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サイバーコネクトツー,日本一ソフトウェア,フロム・ソフトウェアが学生に向けて業界を説明。東京工芸大学で開催された「ゲーム業界セミナー 〜ゲーム業界で働くということ〜」聴講レポート
このセミナーは,ゲーム業界を志望する高校生とその父兄を対象に,早期からの職業観形成を目的として企画されたもので,同大学で同日に開催されたオープンキャンパスにおいて,芸術学部ゲーム学科のプログラムの一環として開催された。
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本セミナーでは,サイバーコネクトツー,日本一ソフトウェア,フロム・ソフトウェアという3社の管理部門担当者が登壇し,「ゲーム業界で働くこと」をテーマにパネルディスカッションを行った。パネリストとして登壇したのは,以下の3名だ。
セミナーの冒頭では,立野氏が,現在,日本のゲーム業界がどういった状況にあるかを簡潔に説明した。
現在は,コンシューマゲームやアーケードゲームに加え,PCやモバイル端末で遊べるオンラインゲーム/ソーシャルゲームが台頭している。また,出荷額の規模は国内よりも海外のほうが大きい。
さらに,PS VitaやWii Uという新たなゲーム機の登場が近いことなどから,今まさにゲーム業界は転換期にあるとされた。
また高校生向けということで,ゲーム企業と一口に言っても,パブリッシャとデベロッパ(またはその両方)といった違いがあること,実際にゲームを作る開発部門と,それを管理/サポートする非開発部門があるといった基本的な事項の説明も行われていた。
「ゲーム業界に入るためには」
パネルディスカッションの最初のテーマとなったのは,「ゲーム業界に入るためには」で,まずは登壇者3名がそれぞれ,ゲーム業界を志したきっかけを披露した。
もともとゲーム好きだったこともあって,“ゲームが青少年に悪影響を及ぼす”といわれがちな世間の風潮に疑問を抱いており,“ゲームが青少年に及ぼすいい影響”というテーマで研究を始めたそうである。
そこで,ゲームが持つメディアとしての可能性に気付かされ,大学卒業後はゲーム企業へ就職したいと思い至るようになったとのこと。ただ,自身が必ずしもモノ作りに向いているわけではないことから,開発部門をサポートする管理部門を志望したそうである。
本間氏は,日本一ソフトウェアに入社する前は公務員だったが,次第に人を育てる仕事に関心が向いていったとのこと。
そんな中,同社の管理部門で求人があることを知り,応募して面接を受けたところ,トントン拍子で話が決まったそうだ。
本間氏は自身の経験をもとに「タイミングと縁が大事」と述べ,それを逃さないためにも,あまり会社や職種を限定せずにさまざまな可能性を考えてみるといいと話した。
渡辺氏は,学生時代からゲームプログラマーを志望しており,最初は福岡の小規模なゲーム企業に就職した。そして約15年前,より面白い仕事にチャレンジできるのではないかと考え,サイバーコネクトツーに入社。以後は長年プログラマーとしてゲーム開発に携わり,現在ではゲーム開発を含め,同社の業務全体を統括する役割を担っている。
そのデザイナーは,入社が内定したあとに「アニメに興味がある」と話しており,それを聞いた日本一ソフトウェアの新川宗平社長は,さまざまなことにチャレンジするようエールを送ったそうだ。
すると,そのデザイナーは実際に入社して業務に携わる前に,独学でアニメを学んで作品を1本仕上げ,「ぜひ見てほしい」と日本一ソフトウェアに持ってきたという。
これを聞いた渡辺氏は,「そういう人は,将来成長します」と太鼓判を押していた。
渡辺氏は,絵を描くのが好きという志望者に対して,「絵はゲームを作る手段の一つに過ぎない。アナタは絵を描きたいのであって,ゲームを作りたいわけではないのではないか」と問いかけたときのエピソードを披露。
その志望者は,自身が辛い思いをしたときにゲームに支えられてきたことを話し,「ほかの誰かがそういった経験をできるようなゲームを作りたい」と答えたという。
渡辺氏は「自分が本当に好きなものは何なのか,そもそも何を伝えたいのかを明確にするのが大事」とまとめた。
立野氏は,提出する履歴書の下書きを消していなかったり,面接で想定外の質問をされて答えられなかったりするケースを「もったいない」と表現する。
それを聞いた本間氏も,ゲーム開発に関する技術は大事だが,その前段階として社会人としてのマナーを身に付けていることと,やる気を感じさせる努力が必要であると付け加えた。
「この仕事を続けていくためには」
渡辺氏は,ゲームを開発している過程でうまいアイデアが思いつかず,チームで話し合ってもルールやシステムが面白くならないとき,「もう自分はダメなんじゃないか」と,絶望的な気持ちになると話す。
しかし,ある瞬間に誰かの閃きによって状況が打開されると,そうした絶望感が一気にプラスに転じ,「俺って天才? 今なら何でもできるんじゃないか?」というくらい高揚するそうだ。そういった,まるでジェットコースターに乗っているかのようなメリハリがたまらないと述べる。
また,現在開発中の「ASURA'S WRATH」のように,“前例がないゲーム”を開発するときの“生み出す苦しみと楽しみ”に言及し,それがパッケージとして店頭に並んだり,実際に購入してもらえたりするときは大変嬉しいとも話していた。
立野氏も,自社製品のポスターが店頭に張り出されたり,あるいはイベントで試遊台の行列を見たりすると,誇らしい気持ちになるという。
それは開発チームが苦労しながらゲームを作り上げていく過程を知っているからこそだが,その一方で立野氏自身が携わる人事などは,何をもって成功とみなすか判断が難しいとも述べる。
立野氏自身は,入社した開発者一人一人に,「この仕事に就いてよかった」「この仕事で得られるものがあった」と思ってもらえればいいと話し,逆にそう思えないのであれば,ほかの仕事に移ってしまうのも止むを得ないとまとめた。
逆に,「自分の作ったゲームを遊んでもらえてうれしい」と考える人は長くゲームに携わる傾向にあるとのことだ。
また本間氏曰く,新川社長は常々「ゲーム開発者は芸人であれ」と口にしているそうで,開発者として技術を磨く一方,エンターテイナーとしての心意気を忘れないことが重要とも話していた。
本間氏と立野氏の話を聞いた渡辺氏は,心の底からゲームが好きで,ゲームを通じて世の中に何かを伝えたいという意志があれば,大きな困難があってもそれを乗り越えるための努力ができると述べた。
また,仕事を続けていくための条件として“社会人としてしっかりしていること”を全員が挙げていた。
例えば,サイバーコネクトツーと日本一ソフトウェアは定時勤務制で,9:00始業で18:00に終業となる。フロム・ソフトウェアは裁量労働制ではあるが,10:00出社が基本だ。本間氏は,ほかの企業や多くの同僚と一緒に活動する以上,これは当たり前のことだと述べる。
また渡辺氏は,翌日のことを考えると徹夜作業は必ずしも効率がよくないと指摘。それならば,健康的に長く勤務することを考えたほうがいいのではないかと述べる。
また渡辺氏は,理路整然とした話で他人を説得できなければ,ゲームは作れないとも話す。立野氏と本間氏も,多くの人と協力しながら作業していく上ではコミュニケーション力が重要になると同意。クリエイターというと独創力が重要だと思われがちだが,自分のアイデアは任されている仕事をよりよくするためのプラスアルファとして機能させるべきと続けた。
渡辺氏は,そういったコミュニケーション力を身に付けるためには,普段の生活の中での報告/連絡/相談──いわゆる“ホウレンソウ”が重要であると説明する。
身近な両親や教師との“ホウレンソウ”を実現できない学生が,社会に出て一社会人として通用するわけがないと述べ,普段から周囲と情報をやりとりしておくことの重要性を説いた。
さらに渡辺氏は,毎日を積み重ね,そしてこれから何を積み重ねていくかという意識がなければ,5年後,10年後に世の中を変えるようなもの作りはできないと付け加えた。
立野氏も,日頃から周囲に「こんなことをやってみたい」と情報を発信しておけばアドバイスをもらえるなど,自分のやりやすい環境を構築できると述べる。
ここで本間氏は,聴講している学生に向けて,時間のある学生時代に映画などを鑑賞して感性を磨き,「なぜ面白いのか」「なぜ自分はこの作品を嫌いだと思ったのか」を説明できるようにしておくといいと述べる。そうすることで「こういう理由だから,世間で受ける」といった説得力をつけられるというわけだ。
また,事実と自分の意見の食い違う部分を明確にしておくことも重要だという。「事実はこうなっている。だから,こういうことをやりたい」と説明できるようにしておかないと,自分のやりたいことばかり主張しているかのように捉えられてしまいかねないからである。
渡辺氏は,三角関数がゲームのプログラムに大きな関わりがあると知ったときのエピソードを披露し,“将来役に立つもの”と意識することで,勉強もまた楽しめるようになると話す。
本間氏は,そうした将来(または現在も)必要になる知識について,自分で調べる癖を付けておくべきと示唆する。社会に出たら,誰にも教えてもらえないのが普通なので,学生時代から自主性を磨いておいたほうがいいというわけである。
立野氏は,社会人になると,テストの点の良し悪しというような分かりやすい基準で判断されることがなくなると指摘。その代わりに「一緒に仕事がしたい」という“信頼”で判断されるようになると話した。
その信頼を得るためにはどうすればいいのかという問いかけに,立野氏はさまざまなことを早めに相談することで,まず“信頼を失わない”ように心がけていると述べる。本間氏もまた,信頼を得るには“ホウレンソウ”を徹底することだと話す。
渡辺氏は,トヨタ自動車の社内で「トヨタ生産方式」が段階的に採用されていったケースを例に挙げ,自分のできる範囲で結果を出すことで,信頼を得ていく過程を説明。肩書きや権限は,それらを一つ一つ積み重ねて,結果を出していった人にあとから与えられるものだと話す。
「これからをどう考えているのか」
立野氏は,世の中の流れが早い昨今,“前例のないもの”を求められるゲーム開発は大変な局面に立たされているが,そうした新しいゲームを“開発し続けていける環境”を作っていくのだと述べる。
たとえば,ソーシャルゲームの台頭に見られるように,ゲームの概念は時代の流れとともに変化していく。その中で多くの人に「遊んでよかった」と思ってもらえるゲームを,楽しみながら作れる人材を増やしていきたいと,立野氏は述べた。
本間氏は,2011年3月に発生した東日本大震災の被災者から「活力になるような面白いゲームを作ってほしい」という声をもらったと述べる。人を喜ばせたいという気持ちで,世の中を明るく楽しくするようなものを提供していきたいと述べた。
渡辺氏は,ゲーム業界の歴史を踏まえて,二つのポイントを挙げた。
一つめは,まだゲームの歴史が浅い点。例えば,少し前までは“ゲーム開発者35歳定年説”が当たり前のようにいわれていた。現在,渡辺氏自身も含めて35歳を越えて実務に携わっている人は決して少なくない。
これからは,誰も経験したことがない未体験ゾーンに入っていくと渡辺氏は説明し,60〜70歳でもゲームを作れる環境を用意することが自身の使命であると述べた。
二つめは,新たなゲームの流れについて。
これは,よくいわれるようなソーシャルゲームが従来のゲームを云々するという文脈ではなく,これまでゲーム業界で培われたノウハウが,ゲーム以外のさまざまな分野に応用されていくという,いわゆる「ゲーミフィケーション」の話である。
例えば,PlayStation 3用周辺機器「torne」が,それまでのHDDレコーダーより圧倒的に操作しやすくなったのは,ゲームの操作体系を応用しているからであり,こういったことは今後もさまざまな分野で見られるようになるだろう,と渡辺氏は予測を述べる。結果,ゲーム開発者の発揮する独創性も,今まで以上に求められるようになるというわけである。
また渡辺氏は,グローバルな観点から見ると,ゲームを“遊んでいない人”は圧倒的に多く,まだまだゲーム市場の規模が拡大する余地があると述べる。
渡辺氏は,現在,ニンテンドー3DSの販売不振など市場は縮小しているかのように見えるかもしれないが,それは自身を含めたゲーム開発者達の力不足に過ぎず,面白いゲームを作ることでいくらでも取り戻せると,強い意気込みを見せた。
最後に3名の登壇者は,会場で聴講していた学生に向けてメッセージを述べた。
立野氏は,今,ゲーム開発者を目指して勉強をしている学生が,いざ就職する段階になって,別の職を選んでもかまわないと話す。
それまで積み重ねてきた知識と経験,そして努力はその先の人生の中で必ず生きるからであり,何一つ無駄なものはないと続け,もし誰かを喜ばせるようなものを一緒に作っていけるなら嬉しいと締めくくった。
本間氏は,学生である現在は時間がたくさんあると思っているかもしれないが,実は時間は有限であると述べる。社会に出るまでの間を有意義に過ごし,ぜひ自分の一生を賭けてもいい仕事を見つけてほしいとまとめた。
渡辺氏は,自身の過去を振り返り,「こうあるべきだった」「こうありたい」と思うところを伝えたかったと話す。可能なら,同じゲーム業界で世界をもっと便利で楽しく,幸せにできる何かを一緒に作っていきたいと展望を述べ,セミナーを締めくくった。
今回のセミナーは,高校生向けということでいわば基礎的な内容ではあったが,参加した学生達にとっては,有意義な時間となったことは間違いないだろう。受講者の中から,今後のゲーム業界を担うクリエイターが誕生することに期待したい。
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