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“ゲーミフィケーション”が進化した先にもたらされる未来とは。立命館大学主催のオンラインセミナーをレポート
セミナーには,立命館大学映像学部講師で,「ゲームとは何か?」というテーマをメインに据えて研究を行っている井上明人氏が登壇した。本稿では,セミナーの模様をお届けしよう。
セミナーの本題に入る前に,立命館大学が行ってきたゲーム関連の取り組みについて説明しよう。
立命館大学は,1998年に「ゲーム・アーカイブプロジェクト」を発足させ,ゲームタイトルのデータベースを構築,一部をリストとして公開している。
そして,2011年には「立命館大学ゲーム研究センター(RCGS)」を日本初の専門的かつ総合的なゲーム研究拠点として設立。国内の学術機関としては唯一,ゲームに関わるプロジェクトを精力的に行っている。
RCGSの具体的な研究・活動としては,国内のものを中心に1万点以上のゲームソフト,80点のゲームハード,4000点の関連資料(書籍・雑誌)を所蔵し,データベースを研究利用しやすい形に整えて公開している。
また,文化庁による国内のマンガ・アニメ・ゲーム・メディアアートを網羅した「メディア芸術データベース」では,ゲーム分野において参加。エミュレータの開発や画像記録などのデジタイズ,ゲーム関連のカンファレンスを開催するなど,ゲームに関する学術活動を多面的に行っている。RCGSはこういった研究成果を基に,行政・公的機関とゲーム関連企業・団体を橋渡しする役割を果たすことが目的の機関なのだ。
“ゲーミフィケーション”とはいかなるものか
セミナーにおける重要なキーワード“ゲーミフィケーション” は,10年ほど前から社会的に流通するようになった。その定義は,「ゲーム以外の文脈に,ゲームの要素を展開すること」で,よく「ゲーム化」と訳されがちだが,井上氏によると「ゲーム感覚化」と訳すのが適しているとのこと。近年では,日本国内よりも海外で定着している用語となっている。
“ゲーム”という言葉自体の扱いは難しい。例えば“小説”と“物語”という言葉を考えてみると,小説は物語を語るためのツールであり,両者は別の概念である。
ゲームは,トランプやゲームソフトといったような,ゲームという“媒体”を強くイメージされることが多いが,「ゲーミフィケーション」は,ゲームそのものではなく,ゲームをしているという感覚を,日常空間に持って行くということなのだ。
具体例として,井上氏が2年ほど前からプッシュしているというプロジェクト「Walking With Video」というものが紹介された。
その取り組みは,YouTubeで「ウォーキングの動画」を探し,世界中の歩いている動画を見つけ,映像を出来るだけ大きい画面で出力し,それを見ながら足踏みをするというものだ。
挙げられた動画の撮影地は,セネガル,パレスチナ,アメリカなど,なかなか行くことが出来ない場所もあった。こういった動画は,YouTubeを探すだけでもかなりの数が存在するのだそうだ。
つまりこれは,単に受動的なコンテンツとして動画を見るのではなく,見ている人が体を動かす,話すなどの行為によって,動画を見るという体験を変えてみないか,という提案なのだ。
興味深かったのが,デモ隊の動画に合わせて歩くという体験談だ。ただ街歩きをしているところから,緊迫感のある風景へと変化する。実際に歩いているという肉体的な刺激と紐づいているため,バーチャルであっても,現地の臨場感が伝わってきたのだという。
さて,“ゲーム”は「不真面目でよくないもの」「仕事や勉強に悪い影響を与えるもの」というネガティブなイメージを抱く人もいる。実際に歴史を遡っても,遊びが悪であるというようなことは根強く言われてきたようだ。
遊びを悪いものと定義づける言説が根強くある一方で,「仕事ばかりしていて遊ばないとつまらない人間になる」というような格言も同時に残っているのだ。
文化人類学者の研究によると,狩猟民族の子供たちは,森で木の実を採る,川で魚を取る,動物を追いかけるなど,大人の経済活動へとつながる遊びかたをしていたという。こういった遊びは,現代社会における「真面目・不真面目」,「仕事・そうでないもの」とは,違う形で現れているのだ。
遊びとそれ以外のものをはっきり区別するという考え方が急速に発達してきたことは,かなり近代的な現象であるという。
進化するゲーミフィケーションが社会にもたらす影響とは
ゲーミフィケーションが社会に大きな影響を与えるようになってきた背景としては,デジタル技術の発達が考えられる。
2004年,アメリカのハワード・ディーン大統領候補は,自身の選挙活動を知ってもらうため,とあるゲームを作った。それは,街頭に立って選挙活動をするという内容の,20分くらいで終わるような簡単なゲームだ。
その4年後の2008年に当時大統領候補だったバラク・オバマ氏が始めたのは,「myBarackObama.com」という支援サイトの運営だ。参加者とコミュニケーションをとったり,情報を得たり発信したりなどができる,いわゆるFacebookのようなものだが,個人のトップページにはブログ投稿の回数,募金活動を成功させた回数,募金額,イベント開催数などの情報を表示している。
その数字が,RPG(ロールプレイングゲーム)で言うところの“経験値”に相当するものになっていて,積極的に活動をして数字を増やしていくことで,SNS内のステージが上がっていくという仕組みだ。ランクが上がると,オバマ氏の大きな支援イベントに招待されるなど,オバマ氏,支援者双方に大きなメリットがある。
サイトで行う“ゲーム的な内容”が,オバマ氏のスムーズな支援に直結しているということもよくできている。実際にこのサイトは,オバマ氏の大統領当選に大きく寄与したと言われており,現代の政治において大きな影響を与えた事例と言えるだろう。
次の例は,2016年に起こった大きなインパクトである「ポケモンGO」(正式名称はPokémon GO)だ。“歩く”ということのなかにゲーム的な要素を入れたものは,同作を含めいくつかリリースされていたが,総DL数など,規模の面において大きな成功を収めたタイトルだとして挙げられた。
日常の中にゲーム的な要素を入れるという分かりやすさは,年々社会に受け入れられており,位置情報を使ったアプリケーションは,「ドラゴンクエスト」や「ピクミン」など,国内の有名IP使ったものが多数リリースされている。特に現在のコロナ禍では,フィットネスツールとしての側面も持っていることが話題となっている。
このように,“ゲーム”を社会的に応用していくというゲーミフィケーションの取り組みは,現在の社会において非常に注目を集めていると井上氏は語った。
遊びに満ちた世界の課題と展望
近年は,ゲーミフィケーションを社会的に活用する事例が増えてきているという。具体的な技術として挙げられたのは,センサリング技術や,ファジーな情報判断,データフォーマットの標準化・普及などだ。
ここで行われているのは,我々が日常生活で行っているようなことを数値化し,それをゲーム内のポイントなどとみなし,ゲーム的な要素に変換していくということだ。
近年GPSや深度センサーなどは,もはやスマートフォンの標準装備となった。センサリング技術が安価になり普及したことで,水道,電気,ガスのメーターをゲーム的に楽しむ取り組みのほか,カロリー管理,車のスピード測定,労働時間管理,睡眠管理……こういったことが,もうすでにいろいろなところで行われているのだ。
ここで具体的な例として挙げられたのは,2010年代に広まった“PBL(Point Badge Leaders Board)”というシステムだ。何か測定できるものをゲームのポイントにし,それを一定数得ることでバッジがもらえたり,プレイヤーのレベルが上がったりする。プレイヤーが複数人いれば,ポイント別にランキングする。まさに,前項で触れた「myBarackObama.com」であり,「ポケモンGO」だ。
このような仕組みは,深いゲームのシステムがなかったとしてもいろいろなサービスに実装できるため,ここ10年ほどでかなり広まったという。新しいIT系プロジェクトの半数以上に実装されていると考えていいかもしれない。
フィギュアスケートなどのように,測定しづらい情報も,はっきり数値化できれば評点を自動化することができるだろう。日本語として意味の通る日記を書くこと,絵を描くこと,バランスの取れた食事を作ることなども,そういった意味では難しいミッションと言えるが,現在はそこにゲーム的な要素を取り入れるという研究が進められ,徐々に進化しつつあるという。認知行動療法や語学トレーニングなど,ファジーな情報判断が発達することで役立つ分野は多いだろう。
情報の数値化,といっても,それらのフォーマットにばらつきがあれば,横のつながりは生まれない。データフォーマットの標準化とその普及も,ひとつの課題だ。
外食したもののデータを一元管理し,その日の栄養バランスなどが分かるようになれば,“食べること”に関するゲーム的な変換ができていると言えるだろう。食べ物のデータをまとめてゲームのように仕立てているアプリケーションは,すでに存在しているが,社食,学食など,それぞれの事業所で提供されているメニューの情報が統合できれば,さらに健康管理がしやすくなるはずだと井上氏は語った。
今回は少し触れられるだけにとどまったが,現状からさらなるイノベーションを生み出す可能性があるIoTやXR技術などにも話は及んだ。
しかし,懸念もある。ゲーミフィケーションに関する技術は,監視社会的な側面に陥りやすいという点がそのひとつだ。
その多くはプライバシーにかかわるデータを取り扱うので,ゲーミフィケーション事業を興すにあたり,個人情報保護法に対応することは避けて通れないだろう。どこまでユーザーの情報を第三者が見られる形にするのか,問題のある点を議論し,切り分けていく必要があるのだ。
プライバシーの面だけではなく,もっと大きな意味での倫理基準についても,論じるだけでなく,具体的にアクションをしていかねばならないと井上氏は語る。また,やりがい搾取やエコーチェンバーなども大きな問題だという。
このような現状を踏まえ,今後は専門の人材育成が必要だというのが,現在ゲーミフィケーションに関わる多くの人の意見だそうだ。「行動プロセスのデザイナー」とも言い換えられる。
デザイナーという職業は200年前には存在しなかったが,19世紀中盤以降,近代デザインに関する運動が行われ,現在は職業として一般的に認知されている。「行動プロセスのデザイン」は,コンピュータ技術の発展以降の考えかたで,これよりもさらに新しい分野となるのだ。
ところで,「ゲーム」というもののひとつの欠点として,「基本ルールを変更できない」という点がある。しかしながら現実においては,前提となるルールはよく変わるものだ。ゲームでトレーニングを積んだ人が,現実の状況が変わってしまうと適応できなくなるという事例もある。今後は,「前提の変わるゲームを作れるか」ということも,大きなポイントの1つになるであろうと井上氏は述べた。
また,今までのゲームにはあまり見られなかった「記録をする」という性質をもたせることができるようになると,社会へのインパクトはさらに大きなものとなるに違いないと展望を明かす。
“ゲーム”が我々の生活の中に入りやすくなっている昨今,「遊び」は「学び」や「労働」などともある程度連続した行為なのだと言える。歴史的に見ても,「ゲーミフィケーション」は,近代以降の再構成をしているのではないだろうか。
今後に関しては,技術的要素,社会的要素などに課題は多々あるが,発展の仕方によっては,我々の生活に大きな変化をもたらすだろう,と井上氏はまとめ,今回のセミナーを終了した。
立命館大学 公式サイト
立命館大学ゲーム研究センター 公式サイト
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