いします。最初に,皆さんが「信長の野望 Online」(以下,信On)にどのように,いつ頃から関わっているのか,よろしければ自己紹介を兼ねて教えてもらえますか。

川又 豊氏(以下,川又氏):
 ディレクターの川又です。2001年から参加しています。当時は,ステージ設計やユーザーインタフェースを担当するプランナーとして参加していました。

吉越正樹氏(以下,吉越氏):
 テクニカルディレクターの吉越です。2005年からの参加です。当時はサーバープログラマーとして参加していました。テクニカルディレクターは,技術面を統括する役職となります。

中園秀久氏(以下,中園氏):
 サウンドディレクターの中園です。参加は2005年で,2006年からサウンドディレクターとして携わっています

木下雅也氏(以下,木下氏):
 メインプランナーの木下です。2004年に参加して,2013年からはメインプランナーを担当しています。

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4Gamer:
 15年前の当時を振り返りたいと思うのですが,まだMMORPGが一般的ではなく,そもそもインターネットのインフラそのものも,普及し始めたといった感じでした。

川又氏:
 ええ,そうでしたね。

4Gamer:
 そんな時代に,「信長の野望」を題材にしたMMORPGを制作するという方向に舵を切るに至ったのは,どのような試みや判断からだったのでしょう。

川又氏:
 信Onのベータテストは2002年の段階で始まりました。私がプロジェクトに加わったのはその前年で,信Onの企画会議にも参加しています。ですが,企画会議以前のことになりますと,ある程度が伝聞だったり,当時の企画書を調べた内容からになってしまう点についてはご容赦ください。

4Gamer:
 分かりました。

川又氏:
 企画開始当時,おっしゃるようにMMORPGはあまり一般的ではなく,日本ではまだサービスがほとんどありませんでした。なので,課題は大きく見て,2つあったんです。
 1つは,MMORPGという遊びそのものをどうプレイヤーに広めていくのか。もう1つは「信長の野望」という世界観でMMORPGをどう作っていくのか,です。この2点はかなり深く検討されていたようです。

4Gamer:
 当時から「信長の野望」と言えばストラテジーゲームという印象がありましたし,それは今も変わりませんよね。ここからMMOで,かつRPGというのは,いささか飛躍があるように思っていたんです。
 オンラインということなら,15年前においても「ogame」のような,後に「村ゲー」と呼ばれるタイプのストラテジーゲームは存在していましたから。そこではなく,なぜMMORPGという決断になったんだろうと。

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川又氏:
 オンラインゲームという意味では,信On以前に「信長の野望 Internet」「三國志 Internet」という作品がありまして,そこで多人数でのオンライン対戦型ゲームをサービスしていたんです。MMOというほどの同時参加者数ではありませんでしたが,これらの作品を通じて技術的な蓄積を行った上で,MMOの開発に着手したという流れがあります。
 そして,「なぜRPGだったのか」という点については,「プレイヤーの行動によって変化する戦国世界を表現したい」と当時の企画書にありました。

4Gamer:
 それはまた……壮大な夢というか,野望というか。

川又氏:
 「夢」ですよね(笑)。ともあれ,企画としては「戦国大名になって大名家を指揮するゲーム」ではなく,「戦国の世における一人の武士(もののふ)となって,冒険したり,修練したり,ひいては仲間と集まって合戦したりすることが,やがて戦国世界を変えていくことにつながっていく」というゲームを目指していました。つまり,「“下”からの視線で戦国時代の世界を作ったらどうなるか?」という試みなんですね。

4Gamer:
 なるほど。

川又氏:
 これは私見になりますが,当時のMMORPGで「世界を変えられる設計のゲーム」というものは見当たりませんでした。だからこそ,このような新しいチャレンジをしようというのが土台にあったのだろうと思います。

4Gamer:
 すると,信OnをMOにという選択肢は早い段階でなくなっていたんですね。

川又氏:
 ええ。「たくさんの人が一緒に生活している感」を目指していましたから。
 当時,社内の掲示板ですでにサービスされていたオンラインゲームのプレイ日記的なものを書いていた人達がいたんです。それを読むと非常に楽しそうにプレイしていて,「オンラインゲームの世界を生きている」感がとてもよく伝わってきました。それもあって,その頃から社内で「ああいう感覚を『信長の野望』の世界観に落とし込んだら面白くなるのではないか」というアイデアが育っていたように思います。

4Gamer:
 当時から社内でオンラインゲームが楽しまれていたんですか?

川又氏:
 社内というか,当時,当社には独身寮のようなものがありまして。そこでLANケーブルが縦横無尽に引かれて,独自のネットワークが作られていたんです(笑)。

4Gamer:
 ああ,自分だけの回線を通すのはなかなか大変ですから……(笑)。でも,寮内LANパーティ状態というのも,なんだか楽しそうです。
 話を戻しますが,15年前,つまり2003年以前というと,まだ3DベースのMMORPGは少なく,2Dベースの「リネージュ」や「ラグナロクオンライン」が盛り上がっている時期だったと思います。その当時に「3Dで行こう」と決めた理由はなんだったのでしょう。

川又氏:
 前提として,2001年あたりからADSLが普及し始めて,2003年にはPS2がBB Unitでインターネット接続できるようになる。そのローンチ時のタイトルを狙って信Onが開発された……という経緯があるんです。

4Gamer:
 BB Unit! 懐かしいですね。

※BB Unit:PS2専用のブロードバンドネットワークサービスを利用するための周辺機器。信Onはローンチタイトルの1つ。PlayStation BBのサービス自体は2016年3月31日で終了している

川又氏:
 その流れのなかで,信Onは最初からPS2で遊ばれることを前提としてデザインされたMMORPGなんです。また,2003年の段階では,PS2の持つ3D表示能力は非常に高かった。それもあって,3Dで行こう,ということになりました。
 ただPCと違い,グラフィックスカードの差し替えによるアップグレードといったことはできませんから,サービスが続くにつれてだんだんと苦しくなって……。

4Gamer:
 さすがに,コンシューマゲーム機には寿命もありますからね。

川又氏:
 PS2版のサービスは2014年まで続けましたが,最後は「このエフェクトは表示できない」とか,そういう割り切りをしなくてはなりませんでした。

4Gamer:
 サービス開始当初の状況をできるだけ維持するのか,時代に合わせていくのか。その判断は,サービスが長く続くタイトルの宿命でもあるかもしれません。
 ところで,そもそも2003年の当時,コンシューマゲーム機でオンラインゲームを遊ぼうと思うと,なかなかハードルが高かったのではないでしょうか。極端な話,「遊んでみたいけど無理」というファンもいたのでは,と。

川又氏:
 BB Unitだったりの環境もそうですが,βテスト開始時は必要通信環境を明記していませんでしたが,サービス開始時から「ブロードバンド必須」にして,ADSL回線があれば安定してプレイできる,ということにはしていました……,それでも大変ですよね(苦笑)。

4Gamer:
 ちょうどADSLが普及し始めていた頃ではありますが,ゲームのために導入した人は,まだ少なかったかもしれないです。

川又氏:
 ええ。「オンラインでゲームを遊ぶ」という概念自体が,まだまだ馴染みのないものでしたし,必然的に通信まわりで,たくさん苦労をすることにはなりました。
 あと,実際に遊び始めたプレイヤーさんが500人対500人の合戦をプレイしたりすると,「ラグのない回線のほうが有利だ」ということに気づいて,「強い回線」を求めるといったことも起きていましたね。

4Gamer:
 ありました! どのプロバイダが速いかとか,安定しているかとか……サーバーまでのルート上で,やけに重いステップがあったらプロバイダに報告したりしてましたね(笑)。

吉越氏:
 (笑)。あと,これは現代にも通じるのですが,信Onリリース直後に「混雑していてプレイヤーがログインできない」といった事態に直面しました。それはサーバー増強で対応していったのですが,非常に苦労しました。

4Gamer:
 あー,ログインサーバーの混雑は,ローンチ時のあるあるですねぇ……。

吉越氏:
 逆に言えば,サービス開始直後にプレイヤーさんが殺到するくらい,多くの方にプレイしていただけたということでもありますけれど。

2004年「飛龍の章」
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手探りで始まった運営サービス


4Gamer:
 もう1つ,MMORPG黎明期のタイトルだからこそ教えてほしいのですが,当時はテストをどのように進めていたのでしょう。まだ,βテストだからと言って,わっと応募が殺到するみたいな時期でもなかったように思いますし。

画像集 No.003のサムネイル画像 / 15周年を迎えた「信長の野望 Online」。サービス開始当初から本作を見てきた開発・運営チームメンバーに“信On”の15年を振り返ってもらった
川又氏:
 そうですね。ですが,βテストを2回やって,想像以上のプレイヤーさんに参加していただけたんですよ。これは,ありがたかったですね。

吉越氏:
 負荷試験は,簡易クライアントを作って全社員に配布し,「昼休みにこのクライアントを起動させてください」という形で行ったこともあります。自分もそれに参加というか協力したことがありますが,βテストの前段階では,こういった負荷試験を何度も行っていました。

川又氏:
 テストという意味だと,途中からテストサーバーという,本サービスとは別のワールドを立ち上げたんですが……プレイヤーさんは本ワールドで遊びたいわけで,テストサーバーでプレイする人数は増えませんでした。

4Gamer:
 サービス開始前はともかく,開始後であれば本番環境で遊びたいですよね。もちろん,新要素をいち早く体験したい人もいるでしょうが,テスターとして遊んで,フィードバックをくれる人がどれくらい居るかというと……難しい気はします。

川又氏:
 ですから,当社の合戦のような大人数が参加するコンテンツの場合がそうですが,まず本ワールドで「先行テストリリース」を行い,そこでいただいたご意見をもとに正式リリース,という手順が一般化したのではないかなと思います。ただ……当時を振り返ると,やはり何もかもが手探りでしたね。

吉越氏:
 プレイヤーさんからのご意見やご要望といったものも,今でこそ専用ツールで管理できますが,当時はエクセルのシートに貼り付けて管理するような,ある意味のどかな状況でしたね(笑)。

4Gamer:
 言葉通りの“手”作業ですね(笑)。そんな中で,マップ上でキャラクターが動けなくなる場所,いわゆる“ハマりポイント”のチェックは,どのように管理していたのでしょう。信Onがリリースされた当時だと,GMを呼んで位置を動かしてもらったり,「このコマンドを入力すると強制的に町のリスポーンポイントに戻ります」といった緊急コマンドを持ったMMORPGもありましたけど。

川又氏:
 信Onの場合,移動がスタックしたり,地形をすり抜けてしまったりする「危ないスポット」が発見されたら,初期の頃は「ここに近づかないでください」というNPCを立てていました。このNPCは,警告標識として機能させなくてはなりませんから,目立たせるために水色に設定されていたんです。
 ただ,どうしても地形関係のトラブルが起こりやすい竹やぶがありまして……GMコールの回数も多く,結果としてその水色NPCが林立していくことになったんですね。

一同:(笑)

川又氏:
 こうなってしまうと,今度はその竹やぶがひどく目立ってしまい,少なからぬプレイヤーさんが「あれは何だ?」といった感じで,この危険な竹やぶに吸い込まれて行くことになって。

4Gamer:
 完全に逆効果ですね。

川又氏:
 当時はそういう地形の隙間に落ち込んだキャラクターを救出するのも1つ1つGMが手作業で行わなければならなかったので,そうやって続々と竹やぶに吸い込まれては地形の隙間に落ち込んでいくプレイヤーさんの対応に追われたGMから「いい加減にしてください」と怒られました。

4Gamer:
 そりゃ,そうですよね(笑)。

川又氏:
 ともあれ,そうやって問題となる箇所が見つかるたびに,1つ1つ手で直していくしかない。そんな時代でした。さすがに今ではもうそんなことは起きませんけれど(苦笑)。
 ただ,「こちらが意図しないことになっているから,即修正すべき」かと言うと,それもまた違うと感じることもあるんです。

4Gamer:
 というと?

川又氏:
 有名なスポットとしては,家の屋根の上に乗れてしまうというのがあって。案の定,すぐに有名になって,たくさんのプレイヤーさんが楽しそうに屋根に登っていくんです。でも,これはGMが救助しなくてはならないというわけでもなく,また皆さん楽しそうに登って遊んでいるのを見ていると,そのルートを塞いでしまってはいけないのではないか,と。

4Gamer:
 確かに,そこを「修正」されちゃったら,プレイヤーとしては無粋かなと感じますよね(笑)。

2006年「破天の章」
画像集 No.023のサムネイル画像 / 15周年を迎えた「信長の野望 Online」。サービス開始当初から本作を見てきた開発・運営チームメンバーに“信On”の15年を振り返ってもらった


15年という時間と技術的チャレンジ


4Gamer:
 先ほど,サービスが長く続くにつれて,コンシューマゲーム機のスペックが苦しくなるという話をされましたが,15年ともなるとPCの技術そのものも当時から変化していると思うんです。

画像集 No.008のサムネイル画像 / 15周年を迎えた「信長の野望 Online」。サービス開始当初から本作を見てきた開発・運営チームメンバーに“信On”の15年を振り返ってもらった
吉越氏:
 そうですね。以前ですと「グラフィックスのエンジンをいつ更新するんだ?」と各部門から強くせっつかれたこともありました(苦笑)。

4Gamer:
 しかも今は,その流れがより速くなった気がして。モバイルゲームの開発者さんも話していましたが,ゲームが軌道に乗って1年,2年と運営が続くと,自分が携わっているゲームの基幹となっている技術がどんどん時代遅れになります。

川又氏:
 そうですね。

4Gamer:
 ですが,開発は同じ環境でそのまま続きますし,最先端の技術や知見を学んでも活かす場面がなく,現在の開発/運営が重荷に感じる,場合によっては最新技術を学ぶモチベーションも保てなくなる可能性がある,と。

川又氏:
 それは難しい問題だと思います。最新の技術の習得と活用はやはり,デザイナーにとって命ですから。ですが,メジャーアップデートごとに最新技術に基づいた機能を投入していくとなると,「今まで遊べていたプレイヤーが,アップデートで遊べなくなる」という事態を容易に引き起こしてしまいます。

4Gamer:
 PCの必要スペックが上がるわけですから,どこかのタイミングでそうなるのは必然なのでしょうね。

川又氏:
 一方で,この15年で作ってきたコンテンツは膨大な量です。この巨大な塔のようになったシステムをどう維持し,どう保守していくかというのも,重要な課題となります。
 とはいえ,技術面においても,あるいはコンテンツ面においても,新しいチャレンジをしないと,プレイヤーさん自身が飽きてしまいますから。

4Gamer:
 結果,飽きて新しい技術,グラフィックスのゲームに移るというのは,ごく自然な流れでもありました。

川又氏:
 ですから,「最新技術への取り組み」と「システムの維持」という2つの相反する側面で制作していくのは,オンラインゲームにおける宿命だと思うんです。信Onも,例えばPlayStation 4版をリリースするとか,そういった大きなタイミングで技術を更新するというチャレンジをしています。

中園氏:
 サウンドまわりで言うと,PlayStation 3版のときに完全に作り直していますね。

木下氏:
 グラフィックスも途中で大きく改善しました。PS2版では最初「布がキャラクターにくっついたまま動かない」状態でローンチせざるを得ませんでした。それがバージョンアップを重ねる中で「布が動くようになったぞ!」と(笑)。あれはプレイヤーの皆さんに大喜びしていただけました。

川又氏:
 具体的に言うと,陰陽師のスリットがヒラヒラするようになった件ですね。スリットをヒラヒラさせたいという思いは開発側にもずっとあったんですが,ついにできるようになったぞ,と(笑)。

4Gamer:
 しれっと「グラフィックス関係を改善しました」と話されていましたが,でもこれって実作業はすさまじい規模ですよね。PS2とそれ以降では解像度がまるで違うわけですから,テクスチャ1つとっても過去の資産を右から左というわけにはいかないでしょうし。

川又氏:
 そのあたりは全部作り直しています。ご指摘のとおり,機械的に拡大して流用するというわけにはいきませんから。

中園氏:
 その点だとサウンドは比較的楽でしたね。もともとのリソースが高品質ですから,対象プラットフォームに合わせてそれを加工することになります。ですから,今後も新しいハードが出てきても,サウンドは即対応が可能です。

4Gamer:
 ああ,そうか。サウンドだと拡大ではなく,プラットフォームに合わせてサイズを下げる調整になりますよね。

中園氏:
 ええ。でも,SE(効果音)1つで90KBの縛り,というのは苦戦しましたね。長いシーンになったとき,90KBで何秒持つ? と(苦笑)。

川又氏:
 サイズといえば,昔は2つ大きな課題がありました。要は「データを小さく作りたい」ということなのですが,そもそもの問題として当時は回線の速度に難がありましたから,あまり大きなパッチにするといつまでもダウンロードが終わらない,ということがあり得たんですよね。

4Gamer:
 今でこそギガパッチは普通ですが,当時だと……新パッチがリリースされたぞと意気込んで帰宅したら,パッチの適用で朝まで何も遊べない,なんてことはありました。

川又氏:
 もう1つ,より大きな問題として,ハードディスクの容量をめぐる戦いもあるんです。

4Gamer:
 あー……。確か,BB UnitのHDDはサイズが40GBでしたっけ。

川又氏:
 ええ。しかも,当時はBB Unitに占める1タイトルの容量の上限があったのですが,「信Onはもっと容量が必要なんです」と交渉して上限を上げてもらって。なにせアップデートで必要な容量がどんどん増えていくわけですから。

4Gamer:
 コンテンツの追加を伴うアップデートを考えると,どこまでも天井は高いほうがいいですよね。

中園氏:
 そういう争いをしていた時代だったので,まっさきに割を食うのが音楽だったんですよ(笑)。

4Gamer:
 そうした容量の問題もそうですが,時代の遷移における技術的な変化として,どうしても「これ以降はサポート外になります」,ないし「これ以降はこのプラットフォームではサービスが行われません」ということは起こります。そもそもPCにおいてもOS,つまり古いバージョンのWindowsのサポートが終了する可能性も出てきますね。

吉越氏:
 そうですね,まず最初に申し上げておきたいのは,当社は「可能な限り長く頑張る」という姿勢がある,ということでしょうか(笑)。信Onにしても,ハードウェアとしてのPS2の国内出荷が終わったあとも,サポートは継続していました。

川又氏:
 MMORPGは,プレイされている方にとっての「世界」というか,人生の一部ですよね。なので,その世界を閉じないようにしなくてはならない,というのは使命だと思うんです。
 ですが,もうハードディスクに入らないだとか,マシンの性能的に不可能という限界は必ず来ます。そうなると「移行キャンペーン」などの形で,プレイヤーさんがハードウェアを乗り換えやすい環境を作っていくことで対応していくしかありません。
 もちろんお叱りの声をいただくことはあります。ですが,ゲームの運営は続きますし,遊べなくなったプレイヤーさんの製品版アカウントのキャラクターデータも大切に保管しています。

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4Gamer:
 いずれ環境を整えて戻ってもらえれば,と。

川又氏:
 はい。この「続けていく」というのは,次の15年を考えるにあたって,非常に重要な課題になると考えています。
 また,ここにおいてコンシューマゲーム機の持つ意味も大きくなるかもしれないと感じています。というのも,最近だと「PCを持っていない」という方も増えているじゃないですか。

4Gamer:
 スマホやタブレットのみだとか,ニュースなんかでも,その点が指摘されることがありますね。

川又氏:
 そうなんです。性能面から見ても用途が「テキストを打ったり,ブラウジングしたりする程度」ならそれで済みますし,ゲーム目的であればPCを買うよりも,PS4のような据え置き機のほうが,ずっと手軽で,かつ手堅いんですよ。こういった社会の変化を見極めながら,サービスを続けていくことが大事になってきているんです。

2007年「争覇の章」
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