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森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」内覧会レポート。ゲームとアートの急接近を,ゲーマー目線で考える
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印刷2025/03/14 07:00

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森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」内覧会レポート。ゲームとアートの急接近を,ゲーマー目線で考える

 アートとゲーム,という並びを聞いたとき,読者の皆さんはどう思われるだろうか?

 もしかすると,かなり尖ったインディーや,ゲームをテーマにした作品などが思いつくかもしれない。しかし六本木の森美術館で2025年2月13日から6月8日にかけて開かれている「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」は,それとは少し異なるゲームとアートの関わりを示す。そこで焦点とされていたのは,ゲームを作る技術とアートの交差点だった。

 ビデオゲームと現代アートという並びのあるこの展示,ゲームメディアとしても見過ごせない。というわけで,美術史研究者でゲームライターでもある筆者が,プレス内覧会に参加してきた。

左から,ルー・ヤン(陸揚)*,藤倉麻子*,マーティン・ゲルマン(森美術館アジャンクト・キュレーター),片岡真実(森美術館館長),ヤコブ・クスク・ステンセン*,佐藤瞭太郎*,キム・アヨン*,平山めぐみ*,ビープル*,畠中実(本展アドバイザー),谷口暁彦(本展アドバイザー),ディムート*,矢作学(森美術館アソシエイト・キュレーター)
*は,本展出展作家
画像集 No.010のサムネイル画像 / 森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」内覧会レポート。ゲームとアートの急接近を,ゲーマー目線で考える

アートとゲームは接近している


 そもそも本展示は,どのような意図で企画されたのだろうか。プレス内覧会の冒頭で,キュレーターで森美術館館長の片岡真実氏から話があった。

 片岡氏によれば,現代アートは現在,ゲームエンジン,3DCG,AIなどを用いたアート作品が増えているのだという。その背景にはゲームの世界的な盛り上がり,デジタルネイティブ世代が現代アートの作家として台頭してきたこと,そしてコロナ禍での移動の制限,といった事情があるそうだ。

 筆者としても,この潮流には実感がある。2016年に東京芸術大学に入学してから,筆者はゲームを題材にした作品作りや,ゲームエンジンを使った美術作品の制作を続けてきた。最初は同じような作品づくりを志す人は少なかったのだが,気付けば大学でもゲームエンジンの授業が始まったり,ゲーム学科ができたりと,ゲームとアートはどんどん接近してきている。

 そうしたアートとゲームの交錯に注目した展覧会である「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」は,どのようなものだったのか。ここからはゲーマー目線も交えつつ,展覧会の内容を紹介していこう。

ビープル


 展示会場に入るとまず,「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」を読解するために必要な用語集が壁一面に貼られているのが目に入る。4Gamer読者ならお馴染みであろう「ゲームエンジン」といったゲーム用語から,「アフロ・フューチャリズム」()といったあまり知られていないであろう単語まで,多彩な用語が書かれている。QRコードからいつでも見られるので,適時参照しながら鑑賞するのがいいだろう。

※アフロ・フューチャリズム………世界中のアフリカ系の人々が,自身のルーツとなる文化を,SF的な想像力を用いて表現する文化。アメリカ中心主義的でアフリカに暮らす人々の文化ではない点など批判も出ている。


マシン・ラブ展をもっと楽しむための用語集 展示風景
画像集 No.012のサムネイル画像 / 森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」内覧会レポート。ゲームとアートの急接近を,ゲーマー目線で考える

 最初に置かれているのは,CGを用いた映像作家として活躍するビープル氏の立体作品《ヒューマン・ワン》(2021〜)だ。

ビープル 《ヒューマン・ワン》 2021年-
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 展示室には人の背丈ほどの箱が置かれている。箱の四面には映像パネルが取り付けられていて,特定の角度から鑑賞すると箱の中に空間があるように見える。ボックス内にはロボット的な見た目のキャラクター(「メタバースで生まれた最初の人間」という設定だ)がいて,デジタル世界を旅しているのだ。空間内にUIのような文字やインジケータがたくさん浮かび上がっていて,ゲーム的なカルチャーの影響を感じる。


 面白いのは,この作品は作家のスタジオにオンラインでつながっていて,展示中もアップデートが施される可能性がある点だ。ゲームではアップデートで内容が変化することは,一人用のゲームでも運営型のゲームでも当たり前になっている。

 他方,アートでも作品をプロセスと捉える試みが行われ続けてきた。その場で作品を制作するライブドローイングや,観客と共同で作品をつくるようなパフォーマンス,手元で描き続け完成を迎えない作品など,その例は枚挙にいとまがない。《ヒューマン・ワン》からは,ゲームとアートの接近をさまざまな角度から感じさせられる。

ビープル 《ヒューマン・ワン》 2021年-
画像集 No.009のサムネイル画像 / 森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」内覧会レポート。ゲームとアートの急接近を,ゲーマー目線で考える


佐藤瞭太郎


 次に展示されているのが,佐藤瞭太郎氏の作品だ。

 佐藤氏はゲーム制作用のアセット(キャラクターや背景などゲームに必要なさまざまな素材のこと。Web上で販売されているものも多い)を用いて作品を作っている。

 今回展示されているのは,ネット上にアップされている家族写真をはじめとするさまざまな画像を,アセットを使って再現した写真作品《ダミー・ライフ》シリーズ(2025)と,アセットが街で走り回る映像作品《アウトレット》(2025)だ。

佐藤瞭太郎 展示風景
画像集 No.016のサムネイル画像 / 森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」内覧会レポート。ゲームとアートの急接近を,ゲーマー目線で考える

 前者の作品はゲーム内写真のことも思わせる。いまや多くのゲームに写真モードがついているが,アートの世界では以前からゲーム内写真が注目されていた。

 アートとゲーム内写真については,展示企画にも関わっているメディア・アーティストの谷口暁彦氏が,「[考えてみる]In-game Photography」という記事を自身のホームページで公開している。ゲームの中で写真を撮るという行為を,アーティストたちは10年以上前から行ってきた。それはゲームが提示する遊び方に疑問を投げかけ,写真とはなにかを問い直す。

佐藤瞭太郎 《アウトレット》 2025年
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 後者の映像作品《アウトレット》は,街でキャラクターがスポーンし続けたり,壁に向かって走り続けたりと,理不尽な状況が映し出されている。佐藤氏の作品は安部公房氏の小説に影響を受けているとのことだが(安部氏の作品に影響されている作品としては「DEATH STRANDING」も著名だ),私は「Garry's Mod」(2006)のように意図的にメチャクチャな状況を作り出すゲームを思い出した。

 作品はゲームプレイ映像的だが,通常のゲームとは違い,画角がフィルムカメラのようなクラシカルな狭さになっていて,そのギャップが印象的だった。

ディムート


 展示室を移動すると,ディムート氏の作品《総合的実体への3つのアプローチ》(2025)が見えてくる。

ディムート《総合的実体への3つのアプローチ:エル・トゥルコ/リビングシアター》2025年
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 大きな部屋の壁一面に映像が投影されていて,そこではAI同士が話したり,独り言をつぶやいていたりする。観客がAIと対話することのできる作品,《エル・トゥルコ/リビングシアター》も展示されている。

 筆者が見たときは,AIたちがずっとトランプとイーロン・マスクに対して,かなりえげつない言葉を使った批判をしていた。やはりAIも自分たちの将来を決める政治の行く末が気になるのだろうか。

 大規模言語モデルを用いたAIのゲームへの応用は少しずつ試されている。すでにいくつかのゲームではAIを導入するModが作られているし,UBIのような大手ゲームメーカーやGPUメーカーのNVIDIAもそうした技術のデモを行っている。ファンタジーRPGのキャラクターと王政の問題点について話し合える日も近いのかもしれない。

インディー・ゲームセンター


 その先は通路が展示空間となっていて,「インディー・ゲームセンター」というミニコーナーが置かれていた。

インディー・ゲームセンター 展示風景
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 今回の展示はあくまでゲームエンジンによる美術の変化に焦点を当てたものだというが,企画に関わったメディア・アーティストの谷口暁彦氏の提案もあって,インディー・ゲームも展示をすることにしたのだという。

 谷口氏は質疑応答で,「ゲームの美術展示がゲーム文化を利用する搾取的なものになりがちである」という問題を指摘していた。あとにも触れるが,この指摘は展示全体を考える上でも重要なものだ。美術展示は題材とするものをどのように語ることができるのだろうか。

 展示されていた作品は,「プラグ・アンド・プレイ」「最後のゲーム」「ハグゲーム」「見つけた」の4作品だ。

 「プラグ・アンド・プレイ」は,さまざまな形状のコンセントやプラグをいろいろなところに挿していく,シンプルな作品。さまざまなプラグを用いてオブジェクトとオブジェクトの交流を描いていくゲームだ。アートとゲームという文脈で語られたり,展示されたりすることも多いかもしれない。

マイケル・フレイ,マリオ・フォン・リッケンバッハ 《プラグ&プレイ》 2015年
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 「最後のゲーム」は,短期間でゲームを作るゲームジャムで開発された作品だ。二人でボードゲームをしていると,次第に外で空爆のような音が鳴り響いてくる。短いながらも緊迫感のあるゲームだった。パレスチナやウクライナ,そしてミャンマーに南スーダン,世界中で虐殺が続く中で展示される意味を感じた。

グース・ラダー・ゲームズ 《最後のゲーム》 2020年
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HIHAHEHO Studio 《ハグゲーム》 2022年
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 「ハグゲーム」は,物理シミュレーションされた人間を操って,遠方の相手と(展示では壁で区切られた反対側のプレイヤーと)ハグをする作品。仮想の身体を通すからこそ,安心して交流することができる体験は,ゲームならではのものだ。


 「見つけた」も二人で遊ぶもので,雪原の中で相手を探して出会うことを目指すゲームだ。画面が分割されており,左右にそれぞれのプレイヤーが操作するキャラクターがいる。限られた画面の情報からお互いがいる位置を考え,見つけ出していくのだ。

フェラン・ベルトメオ・カステル,ヴァニャ・ロベソ,ルフィオ・ヴォイド《見つけた》2018年
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 これらのタイトルは「マシン・ラブ」という展覧会名から,「私と他者」の二人の関係性をテーマに選出されたという。またサッと体験できる短い作品,という点も考慮されていたそうだ。ゲームは超大作ばかりが話題になりがちなので,そのイメージを覆す可能性を持った作品が並んでいるのはとても良かった。

キム・アヨン


 キム・アヨン氏の会場には,映像作品《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》(2022)と,そのゲーム版である《デリバリー・ダンサー・シミュ―ション》(2022)が展示されている。

キム・アヨン 《ゴースト・ダンサーズB》 2022年
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 どちらの作品でも描かれるのは近未来のような,異次元のような架空のソウルの街の配達員の物語。ダンサーと呼ばれる配達員たちは,集荷地点から配達地点の最短距離,最短時間を計算する理不尽なアルゴリズムに指示されながら仕事をしている。その中で主人公は不思議な存在に出会い――というストーリーはとてもSF的で,惹かれるものがあった。

キム・アヨン 《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》 2022年
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 映像作品は実写とゲーム的なCGを織り交ぜたもので,ゲーム作品は3Dスキャンされたソウルの街を舞台に,チェックポイントを通過しながらゴールとなる配達地点や集荷地点を目指すというものだ。ゲーム作品のほうはゴール地点への誘導はしっかりとありつつ,ルートを自分で考える必要がある点が面白かった。

キム・アヨン 《デリバリー・ダンサー・シミュレーション》 2022年
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 3Dスキャンされた街は現実の街とは異なり,あちこちに穴が空いていたり見えない壁があったりする。ありえない通路を探し当てる体験はスリリングで,デジタル化された非人間的な労働というテーマにも合致するものだった。

 ゲームで配達,といえば「DEATH STRANDING」(2019)が思い起こされるが(実際に映像作品にはバイクも登場する),私はむしろ「Cloudpunk」(2020)のような労働によって疎外される個人に焦点を当てた作品の流れを感じた。

ルー・ヤン


ルー・ヤン 展示風景
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 続いて登場するのはルー・ヤン氏の映像作品《独生独死̶自我》(2022)と,《独生独死̶流動》(2024)を主軸とする映像インスタレーション。展示室に入ると,無機質な白くて明るい空間に,仏教における作者の師に当たる人物が書いたという巨大な書と,多数の石が置かれている。罪を贖う賽の河原のような光景だ。その奥に,仏教世界をゲーム的なムービーで描き出す映像作品が投影されている。

ルー・ヤン 展示風景
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 ルー・ヤン氏はゲームカルチャーと仏教を関連付ける作品で知られる。以前はUnityを用いたトゥーンレンダリング調の作品を作っていたが,近年はUnreal Engineを使ったフォトリアルな映像に変化している。

ジャコルビー・サッターホワイト


 先ほどの部屋とうってかわって,ジャコルビー・サッターホワイト氏の展示室は薄暗いバーのような空間だ。部屋は全体がテクスチャのように繰り返される壁紙で包まれていて,壁面に四つの映像が投影されている。映像作品《メッター・プレイヤー(慈悲の瞑想)》(2023)だ。

ジャコルビー・サッターホワイト 《メッター・プレイヤー(慈悲の瞑想)》 2023年
画像集 No.026のサムネイル画像 / 森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」内覧会レポート。ゲームとアートの急接近を,ゲーマー目線で考える

 奇妙なまでに明るいCGの風景の中に,LGBTQ+や黒人の人々が開放されて飛び回っている映像が流れている。見ているだけで解き放たれるような気分にもなるし,むしろ人々が受けてきた抑圧を思い出させるようでもある。ちなみにサッターホワイト氏も「ファイナル・ファンタジー」シリーズの大ファンであるらしく,その点で前室のルー・ヤン作品と響き合ってもいる。

 展示冒頭の用語集にもあったアフロ・フューチャリズムとは,まさにこのような作品を指すのだろう。アフリカ系アメリカ人がSFの力を借りて,自分たちのルーツの文化を読み解き直し,自由な未来を想像する。そのような行為がここでは強調されたCGによって,ゲーム文化と結びついているのだ。

ジャコルビー・サッターホワイト 《メッター・プレイヤー(慈悲の瞑想)》 2023年
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 ゲームでもアフロ・フューチャリズムは行われていて,「ザァオ:ケンゼラの物語」(2024)はまさにそうした作品だ。インディーゲームシーンでもさまざまなマイノリティたちが自分の経験やアイデンティティを表現している。

 ただ1つ気になったのがキャプションに「『クィア化』する(既成概念を問い直す)」と書かれていたことだ。クィア化とは性的マイノリティの経験などから異性愛規範や性別二元論を問い直すことを指す。文字数の制限もあるのかもしれないが,性的マイノリティの存在に触れないのはアンフェアに思われた。

ジャコルビー・サッターホワイト 《新しい世界秩序》 2023-2024年
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シュウ・ジャウェイ


 ここからは展示の雰囲気が少し変わり,ハードウェアに着目していくパートになる。シュウ・ジャウェイ氏の作品《シリコン・セレナーデ》(2024)は,GPUなどに使われる半導体の原材料,シリコンウエハーをテーマにしたものだ。

シュウ・ジャウェイ 《シリコン・セレナーデ》 2024年
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 展示室内は黄色いライトで照らされ,半導体工場の中のような空間になっている。その真ん中にGPUを見せつける透明ケースのゲーミングコンピュータとディスプレイ,そして空中に吊るされたブイがある。ブイは常に揺れていて,ディスプレイに映る映像もそれに連動して揺れていく。映像は仮想の海辺にAIチップ研究所の風景や,水中でのチェロの演奏シーンなどがコラージュされたものだ。

 この作品は半導体に使われるシリコンが砂漠で採取されることに着想を得たものだという。ゲーム文化はさまざまな物質や地球環境に依存している。高まり続けるGPUのワット数や,高騰する原材料費に,ゲーマーの皆さんも悩まされていることだろう。展示で多く使われていたAIも莫大な電力消費の点で大きな問題を抱えている。《シリコン・セレナーデ》は,現状の消費を重ねていったその先に何があるのかを考えさせてくれる作品だった。

シュウ・ジャウェイ 《シリコン・セレナーデ》 2024年
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藤倉麻子


藤倉麻子 《インパクト・トラッカー》 2025年
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 藤倉麻子氏の作品も,またわれわれの手元にある機械の裏側を考えるものだ。工業製品が踊る映像作品《インパクト・トラッカー》(2025)と,人間レベルの「労働」を映す《労働のリズム》(2025),そしてそれと組み合わされた《インプレッションズ》(2025)の三作品が展示されている。いずれも我々の工業製品や流通,グローバル・サプライチェーン,インフラにフォーカスを当てた作品だった。

 《インパクト・トラッカー》の映像はとてもビビットで,「Nour: Play with Your Food」(2023)のようなゲーム作品にも共通する現代的でキッチュなスタイルを持っている。《労働のリズム》では再開発に抗うものとして手仕事を提示しつつ,青森での再開発のあり方に問題を投げかける。

藤倉麻子 《労働のリズム》 2025年
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ヤコブ・クスク・ステンセン


ヤコブ・クスク・ステンセン 《エフェメラル・レイク(一時湖)》 2024年 コミッション:ハンブルク美術館(ドイツ)
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 ヤコブ・クスク・ステンセン氏の作品《エフェメラル・レイク(一時湖)》(2024)はこの展示の中で最もゲームらしさを感じた作品だった。展示室には巨大なLEDモニターが置かれており,その中に架空の湖の映像が流れている。

 映像はゲームエンジンを用いてリアルタイムに生成されているのだという。ヤコブ氏は実際に元々ゲーム会社に所属していたことがあったのだと,キュレーターの方が説明してくれた。

 だからだろうか,ヤコブ氏の作品はとてもゲーム的な質感を持っている。私がそう感じた理由の一つとして,彼の作品が広い画角を用いていることがある。

 多くのゲーマーは,画角の広い画面をよく好む。画角を広く取ることで没入感が上がるし,単純にゲームをプレイしやすくなる。一方,映画などでは広い画角はレンズの歪みが強調されてしまい,特別な場面でしか好まれない。ヤコブ氏の画角の選択はとてもゲーム的だ。

ヤコブ・クスク・ステンセン 《エフェメラル・レイク(一時湖)》 2024年 コミッション:ハンブルク美術館(ドイツ)
画像集 No.019のサムネイル画像 / 森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」内覧会レポート。ゲームとアートの急接近を,ゲーマー目線で考える

 しかしそれ以上にこの映像をゲーム的に見せていたのは,ヤコブ氏の作品がロマン主義絵画の影響があるからかもしれない。キャプションによればこの作品は,ドイツロマン主義()を代表する画家,カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774-1840)に触発され,制作されたものだという。

※ドイツロマン主義……ロマン主義は,フランス革命後の帝政や産業革命などへの反発を背景に,個人の感情や苦悩に焦点を当てた広範な文化運動。ドイツでは民話などと結びつき,神秘主義的な愛国思想ともつながっていく。絵画では圧倒的なスケールを持つ自然と,それに対峙し理解しようとする人間,という図式で自然が描かれることも多かった。人が自然に圧倒されつつ,自然を把握しようと努力する。この点がゲームと相性がいいのかもしれない。

ヤコブ・クスク・ステンセン 《エフェメラル・レイク(一時湖)》 2024年 コミッション:ハンブルク美術館(ドイツ)
画像集 No.025のサムネイル画像 / 森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」内覧会レポート。ゲームとアートの急接近を,ゲーマー目線で考える

 ロマン主義絵画には「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」(2017)をはじめ,多くのゲームが影響を受けてきた。フリードリヒの代表作,「雲海の上の旅人」(1818)はまさに「ブレワイ」のパッケージ画像そのものだ。「ダークソウル」シリーズでも同じ構図は何度も引用されてきた。

 ゲーマーは知らず知らずのうちに,ロマン主義絵画に触れてきている。ゲームの領域で引用され続けるロマン主義絵画を,あらためて美術の領域からゲームエンジンを用いて表現するという,美術とゲームを反復横跳びするような文脈のあり方が面白い作品だった。

アニカ・イ


アニカ・イ Courtesy:Gladstone Gallery (c) Anicka Yi / ARS, New York / JASPAR, Tokyo, 2025 G3798 展示風景:「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」森美術館(東京)2025年 撮影:竹久直樹 画像提供:森美術館
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 アニカ・イ氏の作品はとても静かな作品だ。アルゴリズムを用いた絵画作品とともに展示されている彫刻作品では,機械仕掛けの生命体を作る試みがなされている。

 展示室の中央に置かれた《ラディアル・センセーション》(「放散虫」シリーズより)(2023)の動きからは,生きていない存在がまるで生きているかのように錯覚させる不気味さが感じられた。

アドリアン・ビシャル・ロハス


アドリアン・ビシャル・ロハス 展示風景 Courtesy:kurimanzutto
画像集 No.003のサムネイル画像 / 森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」内覧会レポート。ゲームとアートの急接近を,ゲーマー目線で考える

 アドリアン・ビシャル・ロハス氏の展示室には,不思議な形態の彫刻作品《想像力の終焉》シリーズ(2023)が並べられていた。

 この彫刻は,絶滅と終焉の世界で自身の彫刻がどんな未来をたどるかを,作家自身が開発した「タイムエンジン」と呼ばれるソフトウェア群を使用してシミュレーションさせ,そのデータを3Dプリンタと緻密な手作業で制作したものだという。

アドリアン・ビシャル・ロハス 《無題22(「想像力の終焉」シリーズより)》 2023年 Courtesy:kurimanzutto
画像集 No.001のサムネイル画像 / 森美術館「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」内覧会レポート。ゲームとアートの急接近を,ゲーマー目線で考える

 ゲーム作品でも生命や世界をシミュレートする作品はいくつかある。「スポア」(2008)や「スピーシーズ」(2018)はその代表例だ。こうしたゲームは「人工生命」と呼ばれる生命をデジタル的にシミュレートしようとする研究の流れに,位置づけることができる。

 人工生命はアート分野と協働することも多く,人工生命的な作品はいくつも作られてきた。ゲームもアートも同じ現代にあるものであり,さまざまな問題意識を共有してきたのだ。

ケイト・クロフォード&ヴラダン・ヨレル


 トリを務めるのはケイト・クロフォード氏ヴラダン・ヨレル氏の壮大なリサーチ作品《帝国の計算:テクノロジーと権力の系譜 1500年以降》(2023)だ。テキストとインフォグラフィックスからなる全長24メートルの壁紙が部屋一面を取り囲んでいる。

ケイト・クロフォード、ヴラダン・ヨレル 《帝国の計算:テクノロジーと権力の系譜 1500年以降》 2023年
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 そこで示される一例は,印刷技術を発端としたコミュニケーションのためのテクノロジーが,西暦1500年以降どのように発展してきたかをたどる,膨大な歴史だ。そしてその技術がいかに植民地主義を加速させ,帝国による支配を作り出したのかが描き出される。テクノロジーはつい未来に注目しがちだが,過去を見つめることの重要性は忘れてはいけない。

終わりに:ゲームとアートが対等に交錯していく可能性


 さて,「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」をゲーマー目線も入れながらざっくりと解説してきた(ここで挙げた関連作品はあくまで筆者が思い出したもので,具体的な証拠に基づく関連性はない点に留意していただきたい)。

 現在,アートの世界ではCGやゲームエンジンを使う映像作品がどんどん増えている。中には自作をSteamで配布するような作家もいるくらいだ。今回の展示はそんな現代アートの潮流を感じられるものになっている。ゲームファンなら楽しめる点が多いはずだ。

 最後に一つだけ,気になったことを指摘しておきたい。展示されている個々の作品には,具体的なゲームシーンの影響を感じるものが少なくなかった。本展示はあくまでゲームそのものではなく,ゲームエンジンのような制作手段やテクノロジーに焦点を当てたものだとする。しかしそれでも,手法や技術の背景にある文化から作品を切り離すことは出来ないはずだ。

 しかし展示では,そうしたゲーム文化は作品から切り離されており,アートという狭い領域の中に閉じ込められていてしまっているように感じられた。

 たとえばジャコルビー氏の作品をより深く理解するためには,マイノリティたちが自分の経験をゲームにするインディーシーンとの共時性に関する知識がほしいところだ。展覧会はそうした背景を鑑賞者に提供することはない。

 もしかするとそれは,この展示に限らずアートファンに向けた展覧会というものが持つ限界なのかもしれない。限られた時間と限られた会場で展示が行われる。そこでは必要以上の情報を提供することは難しい。今回筆者はできる限り実際のゲーム作品を意識した導線を引くことに挑戦したが,読者諸氏からもより広範に作品が読み解かれ,ほぐされていくことを願いたい。

「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」公式サイト

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