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平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る
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印刷2019/04/30 12:00

企画記事

平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る


平成5年(1993年)

1月14日 スーパーファミコン用ソフト「BURAI 八玉の勇士伝説」発売
2月21日 スーパーファミコン用ソフト「スターフォックス」発売

■「スターフォックス」:宇宙と時を超えた感動(ライター:男色ディーノ)

画像(010)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

 人類は冒険に憧れるわ。未知のモノへの探求心があるからでしょうね。46億年の歴史を持つとされる地球で,人類が知恵を授かってから数千年しかたっていないわ。でも,そんな短い間で地球の表面に関してはだいぶ分かってきた。まだ分からない部分もあるけれど,世界地図を見ればだいたいどんなものがどこにあるのかが分かる。それでも,人類の未知への知的欲求は止まらない。地球の外,宇宙への憧れはいまだ消えない。宇宙には分かっていないことが多すぎるから。

 そう。ほとんど分かっていないということは,何でも想像で補っていいという意味でもあるのよね。だって,誰もその想像が間違ってるなんて立証できないんだもの。だから,宇宙空間で人型戦闘兵器がビームを打ち合ってもいいし,宇宙人同士がライトセイバーでチャンバラをしてもいい。というわけで,小説や映画,漫画やアニメなどのエンタメの世界には,宇宙を舞台にしたものも多い。やはり,実際に身の回りにある世界が作品の舞台だと,いかにフィクションでもリアリティを求められてしまうから。その点,宇宙は多少のリアリティ不足もなにか理屈を補えば通っちゃう。だから,宇宙を舞台にした作品が多いんじゃないかと思うわけ。

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 それは,もちろんゲイムも。私は「スターフォックス」こそが,ゲイムで宇宙を舞台にした作品の中で平成を代表するものだと思っているの。それは,正に技術の進化を体現したタイトルであるから。どういうことかというと,「スターフォックス」は平成5年(1993年)に発売されたスーパーファミコン用のタイトルで,そのあと平成9年(1997年)にNINTENDO64で「スターフォックス64」として発売されたの。その2タイトルの間の進化がものすごくてね。もちろん,スターフォックス64のあとにも任天堂が出す各ハードで発売されてるんだけど,各ハードに合わせてちゃんと進化してるのよね。ゲイム機の進化がそのまま反映されている感じ。そういう意味で,「スターフォックス」はゲイムハードの成長をそのまま体現できているタイトルだと私はとらえているわ。

 ただ,1作目の「スターフォックス」は,私にとっていい思い出ではなかったの。この作品は,それまでのシューティングゲイムの常識であった横スクロール縦スクロールという概念を壊し,画面の奥に進んでいく3Dシューティングだった。ポリゴンという概念がゲイムに取りこまれた結果そうなったのね。当時,中学生だった私にとって3Dシューティングというものは斬新だった。宇宙船で宇宙を進む感覚ってこういう感じなのかなって想像ができて,夢が広がったわ。ゲイムが進んだ感じがした。

 ……ただ,面白かったかと言われると,ちょっと疑問符がついた。シューティングゲイムとしては圧倒的にスピード感が足りなかったのよね。ステージ中に味方との通信が入り,それによってストーリーがインタラクティブに感じられたわ。それもこれも何もかもが斬新で,確かに今までにない体験ではあったけれど。

 ちなみに,当時のゲイム雑誌のレビューと私が感じたゲイムの面白さとでは差がかなりあって,「ゲイムをプレイした後の感じ方は人によって違う」という,今考えたら当たり前のことを学んだのもこのゲイムだったわ。

 もうすでに大学生になり,一人暮らしだった私が「スターフォックス64」が出ると知って,最初に持った気持ちは不安だった。スーパーファミコン版の印象があったから。だから,発売当初には買わなかった。でも,やたらと評判はいい。ゲイム雑誌がそう報じてくる。ただ,評判と自分の感覚とがマッチするとは限らないってことを前作で知った私は,なかなか買うまでには至らなかったの。ただ,当時NINTENDO64のタイトルはなるべく買おうとしていた謎の自分ルールがあって,かつバイト先で臨時ボーナスが出るという幸運も手伝って,ついに64版を買ってしまったのよね。

 で,半信半疑ながらプレイ時の感動を,私は忘れないわ。ありていに言えば,面白かったの。しかもものすごく。スピード感はバッチリ,戦闘中に仲間がガンガン戦況を報告してくる。そこは,私が思い描いていた宇宙空間だった。そして思った。作り手がスーパーファミコン版でヤりたかったことは,これだったんだ,と。そして私はもう一つ学んだわ。「自分の経験や体験が無駄かどうかなんて,時間が経たなければ分からない」ことを。スーパーファミコン版をプレイしてなければ64版でのこの感動はなかったはずで,そう考えればあの時のガッカリ感も決して無駄ではなかった。その時から思ったわよね。「ヤりたいゲイムはヤっておけ」と。人生は今だけじゃない。ゲイムも成長してる。そして,平成は終わるけども,人類の冒険心は終わらない。きっと,令和のスターフォックスも私を感動させてくれることでしょう。

2月26日 世界貿易センター爆破事件
3月5日 スーパーファミコン用ソフト「ジョジョの奇妙な冒険」発売
3月12日 スーパーファミコン用ソフト「伝説のオウガバトル」発売
3月22日 Intel Pentium発表
3月23日 ファミリーコンピュータ用ソフト「星のカービィ 夢の泉の物語」
3月25日 PCエンジンDuo-R発売

4月 NVIDIA設立
4月3日 スーパーファミコン用ソフト「ブレス オブ ファイア 竜の戦士」発売
4月23日 メガドライブ2,メガCD2発売

5月15日 日本初のプロサッカーリーグ「Jリーグ」開幕

6月6日 ゲームボーイ用ソフト「ゼルダの伝説 夢をみる島」発売
6月15日 PC-98「プリンセスメーカー2」発売

7月 アーケード版「SAMURAI SPIRITS」稼働
7月12日 プリズム企画(現・日本一ソフトウェア)設立
7月14日 スーパーファミコン用ソフト「スーパーマリオコレクション」発売
7月16日 横浜ランドマークタワー開業

8月6日 スーパーファミコン用ソフト「聖剣伝説2」発売
8月26日 レインボーブリッジ開通

9月 アーケード版「餓狼伝説スペシャル」稼働
9月19日 スーパーファミコン用ソフト「トルネコの大冒険 不思議のダンジョン」発売
9月24日 Macintosh用ソフト「MYST」発売

1990年代のベストセラータイトルの一つ「MYST」は,美しいグラフィックスや独特の世界観,難解なパズルが高く評価されたポイント&クリック式のアドベンチャーゲームの金字塔だ。さまざまなプラットフォームに移植され,多数の続編やスピンオフ作品が生まれた。写真は,「Myst 25th Anniversary Collection」のプロモーションムービーのキャプチャ
画像(009)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

10月1日 ガスト(現・コーエーテクモゲームス ガストブランド)設立
10月28日 ドーハの悲劇(サッカーW杯アジア地区最終予選敗退)

11月 アーケード版「リッジレーサー」稼働
11月 アーケード版「豪血寺一族」稼働
11月16日 ソニー・コンピュータエンタテインメント(現・ソニー・インタラクティブエンタテインメント)設立
11月23日 Atari Jaguar発売

12月 アーケード版「バーチャファイター」稼働

■「バーチャファイター」:3Dの衝撃と”密航”と(ライター:箭本進一)

 行きつけのゲームセンターにある急な階段を上がると,そこは対戦格闘ゲームが集結したフロアになっていた。ある日の夜,対面型の筐体が規則的に並んでいたはずの場所は大きく開けられていて,そこには大きなディスプレイと座席が組み合わされた新しいゲームがどっしりと根を生やしていた。それが「バーチャファイター」だったのだ。

 ディスプレイの中には原色バリバリのポリゴンで描かれたキャラクターがいて,対戦ゲームっぽく戦っていた。コインを投入しようとすると,投入口は無情にも50円玉を突っ返してくる。よくよく見ると,1回のプレイ料金は200円。いつも遊んでいるゲームの4倍だ。「体感筐体でもないっぽいのに,この値段はおかしいんじゃないのか」と憤りつつも100円玉を2枚投入してゲームをスタートすると,そんな文句は頭の中から吹っ飛んだ。

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 キャラクターたちが生き生きと躍動していたからだ。拳を受けてのけぞる。蹴りが突き刺さる。地面に叩きつけられる。レバーとボタンからは弾力が伝わってくるような感覚すらあった。動きの生々しかさとは裏腹に,カウンターが決まるたびに「ガイーン!」と金属がぶつかったような音が鳴り響いたので,予備知識無しで遊んだ僕にはキャラクターたちの素性が謎めいたものに感じられた。「要するに格闘ゲームなんだな」という程度の認識で遊んだものだから,2D格闘ゲームのセオリー通りにしゃがんでガードするたび,容赦ない中段の蹴りが突き刺さり,プレイは散々な結果で終わったものの,僕はたちまちこのゲームの虜となった。

 1プレイ200円かつ,見慣れない映像表現と見慣れない[P][K][G]の3ボタンだったから,登場直後はみんな「バーチャファイター」を戸惑いの目で見ていたことを覚えている。やがて1人が遊び,2人が遊び……とプレイヤーが増えていったが,行きつけのゲームセンターでは当初,乱入対戦も少なかった。そこには,高価なプレイを乱入で中断することへの遠慮と,お互いの1人プレイを尊重する紳士協定めいた雰囲気があったからだ。

 当時から僕はプロレスのファンだったので,いろいろな投げ技を立体的なキャラクターで見られることが嬉しかった。ウルフのジャイアントスイング,ジェフリーのスプラッシュマウンテン,パイのDDT(天地頭落),ラウの水車落とし(肩車頭落)といった投げ技が違和感なく表現されていることに感動し,カメラアングルを変えつつ心ゆくまで眺めたい……と思ったものだ。こうした技を出すためのコマンドも,投げの動作をレバーとボタンの動きに“翻訳”した感があり,指先とキャラクターが直結しているように感じられた。

 とくに印象的だったのが,ウルフのダブルアームスープレックスだ。斜め下+[P][K][G]というコマンドが,しゃがんだ相手を全力でぶっこ抜く様とリンクしていて,上手く決まるとその日はずっと気分良く過ごすことができた。

 アキラの「鉄山靠」や「猛虎硬爬山」といった技には神秘性があった。体当たりや掌底で重く,素早く突っ込むと,快音とともに相手の体力が一気に消し飛ぶのだから,中国拳法の株が僕の中で一気に上がった。友達が「バーチャの技がいろいろと出てるで」と貸してくれた本格中国拳法マンガ「拳児」を貪るように読みつつ,「僕も小学生の時に中国拳法と出会っていれば……」と妄想にふけったものだ。

 やがて「バーチャファイター」にも対戦の波がおとずれ,僕は常連が使うカゲやラウのリングアウト狙いに苦しめられるようになった。カゲは自らバックステップして巴投げ(弧円落)でリングの外へ放り出し,ラウは機関車のように[P][P][P],[P][P][P]……と押し出しにくるのだ。

 おまけに,彼らはパソコン通信で手に入れたコマンド表から僕の知らない技を繰り出すのだからいろいろと辛いものがあった。僕のウルフはしゃがみパンチでこまめに相手のラッシュを止めるくらいしかなく,それは泥沼のような戦いであり,相手の技を受けきって豪快に勝つ,プロレスラーとしての美学とはほど遠いものに感じられた。穴場のゲームセンターを探し,常連たちがいない時間帯にこっそりとプレイをするようなこともするようになった。

 その後,都市部には「バーチャファイター2」が入荷され,僕は仕事をズル休みしてゲームセンターへ遊びに行くようになった。当時,格闘技団体「UWF」の興業を地方から遠征して観戦に行くことは「密航」と呼ばれており,僕にとっての「密航」は「バーチャファイター2」を遊ぶためのものだった。仕事をサボる後ろめたさもあったので,自分は病気なのだからと一度は地元の病院へ向かって気持ちを納得させ,そこからこっそりと駅へ行き,帽子で顔を隠しつつ電車に乗り込み,はち切れんばかりの胸を押さえつつ,都市部の駅へ遠征した。
 午前中(しかも平日)の爽やかな空気の中,コソコソとゲームセンターに入るのは背徳的で屈折した喜びがあった。同じような後ろめたさを漂わせた「ご同輩」たちと,無言の紳士協定のもと,乱入対戦なしでプレイした奇妙な連帯感も良い思い出だ。

12月10日 PC「DOOM」公開
12月10日 スーパーファミコン用ソフト「ロマンシング サ・ガ2」発売
12月17日 スーパーファミコン用ソフト「ロックマンX」発売
12月18日 スーパーファミコン用ソフト「ドラゴンクエストI・II」発売


平成6年(1994年)

1月21日 スーパーファミコン用ソフト「ファイアーエムブレム 紋章の謎」発売
1月21日 ゲームボーイ用ソフト「スーパーマリオランド3 ワリオランド」発売

2月 アーケードゲーム「スーパーストリートファイターII X」稼働
2月4日 H-IIロケット1号機の打ち上げ成功
2月13日 PC-98「三國志IV」発売
2月18日 PCエンジン用ソフト「風の伝説ザナドゥ」発売

日本ファルコムが開発する初の家庭用ゲーム機向けタイトル「風のザナドゥ」。本家ザナドゥシリーズとは,システムも雰囲気も大きく異なっていた。また,ストーリー要素が濃いトップビュー型のRPGでありながら,ボス戦は横スクロール型のアクションというのも特徴だ
画像(011)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

3月11日 スーパーファミコン用ソフト「実況パワフルプロ野球'94」発売
3月18日 PC-98「英雄伝説III 白き魔女」発売
3月18日 スーパーファミコン用ソフト「真・女神転生II」発売
3月19日 スーパーファミコン用ソフト「スーパーメトロイド」発売
3月20日 松下電器産業の家庭用ゲーム機「3DO REAL」発売

アメリカの3DOが提唱した“3DO規格”を満たしたマルチメディア機。自社製造は行われず,ライセンスを受けた各国のメーカーがハードを開発していた。日本では,松下電器産業(現Panasonic)が開発し,「3DO REAL」として3月20日に販売が開始された。発売当時の価格は5万4800円。北米向けには1993年に発売されている
画像(106)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

3月25日 スーパーファミコン用ソフト「スーパーロボット大戦EX」発売

4月2日 スーパーファミコン用ソフト「ファイナルファンタジーVI」発売

5月27日 PCエンジン用ソフト「ときめきメモリアル」発売

7月29日 PC-98「ポリスノーツ」発売

8月5日 PC-98「無人島物語」発売
8月25日 NEOGEO用ソフト「THE KING OF FIGHTERS '94」発売

「餓狼伝説」や「龍虎の拳」といったSNK看板タイトルのキャラクターや,「怒」や「サイコソルジャー」といった旧作をベースにしたキャラクターが一堂に会するということで,当時のアーケードゲーマーの話題をさらった「THE KING OF FIGHTERS '94」。シリーズの主人公と言える草薙 京はまだ印象が薄く,八神 庵は存在すらしていなかった
画像(174)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

8月26日 メガドライブ用ソフト「ラングリッサーII」発売
8月27日 スーパーファミコン用ソフト「MOTHER2 ギーグの逆襲」発売

9月2日 スーパーファミコン用ソフト「ライブ・ア・ライブ」発売
9月4日 関西国際空港が開港
9月9日 「NEOGEO」のCD-ROMドライブ搭載用ソフト「NEOGEO CD」発売
9月23日 バンダイの家庭用ゲーム機「プレイディア」発売
9月23日 スーパーファミコン用ソフト「アンジェリーク」発売

10月28日 スーパーファミコン用ソフト「真・女神転生if...」発売
11月22日 セガの家庭用ゲーム機「セガサターン」発売

11月22日に発売されたセガの家庭用ゲーム機「セガサターン」。「バーチャファイター」(ローンチタイトル)を始め,当時,アーケードゲームで人気を博していたタイトルが家で遊べるとあって,多くのゲームファンから注目を集める。発売当時の価格は4万4800円
画像(107)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

■「セガサターン」:中学生の自分にゲームの「未来」を見せてくれたゲーム機(ライター:御簾納直彦)

 1994年11月22日,セガサターンが発売された。筆者がサターンを買ったのはその翌月の12月。家に帰ってきてサターンの電源を入れた瞬間,筆者の「ゲーム感」が大きく変わったのを今でも強く覚えている。
 16bitマシンがまだ現役だったこの時代。当時の筆者は一足先に「未来」を見た気がしたのだ。メディアがCD-ROMというのも未来的に思えたし,ハードの外観もクールに感じた。

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画像(014)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

 電源をポチッとした瞬間,背筋がゾクゾクっとする起動音と演出,これが最高にカッコいい。サターンのファーストインプレッションで一番印象深いのは,実は起動画面なのかもしれない。

 「バーチャファイター」の感動も忘れられない。当時中学生だった筆者からすればアーケード版をゲームセンターで遊ぶというのは経済的に無理だったので,思う存分バーチャが遊べる環境を提供してくれたサターンの存在は神のように思えた。
 2D格闘ゲーム全盛期の時代にあの3Dポリゴンだ。しかもそれが家庭で楽しめる。自分の家が,まるで別の空間に変化したような気さえした。授業中もサターンのある我が家に早く帰りたくて仕方がなかった。完全に心をサターンに奪われてしまった。クリスマスのプレゼントとして買ってくれた父には今でも感謝している。

画像(016)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

 サターンといえば「バーチャファイター」を筆頭としたアーケードゲームからの移植作が人気だったが,個人的にはアドベンチャーゲームがツボだった。筆者の一番のお気に入りは,実写を用いたミステリーアドベンチャーゲーム「RAMPO」だ。同名映画のゲーム版で,映画版にはないオリジナルストーリーが楽しめた。しかもクオリティが高い。ラストの意外な黒幕には衝撃を受けたものだ。
 テキストを排除したインタフェースも特徴的だった。何よりも,江戸川乱歩独特の奇妙なレトロ感が素晴らしい。また,横溝正史役の香川照之さんが良い演技をしていて,いちいちニヤッとしてしまう。

 「RAMPO」とタイプは異なるが,「EVE burst error」「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」「下級生」などの美少女ゲーム群のインパクトも凄まじかった。
 これらのタイトルに共通しているのは,すべて対象年齢が高めの作品ということだ。いずれも,女性のセクシーなシーンが登場するため,思春期真っ盛りだった筆者は,謎の背徳感にかられながらプレイしたのを覚えている。
 「下級生」を購入したときなんて,親に隠れてこっそりと家に帰り,音が聞かれないように自分の部屋のふすまを締め,ボリューム極小でプレイしたものだ(ヘッドフォンは持っていなかった……)。もちろん友達が遊びに来たときは,見つからないようにパッケージをベッドの下に隠したりもした。努力もむなしく友達に発見されたときは焦ったが,バカにされるどころか,むしろ「見せて見せて!」とノリノリだったのが,やけに印象に残っている。

「RAMPO」「EVE burst error」「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」「下級生」。いずれも評価の高い名作だ
画像(015)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

 ちなみに,この3本はシナリオが非常に評価されており,「EVE burst error」は2019年4月25日に「EVE rebirth terror」という続編が発売されたばかりだ。「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」も2017年にリメイクされている。どちらも根強いファンが多いのだろう。

 ほかのジャンル,RPGでいうと「グランディア」も思い出深い。職人集団ゲームアーツが総力を結集して開発した超大作RPGと各ゲームメディアで報じられた。当時,専門誌を貪るように読んでいたのも思い出深い。体験版DISCももちろん入手している。また,ジャスティン(主人公)たちと一緒に冒険したい。アラフォーのおっさんになった今でも純粋にそう思わせてくれる傑作だ。

画像(012)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

 また,2D対戦格闘ゲームが高クオリティで移植されていたことも,ファンの支持を得ていた要因だろう。当時,NEOGEOでしか遊べないといわれていた「ザ・キング・オブ・ファイターズ」シリーズ。その中でも人気の高い「ザ・キング・オブ・ファイターズ'95」が,ツインアドバンスドロムシステムというサターンならではの拡張機能を活かした形で移植された。
 NEOGEO版は高額なため,子供だった筆者にはなかなか手が出せない。そんな時に登場したサターン版はまさに救いの神だ。サターン版「KOF95」を購入した次の日から,筆者の家に友達がドドッと押し寄せたのは言うまでもない。「お前らゲンキンだなっ!」と心の中では思っていたが(笑)。

画像(013)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

 サターンは発売されてから25年が経とうとしているが,今でも熱心なファンが多い人気マシンだ。生産数の少ない人気タイトルなどは,ネット上で高額取引されていたりもする。また,いくつかのサターンタイトルには続編を望む声も多い。それは,サターンが残していたタイトル群が,いまだに高い熱量を維持していることの現れではないだろうか。
 サターン自体は活動を終えたが,その資産やファンの思い出は今でもまばゆい光を放っている。

11月25日 スーパーファミコン用ソフト「かまいたちの夜」発売
11月26日 スーパーファミコン用ソフト「スーパードンキーコング」発売

12月 PC-98「信長の野望・天翔記」発売
12月2日 スーパーファミコン用ソフト「ブレス オブ ファイアII 使命の子」発売
12月3日 ソニー・コンピュータエンタテインメント が家庭用ゲーム機「PlayStation」発売

初代「PlayStation」が発売されたのが12月3日のこと。「1・2・3」のリズムであちこちを叩くTVコマーシャルがとにかく斬新で,今も記憶に残っている。家庭用ゲーム機としては,初めて累計出荷台数1億台を突破したハードでもある。発売当時の価格は3万9800円
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■「PlayStation」:家庭用ゲーム機において成した,4つの変化(ライター:本地健太郎)

 「CD-ROMを搭載した家庭用ゲーム機」自体は,PCエンジンやメガCDなど,それまでにもいくつかあった。しかし,平成6年(1994年)にソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)から発売されたPlayStationは,任天堂ハード一強といっても過言ではなかった勢力図を初めて大きく書き換えたハードということで,特筆に値する。

 躍進の理由はさまざまで,一言では表せない。一般消費者には,「ファイナルファンタジーVII」がPlayStationに発売されることが決まったことが大きな転機になったように見えたが,PlayStationの発売は1994年の12月で,「FINAL FANTASY VII」の発売は1997年の1月。少なくとも約2年の期間があり,その間に,PlayStationはその存在感を大きく示したからこそ「ファイナルファンタジーVII」を引き寄せたともいえる。

 それまでのドット絵を主体とした2Dから,ポリゴンによる3Dへの変化は,もちろん大きな部分だ。しかし,ゲームの内容以外の部分で,PlayStation以前と以後では大きく分けて“4つの変化”があったと思う。

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1.ソフトの低価格化

 スーパーファミコン後期はソフトの価格がどんどん上がっていて,「ファイナルファンタジーVI」の頃には,定価が1万1000円を超える事態となっていた。これはメーカーが悪どく儲けようとしていたわけではなく,ROMカセットや流通の問題もあったと思うが,PlayStationのゲームソフトは,標準価格帯が5800〜6800円となった。これは革命的ともいえる出来事だった。筆者の場合,ちょうどアルバイトができる年齢になり,ゲームに使えるお金が飛躍的に増えた時期と重なったこともあり,PlayStationの時代は,とにかく「いろんなゲームと出会えた」という思い出が強い。

 中には,4800円,3800円のゲームもあったし,発売から一定期間経過したゲームの廉価版として「PlayStation the Best」が登場したことも非常に大きな出来事だった。これはなんと2800円である。
「どこまで安くなるんだ」という低価格化の波は,「SIMPLE1500シリーズ」の登場で極みとなったが,ここまでくると,さすがにソフトによってクオリティの差が露骨になってきて,ゲームの世界でも「安かろう悪かろう」を味わうこととなった。このあたりは,スマホのアプリで玉石混交を味わっている今の世代にもよく分かる事情なのではないかと思う。

2.「メモリーカード」の存在

 ROMカセット時代のゲームでセーブが可能な物は,カセットの中には電池が入っている。この電池が切れるときが,セーブデータの寿命だ。
 子供の頃,「どんなにやり込んでも,そのセーブデータはそう遠くない未来に消えてしまうもの」なのだと知り,がんばってレベル99まで上げたRPGのセーブデータが消えてしまう恐怖を感じていたが,PlayStationのメモリーカードは「セーブデータをゲームソフトと分離して保管しておける」という画期的なものだった。

 もちろんメモリーカードにもいつか寿命は訪れるが,中身は電池ではないので,相当酷使しない限りは持つ。それに,2枚用意しておき,片方をバックアップ用にしておけば,万が一,片方が壊れても安心だ。個人的には,この「セーブデータに関する安心感」は非常に大きな変化として記憶に残っている。

 ただ,このことは良かったのだが,PlayStationのメモリーカードは容量が少なかったため,別の問題も出てきた。メモリーカードは1枚あたり15ブロックという容量が定められていて,ゲームによっては2〜3ブロック使用する物もあった。こうなると,プレイするゲームが増えていくにつれ,メモリーカードは足りなくなってくる。もうやらなくなったゲームのセーブデータでも,消すとなると忍びないものだ。なんとか,取っておきたい。
 メモリーカードは1枚2000円(税別)(※後に,ケースが付属しなくなり,税別1800円に価格改定)するシロモノだったので,そんなに気軽に買い足すわけにもいかなかったが,背に腹は代えられず,筆者の友人周りでも,皆,3枚くらいは持っていたような気がする。

 大人からすればそんなに大した金額ではないかもしれないが,ゲームが1本5800円という中での2000円というのは,なかなか勇気のいる出費だった。「あのゲームのセーブを消せば,買わなくて済む。いやいや,でも……」という悩み。あの頃を思い返すと,今は天国のような状況だなぁと,しみじみと感じる。

貼ってあるシールは,たしか「電撃プレイステーション」の付録だ。「どうか消えないでくれ!」という願いを込めてこのシールを貼ったが,酷使しすぎたせいか,今ではもう何も記録できないカードと化してしまった……
画像(017)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

3.CD-ROMゆえの問題

 いいことばかりではなかった。CD-ROM機の宿命,ROMカセット時代にはなかった「読み込み時間の問題」が立ちはだかったのだ。

 読み込み時間=待ち時間なので,そういう面でもストレス要素ではあったが,もっと深刻な問題が「本体の消耗」だった。激しい読み込みは本体の消耗を早め,結果,買い換えを余儀なくされる。歴代のゲーム機の中で,筆者が最も買い換えた回数が多いのもPlayStationだ。

 といっても,何万円もするゲーム機をそんなにポンポン買い換える余裕があるわけもなく,皆,限界まで工夫に工夫を凝らした。最もメジャーなのはやはり「本体を縦向けにする」「本体を逆さまにする」だろう。「ファミコンカセットを差し込む前にフーフーする」のと同じくらい根拠が謎な方法だが,少なくとも,筆者も筆者の友人も,本体の調子が悪くなってきたら,皆,これで凌いでいた。実際,読み込みやすくなっていた……気がする。根拠は聞かないでほしい。

4.グリップ型コントローラと2つのスティック

 それまでのゲーム機のコントローラは平らなデザインが当たり前だったが,PlayStationのコントローラは「両手で握る」,グリップ型に変化した。
 さらにその後,左右にアナログスティックが標準装備されるようになり,この形は現在のゲーム機でもほぼ踏襲されている。

 アナログスティックでの操作への戸惑いは,今でもよく覚えている。ゲームは意外と繊細な操作が要求されるもので,十字キーで行っていた操作をスティックでやると,どうしても微調整が上手くいかない。スティックには「高さ」があったため,十字キー操作が「自分の足で歩く」とすれば,スティック操作は「竹馬で歩く」くらいの感覚だった。スティックの存在が当たり前になっている今の世代からすると何を言っているのか分からないかもしれないが……

12月3日 メガドライブ用の周辺機器「スーパー32X」発売
12月9日 スーパーファミコン用ソフト「スーパー桃太郎電鉄III」発売
12月16日 PlayStation用ソフト「KING'S FIELD」発売
12月22日 メガCD用ソフト「LUNAR ETERNAL BLUE」発売
12月23日 NECホームエレクトロニクスの家庭用ゲーム機「PC-FX」発売
12月23日 スーパーファミコン用ソフト「海腹川背」発売


平成7年(1995年)

1月17日 阪神・淡路大震災が発生

2月13日 野茂英雄投手のロサンゼルス・ドジャース入団が決定
2月24日 スーパーファミコン用ソフト「フロントミッション」発売

3月10日 セガサターン用ソフト「パンツァードラグーン」発売
3月11日 スーパーファミコン用ソフト「クロノ・トリガー」発売

■「クロノ・トリガー」:スーパーファミコンの到達点。時を越えるRPGは,時を越えて愛される名作となる (ライター:本地健太郎)


 スーパーファミコン後期はRPGに恵まれた時代だったが,「クロノ・トリガー」は,その中でも珠玉の一作だろう。
 坂口博信氏,堀井雄二氏,鳥山 明氏という夢の布陣。日本のRPGの龍虎ともいえる「ドラゴンクエスト」と「ファイナルファンタジー」の作り手が組むということで,発表時から話題性はトップクラスだった。つまり,期待という名のハードルは,これ以上ないくらいに上がっていたのである。

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 「クロノ・トリガー」がスゴいのは,その上がりきったハードルを悠々と越えてきたことだ。「キャラクター」「ストーリー」「音楽」「RPGとしてのゲーム体験」,どこを取っても,これといった欠点が見当たらない。少なくとも筆者は,「クロノ・トリガー」をプレイして「おもしろくなかった」と言う人にこれまで出会ったことがない。

画像(227)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る 画像(228)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

 その理由を考えてみると,やはり,RPGに求められる「やり応え」「ボリューム」といった基本的なものは完璧に押さえつつ,“仕掛けの宝庫”だったからではないかと思う。「時を越える冒険」という題材を最大限に利用した「過去で開けた宝箱は現代では取れない」といった基本的な仕掛けから,プレイヤーが気付かないと見過ごしてしまうアイテムイベントまで,仕掛けの幅が広い。中には,「そんなの分かるか!」というレベルのものもあり,まだインターネットが普及していなかった時代ということも手伝って,攻略本が発売してから初めて知ることも多かった。

 それだけなら,イジワル・不親切といった印象を受けるかもしれない。決して短くない時間を費やすRPGで,やり直しがきかない要素を後から知るというのはゲンナリするものだ。

画像(229)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る 画像(230)平成ゲーム史まとめ。30年間を年表とコラムで振り返る

 しかし,「つよくてニューゲーム」の存在が,それを打ち消した。「つよくてニューゲーム」は,ゲームをクリアするとタイトル画面に出現するもので,「所持アイテムやレベルを引き継いだ周回プレイ」だ。「クロノ・トリガー」が発祥の機能ではないが,「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」が日本におけるRPGの定義を明確にして以降,メジャーなRPGでは初の試みだったのではないかと思う。

 「つよくてニューゲーム」を使えば,取り逃したアイテムの入手や,見逃したイベントなどのチェックも容易で,「通常なら1つしか入手できないアイテムを2つ以上入手する」という楽しみもあった。
 また,「ストーリー上,どのタイミングでラスボスを倒したか」でエンディングが変化する仕掛けになっており,「つよくてニューゲーム」で強化した状態であれば,ゲーム開始直後からラスボス戦に挑み,勝利することもできる。エンディングは10種類以上と豊富で,当時は「このタイミングで倒したらどうなるかな……」と,ストーリーが少し進むごとに,ちょくちょくラスボスに挑んでみたことを思い出す。ある意味,一度クリアしてからが本番ともいえる。

 「つよくてニューゲーム」は今では珍しいものではないが,未来から過去へ戻ってきたかのようで,“時間”や“歴史改変”を扱うRPGでこの機能を入れたのはうまかったなぁと感じる。

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 意外かもしれないが,「クロノ・トリガー」が発売されたのは,PlayStationの発売よりも後である。「クロノ・トリガー」の半年後に「聖剣伝説3」が発売され,その1週間後に「タクティクスオウガ」,その1か月後に「ロマンシング サ・ガ3」,さらに1か月後に「ドラゴンクエストVI 幻の大地」,その1週間後に「テイルズ オブ ファンタジア」が発売されたのである。豊作なんてもんじゃない。1995年はどうかしていた。

 あの時代をリアルタイムで体験できたことは幸運でもあり,不幸でもあった。なぜなら,「それが当たり前」だと錯覚してしまったからだ。
 出るゲームすべてが「うわぁ,またしてもおもしろい」であり,その「おもしろい」の度合いも抜群。20年以上にわたって移植やリメイクが繰り返される,名作中の名作揃いだったわけである。

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 「クロノ・トリガー」はスーパーファミコン版(1995年)の後,PlayStation(1999年),ニンテンドーDS(2008年),iOS(2011年),PC(2018年)と,さまざまなプラットフォームでリリースされてきた。
 時を越える冒険を描いたRPGが,今まさに時を越えて愛される名作となっている。断言しよう。もし,「クロノ・トリガー」を初めて知った人が今の時代に遊んでも,確実におもしろいRPGだと(何か言おうとすると,ことごとくネタバレになるのでモゴモゴしながら)。
※写真はSteam版のものです


3月20日 地下鉄サリン事件発生

4月1日 3DO用ソフト「Dの食卓」発売

ゲームクリエイターの故・飯野賢治氏率いるワープから発売されたアドベンチャーゲーム。当時としては珍しい,3DCGを使った演出が大きな注目を集めた。プレイヤーは主人公のローラとなり,凶悪な殺人犯に豹変してしまった父親・リクターの精神世界をさまようことになる
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4月28日 セガサターン用ソフト「ヴァーチャルハイドライド」発売

5月16日 オウム真理教の教祖,麻原彰晃(本名:松本智津夫)逮捕

6月30日 PlayStation用ソフト「アークザラッド」発売
6月30日 PlayStation用ソフト「エースコンバット」発売
6月30日 PlayStation用ソフト「アクアノートの休日」発売

7月1日  NTTパーソナルとDDIポケットがPHSサービスを開始
7月21日 バーチャルボーイ発売

ゴーグル型のディスプレイを覗き込むことで立体画面を実現した,任天堂の3Dゲーム機。同時発売ソフトは「マリオズテニス」など5タイトル。赤色単色のグラフィックスが特徴で,映像の立体感は画期的だったものの,販売台数は伸びなかった
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7月21日 PlayStation用ソフト「Jリーグ実況ウイニングイレブン」発売
7月27日 九州自動車道が全線開通

8月31日 PC用ソフト「Heroes of Might and Magic: A Strategic Quest」発売

9月14日 PlayStation用ソフト「クロックタワー」発売
9月26日 PC用ソフト「Command & Conquer」発売
10月6日 スーパーファミコン用ソフト「タクティクスオウガ」発売

■「タクティクスオウガ」:民族紛争の泥沼と,そこで翻弄される人生にゲームが踏み込んだ(ライター:徳岡正肇)

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 平成7年(1995年),クエストからスーパファミコン用ゲームとして発売されたシミュレーションRPG「タクティクスオウガ」は,多くのプレイヤーにとって,さまざまな面において衝撃的な作品だった。

 本作においてプレイヤーはヴァレリア諸島で発生した民族紛争に巻き込まれた少年デニムとして,仲間を率いて陰惨な紛争を戦い抜いていくことになる。ストーリーラインは大きく分けて3つ,エンディングは2つに分岐する(正確にいえばエンディングは3つあるのだが,原則的に2つと考えて問題ない)。

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 ゲームシステムとしては比較的オーソドックスな非リアルタイム戦闘のストラテジーだが,手番管理はユニークだ。手番の管理はユニットごとに行われ,そのユニットが前の手番で何をしたかに基づいて発生した待ち時間が経過すると,当該ユニットを行動させられるようになるという仕組みになっている。

 高低差による有利/不利がゲームシステムに取り入れられているのも大きな特徴だ。それが最も分かりやすいのは弓のような遠距離武器で,撃ち下ろすときは射程が伸び,撃ち上げるときは射程が減少する。ユニットのパラメータとしては「射程6マス」であったとしても,地形によってその数値が増減し得るというわけだ。マップの表示方式もクォータービューで,高低差が把握しやすい構造だった。

 とはいえ本作における最大の特徴は,ストーリーと世界設定だろう。

 舞台となるヴァレリア諸島には3つの民族が存在し,血で血を洗う戦いを繰り広げている。この3つの勢力が,ヴァレリア諸島に統一王朝があった時代の支配階級であるバクラム人,人口として最大勢力となるガルガスタン人,少数民族のウォルスタ人だ。

 バクラム人はヴァレリア諸島から見て外国にあたるローディス教国の支援を得て島の半分を占領しているが,ガルガスタン人はこれに対抗して自分たちの国家を樹立。一方でウォルスタ人はガルガスタン人の民族浄化運動によって急激に人口を減らしており,反ガルガスタン・レジスタンスがいくつも結成されるという形でガルガスタン人と戦っている。しかるに主人公デニムはウォルスタ人のレジスタンス闘士として,姉や友人といった身近な人々と一緒に,この巨大な戦争に飲み込まれていくことになる。

 この物語のベースになっているのは,ゲーム発売時点でもまだ続いていたボスニア・ヘルツェゴヴィナの民族紛争であると思われる。3年半続いたこの紛争は20万人の死者と200万人の難民を出したほか,強制収容や大量虐殺などさまざまな大規模かつ組織的な非人道行為が発生した,極めて悲惨な戦いだった。また紛争の過程においてはNATOの大規模な介入(ときにはNATO内部での意見対立)も決定的な変化をもたらしており,「内戦」が「内戦」に留まらなくなった時代の到来でもあった。

 そのうえで,これは民族紛争にはつきものの悲劇だが,「それまで普通に暮らしていた社会」が突如として憎悪と報復にまみれた世界に変化することも多かった。昨日までは親しい隣人同士としてホームパーティーに招いたり招かれたりしていた2つの家族が,民族というキーワードで分断され,やがて殺し合うに至るようなケースは珍しくなかったのだ。
 こういった人と人との関係性の変化も,タクティクスオウガのストーリーラインにおいて濃厚に反映されている。

 なかでも多くのプレイヤーにとって最も衝撃的だったのは,ストーリーラインにおける最初の章のクライマックスとなる「バルマムッサの虐殺」だろう。
 ウォルスタ人レジスタンスとして戦う主人公デニムたちは,ひょんなことから重要人物の支援(と指揮)を得て,ウォルスタ人を解放するための重要な作戦に従事するようになる。そこで最終的に与えられた任務は,バルマムッサに作られたウォルスタ人強制収容所において,武装蜂起を呼びかけるというものだった。

 しかしながら蜂起を呼びかけられた強制収容所の人々は「蜂起したら死ぬかもしれないが,ここで我慢していれば今すぐ死ぬことはない」という判断を下す。その判断に対し,主人公たちは「ウォルスタ人の結束を図るため,強制収容所のウォルスタ人5000人を皆殺しにし,その犯人がバルマムッサ人であるとアピールする」という秘密命令を下される。

 そして本作がゲームであるが故,ここでプレイヤーは「命令に従うか否か」を選択できる――つまり,ここでストーリーが分岐することになるので。命令に従えば「ウォルスタ解放軍」のホープとして戦うことになり,命令を拒否すれば虐殺の首謀者として追われることになるというわけだ。

 このように本作では実社会における状況を踏まえたストーリー展開が用意されているが,これに伴いキャラクターもまた「偉大な英雄」というよりは「残念な人間」として振る舞うことがしばしば起こる。

 キャラクターたちは目先の利益や個人的な願望,体に染み付いてしまった考え方,自分でもよく分からなくなった思いといったもので周囲を振り回したり振り回されたりしながら戦い,手を組み,袂を分かち,裏切り,裏切られて,死んでいく。現実の民族紛争がそうであるように,世界情勢と個人的な情念は不可分に入り混じり,「楽しかったあの頃」を引き裂きながら,誰も彼もが目隠しをして引き返せない道をひた走る。

 そんな先の見えない戦いのなかで,少なからぬプレイヤーはデニムの姉であるカチュアに対して「理解できない」思いを抱くことになるはずだ。けれど,そもそもが他人の心情など正しく理解できるはずもないわけで,「理解できるはずだ(できて当然だ)」と考えてしまうこと自体が,民族紛争の狂気の切片なのかもしれない。

 現代ではプレイ環境が限られる(Newニンテンドー3DS/3DS LL版が最も手軽か)作品だが,次の時代にも引き継いでいきたい作品のひとつだ。なお現代の感覚から言うと難度はやや高いと感じられるかもしれないので,攻略情報を検索してプレイしたほうが無難かもしれない(オススメ検索ワードは「ペトロクラウド」「投石」など)。

11月1日 サテラビュー発売
11月1日 ゆりかもめ(新橋〜有明間)が開業
11月23日 Windows 95日本語版が発売

12月1日 スーパーファミコン用ソフト「不思議のダンジョン2 風来のシレン」発売
12月8日 高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏えい事故が発生
12月9日 スーパーファミコン用ソフト「ドラゴンクエストVI 幻の大地」発売
12月15日 スーパーファミコン用ソフト「テイルズ オブ ファンタジア」発売

ナムコ(現バンダイナムコエンターテインメント)から発売された,「テイルズ オブ」シリーズの記念すべき第1作。漫画家の藤島康介氏によるキャラクターデザインや,「リニアモーションバトルシステム」を採用したアクション性の高いバトルなどで人気を博した
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12月15日 PlayStation用ソフト「幻想水滸伝」発売


平成8年(1996年)

1月8日 テレビアニメ「名探偵コナン」放映開始
1月11日 村山富市首相が退退陣し,橋本龍太郎内閣発足

1月26日 「雫」(PC・成人向け)がLeafより発売
1月27日 映画「Shall we ダンス?」が公開され,大ヒットとなる

2月14日 棋士の羽生善治さんが,史上初のタイトル七冠独占を達成
2月23日 セガサターン用ソフト「Jリーグ プロサッカークラブをつくろう!」発売
2月27日 ゲームボーイ用ソフト「ポケットモンスター 赤・緑」発売

今に続く「ポケットモンスター」シリーズ,その初代が発売されたのがこの年,1996年の2月27日だった。とはいえ注目度はそれほどではなく,発売日に行列ができるようなこともなかった。しかし通信ケーブルを使ったポケモンの交換や対戦要素の新鮮さに,口コミで人気に火が点き大ヒット。同年10月15日には,コロコロコミック紙面上での限定販売という形で「ポケットモンスター 青」も登場した
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■「ポケットモンスター」:時代に沿った進化を遂げ,平成世代のトレーナー達を魅了(ライター:稲元徹也)

 「ポケットモンスター、縮めてポケモン」――「ポケットモンスター」オフィシャルサイトの「ポケモンとは?」[https://www.pokemon.co.jp/whats/summary/]のページ冒頭にあるフレーズは,平成8年(1996年)2月にゲームボーイで発売された初代シリーズ「ポケットモンスター 赤・緑」(以下,ポケモン赤・緑)の頃から使われている。

 この世界には「ポケットモンスター」という不思議な生き物が住んでいて,主人公こそいるものの,ゲームの主役は彼らポケモンたちだ。プレイヤーの分身である主人公が旅をする中で,ポケモンを「捕まえる」「育てる」「戦わせる」「交換する」という行動が,ゲームシステムに組み込まれているのが大きな特徴だ。この基本コンセプトはポケモン赤・緑の発売から23年間,冒頭のフレーズと同様,現在も継承されている。

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 筆者は1996年当時,すでにゲームメディアの仕事に携わっていたこともあり,ゲームボーイでこのポケモン 赤・緑が発売されることは事前に知っていて,過去に「クインティ」や「ジェリーボーイ」,「パルスマン」など良質なタイトルを輩出していたゲームフリークが手がける初めてのRPGということで,仲間内でもちょっとした話題であった。もちろん筆者は発売日に購入。このときには「緑」を選択し,最初のポケモンに「フシギダネ」を選んだことから,以降のシリーズもほとんど場合,最初のポケモンは「くさ」タイプを選んでいる。

 当時,本作のゲームシステムで大いに興味を惹かれたのは,バトルで戦うのが全員ポケモンだという点だ。「ポケモントレーナー」であるプレイヤーは,ポケモンに指示を出す立場であり,バトルには直接参加しない。道中で遭遇した野生のポケモンを捕獲し,最大6体をバトルのパーティとして連れて歩くのである。ポケモンにはタイプによる相性があり,戦況によって出すポケモンを変えることが戦術の基本となるため,必然的に多くのポケモンを持っているほうが有利となり,それが捕獲のモチベーションアップにもつながっている。

 今でこそ定着した伝統のシステムだが,その当時「女神転生」シリーズや「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」など,“遭遇した敵を仲間にして一緒に戦う”ゲームシステムとしてのRPGが好きだった当時の筆者には嬉しいシステムで,旅先で出会うポケモンをタイプやレベル,ルックスなどで選抜し,自分だけのレギュラーメンバーを揃えていくのは本当に楽しかった。

 筆者は,純粋にいちトレーナーとしてポケモンを楽しんでいて,ポケモン 緑では手に入らないポケモンや,交換によって進化するポケモンなどは当時の仕事仲間との交換で一通り手に入れて,ポケモン図鑑もほどほどに充実させていた。そんな図鑑を充実させていく課程で,最終目標となるのが幻のポケモン「ミュウ」である。

 ミュウは,ポケモン赤・緑の舞台となるカントー地方で151番目にナンバリングされ,ゲーム中には登場せず,プレイでは手に入れることができないポケモンだ。当時は都市伝説のように噂が流れ,後にバグを絡めた裏技が発見されたことにより,その存在が明らかとなった。
 その後任天堂が公式にその存在を明かし,データを破壊する恐れのあるバグ技に対する注意喚起をするとともに,雑誌の抽選やイベントなどでミュウを配布することになったという顛末がある。筆者もどこかのタイミングでミュウをもらった記憶があるのだが,今一つ記憶がはっきりしない。その後,幻のポケモンはシリーズごとに用意されるようになった。

 ポケモンをもらったといえばもう一つ,筆者は同様のプレゼント企画で「なみのりピカチュウ」に当選したことがある。NINTEDO 64用「ピカチュウげんきでちゅう」の発売前のキャンペーンで,通常では覚えない「なみのり」を覚えたピカチュウが抽選でプレゼントされるというものだった。当選者は1万人と比較的多かったのでさほど貴重ではないのだが,興味深かったのはそれを受け取るための手続きだ。

 現在は「ふしぎなおくりもの」という形で,通信によってプレゼント用のポケモンを受け取れるようになっているが,当時はその手段がなく,手持ちのロムカートリッジを任天堂に送ることで,なみのりピカチュウがその中に保存されて送り返されてくるというアナログな手続きでのプレゼントが行われていたのだ。当選したなみのりピカチュウが入ったカートリッジは,今も自宅のどこかにあると思うのだが,ポケモンそのものよりもむしろ上記のような,当選から受け取りまでの一通りの体験が,今となっては貴重だったと思っている。ちなみにプレゼントされたなみのりピカチュウの親(=捕獲したトレーナー)の名前は「ニンテン」であった。

 小中学生の頃に体験するのとは恐らく違う感覚でポケモンに出会った筆者だったが,その後もシリーズを追いかけたことにより,作品やそれを取り巻くカルチャーにまつわる出来事をたくさん経験し,現在に至っている。本稿のように当時の思い出なども含め,多少なり身に付けた知識が現在の執筆仕事につながっているのも嬉しい限りだ。

 シリーズは誕生から23年が経過し,本編のシリーズは7世代目にもわたり,ポケモンの種類は800種類を超えた。今もポケモンは対応機種や取り巻く環境の進化とともに新しい遊びを取り入れ,世代ごとのトレーナー達を喜ばせてくれている。

 近年はスマホアプリの「Pokémon GO」のヒットにより新しいファン層を獲得し,それと連動する「ポケットモンスター Let's Go!ピカチュウ・イーブイ」は,これまでの携帯機からついに据置機向けのタイトルとなった。新しい元号を迎えてから最初のタイトルとなる「ポケットモンスター ソード・シールド」では,我々に一体どんな驚きを見せてくれるのか,今から楽しみで仕方がない。

ポケモン 赤・緑に付属した,舞台となるカントー地方のマップ。3DSのバーチャルコンソールのパッケージ版でも復刻した
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3月9日 スーパーファミコン用ソフト「スーパーマリオRPG」発売
3月14日 薬害エイズ裁判。ミドリ十字が責任認め謝罪
3月22日 PlayStation用ソフト「バイオハザード」発売

■「バイオハザード」:スパルタ気味だが,プレイヤースキルの上達を実感できたタイトル(ライター:御簾納直彦)

 今や世界中に多くのファンを抱えるメガコンテンツへと成長した「バイオハザード」。筆者もスピンオフを含むすべてのタイトルをプレイしているくらい,大好きなシリーズだ。
 
 筆者が初代「バイオハザード」を初めて体験したのは,地元の友人の家だった。だだっ広い屋敷の中で主人公の足音だけがカツカツと鳴り響く。キャラクターボイスはすべて英語。銃やナイフを武器にゾンビに立ち向かい,ときには逃げる。そういったすべてが,今でも筆者の記憶に残っている。

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 ゾンビ映画で「主人公」が死ぬことはあまりないが,「バイオハザード」では容赦なく殺される。しかも原因が自分の操作や判断ミスによるものだったりするから,なんとも後味が悪い。
 クリスとジル,2人の主人公も印象深い。とくにジルは,初めて意識した「カッコいい女性」だった。当時中学生だった筆者からすれば,年上で美人で強くてカッコよく,もう最高かよって感じだ。今や世界的な人気キャラクターとなっているのもうなずけるが,遠くへ行ってしまったなと,勝手に寂しさを感じている。

 ちなみに,年下好きの友人はレベッカのファンだった。もっとも,当時の友人の歳から考えれば年上にあたるが。
 レベッカは,クリスを敵と間違えてスプレーをかけるドジっぷりを見せるなど,愛らしい部分も持っていた。個人的には,クリスに「Yes sir(イエッサー)」と敬礼するシーンが好きだ。

 また,今やネタ化している実写ムービー部分も個人的には気に入っている。今見るとさすがにチープさを感じるものの,インディーズっぽさがなんともいえない。実写ムービーはオープニングとエンディングに使用されているが,導入や締めを盛り上げる要素として一役買っていたのではないだろうか。

 なお「バイオハザード」といえば,やや高難度であることも印象深い。はっきり言って筆者は,初代だけで数え切れないほど死んでいる。とくにハンターに狩られまくりだった。なのでハンターの「ギャア!」という鳴き声がトラウマだ。
 
 とはいえ,決して理不尽な難しさではなく,試行錯誤をすれば乗り越えられるバランスだったということは言っておきたい。筆者も最初はダメダメで,ゾンビに噛まれまくり,ハンターに引っ掻かれまくり,カラスに突かれまくり,タイラントにぶっ飛ばされまくりの体たらく。うまく移動できなくて,壁にしょっちゅうぶつかり,「クリス,ジル,ごめんなさい」という感じだった。だが,繰り返し練習して,ハンターをスルッとかわせたときの喜びは,「バイオハザード」ならではだろう。

 さらに,2周,3周と繰り返していくうちに,彼らの脅威に怯えることもなく,快適に館を内見できるようになった。絶対に引っ越したくないけど! 
 終いには,3時間以内にクリアしてロケットランチャーの入手にも成功した。「来るな来るな!」と怯えていたゾンビに対しても,むしろ「いらっしゃーい♪」と余裕をかませるほどになった。ナイフクリアはさすがにできなかったけど。

 ちなみに筆者はPlay Station版を最初に購入し,その後リリースされたセガサターン版も購入(特典の小説が面白かった)。さらに,PC版も購入した。ニンテンドー3DSでリリースされた初代の移植作「バイオハザード Deadly Silence」もプレイしている。こうして見ると,初代はさまざまなプラットフォームで出ていたことを,あらためて思い出した。シリーズは日々進化しているが,今回こうして初代を振り返ってみて,やはり偉大な作品だったんだと実感できた。久しぶりに3時間クリアに挑戦してみようかな。

3月23日 映画「トイ・ストーリー」が日本公開。ディズニー配給としては初のフルCGアニメーション作品
3月27日 ワープ,プレイステーションエキスポでサターン版「エネミー・ゼロ」を発表。PS版は発売中止
3月28日 アップルとバンダイが「ピピンアットマーク」を発売

4月1日 アーケードゲーム「ソウルエッジ」稼働開始
4月1日 東京ビッグサイト(東京国際展示場)がオープン
4月1日 国内初の商用検索サイト「Yahoo! JAPAN」サービス開始

6月1日 漫画「カードキャプターさくら」(CLAMP / 講談社)連載開始
6月1日 セガが「セガ伝言板(セガBBS)」のサービスを開始(セガ公式サイト内で初めての掲示板サービス)

6月23日 任天堂「NINTENDO64」発売

スーパーファミコンの後継として,6月23日に発売された「NINTENDO64」(2万5000円,税別)。1994年末に発売された同世代期,PlayStationとセガサターンから1年半遅れの登場だったこともあり,性能面では抜きんでていたものの,ソフトの供給面で伸び悩むことに。最終的な販売台数は3293万台。しかしコントローラにアナログスティックを初搭載するなど,後のゲーム機に与えた影響は大きい
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■「NINTENDO64」:人生を捻じ曲げたゲーム機(ライター:男色ディーノ)

 私の人生はゲイムと共に歩んできたと言っても過言ではないわ。小学生の時にファミコンで遊んで以来,42歳になる今現在まで多くのゲイムを遊んできた。特に,高校を卒業して一人暮らしを始めるタイミングを見計らったように家庭用ゲイム機戦国時代が訪れたのは,私にとって良かったのか悪かったのか。

 大学時代は生活環境に苦言を呈する保護者も同居してなかったわけで,ゲイム漬けの毎日だったわよね。お金をやりくりして数多くのハードを買いそろえたのもいい思い出よ。いろいろなハードが私の身体を通っていったのか,逆に私がいろいろなハードを抱いたのかは分からないし,どうでもいいことだけども。とにかく,発売されるハードは発売直後に買っていたわよね。そんな中,「人生で一番人格形成に影響を与えたハードは?」と問われると,私は迷うことなくNINTEDO64(以下,64)を選ぶわ。何故かというと,私の人生で最も対人プレイをしたハードだから。

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 私の大学生活って,昼に起きて大学に行って授業に出ず学生プロレスの練習をして,夕方からはバイトするかゲイムして,夜はゲイムして朝を迎えて昼まで寝るっていうルーチンで回していたのね。で,運が悪かったことに大学から近いところで一人暮らしをしてたの。当然,たまり場になるわけよ。大学生にとって,ゲイムがあって自由に出入りしていい部屋が学校の近くにあれば,ちょっとしたカフェでの時間つぶし感覚でウチに入り浸るわけですよ。

 バイトで私がいないのに部屋を使われるのは日常茶飯事。私は一切タバコを吸わないのに,部屋がタバコ臭くなってたわけです。しまいには後輩から「俺にとって,あんたよりもあんたの部屋の鍵の方が存在意義がある」と言われることも。当時は気にしなかったけど,今思い出したらひどいなオイ。そんな感じで,我が家には多くの学生プロレス仲間が出入りしていたのよね。そうなると,必然的に対戦ゲイムが起動されることが多くなるわけです。ということで,64なのですよ。64の何が凄いって,画面を4分割にして4人同時対戦できるゲイムが多いこと。

 任天堂が発売するハードのコンセプトは「みんなで遊べる」だと思うのよね,いつの時代も。ファミコンやスーパーファミコンの時も2人で同時に遊べるタイトルが多かったし,ニンテンドー3DSではソフトをシェアでき,Nintendo Switchはコントローラを2人でシェアできる仕様になっているじゃない。ゲイムでコミュニケーションを図ることができるのが任天堂ハードの強みだと私は勝手に思っているのよね。

 で,任天堂のその方向を決定づけるハードが64だったと私は思っているの。4人同時プレイって,簡単にいうけどかなり画期的なことよ。64までも,4人で遊べるゲイムはあったわよ。でも,くにおくんやボンバーマンに代表されるように,一つの画面を4人で共有するパターンがほとんど。でも64は違ったの。4分割にすることで自分専用の画面が用意されるわけ。これは大きい。タイマンだと強い方が勝つ可能性が高いけど,4人参加のバトルロイヤルだと強い人をマークすることができるのよね。64には,そういう駆け引きが生まれ。遊びの幅が広がったことが64の功績だと思っているわ。

 そして,64を語るうえで外せないのが3Dスティック(アナログスティック)の存在でしょうね。コンシューマ機のコントローラにアナログスティックを標準搭載したのは64が初めてで,これがまたゲイムを一つ上のレベルに上げたと私は思っているわ。もうね,ハッキリ言ってしまうと野球ゲイムの王様「実況パワフルプロ野球 」は,64で完成したと言っていいでしょう。コースの投げ分けやバットコントロールが直感的にできる野球の駆け引きを可能にしたのがアナログスティックだから。

 そして,今でも私史上最高のシューターは64の「ゴールデンアイ007」だし,最高のプロレスゲイムは「バーチャル・プロレスリング64」でもある。バーチャル・プロレスリングに関してはアナログスティックはあまり関係ないけど。それでもコントローラに役割を多く与えた64だからこそプロレスゲイムとして面白くなったんだとは思う。セーブデータを保存できるコントローラーパックだとか振動パックだとか,今考えるとなんで外付けだったんだろうという謎の拡張機能はあったけれども,それを含めてゲイムの進化にワクワクできた時代を,多感な時期に味わえたのは私の人生において大きかったと思うわ。4人対戦ゲイムを通して,シンプルな1vs1対戦ゲイムでは見えなかった他人の醜さだったり,自分さえよければいいというエゴイズムを知ることができた。そして多くの人と同じ空間を共有する楽しさは,今の私の本業であるプロレスに生きているんじゃないか。そう思う次第なのであります。ありがとう64。私の人生を楽しく捻じ曲げてくれて!

6月23日 NINTENDO64用ソフト「スーパーマリオ64」発売

7月5日 セガサターン用ソフト「NiGHTS」発売
7月5日 世界初のクローン羊「ドリー」がスコットランドで生まれる
7月19日 アトランタオリンピック開幕。日本は14個のメダルを獲得し,国別順位は23位
7月20日 国民の祝日「海の日」が初めて施行される
7月21日 任天堂「ゲームボーイポケット」発売

ゲームボーイを大幅に小型軽量化した「ゲームボーイポケット」が,7月21日に発売された。価格が6800円(税別)と比較的安価であり,さらに液晶の視認性が大幅に向上したこともあって,発売からすでに7年が経過していたゲームボーイの販売台数を大きく引き上げた。しかし販売台数に一番大きな影響を与えたのは,この前後から加熱したポケモンブームだろう
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8月3日 東京ビッグサイトでの初のコミックマーケット(C50)開催
8月6日 スーパーファミコン用ソフト「牧場物語」発売

9月17日 ドジャースの野茂英雄選手が対ロッキーズ戦でノーヒットノーランを達成
9月20日 PlayStation用ソフト「女神異聞録ペルソナ」発売
9月27日 セガサターン用ソフト「サクラ大戦」発売

大正時代(劇中の表記は「太正」)を舞台にしたスチームパンクという設定や,珍しいレトロフューチャー系のメカデザイン,“キャラもの”に弱かったセガ・エンタープライゼスがリリースしたということなどから,大きなインパクトがあった「サクラ大戦」。破天荒で明朗快活なシナリオも幅広いプレイヤーに受け入れられ,セガを代表するタイトルのひとつとなった
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10月3日 テレビアニメ「エルフを狩るモノたち」放映開始。深夜アニメの端緒となる

11月15日 インスタントメッセンジャー「ICQ」がリリース
11月23日 バンダイ「たまごっち」を発売。翌年にかけ大ブームに
11月26日 アーケードゲーム「DEAD OR ALIVE」稼働開始

12月6日 PlayStation用ソフト「パラッパラッパー」発売
12月9日 スーパーファミコン用ソフト「ドラゴンクエストVI 幻の大地」発売
12月14日 NINTENDO64用ソフト「マリオカート64」発売
12月20日 アップルがNeXTを買収。スティーブ・ジョブズ氏がアップルに復帰する
12月26日 PC用ソフト「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」発売。セガサターン版は1997年12月4日
12月31日 PC用ソフト「Diablo」 発売

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