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印刷2008/02/01 12:01

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奥谷海人のAccess Accepted

 Vivendi Gamesは,日本での知名度はあまり高くないかもしれないが,ゲームの発売/開発を手掛ける大企業の一つだ。母体となったのは創業150年を超えるフランスの老舗企業Vivendiであり,ゲーム開発においては1980年代前半から業界を牽引してきたSierra On-Lineの血を受け継いでいる。そんなVivendiが,業界でもっとも影響力があるパブリッシャ/デベロッパの一つであるActivision Blizzardを誕生させたのだが,そこに至るまでさまざまな紆余曲折を経ている。今回は,そんな歴史をじっくりと振り返ってみよう。

Access Accepted第159回:業界の巨人となったVivendiの歴史
母体はナポレオン三世時代の水道会社

 前回の「第158回: Activision Blizzardが起こす再編成の波」では,ActivisionとBlizzard Entertainmentという,今をときめく旬なメーカー同士の合併について紹介した。その影響は,近いうちにアメリカはもとより世界にも波及していくであろうが,今回はその合併劇のカギを握っていたVivendiについて紹介しよう。

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なんと創業154年の歴史を持つVivendiだが,ゲーム産業に関わりだしたのは10年ほど前のこと。ゲーム産業参入当初,大リストラを敢行したこともあり,その評判はあまりよくなかった

 Vivendiがゲーム産業に進出したのは1998年のことで,10年の歴史を刻んでいるものの,ヒット作はあまり多くない。日本でも知られている作品といえば,「Half-Life」(1998年),そして「Homeworld」(1999年),「F.E.A.R.」(2005年)や「World in Conflict」(2007年)ぐらいだろう。また,PlayStationのローンチタイトルとして脚光を浴びた「クラッシュ・バンディクー」は,Sony Computer Entertainment of Americaからリリースされていたシリーズだが,2001年にVivendi Gamesが開発元のNaughty Dogsから版権を購入し,自社の看板タイトルとした。

 Vivendi Gamesの親会社であるVivendiは,フォーブスやフォーチュン誌の企業番付に登場するほどの大企業だ。その歴史は非常に古く,1853年12月にナポレオン三世の勅命によって設立されたCompagnie Generale des Eaux(CGE)という水道会社に端を発している。その後,100年以上にわたってパリの水道施設の管理などを行ってきたが,1980年頃から建設,ゴミ回収,バス会社,不動産などに業務を拡大し,巨大な複合型企業へと成長していった。

 1983年には,メディアやテレコミュニケーション事業にも乗り出し,フランス初の有料テレビ放送Canal+の設立に関わっている。社名をVivendiへと変更したのは,1998年のこと。同年,アメリカの音楽産業を代表するUniversal Musicを松下電器産業から買い取ったカナダの酒造メーカーであるThe Seagramも買収し,そのフィールドをさらに拡げ,今や世界90か国に23万5千人もの従業員を抱える大企業となったのだ。

 

買収や譲渡の中で凋落していく名ブランド

 これまでVivendi Gamesの主力を担ってきたブランド「Sierra Entertainment」は,ゲームが産業として産声を上げ始めた頃に誕生した開発会社 On-Line Systemsがもとになっている。Ken & Roberta Williams(ケン&ロバータ・ウィリアムス)夫妻が1979年にカリフォルニアの中部にある小さな町,オークハーストで起業し,1980年には当時としては画期的だった「Mystery House」というアドベンチャーゲームを開発。その後,Sierra On-Lineへと社名を変更したのである。

 Sierra On-Lineは,King's Questシリーズに代表される,数々のアドベンチャーゲームを主力とし,マウスによるポイント&クリック式のゲームを生み出すなど,ゲーム業界に与えた影響は大きい。1989年には上場も果たし,1990年にオンラインゲームコミュニティ「The Sierra Network」を生み出し,さらには教育系ソフトウェアの開発もスタートさせるなど絶頂期を迎えていた。

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1984年に,Sierra On-Lineからリリースされた「King's Quest: Quest for the Crown」は,キャラクターがアニメーションするアドベンチャーゲームとしては最も古いものの一つ。1億円近い予算が組まれており,6人のプログラマーが18か月間でゲームを作るという,当時としては考えられない大プロジェクトだった

 1993年には,従業員数百人を引き連れてMicrosoftやNINTENDOがあるシアトル郊外へと移るという決断をし,本拠はオークハーストに残しつつ,開発や営業はすべてシアトルで行っていた。

 やがて1996年,不動産事業などで成功していたCUC Internationalというペンシルベニア州の会社に,Sierra On-Lineは買収される。買収金額は,当時としては破格の15億ドル(約1600億円)という額であり,これには経営陣達も断り切れなかったようだ。

 CUC Internationalは,ときを同じくして教育ソフトを開発しているDavidson & Associatesという会社も買収しており,Davidson & Associatesの社長を務めていたBob Davidson(ボブ・デイビッドソン)氏がゲーム部門の運営を行うようなった。ケン・ウィリアムスは,旅行予約システムの開発担当者に任命されたが,直後に退社してしまい,ゲーム業界から距離を置いたままとなっている。

 Davidson & Associatesは,「Warcraft: Orcs and Humans」(1994年)でゲーム業界での地位を築いていたBlizzard Entertainmentを傘下に持っており,1997年には「Diablo」を大ヒットさせた。

 CUC Internationalは,1997年に旅行業界でのライバルだったHFS Internationalと合併し,Cendantと改名。これに合わせるかのように,Sierra On-LineとDavidson & Associatesを合併させ,Cendant Softwareという会社を設立した。だが,この頃のBlizzard Entertainmentは「Warcraft Adventures」(発売中止)という新作の開発に手一杯であり,要望の多いDiabloの拡張パックにまでは手が回らなかったことから,Sierraがその開発を行うことになり,「Diablo: Hellfire」を,1997年11月にリリースした。だが,ゲーム産業での経験が浅い親会社であるCendant Softwareのプロモーションはうまくいかず,結果として売り上げは伸びなかった。

 

会計スキャンダルの泥沼から立ち上がる
Sierraブランド

 Cendant Softwareは,1998年に親会社であるCUC Internationalに会計粉飾事件が発覚し,混乱に陥ってしまう。CUCは,HFS Internationalとの合併でCendantを発足させる以前から何度か粉飾決算を行っており,3年間にわたりおよそ5億ドル(約530億円)を実際の利益に上乗せして計上していたのだ。これをきっかけに,Cendantグループの株価は半年で半額にまで下落し,株主達は総額で14億ドル(約1500億円)の損失を出したという。これは,2001年にエンロン事件が発生するまで,アメリカにおける史上最大の粉飾決算だったのだ。

 こういった事件もあり,CUCは1998年11月にCendant SoftwareをHavasというフランス系メディア会社に10億ドル(約1100億円)程度で譲渡する。Havasは,当時のVivendi傘下の企業であり,これこそがVivendiのゲーム産業進出の口火を切ることになった買収であった。Vivendiは,アメリカで知名度が高いSierra On-Lineの名を復活させるため子会社として独立させ,2002年にSierra Entertainmentという現在の社名が誕生したのである。

 また,Vivendiは2004年にUniversalの資産を生かすために,ゲーム部門の母体をシアトルからロサンゼルスに移し,VU Games(Vivendi Universal Games)を発足。さらに2006年にはVivendi Gamesに名前を変えるなど,我々のようなゲーム業界のウォッチャーでも把握しきれないほど社名変更が続いた企業でもある。

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Vivendiのゲーム業界での成功は,World of Warcraft抜きでは考えられない。8月には拡張パック第2弾となる「World of Warcraft: Wrath of the Lich King」(画面)が発売される予定だ。ただ,Activision Blizzardというビッグネームの影に隠れることになったSierraはどうなるのだろうか……

 1998年にHavas(Vivendi)が経営権を握ったと同時に,Half-Lifeが発売されてヒットしたこともあり,当初は平穏と思われていたSierra On-Lineの経営だったが,のちに“ブラックマンデー”と呼ばれることになる大リストラが1999年2月22日に行われた。リストラを行った詳しい理由は明らかにされていないが,当時1000人ほどいた従業員の25%が解雇されたうえに,「Leisure Suit Larry」のAl Lowe(アル・ロウ)氏や「SpaceQuest」のScott Murphy(スコット・マーフィ)氏らも退職させられたのだ。さらに,Sierra On-Lineの心の故郷ともいえるオークハーストの全従業員135人が解雇されたのは,関係者だけでなく,ファンにとっても大きな衝撃だった。

 これだけでなく,「Tribes」のDynamicsや「NASCAR Racing」のPapyrus Designs,「Caesar」のImpression Gamesなど,Sierraファンには馴染み深かった傘下の開発チームが次々と閉鎖させられ,2003年にはSierra Entertainmentの社員は300人程度しか残っていなかったという。この頃はVivendi本体の経営状態も芳しくなく,Blizzard Entertainmentの中心的な開発者達が続々と辞めていったり,オンライン販売業務に手を伸ばそうとしていたValveによる離反騒動が起きたりと,ゲーム業界でのVivendiは,まさに瀕死の状態だったようだ。

 ただ,2004年11月に「World of Warcraft」をリリースし,記録的な大ヒットとなり,状況は一気に好転。現在ではアカウント数が1000万というWorld of Warcraftは,Vivendi本社の経営状態良化となるきっかけともなり,ついには,業界最大手になったばかりのActivisionを取り込み,ゲーム業界で最大規模の会社を誕生させたのである。

 ファンや開発者達から見放されたような形になったVivendiのゲーム部門が,業界最大手となるActivision Blizzardを設立させるなど,いったい誰が想像していただろうか。古くからのゲーマーにとっては,“Sierra”のブランド名が今後どうなっていくのか気がかりではある。だが,立ち直ったVivendiのゲーム部門が,今後のどのような動きを見せるのか,非常に楽しみでもある。

 

■■奥谷海人(ライター)■■
本誌海外特派員。最近,“ピザ・クエスト”と称して,サンフランシスコにあるピザ屋を食べ歩いているという奥谷氏。市内で一番おいしいといわれるピザ屋はもちろんのこと,ピザ回し世界2位の人が経営する店など,片っ端から訪れ,パイのようなシカゴスタイルからスパイスの効いたインド風まで,ピザと名のつくものを食べまくっているのだという。というわけで,お気に入りを聞いてみたのだが,「ピザはピザ。どれも同じ」という,ピザ屋をはしごしている人とは思えない答えが返ってきた。どうやら出かけることが目的で,ピザはどうでもよかったようだ。家にいづらいことでもあったのだろうか。

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