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Access Accepted第349回:Atariの歩んだ,栄光と苦難の歴史
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印刷2012/07/02 12:00

業界動向

Access Accepted第349回:Atariの歩んだ,栄光と苦難の歴史

画像(008)Access Accepted第349回:Atariの歩んだ,栄光と苦難の歴史

 Atariが設立されてから今年でちょうど40年。誕生日である1972年6月28日を祝い,iTunesやFacebookなどではファンによるさまざまな催しが行われているが,Atariという,ゲーム産業で最も長く続いていると思われるブランドネームの背後には,さまざま栄光と苦難の歴史がある。今回は,誕生から現在に至るまでのAtariの40年間を振り返ってみたい。


ノーラン・ブッシュネル氏が起業したAtariという会社


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 Atariが設立されたのは,今からちょうど40年前の1972年6月28日のことだ。創業者であるノーラン・ブッシュネル(Nolan Bushnell)氏とテッド・ダブニー(Ted Dabney)氏は,Ampexというエレクトロニクス関連企業で働く仲間で,2人は1971年に退社してSyzygy Engineeringというメーカーを設立した。目的は,エレクトロニクスを使ったゲーム機を開発/販売することであり,彼らの制作した世界初のアーケードゲーム機「Computer Space」は,1971年にNutting Associatesというメーカーを通じて発売されたものの,商業的には失敗した。

 その頃,彼らと同じくシリコンバレーに本拠を置くMagnavoxが,関連企業を集めて世界初の据え置き型コンシューマ機「Magnavox Odyssey」の発表会を行い,その会合に出席したブッシュネル氏は,デモされていたテーブルテニス風のゲームに感動し,次のゲーム開発をスタートさせる。Computer Spaceは失敗したが,ブッシュネル氏の会社はカジノに収めるゲーム機の開発を請け負うことで月に4000ドルほどの収入があり,それを流用する形でゲーム制作が始まった。1972年6月,開発のためにAtariが設立され,これまたAmpex時代からの友人であったアル・アルコーン(Al Alcorn)氏をプログラミングの担当者として雇い入れた。アルコーン氏の給与は,月に1000ドルだったという。またこれ以降,Syzygyの名前は聞かれなくなる。

 こうして開発されたのが,テーブルテニス風のゲーム「Pong」だ。ブッシュネル氏がビジネスを,アルコーン氏がプログラミングや回路の制作を担当し,ダブニー氏がゲームを収めるキャビネットを制作するという共同作業により,1972年末までに12台が完成し,うち11台をシリコンバレー各地のバーなどに設置したところ,Pongはたちまち大人気となり,店には長い行列ができた。ここからAtariの大躍進が始った。
 ちなみに,彼らが請け負ったカジノ向けのゲーム機は,一向に開発が進まなかったことから1973年1月に契約打ち切りとなったそうだが,このPongによる急成長で,経済的問題にはならなかった。

 ブッシュネル氏は1973年,Atariの子会社としてKee Gamesを設立した。社名の由来は,ブッシュネル氏の自宅の隣に住んでいたジョセフ・キーネン(Joseph Keenen)氏を社長にしたことによる。Kee Gamesは,外からはAtariのライバル企業と思われていたが,実は上記のように子会社であり,異なる筐体に同じゲームを収納して販売していた。当時は,一つのゲームメーカーは一つのディストリビューター(メーカーからゲーム機を買って,各地に設置する業者)にしか売れないという商習慣がまかり通っていたためで,これに対して作られたダミー会社がKee Gamesだった。
 やがて,この習慣が廃れたことと,会社の維持費もバカにならなくなったため,1978年,Kee GamesはAtariに吸収合併され,キーネン氏はAtariの社長に就任した。

ゲーム業界に燦然と輝くPongを開発した当時のノーラン・ブッシュネル氏(左から2人目)。Atariの歴史は,ゲームの歴史とかなり重なるが,1970年代前半の生まれたばかりのゲーム業界は,今からは想像もできないほどおおらかであったようだ。ちなみに左端がダブニー氏,右端がアルコーン氏だ
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 Pongの開発経緯といい,Kee Gamesといい,現在から見るとかなり適当でルーズなビジネスだが,ゲーム業界そのものが誕生した1970年代前半は,このような雰囲気がごく当たり前だった。
 本連載でも,1974年にAtariの40人目の社員になり,のちにAppleを創業した故スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)氏について書いた。風呂にも入らず,裸足で出勤する変わり者のジョブズ氏を気にしなかった当時のAtariの社風など,興味のある人は本連載の第320回「ゲーマー的視点から見た,Appleとスティーブ・ジョブズ氏の歴史」も合わせてお読みいただければと思う。


Atari 2600の成功から,市場崩壊による倒産まで


 1973年には,Cyan Engineeringというエンジニア集団を買収したAtariは,彼らが作った「Atari Video Computer System」(のちに「Atari 2600」に改称)を1977年10月,199ドルでリリースする。当時すでに,Fairchildの「Channel F」などのコンシューマ機が普及しており,競争は激しかった。そのため,発売の年には25万台ほどしか売れなかったものの,1978年には55万台,さらに1979年には100万台と大きな伸びを示した。

据え置き型のコンシューマ機としてヒット商品になったAtari 2600。本文に書いた「スペースインベーダー」や「パックマン」のような大ヒット作のほか,「Asteroids」「Breakout」「Battlezone」など,さまざまな歴史的作品がリリースされた
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 Atari 2600が飛躍するきっかけは,1980年1月に発売されたタイトーの「スペースインベーダー」だった。アーケードで人気のスペースインベーダーが家庭でも遊べるとあって,1980年には200万台のAtari 2600が販売され,Atariは20億ドルに達する利益を得た。さらに,1982年にはナムコの「パックマン」が700万本のセールスを記録し,Atari 2600は,この年に世界累計1000万台の売り上げを記録する。優れたタイトルがハードの売り上げを牽引するという展開が広く認識されたわけであり,スペースインベーダーとパックマンは,「キラーアプリ」の先駆けと言っていいかもしれない。

Atariの破綻に大きく関わったとされるゲームが,1982年にリリースされた「E.T. the Extra-Terrestrial」。巨額なライセンス料を支払ったことで,現在でも珍しい1億2500万ドルという開発費がかかったが,回収できたのはその5分の1だったという。小売店から返品された300万本を超えるカートリッジがニューメキシコの砂漠に埋められたという
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 ところが,1983年のショッピングシーズンに突如としてゲーム機がまったく売れなくなってしまった。日本では「アタリショック」と呼ばれることが多いが,Atariだけでなく,「Fairchild F」や「ColecoVision」「Intellivision」「Odyssey2」などのコンシューマ機も軒並み売れず,ほとんどが撤退しているので,北米の言い方である「1983年のビデオゲームクラッシュ」や「シェイクダウン」という表現のほうが正確だろう。北アメリカだけで起きた特有の現象で,1983年から2年間で,北米のゲーム市場規模は32億ドルからわずか1億ドル規模に縮小。実に市場の97%が消失するという事態だった。

 この原因として,ゲームの粗製濫造や,大量に出回ったゲームハードの粗悪なコピー品,そして,映画などをライセンスした安易なゲーム制作など,さまざまなものが挙げられているが,当時はゲーム制作者を評価するシステムもなく,ヒット作を生み出したクリエイターに対する見返りもなかったのだという。そんな状況に業を煮やしたプログラマーがAtariを飛び出して設立したのがActivisionで,これが世界最初の「サードパーティ」とされている。

 ところで,Atari 2600の発売前年となる1976年,ブッシュネル氏はAtariを3200万ドルでWarner Communicationsに売却している。これは,Atari 2600の製造販売のための資金調達が目的だったが,このクラッシュによりWarnerの株価は3分の1に下落することになる。当時,任天堂はファミコンの北米販売についてWarnerと交渉していたが,株価下落の影響で交渉は決裂。結局,任天堂は独力で北米展開を行わざるを得なくなるが,結果としてはそれが大成功を収めることになったわけで,ビジネスの運,不運というのは分からない。
 ともあれWarnerは1984年,「Commodore」の創設者であるジャック・トラミエル(Jack Tramiel)氏に,Atariの経営権を自社株付きで売却したほか,しばらく手元に残していたアーケード部門も,1985年にナムコに売却した。


たらい回しの結果,名前だけが残ったAtari


 こうして,トラミエル氏の元,Atari Corporationとして再出発したAtariは,8ビットファミリー機を改良した「Atari XE」シリーズを矢継ぎ早にリリースしたほか,1985年末には32ビットの「Atari ST」もリリース。1986年には2500万ドルの黒字を計上して,はやくも財政を好転させたかのように見えた。
 しかし,1989年にはカラーの携帯ゲーム機である「Atari Lynx」が任天堂の「Game Boy」に完敗。任天堂を独占禁止法で訴えるものの,1992年に敗訴している。1993年には,鳴り物入りで据え置き型コンシューマ機の「Atari Jaguar」を発売したが,「セガ・サターン」「PlayStation」「Nintendo 64」など,次々にリリースされる日本のハードの前に,なすすべもなかった。

筆者がゲームライターとして働き出した頃に発売されたAtari Jaguar。今でも押入れのどこかに,未開封のJaguarが眠っているはずだ
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 トラミエル氏は,1996年にAtariをHDDメーカーであるJTSに譲渡したが,資金力に乏しいJTSはゲーム事業が展開できないまま,倒産直前の1998年に,「Atari」という名称の使用権を玩具メーカーのHasbroに,わずか500万ドルで売った。
 Hasbro傘下のAtari Interactiveは,ファミリー向けのゲームや知育ソフトを制作,販売していた「Hasbro Interactive」の一部門として,過去のゲームのリメイクなどを行っていたが,この段階ではかつてのAtariとは無関係の,単なるブランド名になっていた。
 「モノポリー」や「バービー」などで知られるHasbroは,ゲームソフトの売り上げ低迷により短期間でゲーム市場から撤退しており,2000年にはフランス企業のInfogramesがAtariの名称使用権を,Hasbro Interactiveごと買い取ることになる。

 ベテランゲーマーには,1992年の「アローン・イン・ザ・ダーク」のメーカーとして知られるInfogramesだが,買収後の2001年以降,ゲーム開発や販売部門をAtariという名称に変更するなど,積極的にそのブランドネームを利用した。

 1990年代に盛んに企業買収を繰り返し,Ubisoft Entertainmentと並んで「フレンチインベージョン」(フランスによる侵略)と呼ばれたInfogramesも,Atari買収後の2002年には早くも拡大戦略に行き詰まり,その後,資産売却に転ずることになる。「Civilization」「XCOM」などの資産はTake-Two Interactiveに,また「Unreal」はEpic Gamesへ,「Transformer」はHasbroへという具合に,元の所有者に戻された。
 その後,Atariは一時期オンラインゲームの専用メーカーへの転進も図ったが,2005年以降は断続的に資金難に陥り,有力なスタジオだったCryptic StudiosをPerfect Worldに,ヨーロッパの販売部門であったAtari EuropeをNAMCO BANDAI Gamesに売却するなど,資産売却が続いた。2012年現在,傘下にあるコア向けのゲーム開発部門は「Test Drive Unlimited」シリーズのEden Gamesくらいであり,現在は,モバイルゲーム分野などに新たな活路を見出そうとしているようだ。

現在のAtariは,ダウンロード型のオンラインゲームやモバイルゲームのゲームなどが主力になっている。現在,Atari誕生40周年を祝って,名作100本がプレイできる「Atari Greatest Hits」がiTunesから無料でダウンロードできる
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 ゲーム産業と共に生まれ,一時期は市場に覇を唱えたAtariも,現在は名称だけが同じ別の企業になっている。とはいえ,実に40年にわたってその名前が残ったことだけでも奇跡のようで,Atariという社名の持つインパクトの大きさが感じられる話だ。
 現在も,LynxやJaguarなどのハードを愛好するファンがおり,かつての名作がリメイクされるなど,Atariがゲーム史に残した足跡は大きい。黎明期の自由な社風や,現在ではとても通用しないような一風変わったゲームなど,今のゲーム産業が失ったものに対する憧れが,Atariという名前を聞くと思い起こされる気もする。40年間姿かたちを変え続け,これからも変化を続けるゲーム業界だが,Atariの名前は今後も残っていくのではないだろうか。

著者紹介:奥谷海人
 本誌海外特派員。サンフランシスコ在住のゲームジャーナリストで,北米ゲーム業界に知り合いも多い。この「奥谷海人のAccess Accepted」は,2004年に連載が開始された,4Gamerで最も長く続く連載だ。バックナンバーを読むと,移り変わりの激しい欧米ゲーム業界の現状が良く理解できるはず。
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