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東京ゲームタクト2019「レジェンドコンポーザーズ・トークショウ2019」レポート。ゲーム音楽界のレジェンド4名が秘蔵のトークを展開
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印刷2019/06/07 14:22

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東京ゲームタクト2019「レジェンドコンポーザーズ・トークショウ2019」レポート。ゲーム音楽界のレジェンド4名が秘蔵のトークを展開

 2019年6月1日と2日の2日間,大田区民ホール・アプリコで開催された「東京ゲームタクト2019」内にて,「レジェンドコンポーザーズ・トークショウ2019」と題されたステージが行われた。
 このステージは,ゲーム業界で数多くの名曲を送り出してきた小倉久佳音画制作所氏小沢純子氏川田宏行氏増子津可燦氏の4名が登壇。各々が過去に手がけた楽曲の制作秘話や,そうした楽曲の知られざる源流などについてのトークが繰り広げられた。本稿では,その模様をレポートする。

トークは会場の小ホールにて行われた。司会進行はオニオンソフトウェアのおにたま氏(壇上左)だ
画像集 No.002のサムネイル画像 / 東京ゲームタクト2019「レジェンドコンポーザーズ・トークショウ2019」レポート。ゲーム音楽界のレジェンド4名が秘蔵のトークを展開

「東京ゲームタクト2019」公式サイト


 ゲームファンやゲーム音楽ファンにとって,イベントのタイトルのとおり“レジェンド”の肩書きにふさわしい豪華メンバーが揃ったこのステージ。驚くトークが飛び出したときには,司会のおにたま氏が「レジェンド!」の声とともにスクリーン右上の「レジェンドポイント」が加算されるボタンを押すという演出が盛り込まれていた。
 最初のトークでは,まず各自のレジェンドなプロフィールとともに,その代表作の紹介が行われた。

 増子氏は,かつて所属したテーカン(現コーエーテクモゲームス)やアトラスにて,「スターフォース」「女神転生」シリーズなどで多くの名曲を手がけている。1984年にリリースされたアーケードゲーム「スターフォース」は,客席のほとんどがその存在を知る著名なタイトルだ。当時は同じテーカンに務めていた先輩である坂本慎一氏が手がけていたもの以外を増子氏が担当していたそうで,前年にリリースされた「センジョー」を坂本氏が担当したことから,次作であるスターフォースは増子氏の担当となったとのこと。

ちなみ同作はロケテストの直前で絵柄がガラッと変わったそうで,それまでは某縦スクロールシューティングによく似ていたという。実は増子氏は,本作の敵キャラクターのグラフィックスなども担当していて,そのコンセプトについて「銀よりも金のほうが高級だよね(笑)」とコメント。変更前の絵柄が一体どの作品に似ていたのか,察しがいい人は分かったかもしれない。

 川田氏は「妖怪道中記」「ウイニングラン」など,ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)の1980年代後半以降に登場したアーケードタイトルのサウンドを支えたコンポーザー1人であり,代表作には「ワルキューレの伝説」などがある。前作はファミコンの「ワルキューレの冒険」で,その世界観を引き継ぎ,アーケードのよりよい音源で拡張できたのは楽しかったと語った。

 「ワルキューレの伝説」では,企画の最初の段階で行ったキックオフミーティングで配られたレジュメを見た時点で,すでに曲のインスピレーションが浮かんでいたそうで,それがそのまま楽曲になったとのこと。当時はコンポーザーの数も少なく,1人2タイトルの掛け持ちは当たり前で,川田氏も同作と「ウイニングラン」をほぼ同時に制作していたそうだ。剣と魔法の世界の音楽を作っている頭の片隅で,3Dポリゴンのレースゲームに合うフュージョンのメロディを思いつくという現象が当たり前のように起きていて,後の自身の仕事にも影響を与えたとのことだった。

川田宏行氏(左)と増子津可燦氏(右)
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 小沢氏は川田氏の先輩に当たるナムコのコンポーザーで,代表作は自他共に認める「ドルアーガの塔」である。入社して最初に手がけた「ギャプラス」は,その時点で8割方が完成しており,先輩である大野木宣幸氏のドライバを使って,音のデータを作るのみだったとか。一方,「ドルアーガの塔」は企画の立ち上げから携わっていたことで,ゲームのイメージを掴め,さらにドライバを作る余裕もあったそうである。

 入社当時は,パソコンのキーボードの配列を覚えるのが大変だったが,「ナムコの先輩方の技術が素晴らしかった」という理由で曲作りで苦労をしたことはなく,楽しく学びながら作曲の経験を積むことができた,とのことだった。

 最後に紹介された小倉氏は,タイトー所属時代にアーケード作品の楽曲を数多く手がけた人物で,代表作はもちろん「ダライアス」だ。1986年のAMショーに同作が参考出展されることが直前になって決定したため,別の仕事をしていた小倉氏に急遽曲を作れというオーダーが入ったのが,その発端だったとか。時間がなかったために「メタルソルジャー・アイザックII」で使われていたノリのいい曲を移植し,ショーを乗り切ったというエピソードが披露された。

 海洋生物モチーフのボスのイメージが強い本作だが,小倉氏の中では,開発中に見たバンアレンベルトステージに隕石が流れる様子の印象が強く,そこへイメージを寄せていったとのこと。
 元々本作はサウンドを外注に出す予定だったものの,タイトーとしてかなり冒険したタイトルのサウンドを外注に出してしまうのは避けたいと直談判し,自身が作曲することになったそうで,それが大きなプレッシャーにもなってしまったとも語っていた。

小倉久佳音画制作所氏(左)と小沢純子氏(右)
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レジェンド作品の源流


 続いて話題となったのは,「レジェンド作品の源流」というテーマだ。冒頭の代表作に対し,こちらではあまり知られていないレアな作品の紹介が行われた。
 最初に登場したのは,テーカンのアーケードゲーム「ボンジャック」。もちろんこれは増子氏の作品であり,BGMにはいくつかの著名な楽曲が使われている。「気のせいです」と笑う増子氏だが,製品ではちゃんとJASRACの許諾を得ているとのことである。

 企画の上田和敏氏から「JASRACを通せばどんな曲でも使えるよ」と言われた増子氏は,アーケードの基板ゆえに出荷数が限られ,使用料もそれほどかからなかったことから,同作を含めていくつかのタイトルに著名な曲を採用したとのこと。
 前述の「スターフォース」以前の作品では,ほぼ独学で実験を繰り返しながら手探りで楽曲を作っていたそうで,作曲してデータを作るより,実験のほうに時間がかかったとも話していた。
 ここでボンジャックでは,実は増子氏もグラフィックスを描いていたという事実が発覚。写真に写っているピラミッドとスフィンクスは増子氏の手によるもので,大まかに下絵を作った後に,8×8のパーツを画面に貼り付けていくという作業だったので,元となるドット絵などは存在しないとのことだった。「作業的に相当大変だったのでは?」というおにたま氏の問いに,「いや,結構楽しかったですよ」と笑顔で答える様子が印象的だった。

 次に紹介されたのは,MSXの「ザイゾログ」と「スイートエーコン」というタイトルだ。ともにタイトーが開発していて,1983年末に中途入社したばかりの小倉氏が,アーケードを手がける前に携わり,初めて商品化された作品だという。

 一度に鳴らせる音が少ない当時の家庭用ハードでは,それを音楽に使うか,効果音に使うかをまず決めなくてはならなかったそうで,MSXの場合は3音なので,「ザイゾログ」では効果音に2音,音楽には1音を割り当てている。これは独自の画面や世界観に合わせ,効果音に深みを出したほうがいいという判断だったそうである。

 一方「スイートエーコン」は国内未発売のタイトルで,小倉氏いわく「当時のタイトーとしては数少ない,明るい曲(笑)」と評している。「タイトーのサウンドが作る音は暗い。ナムコを見てみろ」と言われたのが悔しくて作った明るい曲で,「当時の松田聖子がもし『みんなのうた』を歌ったらこうなる」というのがイメージの元だったとか。

 小倉氏はタイトー入社前,ゲーム会社のサウンド制作部門は,皆スーツを着て広いフロアで最新の機材を使って作っていると勝手に夢見ていたが,「実際は小屋でした」と述べ,来場者の笑いを誘った。増子氏も開発が使わなくなって余った機材を使って制作するなど,環境は決してよくなかったと同意するが,ナムコは巨大なコンピュータが置かれた「クリーンルーム」で制作していて,空調が効きすぎるぐらいのいい環境だったと元ナムコの2人が語ると,小倉氏がすかさず「僕はそういう環境を想像していた」とツッコミを入れる。当時の各社における制作環境の違いが明らかになった瞬間だった。

 続いて紹介されたのはファミコンソフトの「スターラスター」だ。ナムコのファミコンソフトでは初のオリジナル作品で,サウンドは川田氏が手がけている。

 元々企画職で採用された川田氏だったが,学生時代にバンドの経験があったことからサウンドも兼任するようになり,同作はその頃の作品だという。川田氏がPSGを触ったのは同作が初で,ファミコン版の「パックマン」「ギャラガ」のサウンドを担当した小沢氏が教える立場となったのだとか。同時に使える音数は少ないものの,音としてクローズアップすると見るべきところがあり,それを活かした効果音での演出をメインに,BGMは要所で鳴るという方向性としたのだそうだ。

 そして最後は小沢氏の作品となるわけだが,これが非常に特殊なタイトルであった。小沢氏が同期のクリエイターと制作したもので,ミニゲームが十数本収録されているというものだが,後に「リブルラブル」を手がける先輩プログラマも参加していたという。高度なプログラムで組まれたゲームも収録されており,客席からも驚きの声が上がっていた。
 小沢氏は「ミニゲームだし,この人数で作るからチョロいかなと思っていたら,サウンドは私1人で,すごく忙しかった」と開発の苦労を語ったが,30年以上ぶりに画面を見て「生き別れになった子供に再会したみたい」と笑顔も見せていた。

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レジェンド音源の歴史


 続いてのコーナーは「レジェンド音源の歴史」。ゲーム機とともに進化を遂げてきた音源について,登壇者がトークを展開した。

 タイトーで初めてFM音源を採用したアーケードゲームは「影の伝説」で,サウンドはもちろん小倉氏の手によるもの。実は同作のサウンド自体は,沖電気の音源を使用して先に完成していたと,当時を振り返って氏は語った。だが,その後ヤマハのFM音源に対応させてリリースすることが決定し,開発から「小倉,これをFM音源で作ってくれ」と依頼され,小倉氏が楽曲を移植したとのことである。
 またその当時,データを入力すると該当の音になるという,ヤマハが用意したプリセットのリストがあったそうだが,そのとおりに入力したものの使い物にならず,データをいじくり回して自分の表現したい音を模索したことが思い出されると語っていた。

 また増子氏の関わった作品では,「アルゴスの戦士」でFM音源を採用している。FM音源チップが非常に高価だった当時,増子氏は新しい基板でゲームを作るにあたり,FM音源チップ採用の要望を出したという。すると「ハードを設計してくれるなら載せてやる」と言われたため,増子氏は実際に設計を行って,FM音源チップの搭載を決定させた経緯があるのだとか。

画像集 No.024のサムネイル画像 / 東京ゲームタクト2019「レジェンドコンポーザーズ・トークショウ2019」レポート。ゲーム音楽界のレジェンド4名が秘蔵のトークを展開
 一方ナムコでは,「イシターの復活」「スカイキッドDX」などがFM音源に対応しているが,その頃はまだサウンドプログラムが発展途上段階であったため,鳴らしたい音色やエンベロープの面で表現できないことも多くあったと,小沢氏は明かしていた。
 また当時のナムコは,サウンドのクオリティを上げるための予算は割いてくれたが,スケジュールに関しては理解が得られず,企画やプログラマの仕事が遅れてスケジュールが延びることはあっても,サウンドのために締め切りを変更してくれることはなかったそうだ。のちに「ローリングサンダー」を手掛けたころには,サウンドプログラムの問題も解決し,やりたい表現が自由にできるようになったという。

 それに対し,「(タイトーでは)締め切りはあったけど,だいたい無視していた(笑)」と返す小倉氏。自分で作るもの以外に,外注に出すときも大まかなイメージを作ってそれを伝えたり,FM音源の音色の作り方を教えたりと全体をコントロールする仕事をしていたので,どうしても時間かかかってしまっていたのだとか。ちなみに1日で最大6機種分の打合せをしたこともあるそうである。

 ここでもう一つ話題にのぼったタイトルに,増子氏がアトラス時代に手がけ,ナムコから発売された「デジタルデビル物語 女神転生II」がある。同作では,音源としてカセット内に特殊なチップ(N106)が搭載されたことが話題となったが,増子氏いわく実際はメモリコントローラであり,それを無理やり音源として利用していたにすぎないという。そのため実際に使うと自由度が高い分,プログラムの管理が非常に大変だったそうだ。
 また。その頃のナムコでは,出たばかりのPCエンジンやゲームボーイを作っていたため,同作のような機構を利用したファミコンソフトが内製で作られることはほとんどなかったとも語っていた。

 その数年後に発売されたスーパーファミコンでは,サウンドにサンプリングや音声合成などが使えるようになり,トータルバランスがよくなったと語る小沢氏。ただし音源にクセがあり,ループを作るのに時間がかかったと川田氏は話していた。当時提携していたナムコとアトラスの間でも,互いの技術をやりとりすることはあまりなかったとのことだ。

 そして時代はロムカセットからCDの時代へと移り,生の音を使えるようになった。「風のクロノア」を手がけた小沢氏は,CD並みの音が出せるという点を意識していろいろと作ってみたが,どんなにいい音が出せても,過去のゲームのサウンドにおいて強く意識していたノリやテンポがCDの読み込みのタイミングによって崩れてしまうのが許せず,実際は試行錯誤の繰り返しだったとか。また音数の制約もなくなり,たくさんの音が出せるようになったが,鳴る効果音が増えれば音も濁り,大事な音が埋もれてしまう結果になるので,注意が必要だったと語っていた。


レジェンドの秘密


 最後のテーマは,今だから言えるマル秘体験を語るコーナー「レジェンドの秘密」だ。
 なかでも,おにたま氏が事前の打ち合わせからとくに聞きたかった話題として振られたのが,増子氏が体験したという不思議な現象の話題である。それは,「女神転生II」を夜中会社に残って作っているとき,突然プリンターが動き出して謎の文字を印刷するという現象があったというもの。接続されたPCが動いていなかったというからまた恐ろしい。また別のソフトを作っていたときには,蛍光灯のスイッチの紐が突然バチッと弾けた後,電気を付けていない台所の奥が青白く光り,食器が揺れるというポルターガイスト現象にも遭遇したという。増子氏は,こうした体験を「よくありました」と語っている。

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 もう一つは小沢氏のエピソードだ。ファミコン全盛の頃のサウンド担当は,音をチェックするためにEPROMにデータを焼いては消すという作業を繰り返し行うことがあったという。そのときは,主に64Kと128Kの容量のものを使っていたそうだが,ある日その目印となるシールが貼っていないものを何気なく使ったら,焼いている最中にロムの中心が赤く焼け付くという事態が起きたという。
 実は小沢氏が手にしたのは,「ゼビウス」の開発に使用していた高額な256KのEPロムで,開発部署に3個しかないそれを手違いで壊してしまい,増子氏とは違う方向性のゾッとした体験を語っていた。

 最後はイベントの締めくくりとして,「今も活かされている経験・ファンの皆様へ一言」が,登壇者全員から来場者に贈られることとなった。
 増子氏は,「昔も今も新しいことへのチャレンジと,それに対する試行錯誤の繰り返しで,“またか”と思う日もあるが,どれも必ず何とかしてきたという経験は,これからも必ず生きていくだろう」とコメント。
 また川田氏からは,「音楽を作るには音楽以外のインプットはすごく大切です。ゲーム開発もまた同様で,ほかの世界からのヒントやエネルギーをもらい,発想を豊かにしていくことが大事だということを,これまでの経験で学んだ」と述べ,漫画を読んだりスポーツを観戦したりする自分をどこかで見かけたら「インプットをしているんだ,と思ってほしい(笑)」と笑いを誘っていた。

 1980年代の中盤,「スカイキッドDX」「イシターの復活」「トイポップ」という3つの仕事の締め切りが重なり,「夜逃げしたくなった」というほどの忙しさを経験したという小沢氏は,「それほどの苦難を乗り越えられた自分がいるので,以降はどんな忙しくても必ず乗り越えられる自信に繋がった」と話した。
 最後に小倉氏は,タイトー時代,開発チームではより高みを目指すために再研修を受けられる制度があるという話を聞きつけて,サウンドチームでも同じような試みを取り入れた経験を話した。講師を呼び,全員がそこで音楽理論を一から勉強する機会を得たことが,現在の音楽制作にとても役立っているとのこと。また今はドレミの音楽に飽きていて,ノイズ系の音楽に興味を惹かれているそうだが,それでもタイトー時代に音楽の基礎を勉強したことは,忘れていない。そんな小倉氏から,最後に「何事も基本は大事」というメッセージが贈られ,イベントは締めくくられた。

画像集 No.001のサムネイル画像 / 東京ゲームタクト2019「レジェンドコンポーザーズ・トークショウ2019」レポート。ゲーム音楽界のレジェンド4名が秘蔵のトークを展開

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