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[CEDEC 2012]“Too Japanese”だから受け入れられた「GRAVITY DAZE」の制作手法。プロデュースとシナリオから見る海外で評価される考え方
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印刷2012/08/21 18:42

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[CEDEC 2012]“Too Japanese”だから受け入れられた「GRAVITY DAZE」の制作手法。プロデュースとシナリオから見る海外で評価される考え方

 コンピュータエンターテインメント協会(CESA)が,現在パシフィコ横浜で開催している開発者向けカンファレンス「コンピュータエンターテイメントデベロッパーズカンファレンス2012(CEDEC 2012)」。初日となる2012年8月20日には,日本産のゲームが海外でいかに戦うべきかをテーマとした講演「Too Japaneseなゲームって…海外で評価されないの?〜『GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において,彼女の内宇宙に生じた摂動』の場合〜」が行われた。

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 「GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において,彼女の内宇宙に生じた摂動」(以下GRAVITY DAZE)は,ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)が2月9日に発売したPlayStation Vita用のアクションアドベンチャーゲームだ。“重力猫ダスティ”との出会いによって重力使いとなった記憶喪失の少女キトゥンが,その力を使って重力嵐に苦しめられる空中都市「ヘキサヴィル」に住む人々を助けていく姿を描いたこの作品は,発売直後のPS Vitaを勢いづける作品になった。

 今回の講演では,同作のプロデューサーである五十峯 誠氏とシナリオ担当の佐藤直子氏が登壇し,GRAVITY DAZEの制作にまつわるエピソードを披露した。まずは五十峯氏による,GRAVITY DAZEの制作体制や国内外での評価,といった部分の話からお伝えしよう。

GRAVITY DAZEプロデューサーの五十峯氏(左)とシナリオ担当の佐藤氏(右)。講演は五十峯氏が前半を,佐藤氏が後半を受け持つ形で行われた
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国内と海外にそれぞれの切り口を


 五十峯氏によると,このGRAVITY DAZEは元々PlayStation 3用タイトルとして企画がスタートしていたそうだ。しかし,PS Vitaという新たなプラットフォームを牽引するタイトルが求められたことと,本作独特の「重力操作」のギミックがモーションセンサーと相性が良かったため,2009年に路線変更がなされたという。

 とはいえ,2009年と言えばPS Vita発売の約2年前。存在しないプラットフォームを勢いづけるタイトルを作るということで,PS Vitaそのものの基礎研究も並行して行わなければならなくなった。五十峯氏は「GRAVITY DAZEは新規プラットフォームのローンチタイトル(※)で,新機軸のゲーム性かつ新規IPというチャレンジの多いプロジェクトだった」と当時を振り返る。

※実際にGRAVITY DAZEが発売されたのは,2012年2月9日。結果的には2011年12月17日にPS Vitaが発売されてから約2か月後の発売となった

開発の段階でPS3からPS Vitaへとプラットフォームを変えたGRAVITY DAZE。新プラットフォームを牽引すべく,キャラクター性やゲームジャンルなど,さまざまな点で国内市場向けの配慮が行われた
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 また,GRAVITY DAZEは国内はもちろんのこと,海外市場を視野に入れたタイトルでもあった。国内と海外のプレイヤーでは考え方や感性が異なるため,制作時には双方に向けたアプローチをそれぞれ行う必要があった。

 そこでまず,ゲームジャンルを日本のゲーマーに馴染みのあるアクションアドベンチャーに設定,さらに魅力的なキャラクターを配し,キャラクタービジュアルをアニメ調にした。この部分は「国内市場ではキャラクター性を立てれば大きな引きになるだろう」という,国内市場の性質を考慮したうえでの決定だった。

 発売後,国内では「重力操作の斬新さ」「PS Vitaならではのインターフェースを利用したゲーム性」「独特のビジュアル」「キャラクターの魅力」といった点が評価されており,五十峯氏は,国内へのアプローチはうまくいったと認識しているという。

 そして,現代のゲーム制作において無視できないのが海外市場である。五十峯氏によれば,日本の市場規模が約8000億円なのに対し,海外はアメリカとEUを合わせて約3.5兆円と,大きな開きがあるという。市場が広がれば当然,ゲームの開発規模も海外の方が大きくなるし,開発規模が大きくなれば開発技術も変化していく。このほか文化背景や,プレイヤーの趣味嗜好といった点も,国内とは異なっているため,アプローチの手法も変えていかなければならない。

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 GRAVITY DAZEの斬新なプレイフィールを新プラットフォームに投入すれば,ゲームが好きな人は,日本と変わらず受け入れてくれる自信があったようだ。しかし,ビジネスを考えればそれだけでは足りない。

 そこで,海外向けに新たな切り口として,バンド・デシネ(フランス圏を中心とした漫画)を意識したビジュアル,コミックヒーロー,日本アニメという3つの要素を加えることになった。バンド・デシネの芸術性に,アニメやコミックのエッセンスを加え,間口を広くする狙いがあったという。

 五十峯氏いわく,ゲームの海外展開において,日本アニメ的な要素は日本色が強く出過ぎるとして避けられる傾向にあるという。それでもあえてGRAVITY DAZEでその要素を取り入れたのは,現在ではさまざまな日本アニメが海外に輸出され,海外のゲームプレイヤーも幼少からその絵柄や世界に親しんでいるはず,と考えたからだ。
 ちなみにコミックヒーローという切り口は,北米市場を意識して用意されたもの。アメリカのコミックでは特殊な能力を持ったヒーロー/ヒロインが登場することも珍しくないし,ビジュアルシーンにおけるコミック的な表現とも相性が良いというメリットがあったと話す。

 海外では今年6月に発売されたばかりのGRAVITY DAZEだが,メタスコアやAmazonユーザーレビューでも評価が高く,「重力操作が面白い」「バンド・デシネと日本アニメの融合が新鮮」「主人公に好感が持てる」といった意見が寄せられているそうだ。日本と海外のプレイヤーで,評価している点がほとんど変わらないというのも興味深い。五十峯氏は「キャラクターとストーリーは受け手の文化背景で評価が分かれるが,どちらも予想以上の高評価だったので嬉しい」と語っていた。

文化の違いを考慮した海外向けの切り口を導入することで,GRAVITY DAZEはレビューでも高い評価を獲得したという。評価する点,不満に思う点が日本と海外であまり変わらないのは興味深いところ
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 最後に五十峯氏は海外レビューのまとめとして「革新的で野心的なチャレンジを実現している」「欠点もあるが,それらを補って余りある魅力がある」「これほど日本らしさを誇りにしたゲームも久しぶりで新鮮」という声を紹介。「日本らしさに誇りを持ち,野心的な挑戦を実現すれば,多少の欠点を補ってあまりある魅力的なゲームになる」と締めくくった。

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海外におけるリアリティとは何か? 感性の違いを再確認


 続いて,シナリオを手がけた佐藤氏が登壇。実際の制作現場において,日本と海外の感性の違いをいかに克服したかについて講演を行った。

 佐藤氏は,GRAVITY DAZEの「女性が主人公である」「架空の都市が舞台」「グラフィックスがトゥーン調」「ボイスが架空言語である」といったポイントが,海外で不利な要素であると指摘する。制作中も,プロジェクトメンバーのアメリカ人から「なぜ日本のゲームの主人公は少年少女ばかりなのか?」という疑問を提示されたという。彼は日本のゲームを愛し,日本文化にも理解があるそうだが,それでもこうした質問が出るのだから,感性の違いは大きいといえるだろう。

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 そもそも,日本と海外では主人公像に大きな開きがある。日本では少年少女が,海外ではタフな大人が,それぞれ好まれるというのはゲーム好きならなんとなく想像が付くだろう。この差を「国民性の違いだ」と考えていた佐藤氏だが,先のような疑問を投げかけられたことをきっかけにあらためて考え直してみたところ,「日本人は若さや幼さを神聖視するが,海外はそれを経験不足で死にやすいと判断する」という結論に達したと話す。

 少年少女が主人公となるのは日本のお約束(暗黙の了解)なのだが,一方の海外で好まれるのはリアリティだ。そして海外のゲームユーザーにとってのリアリティとは,経験豊かな大人が世界の危機に立ち向かうことなのである。GRAVITY DAZEが海外市場を狙ううえで,こういった海外プレイヤーの嗜好は決して無視できない。佐藤氏は「クールでタフなヒロインが活躍するという,海外で好まれるであろうハードSF的な世界観にどこまで寄せていくか」という部分でとても迷い,主人公の個性がなかなか出せない日々が続いたという。

ゲームに求められる主人公像は日本と海外で大きく異なる。日本で好まれる少年少女も,海外では経験が浅い存在としか見られないという。しかし,日本的な強みを活かす方向で原点回帰したことでプロジェクトは進歩を遂げた
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 だが,そんな苦悩が終わるきっかけとなったのも,前述したアメリカ人スタッフの言葉だった。「日本のスタジオで作られた海外向けFPSは,海外の嗜好を完全に把握できていない。同様に,海外のスタジオが萌えアニメを作っても日本の嗜好とはかけ離れたものができる。それならば,お互いに自分の得意なことをやるのがいいのではないか」。

 これを受けた佐藤氏は,自分たちが面白いと思う物を作るという原点に返り,「重力アクション」「日本発のアクションヒロイン」「冒険活劇×バンド・デシネ」というコンセプトの軸をぶらさないよう,求められるリアリティを“納得できる感,理解できる感”と置き換えて再解釈していった。

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海外におけるリアリティを“納得できる感”と捉えたうえで,キャラクターの行動原理や思考を作り上げ,海外でも好意的に見てもらえるヒロインを生み出すことに成功したという
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 そのうえで,ヒロインであるキトゥンの行動原理を「失われた記憶の回復」や「謎の解明」から「街の人の手助けをする」といった身近なものにすることで,ゲームプレイの目的とキャラクターの目的を一致させた。重力を操る特殊能力はネコのダスティが持っていることにし,少女が特殊能力を使える事実を自然にした。
 さらにキトゥンの話し言葉や思考を一般人のものに近づけ,ゲーム的な荒唐無稽さに対してキトゥン自らにツッコミを入れさせることで,親近感を持たせようとした。こうした試みは見事に当たり,海外のレビューでもキトゥンに対して好意的な反応が多く見られたという。

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 キャラクターのデザイン面においても海外市場を意識し,「目・鼻・口を省略せず立体的に描く」「体格に合わない巨大な装飾品を持たせない」「髪型は現実にできる形とし,髪のなびく向きで重力が働く方向のヒントとする」「男性視点で過度に記号化された描き方をしない」といった点を心がけ,「日本的なお約束に逃げない」方向での作業が行われたという。

 それというのも,海外の日本アニメファンであっても,日本的なお約束の描写には違和感を抱くからだという。例えば「笑うときに目を閉じる」「何か説明する時に後頭部をかく」といったお馴染みの動作について,我々は見慣れているがゆえに意識しないが,これは実は日本のお約束であり,海外の日本アニメファンが「なぜこんなことをするのか?」と不思議に思う点の一つなのだという。

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デザインにおいても日本的な味を活かしつつ,海外プレイヤーが違和感を抱くような,日本的なお約束を使わない方向での作業が行われた
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 こうした視点から,「キトゥンがシドーに着替え中の姿を見られてしまい,怒ってシドーをぶっ飛ばす」という日本アニメのお約束的なシーンも,大幅に変更されることになった。というのも,このシーンの評判が海外では良くなかったからだという。独自のリサーチによると,「性別が逆なら洒落にならない」「ギャグ系の暴力は嫌い」「男性に非がない場合は腹が立ってくる」といった意見が見られたからだ。そこで,シーンのコンセプトはそのままに暴力描写を削除し,「怒ったキトゥンがシドーに詰め寄った際,はずみでバスタオルが外れてしまい,慌てたシドーが足を滑らせる」という描写に再構成された。

当初は「日本的なお約束」満載だったシーンも,感性の違いを再検討することで,コンセプトはそのままに違和感のないシーンに生まれ変わったという
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 佐藤氏はGRAVITY DAZEの制作に関し,「インパクトあるチャレンジ」「一貫したコンセプト」「得意なことで勝負」「お約束に逃げない」といったことが行えたと総括。「尖った味を残しながら,日本人的なおもてなしを忘れない」ゲームを作ることにより,「Too Japaneseだから評価される」と講演を締めくくった。

 「日本的である」というのは,非常にデリケートな意味合いを含んだ言葉である。しかし,日本的な強みを活かしつつ感性の違いに配慮して作られたGRAVITY DAZEが,海外でも好意的に受け入れられたというのは暁光だ。海外と日本は違う。だが,そこで思考を止めるのではなく,違いに関して考えることでもたらされた結果が実を結ぶ。GRAVITY DAZEはそういう作品だと言えるのではないだろうか。

当初は「日本的である」という言葉にネガティブなものを感じていた佐藤氏だが,GRAVITY DAZEの制作を終えた後には「Too Japaneseだから評価される」と認識が変わったという
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「GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動」公式サイト

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    GRAVITY DAZE/重力的眩暈:上層への帰還において、彼女の内宇宙に生じた摂動

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