2018年11月22日,セガゲームスからPlayStation 4用ソフト「
シェンムー I&II」が国内向けに発売される。本作は,1999年に発売されたドリームキャスト用ソフト
「シェンムー 一章 横須賀」と,その続編
「シェンムーII」を現行機向けに最適化を施した移植版だ。国内向けでは,両作品ともに初の他機種への移植となる。
「FREE(Full Reactive Eyes Entertainment)」と名付けられた,“3Dオープンワールド”の走りとも言えるスタイルの採用をはじめ,意欲的かつ斬新な試みに満ちていたシェンムーシリーズは当時のゲーム業界に多大なインパクトを与えた。その強烈さゆえに今も熱心なファンを抱えている。
今回,そんなファンの一人である
村田晴郎氏に「シェンムー I&II」の発売に寄せて,自らの溢れる
“シェンムー愛”を綴ってもらった。ちなみに村田氏は東京ゲームショウ2018で行なわれた同作のステージに,4Gamerの“1日編集部員”として登壇(
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「語ろう,シェンムー」
当時,バーチャファイターシリーズを筆頭に,セガにて数々の名作ゲームを生み出していた鈴木 裕氏。
セガファンが絶大な信頼を寄せていたブランドのような存在。
その鈴木 裕氏がセガの家庭用新ハード,ドリームキャストを牽引するビッグタイトルを作る。
それが「シェンムー 一章 横須賀」だった。
「セガ(鈴木 裕氏)がまた新しいことをしようとしている」
もう,それだけでセガマニアの魂がざわついた。
ゲームセンターにおけるアーケードゲームが,ゲームの最上位の存在だった時代。
セガは常に最先端の技術をゲームセンターに投入していた。
家庭用ゲームへの移植など考慮しない。
むしろ「移植されたら負け」みたいな風潮すら感じた。
そんなセガが家庭用オリジナルゲームに最先端の技術を駆使して,全精力を注ぐ。
これは事件だ。
どんなゲームになるのだろう?
心が踊った。
ゲーム誌で情報を集める。
だが,よく分からない。
シェンムーはその面白さが簡単には掴めないほど,壮大なスケールだった。
ゲームはプレイするのが一番の楽しみだが,プレイするまでの過程もまた楽しい。
「FREE(Full Reactive Eyes Entertainment)」という未知のジャンルに想像力をフル回転させた。
毎週,ゲーム誌の発売を心待ちにし,発売日に書店に急ぐ。
ドキドキしながらシェンムーの記事を読む。
少しずつ,少しずつゲームの形が見えてくる。
「早く遊びたい」
リリースまでのその時間,本当に楽しかった。ワクワクしかなかった。
長くゲームを嗜んでいると,この「ワクワク」という感情が薄れてくる。
ゲーム誌の記事を読めば,これまでの経験則から「あんな感じかな?」とある程度なら読めてしまう。
プレイしている感覚が想像できてしまうというか。
ネガティブなイメージじゃなくて,その感覚を元に「遊びたいか,そうでもないか」を何となくジャッジする。
ただ,シェンムーは「今まで遊んだことのない何か」だった。
本当に遊んでみないと分からない。
自分に合うのか,合わないのかすら判断がつかない。
それはまるでゲームセンターに通い始めた頃,初めて見たゲームにドキドキしながら貴重な100円を投入する感覚に似ていた。
ドリームキャストにシェンムーのGD-ROMをセットした時の期待と不安は,今でも思い出すことができる。
オープニングで事件が起きて,壮大な冒険が始まる。
だが,私の操作する主人公・芭月 涼はさっそく自由を謳歌する。
イベントの制限日数ギリギリまで,ひたすら横須賀の街を散策する。
道行く人のすべてに話しかける。
お店に入って話しかけて,何も買わずに店を出る。
稲おばさんが「大事に使いなさい」と,毎日くれる500円を握りしめてゲーセンに行く。
バイト代が入ったら,一日中,スロット店に入り浸る。
家に帰らず,夜の横須賀を徘徊する。
マークをストーキングする。
いろいろな人をストーキングする。
試しに福原さんをストーキングしてみたら,知りたかったような知りたくなかったようなモヤっとした気持ちになった。
「こんな生活をしていて,俺は親父の仇を討てるのか?」と自問自答しながらも,横須賀の生活を満喫してしまう。
それが,ここまで作り込んでくれたシェンムーの制作陣への恩返しだと信じて。
もちろん,ゲームの根幹となる物語の続きは気になって気になってしょうがないし,たまにはちゃんとゲームらしくバトルもしたい。
でも,先に進めてしまうのがもったいないくらい,横須賀の生活は面白かった。
シェンムーの終盤,ボタンを押すと「もう二度と横須賀には戻れない」というシチュエーションがある。
真剣に悩んだ。
断腸の思いでボタンを押し,ほどなくしてシェンムーの第一章をクリア。
待ち焦がれたゲームをついに遊びきった。
「このゲームは新しかったのか?」
「期待どおりの超大作だったのか?」
自分に問う。
不思議とそのような印象が残っていない。
あまりにも普通すぎる横須賀での日常が,私にそんなスペシャルな感覚を認識させなかったのだ。
シェンムーの尋常ならざる作り込みが,そうさせたのだ。
なんだか納得いかない気がするが,それでいいのだ。
それが,シェンムーなのだ。
「さぁ,早く第二章を遊ばせてくれ!」
あのような感覚でゲームソフトの発売を待ち焦がれたのは,シェンムーが最後かもしれない。
結果的にセガの家庭用ゲーム機は,ドリームキャストが最後になってしまった。
そのため,セガ者の私にとってシェンムーは少し寂しい思い出でもある。
ゲームに感じる面白さというのは人それぞれ。
シェンムーが現在のプレイヤーに手放しで受けるゲームだとは,正直思わない。
何せ19年前のゲームだ。
今の成熟されたゲームと比べると,物足りない部分はたくさんあるだろう。
だが,シェンムーが1999年12月29日に発売されたゲームだということに想いを巡らせてほしい。
ミレニアムイヤーの幕開けが間近に迫った年の瀬。
来たる未来に向けて,ゲームの新しいスタンダードをゼロから生み出そうとしたパワー。
その凄まじい熱量が凝縮され,煮詰まって濃縮され,何とも形容しがたい味のある牧歌的なゲームが生まれたことに驚いてほしい。
それはまるで剣術を極め過ぎて,無刀に辿り着いた剣豪のようである。
護身を極め過ぎて,無闘に辿り着いた武術家のようである。
間違いなく言える。
シェンムーはあの時代のセガにしか作れなかった,セガを象徴するゲームであると。
あえて言おう。
シェンムーとはセガである。
私の愛したセガそのものである。
当時を知るリアルタイム世代も,そうでない人も。
セガ者も,そうでない人も。
家庭用ゲーム戦国時代,すなわち家庭用ゲーム黄金時代を象徴するゲームの一つであるシェンムーをプレイ……いや,遊んでもらいたい。
時代を思い出してほしい。
時代を感じてほしい。
そうすれば,あなたはシェンムーという思い出を手に入れられるはずだ。
その思い出を持つ者がもっともっと増えていけば,いつか必ず最終の第11章に辿り着き,莎木(シェンムー)の謎を解き明かせると信じている。
そして語ろう,シェンムーを。
語り継ごう,シェンムーを。
どんなゲームで遊んだ? 今まで遊んだゲームで何が一番好き?
こうした会話の中で,ふとしたタイミングで呟くように言うんだ。
「私,シェンムー好きなんですよねぇ……」と。
――村田晴郎