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「サクラ大戦」「天外魔境」のクリエイター 広井王子氏の企画力や行動力の源とは。「黒川塾 九十二(92)」聴講レポート
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印刷2023/08/05 11:00

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「サクラ大戦」「天外魔境」のクリエイター 広井王子氏の企画力や行動力の源とは。「黒川塾 九十二(92)」聴講レポート

 2023年8月1日,トークイベント「エンタテインメントの未来を考える会 黒川塾 九十二(92)」が,東京都内で開催された。このイベントは,メディアコンテンツ研究家の黒川文雄氏がゲストを招いて,ゲームを含むエンターテイメントのあるべき姿をポジティブに考えるというものである。

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 今回のテーマは「王子降臨 広井王子再起動」「サクラ大戦」シリーズや「天外魔境」シリーズなどを手がけたクリエイターの広井王子氏をゲストに迎え,そのキャリアやクリエイティブに対する思いについてトークを繰り広げた。

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 メディアコンテンツ研究家の黒川文雄氏による連載「ビデオゲームの語り部たち」。今回は「天外魔境」「サクラ大戦」などの名作を手がけた広井王子氏に登場いただき,生い立ちや作品を振り返りつつ,氏の創作意欲をかき立てるものが何なのかを語っていただきました。

[2023/07/28 08:30]


「働かない」と決心して生きてきた“東京っ子”


 最初のテーマは,ゲーム開発に携わるようになる前の広井氏について。広井氏は19歳のときに「働かない」と決心したそうだ。その理由は「世の中には面白いことがいっぱいあるのに,働いている場合じゃないだろう」と思ったからだという。
 当時の広井氏は,俳優・森本レオさんの付き人のようなことをやって,ちょくちょく食事を奢ってもらっていたため,大人に可愛がってもらえば生活していけると考えていたとのこと。ただ,そのために知人が引っ越しをすると聞いたら絶対に手伝いをしたり,自宅のトイレが詰まったという女性がいれば掃除しに行ったりするなど,他人があまりやらないようなことを積極的にしていたという。

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 また森本さんとのつながりで,映画の制作現場に足を運ぶことも多く,弁当の手配や冬場のロケでの火起こしなどの手伝いもやっていたそうだ。広井氏自身は撮影や舞台,ファッションショーなどの裏側を知ったり,テクニックや予算がどのように使われているかを学んだりできて,楽しかったと振り返る。
 とくに舞台などの撤収作業は,23:00までに退館,そのあと備品を倉庫に戻すため,スタッフが打ち上げに参加できるのは1:00頃になる。その当時の体験から「スタッフがいなければ,もの作りはできない」と考えるようになり,自身が関わるイベントなどの打ち上げは4:00頃まで残ってスタッフをねぎらうようにしていたという。

 広井氏と言えば,自身のコンテンツについてインタビューを頻繁に受けることから,けっこう主張の強いタイプだと思われがちだが,実際はそうではないとのこと。自らを裏方かたぎで,多くのスタッフと一緒にもの作りを進めていくタイプだと評する。
 最初に表に出たときは,ほかに適切な人材がいなくて,たまたましゃべりが達者だったからだという。当時は演出家の蜷川幸雄氏を参考にして,「普通,演出家は裏方だが,蜷川さんはブランドになっている。だったら広井としてブランドにしてしまおう」と考えたそうだ。

 そんな広井氏の豊かな発想力は,幼少期から培われていた。東京・東向島の娼家に生まれた広井氏は,華やかな女性達に囲まれて暮らしたり,歌舞伎や小唄,浪曲,落語といった一連の古典芸能に触れて育ったり,親戚が松竹歌劇団の1期生だったりと,いわゆる“普通”とは違う少年──氏いわく“東京っ子”──時代を過ごしたそうだ。

 1957年の売春防止法施行に伴い,生家が南千住で100人以上の労働者を抱える商売に鞍替えすると,環境が一変する。東京っ子暮らしは相変わらずだったが,周囲にいるのが女性ではなく,男性ばかりになったため,自宅に引きこもって絵を描いたり,粘土で何かを作ったり,小説を読んだりするようになったという。そうして創作に目覚め,小学5年生のときには学校行事のための戯曲を書いたとのこと。また小学校卒業時にカメラを買ってもらい,そこから写真が趣味になったそうだ。

 普通の子どもとは一風変わっていたことを心配した母親は,広井氏を立教中学校に進学させる。中学校では3回停学になったというが,神父の説教にあった「神様は出来の悪いポンコツが大好き。お前は神様に愛されている」という言葉に感銘を受け,「無敵じゃん!」と思ったそうだ。

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 立教高校に進学した広井氏は,中学校時代の停学の事実を知る担任教師に,初日から「おとなしくしていろ」と釘を刺されたという。そこで「学校に行かなければいいだろう」と週3日くらいしか登校しなかったところ,母親と共に呼び出されることに。そこで「映画の道に進むから,毎週水曜日は映画を観るために休む」と言ったところ,母親も同意してくれて,担任も認めざるを得なかったそうだ。その代わり,広井氏は毎週木曜日のホームルームで映画の紹介をすることになり,「人前でしゃべることを覚えた」と振り返っていた。

 実際,当時の広井氏は8ミリカメラを買ってもらい,映像作品を撮っていたという。「カットの秒数計測は数学,フィルム現像は化学,台本作りは国語,絵コンテは美術。もう学校なんて行ってる場合じゃない」と持論を披露した。加えて,母親が溝口健二監督の映画作品に精通していたことが後押しになったこと,「鳴神」で歌舞伎の面白さに目覚めたことなども語られた。
 当時の映画館は一度入場したら,ずっと館内に居座ることができた。そのため映画の途中から入場し,最後まで鑑賞したうえで,再び最初から観ることが可能だった。広井氏によると,途中から映画を観て「どうしてこうなったのか」を想像し,あらためて最初から観て,答え合わせをしながら「俺だったらこうする」と考えることが,もの作りの勉強になったとのこと。

映画「こんにちは、母さん」の題字を広井氏が書いている
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 ここで話題は,9月1日公開予定の山田洋次監督の映画「こんにちは、母さん」にも及んだ。映画の制作期間中,広井氏は1年半ほど取材を受けたという。ネタバレになるため詳しくは書けないが,広井氏が実家を離れるきっかけとなったエピソードがアレンジされて描かれているそうだ。なお,それ以来,盆暮れには顔を出すものの基本的に実家には帰っていないという。

 広井氏と山田監督が親しくなったのは,「サクラ大戦」がきっかけだったという。山田監督のチームに「サクラ大戦」をプレイしたスタッフが何人かいたそうで,監督自身も興味を抱いていたところに,たまたま新聞の対談企画が持ち上がったとのこと。今でも山田監督は,飲み物を買いに行く広井氏に自分の財布を渡すなど,息子のような扱いをしているそうだ。一方の広井氏も,山田監督に呼ばれたら何よりも優先する。「それが東京っ子。少なくとも明治くらいから一族が東京にいるんだから,そこで義理を欠いたら商売できない」と話していた。


食玩,アニメ,そして「サクラ大戦」のヒットで学んだこと


 そんな広井氏がゲームやアニメなどのコンテンツ制作に携わるきっかけは,20代の頃にあった。当時,帽子の刺繍やTシャツのプリントのデザインを手がけていた広井氏は,あるとき石に絵を描いて原宿で売りに出してみたという。それが広告代理店のスタッフの目に留まり,菓子メーカーのロッテに出入りすることになったそうだ。食玩「ジョイントロボ」の世界観や設定を考えたところ,それが採用となり,食玩の「スーパージョイントロボ」や「ネクロスの要塞」「昆虫レスラー」の企画を次々に手がけていく。

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 しかし,そこまでやって行き詰まった広井氏は,食玩の企画を辞めてしまった。広井氏は「行き詰まって仕事をすると,精神を病む」「仕事よりも面白いことがある。自分の人生をふいにしちゃダメ。また次のチャンスがある」と語った。
 また,自身の趣味と仕事の領域が重なっているため誤解されがちだが,趣味と仕事には明確に境界線を引いているとのこと。趣味として本を読んだり映画を観たりしたら,純粋に楽しむだけにして,それを何かに活かそうとは考えないそうだ。

 なお,月曜日は完全休業日にしており,スマートフォンもPCもオフにする。頭を休めて街を歩いていると,季節の変わり目や風の匂いなど,ちょっとした変化に気づかされるという。広井氏はそのような肌感や匂いのようなものをデジタルのゲームやアニメに取り込むためにはどうすればいいか,常々考えているそうだ。また,ベテランの声優を重用するのは,そうした肌感や匂いなどを上手に表現できるからだとも話していた。

 さて,食玩の企画を辞めるきっかけとなった「昆虫レスラー」だが,広井氏には集大成という位置付けで思い出深いとのこと。ただ食玩としては複雑すぎて,生産の歩留まりが悪いため,第2弾まで作って終了したという。

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 自身が手がけたアニメでは,「魔神英雄伝ワタル」が思い出深いと語る。理由としては「広井王子」のデビュー作であることなどを挙げた。また,ヒットした「魔神英雄伝ワタル」の次に続編ではなく,「魔動王グランゾート」を始めたことは失敗と捉えているそうで,「当時は『水戸黄門』と『大岡越前』を1年おきにやったらいいと考えていた。調子に乗っていた」と省みる。

 実際,「魔動王グランゾート」は企画としては絶賛されていたが,関連商品の値付けに失敗し,メーカーの担当者が左遷されたりもしたという。それ以降,広井氏は「プロデューサーの最終判断が絶対」と考えるようになった。もちろん,「それは違う」と思えば意見をするし,良いものにするための提案や議論もする。だが,最終判断は予算を管理するプロデューサーに任せ,たとえ「これでは売れない」と思ったとしても,その判断に沿った形でヒットするように考えることが,「企画屋としての自分の仕事」だと語る。

 そうしたプロデューサーとのやり取りは,企画が正式に採用される前に1年前後かけて行われるのだが,基本的にその期間のギャラは出ないという。企画が採用され,予算が付いて初めて広井氏にギャラが発生するわけだが,そこまでたどり着かない企画も多くある。
 また,広井氏の取り組みの度合いによっては,プロデューサーが原作者であると認めて,ギャラに原作料が上乗せされることもあるとのこと。広井氏は「そこまでしていることが評価されているからこそ,自分のところに仕事が来る」と振り返った。

 広井氏の代表作「サクラ大戦」シリーズでも,広井氏は総合プロデューサーという立場だったが,「宣伝はこうしたほうがいい」という口は出しても,実際に「それで行こう」と決めるのは宣伝プロデューサーだったそうだ。

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 「サクラ大戦」はセガからリリースされているが,当時はセガの副社長だった入交昭一郎氏が,わざわざサイパンまで会いに来てくれたことに惚れ込んで決めたとのこと。ただ,それまで付き合いのあったハドソンからの仕事はかなり減ったという。

 ご存じのとおり,1996年9月にリリースされた「サクラ大戦」はヒット作になったが,広井氏は「ツラかった」と振り返る。「サクラ大戦」のヒットを受けて,会社ではグッズの監修や出版社との交渉,作家や声優の管理といったゲーム開発ではない業務が大量に発生し,ゲームが作りたくて集まったスタッフがそれらをこなさなければならなかったのだ。

 また,「サクラ大戦」を作った人としてチヤホヤされるのも困りものだったという。とくに「サクラ大戦」のリリース後に入社したスタッフは,「サクラ大戦」の恩恵に預かろうとする相手の接待を受け,あたかもその手先のようになっていったそうだ。
 広井氏は「お金が入ってくるのは怖い。それまで無我夢中で,みんなで頑張って何て楽しいんだと思ってやってたのに,お金が入ってきた瞬間にそうじゃなくなるんですよ」「スポンサーが出してくれるお金は,お客様が出している。お客様が働いて,一生懸命稼いだお金をもらうわけですよ。『命懸けろよ』と思うね」と持論を展開した。

 その一方で,広井氏は「休むのも大事」だと述べている。そのために工程管理をしっかり行い,余裕を持ってゲーム開発に臨む必要があるという。ただし,広井氏が工程管理を行うようになったのは,ここ10年くらいの話で,それ以前については「あんな風にものを作っちゃいけない」と振り返っていた。


空白の期間,そして近年の活動について


 広井氏は2014年に公開されたCGアニメ制作のために,5年間,台湾に渡っていた。その理由は多額の借金を返すためだったという。「もう自己破産するしかない」と手続きを進めていた矢先,台湾のCGアニメ制作会社からオファーがあったそうだ。実際,借金は2年で返済できたが,その後も3年間働いた結果,人生で初めて4ケタ万円の貯金ができたと明かす。

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 その貯金で「2年は遊べる」と考えた広井氏は,一切オファーを受けず,日々昼過ぎまで寝て,起きたらフラッと浅草に行ったり銀座に行ったりしていた。しかしそんな生活は本当に2年しか続かず,以前オファーをもらった相手に「ようやく準備ができました。いろんなお手伝いができるかと存じます」といった旨のメールを送ったところ,応じてくれた会社があったとのこと。

 なお,広井氏は現在,吉本興業の「少女歌劇団ミモザーヌ」の総合演出を手がけているが,こちらはまったく異なる経緯で始まったそうだ。台湾から帰国した広井氏は,江戸の芸能文化こそしっかり勉強してきたが,上方落語や上方漫才など関西の芸能文化に疎く,知人に相談して有識者との食事の場をセッティングしてもらうことにした。その有識者というのが,吉本興業の前会長・大﨑 洋氏だったというわけだ。

 大﨑氏に誘われた広井氏は一緒に大阪を巡り,最後に「京都の大文字焼きを見ながら食事をしよう」と誘われる。その道中,大﨑氏に腕をガッと掴まれ,「王子,俺と仕事しようや」と言われたそうだ。そこで「サクラ大戦」の舞台を作っていたことを伝えると,大﨑氏は「面白い! 少女歌劇団をやろう」と応えたとのこと。

 東京に帰った広井氏は,少女を前面に打ち出した歌劇団のビジネスがいかに難しいかを2枚のレポートにまとめたという。その内容をかいつまむと,かつて少女歌劇団は流行したが,女性が少女でいられる期間──およそ20歳までの期間は極めて短く,それ以降も商売を続けるために“少女”を取って,“歌劇団”と名乗るようになったというもの。結論としては「無理です」と告げたつもりだったが,翌日には大﨑氏から「面白い。やろう」という返事が来た。その1週間後,吉本興業の役員が集まるミーティングで「王子が少女歌劇団をやる」という発表があり,さらに1か月後には記者会見を開くことになった。

 会場では,ミモザーヌのメンバーは入団後の1年間,体幹のトレーニングばかりすること,広井氏は主にメンタル面の授業を行っていることなどが紹介された。また,先日行われた合宿に広井氏が参加したところ,メンバーの若いパワーに圧倒されたのだとか。

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 ミモザーヌのメンバーは20歳になると卒団し,ほとんどは吉本興業の俳優部に所属する。すでに卒団したメンバーには,何本かのミュージカル出演が決まっているそうで,広井氏はミモザーヌを「培養器」と表現した。
 広井氏は「吉本に入って,その後も30歳になっても舞台でやっていける,芸能に携わっていけるという長い目で,この子達を育てたい」「土台が広ければ,高くそびえ立つことができる。その土台作りこそが大事。これは企画も同じ」「僕はその土台作りにこそ興味がある。ヒットすることには全然興味ない」と語っていた。


「東京大戦」は「サクラ大戦」とは一切関係ない


 ここで話は再び「サクラ大戦」に戻る。広井氏自身は,すでに「サクラ大戦」には飽きているという。仮に何かの拍子で海外の会社が「サクラ大戦」の権利を買って,「250億円でお前に任せる」と言ってきたら,まったく違う「サクラ大戦」を作るかもしれないと述べていたが,直後に「そんなことはないでしょう」と一笑した。

 それよりも,広井氏のやりたいことや考えていることをプロデューサーに引き出してほしいと考えているそうだ。広井氏は「普段は遊んでいるだけで,何も考えたくない。仕事のことも考えたくないし,企画なんて考えたくもない。『これ面白い』とプロデューサーが言うから,『なるほど,それ使えるかな』と企画脳が動き出す」とし,プロデューサーが自身にスイッチを入れてくれると説明した。

 そのほかにも,大﨑氏の勧めでゴルフを始めることになったものの,「クラブの個性を引き出せばいい」「人との勝負ではなく,自然の中で楽しむスポーツと考えればいい」と気づいてから楽しくなり,今では夫婦で楽しんでいることなどが紹介されていた。

 終盤の質疑応答では,昨年末に発表された「東京大戦 花と桜(仮)」について言及があった。広井氏は「『サクラ大戦』の続編みたいな情報もあるが,一切関係ない。時代も違う」と強調する。
 その一方で「作り手が同じということは,精神のところは同じ」と補足すると,「あえて“大戦”と付けたのは,僕の中で積み残した思いがあって,もう1つ書いておきたいと思った」「25年前に企画したときには,内容が過激すぎた。これだけ中国の存在が大きくなった今なら出せると思った。やっとチャンスが来た」と語っていた。

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