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[CEDEC 2023]アートとプロダクトは,機能性と呪術性で面白さが深まる。社長の土佐信道氏自らがお届けする「明和電機・完全攻略セミナー」
アートにマスプロダクション(大量生産),おもちゃに音楽。さまざまな活動をする明和電機のこれまで――土佐氏の言葉を借りると「こんな変なものを作って,なぜ30年も生きてやってこれたのか」や,大ヒット製品となった電子楽器「オタマトーン」の製作話をとおし,アートとプロダクト両方に重要となる“機能性と呪術性”が語られたセッションをレポートしよう。
「……ゲームに関係ある?」といった内容に受け取れるかもしれないが,ゲームを作る人,愛好する人に触れてほしい考えが述べられているので,ぜひ最後まで読み進めてほしい。
明和電機のアートとプロダクトから学ぶ,違和感と調和,不確かなものの面白さ
そもそも,明和電機とはなにか。近年その名前を知った人がイメージするものと言えば,“同社”が開発し大ヒット商品となった電子楽器「オタマトーン」だろう。一方で,一定の年齢層より上の世代や,アート好き,へんなもの好きの人たちは,作業着姿で怪しげなパフォーマンスをする2人組を思い浮かべるはずだ。
明和電機の出発点はアートである。だがしかし,そのスタートに影響を与えたものに,電気機器メーカーの明和電機もある。そんな,ややこしいけど面白い,そして現在の活動を知るうえで欠かせない明和電機のこれまでの歩みが,「社史(Company History)」として語られた(冒頭のくどくどとした土佐氏の紹介文と“同社”とわざわざダブルクォートで囲ったのも,このあたりが関係してくる)。
明和電機のスタート地点にある明和電機(すでにややこしい)は,土佐氏の父がかつて経営していた会社の社名である。真空管やテレビのボリュームなどの製作を受け持つ電気機器メーカーで,一時は100人ほどの従業員を抱える大きな会社に成長したが,オイルショックの影響で倒産。絵を描くのが大好きな,小学校6年生のころの話である。
そのころから「絵描きになりたい」という夢を持っていたという土佐氏は,中学生になって新たに興味が沸くものに出会った。
それは打楽器。どんなものでも叩けば音が鳴る,つまりなんでも楽器になるという創意工夫の面白さ,衝動で思うがままに叩くことで情念や情熱――パッションを表現できる。打楽器は絵とともに,土佐氏を魅了するものとなった。
高校時代はバンドに熱中した。ときはバンドブームであり,ニュー・ウェイヴの時代である。
打楽器好きが高じて当初はドラムを担当していたが,「YELLOW MAGIC ORCHESTRA」(YMO / イエロー・マジック・オーケストラ)や「Kraftwerk」(クラフトワーク)にハマり,電子音楽への興味が沸く。そこでちょうど兄がローランドのシンセサイザー「SH-101」やヤマハのMSXパソコン(機種名は挙げられなかったが,スライドでは「CX5」が紹介されていた)を購入してきたので,それらを使って打ち込みを開始。兄とともにアメリカのバンド「TOTO」をもじったバンド「TOSA」を結成した。
なにかを叩くというパッションの表現であるドラム(打楽器),緻密な作業の積み重ねで冷静に作り上げる表現であるコンピュータミュージック(打ち込み)。この,高校時代にハマったドラムとコンピュータミュージックが,明和電機の活動に大きな影響を与えることになる。
高校卒業後は,中学高校で興味が沸いた音楽という表現,子どものころからの夢である絵描きが合体し,筑波大学の芸術専門学群総合造形領域に進む。総合造形はコンピュータや新しいテクノロジーにも触れながらメディアと芸術の可能性を探るコースで,先輩にはポケモン代表の石原恒和氏やメディアアーティストの岩井俊雄氏,後輩にはイラストレーターで絵本作家のヨシタケシンスケ氏などがいる。
彫刻家の篠田守男氏などから金属加工,機械加工,コンピュータの技術を学び,その面白さや魅力に惹かれ,作品の製作に打ち込む日々を暮らす。電気機器メーカーの家の子ではあったものの,子どものころはラジコンや電子工作をしておらず,こういったものに本格的に触れたのは大学に入ってからだった。
父がかつて営んでいた工場のような雰囲気と,そのころに嗅いだものと同じ鉄の焼ける匂い。ここであらためて「自分の居場所はここだ」と思い,入り浸るようになったという。
大学4年生のころに製作した“部屋全体を楽器にする”という作品が,当時の自身にとって「すごくしっくりきた」形となり,そしてのちの活動につながるものとなった。
それは,キーボードのように並べられた手元スイッチを押すと電流が発生し,部屋の壁のあちこちに設置したソレノイドが稼働,そこに取り付けられた装置が壁をバンバン叩き音を鳴らすというもの。スイッチを押すという文明的で冷静な作業が,モノをバンバン叩くというパッションの行為を生むこの装置には,「自分の中の猿と文明人が合体した」という確かな手ごたえがあったそうだ。
音楽だけではなく,もちろん絵や造形にも打ち込んだ。当時(1990年ごろ)は貴重で高価だったシリコングラフィックスのワークシステムを使い,CGで架空の生きものを制作。それを立体的な作品として製作するといったことも行った。
そして,卒業製作としてミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の楽曲「My Favorite Things」に合わせて,がったんがったんと動く「妊婦のロボット」を作り上げる。それは,コンピュータミュージック,造形,そして生命の不思議さという関心のあったものをすべてこめた,当時の集大成となる作品となった。
しかし,この作品がスランプを生むことにもなる。
妊婦というモチーフで,子を産み育て,環境が変化するという“生命とはなにか”を表現したかったのに,毎日同じ動きしかしない。生命ではなく生命の張りぼてを作ってしまった。完成当初は面白いと思ったが,展示し続けていることで,だんだんそう考えるようになったという。
生命を作りたかったのに,作れなかった。そもそも生命とはなんだ。自分も生命だが,自分を理解できていないのに自分が作れるのか――悩みと矛盾にさいなまれ,作品が作れなくなってしまった。
芸術家になりたいのに作品が作れないのは大きな問題である。そこで土佐氏は,“ロールプレイングゲーム的思考”で自分自身に向き合うことにした。普通に自分自身を考えても答えは出ない。RPGの冒険のようにひたすらと自分が興味あるものを探し,そうして集まったものを並べてみれば,漠然とでも自分というものが見えるのではないか。そういった仮説のもとに旅へと出発。過去に作られた民族的,宗教的な要素を持つものを見聞きし,パッと閃いたものを作品としていった。
思考の旅をとおし,土佐氏自身が三種の神器と呼ぶ3つの作品が作られた。
1つは「魚打棒」(Na-Uchi-Bou / なうちぼう)。その名のとおり,魚を打つ(締める)ために使う棒で,大阪のみんぱく(民族学博物館)で見たネイティブアメリカンのものにインスパイアされた作品だ(ちなみに魚打棒や魚叩行為は,アメリカ原住民のほか,アイヌを含めた北方民族,日本の北海道や東北地方,北陸地方などでも行われていたことが記録に残っている)。
そのとき見たという魚打棒は,歯をむき出しにしたおぞましい表情の魚(神様)が彫られていたという。命を絶つ,命を弔うといった精神的,儀式的な一面があったのだろう。機能性と呪術性を内在した“それ”にピンときた土佐氏は,締めた魚を中に入れられる「棺桶」としての機能を持った「魚打棒」を作り上げた。
2つめが「肺魚」(Hai-Gyo / はいぎょ)。シリンダーでガラス瓶の中の気圧を変化させ,ビンの中に入れた魚の浮袋を動かすという,いわゆるイン・ビトロ(試験管内に生物の体内に似た環境を作り,生物体から抽出した組織を用いた試験や検査を行うこと)をイメージした作品だ。製作当時,惑星を育てるSLG「SimEarth」(シムアース)にハマっており,世界をガラス越し(モニター越し)に俯瞰するという共通点からシミュレータとも呼んでいたそうだ。
最後の1つ「弓魚」(Yumi-Na / ゆみな)は,ただただ魚の骨の造形が美しいと感じたまま,その思いを魚骨型の弓で表した作品である。この3作品は,神,人間,道具という3つの視点をもった魚器(NAKI / なき)シリーズとして明和電機のアート活動の一つとなる。だが,この時点では明和電機を名乗っていない。
では,なぜアートユニットとしての活動を始め,どうして父の会社名を名乗り始めたのか。そこには土佐氏の作品がアートであり道具だったことにある。
見た目だけではなく道具としての機能性も作風の一部だった土佐氏の作品は,それを人前で発表するには実演しなければならない。そういった理由でアートのパフォーマンスを始めたのだが,当初は“実験室で実験中のニコラ・テスラ”のイメージでタキシードを着てやってみたものの,マジシャンのようでどうも聴衆に届かない。
そこで辿り着いたのが作業服――現在の明和電機のイメージとなったこのスタイルだった。
その大元となったのが,YMOが一時期着用していた赤い人民服風の衣装。Kraftwerkの赤いシャツに黒いネクタイ,Devoの黄色いつなぎなどの影響もあったのであろう,「ニュー・ウェイヴは制服のイメージがある」「日本人は制服に弱いのでは」「制服と言えば,工場の作業服もそれだ」と,ルーツである電気屋にたどり着いた。
そこからさらに発想を展開し,レトロな響き(ちなみに土佐氏はダサい名前と表現している)のある父の社名をそのまま名乗り,「ウソの電気屋」というアート活動を構想する。
そこに,かつてバンドに誘い,電子音楽にハマるきっかけを作った人物であり,当時行方不明だった兄――正道氏から突然の連絡が入る。アートユニットの構想を説明し「やる?」と聞くと「やるやる」と回答。1週間後にポシェット1つで合流。兄が社長,弟が副社長の(ウソの)電気屋アートユニット「明和電機」としての本格的な活動が始まった。
以降の活動を知る人は少なくないだろう。兄とともにアート作品や楽曲,“変な製品”を作りながらライブやパフォーマンス,テレビタレントなど,(一時的にヤンキースタイルにフォームチェンジしつつ)さまざまな活動を行う。2000年に兄が35歳で“定年退職”し,社長に昇格。その後,現在に至るまで多くの作品を生み出している。
ここまでのアート中心の活動が,2009年に発売され,(父ではなく土佐氏の)“会社としての明和電機”のプロダクトとして大きな成功を収めた「オタマトーン」につながる。
オタマトーンのヒットの要因として,当時はTwitterやYouTubeが盛り上がってきた時期で,顔がついたかわいいビジュアルや,誰でも音が出せる気軽さなどがその時代にマッチしたことが挙げられる。だが,土佐氏によると,その根本にはこれまでの作品製作で得た“機能性と呪術性”があるという。
スタート地点にあったのは,声というものが持つ機能性と呪術性への興味だった。
機能性は,声(Voice)を出すときの機構(Mechanical)。発声するための器官である声帯があり,そこに空気を送りこむ肺があり,複雑な変化をもたらす鼻や口,歯があるといった,声を出す仕組みだ。呪術性(Magic)は,そういった機能から発せられ,人の心にさまざまな影響を与える声そのものが持つ不思議な力のことである。このあたりの関係は,ヤマハの作った“機能”にクリプトン・フューチャー・メディアによって開発された“声”を乗せた,「VOCALOID」と「初音ミク」からも似たものを感じると話す。
声の面白さにハマった土佐氏は,のちに「ボイスメカニクス」シリーズとしてまとめられるアート作品の製作を始める。その始まりとなったのが,2003年に製作された「セーモンズ」(SEAMOONS)。ゴムでできた人工声帯にふいごで空気を送り,張力をコンピュータ制御することで歌を歌う装置だ。
これが,のちのオタマトーン製作への気付きを与えた。
セーモンズは,コンピュータ制御ではあるが,音を出す仕組みは物理的である。例えばドからミを鳴らす場合,コンピュータの指示がきっちりドとミでも,モーターでゴムを引っ張るというアナログな機構上,しっかりミで止まらず「ミィー↑」「ミィー↓」とブレが発生する。セーモンズには耳で聴いて音を制御する仕組みがあるので,ここで正しい音に戻そうと調整を始めるのだが,これによってビブラートやこぶしのような面白い音の鳴りが生まれたという。
物理的な世界では不安定なものが課題となるが,うまく使うとそれが魅力になる。いわゆるバグや未熟さにあたるのだが,これによって感じられた生命らしさ,そして“不安定の面白さ”が,のちの作品に大きな影響を与えることになる。
その後,犬のように吠える「ディンゴ」(Dingo / 2004年),ディンゴを応用し,100円ショップで買えるものやお菓子の箱でDIYした「チワワ笛」(Chihuahua Whistle / 2004年),ワッハ(実際はイッヒ)と笑う「ワッハゴーゴー」(Wahha GoGo / 2009年)を製作。そしていよいよオタマトーンへ。
さて,ここまで製作されたものは,プロダクト(製品)ではなくアート(芸術作品)である。一点ものであり,販売して利益を出すものではない。つまり開発費が出ていく一方であり,当時はさほど気にしていなかったものの,明和電機は“倒産”の危機にもあったという。
本格的なプロダクトとしては製作されたオタマトーンは,その大ヒットによって結果的にその窮地を救う作品となった。そのオタマトーンが持つ機能性と呪術性とはなんなのだろうか。
オタマトーンの仕組みの大元にあるのは,リボンコントローラだ。リボンコントローラとは,リボン状のセンサを指で触れることで音を制御する,棒状の音楽ガジェットであり電子楽器である。しかし,ただの棒状の楽器では,リボンコントローラそのままだし,なによりつまらない。そこで付けられたのが“顔”だった。
楽器に顔を付けることはチワワ笛の発展ではあるが,口をパクパクすることで音を変化させる楽しさ,声の面白さにつながる機能性が生まれる。そして呪術性。そもそも楽器に顔は必要がないものだが,これを足すことで「なぜ顔がついているか」という不可解さ,ネイティブアメリカンの魚打棒に彫られていた魚の顔のような精神的,儀式的な何かを感じられるものになった。
また,コントローラ部分はフレットレスにした。一度はフレットを付けたが,音程どおり音が鳴るぶん不安定の面白さがなく,そして,曲を弾かなければならないというつまらなさを感じたという。決まったなにかに従わずに自由に演奏し,「音痴を楽しむ」意味でも,フレットがないことが重要だった。
それらのコンセプトから感じられるのが,土佐氏が高校時代に魅了されたという“パッションの打楽器と冷静な電子音楽”という,一見矛盾するもの同士の組み合わせで生まれる“違和感と調和”の面白さだろう。
なお,それらのビジュアルや構造といったすべては,大量のスケッチによって作られたそうだ。これは,「無理なこと,できないことといった制限をかけず,思いついたことを念写するようにスケッチする」という,土佐氏が作品を製作するうえで必ず行っていることだという。
初期は思い付きをそのまま描いて発想を広げ,自身の思考を確かめるスケッチ,後半に入り試作も始めるころは,まとまったアイデアを現実的にどう実現できるか,紙の上で仕組みや機構をシミュレーションするためのスケッチとなる。
このあたりは,RPG的思考の話に近いものだろう。それは作品自体だけではなく,作品名やロゴ,どんな人が使うのかといったイメージにまで及び,何よりそういうことを考え,スケッチするのが好きなんだとか。
このように,芸術活動から商品開発へ,アートからプロダクトへと活動を広げていった明和電機。土佐氏は,両方の根本にある「自分とは何か,自分の中の問題や世界の不可解さといったモヤっとしたものに向き合う」というアティチュード(姿勢,心構え)を語った。
不可解さを理解できるぶんだけ,分かるように分析していこう。それでも分からないものは「分からない」を込めて作品にしよう――絵描きを目指していたアート志向に,テクノロジーとの出会いで得た理性や仕組みを考えるエンジニア的思考が加わったことで,現在の作品づくりの考えに至ったという。
最後に30年の活動を振り返り,「自分とは何か,世界とは何か。絶対に答えは出ないものだと思うけど,これからも日々死ぬまで続けるだろう。そして最後は,自分が作った変なものに囲まれて『よう作ったなあ』と言って死んでいくんだと思います」と話し,セッションを締めた。
土佐氏のセッションは,刺さる人にはかなり刺さる内容だったと思う。
アートとプロダクトの話だと,「芸術は大衆のもの」と提唱し,その民俗的,呪術的背景を持つ作品を親しみやすい街のアートとして発表し,プロダクトデザインも手掛けた芸術家の岡本太郎氏の姿勢に近いものを感じる。
岡本太郎氏の有名な言葉に「今日の芸術は,うまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」があるが,持ちうる技術を駆使して,多くの人が親しみやすい,でもなにか不安定なもの・不穏なものを込めて真摯に形付けられた“変なものたち”は,まさにその言葉に当てはまるのではないだろうか。
音楽の話だと,土佐氏が影響を受けたニュー・ウェイヴやそれに近しいポストパンク(詳しい説明をすると長くなるので,ここは“近しい”という表現にする)といったものには,民族性,呪術性につながるワールドミュージックをその背景に持つバンドやアーティストがたくさんいる。
筆者は子どものころ,「タモリの音楽は世界だ」という音楽教養バラエティで電気グルーヴの石野卓球氏が言った「テクノは都市の民族音楽」という言葉に衝撃を受けて以来,エレクトロミュージックにどっぷりハマった。そして,土佐氏の話を聞き,(テクノはニュー・ウェイヴと少々ルーツが異なるものではあるが)クラブと言う場所に集うDJと街の人たちのパッションが生む民族性,ループするリズムやメロディを変化させる「不安定の面白さ」「音痴を楽しむ」音楽という共通点をあらためて見いだせた(なお,筆者が明和電機を知ったきっかけも「タモリの音楽は世界だ」だったと思う)。
一見すると,ゲームと関係ないような話だが,このセッションは芸術と商品という両面を持つゲームというものに向き合ううえで,とても興味深く,そして重要な考えが語られたと思う。こういったアートとプロダクト双方の視点でゲームに向き合うと,またその作品の見え方が変わってきて面白いかもしれない。
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