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[CEDEC 2014]冲方 丁氏の基調講演「物語の力」。物語の正体と,これまでの歴史,そしてこれから
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印刷2014/09/03 13:12

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[CEDEC 2014]冲方 丁氏の基調講演「物語の力」。物語の正体と,これまでの歴史,そしてこれから

[CEDEC 2014]冲方 丁氏の基調講演「物語の力」。物語の正体と,これまでの歴史,そしてこれから
 CEDEC 2014の初日である2014年9月2日,作家の冲方 丁氏による基調講演「物語の力」が行われた。冲方氏と言えば,小説「マルドゥック・スクランブル」「蒼穹のファフナー」の著者であるほか,アニメ「攻殻機動隊 ARISE」「PSYCHO-PASS 2」にも関わるなど,幾多のビッグタイトルでその名を見ることができる。また歴史小説「天地明察」が直木賞候補作品になり,映画化もされるなど,大きなムーブメントを起こしたのは記憶に新しいところ。まさに今をときめく作家と言っていいだろう。

 そしてゲームにある程度詳しい人であれば,冲方氏がかつてコンシューマゲームのシナリオを担当していたことを覚えているだろう。そんな冲方氏が,物語はなぜ求められ,なにを与えるのか,そして文芸とゲームの特性の違いとは何か,などにについて大いに語った基調講演の模様をレポートしよう。


「経験」というベース


 まず冲方氏は,「物語とは何か」を考えるにあたって,各自が必ず持っている物語である「名前」に着目する。

 日本語の場合,動物の数を数える単位(あるいは数詞)は,牛は一頭,鳥は一羽,魚は一尾といった具合で,動物によって異なっている。氏はこの理由を「その生物が死んだ後に,その存在を特徴づけるもの」が数詞として選ばれたのではないか,と推測する。この仮説に基づいて人間を振り返ってみると,人間の数え方は「一名,二名」だ。つまり人間にとって名前こそが「死んだ後に,その存在を特徴づけるもの」と考えられているのではないかという理解が得られる。
 では,そうやって残った名前とは,何なのか。名前を通して,人は何を思うのか。冲方氏は,「人はそこに,その人固有の経験を感じる。生まれてから死ぬまで,その人にしか経験できなかったこと,その総体が,その人をその人たらしめるという認識がある」と語った。

 この「経験」は,物語において,大きなキーワードとなる。なぜなら,物語は経験がベースになるからだ。
 例えば雪を知らない人に,スキーの楽しさを教えようとした場合。雪を知らない人がこれまでの経験から想像するなどして間接的な理解を得ることは不可能ではないだろうが,結局は雪を知らなければ,雪を題材にした物語は理解できない。これは物語における,基本であると氏は指摘する。個々の経験が共通了解となっていくのだ。

 では経験が物語なのかといえば,そうではない。経験はカオスの塊であり,物語ではない。これを秩序化しない限り,物語にはならないのだ。
 ではどうやって,そしてなぜ,経験は秩序化されていくのか。
 これを理解するためには,経験の構造(ないしその共有に必要な基盤となるもの)を理解しなくてはならない。そしてこれこそが,物語を作る技術の根本となるのだと,冲方氏は語った。

[CEDEC 2014]冲方 丁氏の基調講演「物語の力」。物語の正体と,これまでの歴史,そしてこれから


経験の種類


 経験の構造は,どうなっているのだろうか?
 冲方氏は,個人の直接的な経験は,個々が持つ6つの感覚によって構築されると指摘する。

 6つの感覚のうち5つは,いわゆる「五感」だ。これを通した経験は,いわゆる「体験」となる。従ってこの経験は,自分以外の人が感じたものと一致するとは限らず,それだけでは意味を成さない。それは「感じただけ」なのだ。五感の情報に意味を与えるのが,6番目の感覚――「時間感覚」で,つまり物事の順番や長さに関する認識である。
 例えば少年と少女が手を触れ合わせているとする。このとき,一瞬だけ触れ合うのか,ずっと手を握っているのかでは,まったく意味が異なる。似たようなことは裁判でも見ることが可能だ。例えばバラバラ殺人であれば,殺す前にバラバラにしたのか,殺した後にバラバラにしたのかで,裁きは変わる。

 冲方氏はこのことを「ディーテールズ」と表現した。
 五感で捉える情報は,「ディテール」,つまり差異の把握である。一方で「ディーテールズ」は,経緯を詳細に語る(物事を順序立てて話す)ことを指す。このディーテールズこそが,固有の経験の中核で,五感と時間感覚の関係が経験の柱になると冲方氏は述べる。

 しかしながらこれは人間の経験の一部でしかない。人間の経験には,間接的な経験というものがあるからだ。
 自分が把握できる空間や時間の外側にあるため,自分では確認しようのない現実。これが第二の経験,間接的な経験となる。

 例えば,地球には60億を越える人類がいると言われているが,その全員を直接見ることはできない。ほかにも,2万年前に描かれた壁画,ウクライナで撃墜された旅客機,偽装された鶏肉……。これらは多くの人にとって,「間接的な経験」である。
 間接的な経験は,実際に目にしていない,伝聞による経験だが,あたかも自分の経験であるかのように受け取ることができると冲方氏は語った。

 そしてこの間接的な経験から派生する,より大きく高度な経験として,神話的経験というものもある。
 これは人智を超えた経験――人智を越えていることが分かっている経験である。この類の経験は,「問い詰めていくと『分からない』としか言いようがないのだけれど,それでも何となく分かっているような気持ちになれる経験」として存在する。
 例えば「太陽系はこのようにしてできた」という説は,実際にその説に従って実験して検証することはできない。が,それを聞いた人は,なんとなく「そんなものか」と感じるというわけだ。
 これはとても巨大な経験で,個人の経験や,間接的な経験より大きなものとなる。

 そして第4の経験。これが人工的な経験である。
 雪を知らない人が,スキーの楽しみがなんとなく分かるような気がして,やってみたくなる。ホラー映画を見て,それが作り物だと分かっているのに,恐怖を感じる。架空の物語なのに,感動したり,真実味を感じたり,教訓を得たりする。
 こういった「リアリティ」を人に与えるものは,すべて,人が複数の経験を組み合わせることで「人工的に作った」経験である。

 そして物語を作るというのは,いかに人工的経験を人に与えるかという行為と言える。
 直接的・間接的・神話的経験を効果的に組み合わせて,実際にはありえない事柄を人に見せ,感情を動かす。これはときに社会に影響を与えることすらあるのだ。


TRPGの誕生とその影響


 さて,人工的な経験,つまり物語の根底をなす,最も大事なものは何か。
 これを考えるにあたって,ゲームと小説が密接に関係するジャンルが大きなヒントとなると,冲方氏は指摘した。このジャンルこそが,TRPG,テーブルトークロールプレイングゲームであり,これは小説にもゲームにも多大な影響を与えた。

 テーブルトークとは「座談」と呼ばれるが,これは「火を囲んで限りある食糧を分け合う」ことから始まった,世界中の人が持つ習慣である。座談はやがてエンターテイメントとなり,ここからさまざまな遊戯も生まれていく。

 一方,ロールプレイは役割を演じることであり,職業訓練の場などで用いられる。最も典型的な例としては,軍隊の訓練が挙げられるだろう。
 ロールプレイと,アクト(芝居をすること)は,決定的に異なる。ロールプレイは,観客のために行うのではなく,自分のために演じるからだ。ゆえに,演劇とロールプレイの比較は成り立たない。

 テーブルトークとロールプレイが合体し,しかも非常に緻密で複雑なルールを持つに至ったのが,TRPGである。そしてTRPGは世に生まれるや否や,従来の物語発展史と比べてごく短い時間で完成されていった。

 TRPGをTRPGたらしめる構成要件は主に3つある。
 筋書きを用意する「ゲームマスター」
 ゲームを進行させる「ルール」
 プレイヤーの行動を支配する「サイコロ」
 このうち,いったい何が,リアリティを発生させているのだろうか?

 冲方氏は「サイコロ」だと語る。なぜなら,筋書きやルールは間接的経験だが,サイコロはその本人固有の経験だからだ。
 経験とはカオスであると先に述べられたが,これはすべての物事が偶然に起こっているということから来ている。人生は常に未知のことが起こり続けているため,「次にどうなるかわからない」ということが,最もリアルに感じられるのだ。

 また同時に,人間は偶然というものに対し,強い興味を抱く。そしてその偶然を解明し,なんとか秩序立てて理解したいという欲求を抱き続けている。実際,ありとあらゆるものが確実に決まっている状況を,人間は嫌う傾向にある。自分の未来が100%分かってしまうと,人間は希望を失うのだ。

[CEDEC 2014]冲方 丁氏の基調講演「物語の力」。物語の正体と,これまでの歴史,そしてこれから


偶然性と必然性の相互作用


 偶然が生きる実感を生むとして,では,生きる実感から人間は何を得ているのか。
 それが,「必然」である。
 偶然起こった出来事から,人間は秩序だった必然を抽出し,ときに創造する。その行為自体が,自分の人生を作っているという実感や,ゲームをプレイしているという実感を与えるのだ。
 人間は常に人生の攻略法を作り続け,偶然を必然に変え続けてきた。因果関係を解明し続けてきたのだ。よって,ゲームとしてのリアリティは偶然性にあるが,物語のリアリティは必然性にある。

 この必然づくりを,人間はありとあらゆる面で行ってきた。
 宗教においては「罪を犯せば罰が与えられる」という立法,という概念。
 科学においては,仮説という物語を立て,これが偶然に対抗しうるかを検証し,確実に「こうすればこうなる」という必然を作り上げてきた。
 この「偶然から必然を生み出す」ことによって,人類はありとあらゆるものを産んできた。そしてこれが,人工的な経験を作ることの,最大の目的となる。

 ゲームにおいて発明された「偶然のリアリティ」と,物語における「必然のリアリティ」。この2つの間で,リアリティは偶然から必然に,必然からまた偶然に飛び込んでいく。
 これを指して,冲方氏は「ゲームと文芸は,物事の表と裏である」と指摘する。それは互いにまったく相反するものだが,お互いが存在しなくては成り立たないのだ。


物語の歴史


[CEDEC 2014]冲方 丁氏の基調講演「物語の力」。物語の正体と,これまでの歴史,そしてこれから
 必然を目的とした物語作りには,過去どのようなものがあっただろうか。冲方氏は,物語の歴史を大雑把に分類していった。

 まず「神話」があった。たまたま生まれ落ちた世界において,あらゆるものは偶然発生し続ける。でもその中で,例えば季節のサイクルであったり,生と死の循環であったり,自然の摂理であったりといったものが見えてくる。これらの必然を作ったのが,神話である。
 ただし,なぜこの必然が作られなければならなかったかは,よく分かっていない。分かっているのは,この「神話を作る」という行為によって,次の時代を生むほどの必然を作ること,つまり経験の共有に成功したのである。

 「神話」による経験の共有をもとに,さらに制度化された物語として作られたものが「宗教的物語」である。
 神話との最大の違いは,コミュニティにおけるタブーと罰が生まれたことだ。モーゼの十戒のように,コミュニティ単位の物語が生まれたのである。

 3つめは,宗教的権威とは別に,武力を背景とした権力者の登場によって作られた物語,「王権的物語」である。
 これはフランスの王権神授説が顕著だが,日本においても徳川家康が大きなコストを投じて自らを神に据える物語を作っている。
 この物語は,宗教的物語がほかのコミュニティと対立していくのとは逆に「ほかのコミュニティを飲み込んで大きくなっていく」という特徴があるという。

 続いて,「民話的物語」が生まれる。これは神話・宗教・王権的物語が精密化と拡大を続けていく一方で生まれたもので,座敷わらしの物語のように,人が生きるうえでどんな意義があるのか分からないような物語として成り立つこともある。実際,民話や寓話は,そもそもどこから生まれたのか分からないことも珍しくない。
 民話や寓話の特徴としてもうひとつ,登場人物がほとんど一般人であることが挙げられる。これは王様や宗教的権威でなくても,物語を作ることができた,ということを示している。

 5つ目は,大衆娯楽としての物語である。これは,権力者が大衆を安心させたり喜ばせたりするために作った物語(ローマにおける「パンとサーカス」のサーカスを想定すると分かりやすい)であり,「エンターテイメント」,つまり「王者が民衆をもてなす」ことである。

 6つ目の物語。これは「個の物語」である。
 個人の精神というものは,だいたい12世紀から16世紀にかけてその概念が形成されていった。権力の腐敗に対抗したり,王権の圧政に対抗したりする形で,ヨーロッパでは12世紀頃に吟遊詩人たちが登場する。

 彼らが歌ったのは,恋愛と騎士道だ。
 恋愛とは,コミュニティが強要する婚姻に反する形での,個人の選択としての婚姻である。また騎士道とは,戦争の都合とは異なる,その人特有の戦う理由である。
 この物語は,従来のさまざまな物語と異なり,確固とした反権力の物語であった。ただ実は具体的にどんな物語だったかは,吟遊詩人たちが十字軍によって殺されてしまったので,ほとんど分かっていない。

 中国でも,三国志演義や水滸伝のように,権力が大衆をコントロールするために作ったものではない,むしろ権力者を娯楽化したり茶化したり悪者化したりして楽しむ物語が生まれている。日本だと琵琶法師が歌う平家物語がこれにあたり,権力が滅んでいく様を題材にした娯楽である。

 7つ目は,これまでと全く異なる物語として,近世の頃に生まれた。
 最大の違いは,誰からも命令されず,何の義務も負わず,権力に追従したり対抗したりといった意図もなく,ただ「面白かったから」「売れたから」書いた,という物語であるということだ。これはエンターテイメントの原型となる。

 貨幣経済が発達したことで,民衆が自分のニーズを満たせるようになり,互いのニーズを満たし合う関係も生まれた。この「ニーズの満たし合い」に,物語も含まれたのだ。
 なので,民衆のニーズ――明日への活力を得たいとか,浮世の辛さを一時的に忘れたいとか,今とは違う自分を感じられるとか,そういった欲求が,物語を産んでいった。
 ここには権力者のルールやニーズは介在しない。そのため,権力者はこういった物語に対し,助成することもあれば,取り締まることもありと,あまり一貫性のある対応をしていない。

 そして最後,8つ目の物語が,現代の物語である。
 お互いにたいして身分の差がない者同士が,互いに物語を提供しあうという構図には,300年くらい前と大きな変化はない。
 大きな違いは,物語が広告化したことだ。貨幣経済が成熟し,広告に価値が生まれた結果,「拡散力」を持つものがより大きな価値を持つようになった。つまり,より広まりやすい物語が歓迎されるようになったのである。

 具体的な例で見れば,「おもちゃを売るために,アニメのシリーズを作る」という手法は,過去になかった手法だ。あるいは物語をシリーズ化し,それを売るにあたっての謳い文句が「前作を上回る感動」とするように,作品が作品の広告と化していくというのも,現代の物語のひとつの特徴である。
 これが良いことなのか悪いことなのか,今の段階で判断することはできない。だが今の社会はそのように成り立っており,よって物語もそれにしたがって成り立っている,というのが現状である。
 ただ少なくとも,ある日突然王権から抹殺されたりすることはないし,宗教的タブーも緩い。このように「どんな物語を作っても良い」というのは,現代の大きな特徴だ。

 そしてこの現代において,物語化の要請である偶然性というものを娯楽として成り立たせながら,必然性という物語作りをも導入している媒体は,ゲームしか存在しないと,冲方氏は指摘する。
 そして氏は「もしかすると,ゲームは今後数百年,人類の新しい物語を作っていくかもしれない。その力を,是非とも正しく発揮し,この世に送り出してほしい。『ゲームが次の時代を作った』という作品が作られることを,念願している」と語って,基調講演を終えた。

[CEDEC 2014]冲方 丁氏の基調講演「物語の力」。物語の正体と,これまでの歴史,そしてこれから

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