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PCエンジンとは,そして“フェイス”というメーカーは何だったのか。RIKI氏&齋藤博人氏がディープに語った「RIKI 8BIT NIGHT!」をレポート
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このイベントは,2016年にコロンバスサークルから発売されたファミリーコンピュータおよび互換機向けソフト「8BIT MUSIC POWER」などの制作で知られる漫画家/イラストレーターのRIKI氏をプレゼンターとしたトークショー。今回はゲームミュージック・コンポーザーである齋藤博人氏をゲストに迎え,PCエンジンを主なテーマにトークが展開された。
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齋藤氏は,フェイスの「メタルストーカー」や工画堂スタジオの「パワードール」シリーズなどのサウンドを手がけたことで知られる人物だ。フェイスは著名ではないが,1990年ごろにPCエンジンで活躍したメーカーで,MVSの「マネーアイドル エクスチェンジャー」(関連記事)などアーケードゲームでも高い評価を得ている。
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まず話題に上がったのは,イギリスのレコードレーベル・Hyperdubから昨年発売されたゲームミュージックのコンピレーションアルバム「DIGGIN' IN THE CARTS」(関連記事)について。同アルバムは古代祐三氏や川田宏行氏らビッグネームの楽曲を多数収録しているが,個人名義で3曲が選出されたのは齋藤氏だけで,いずれもPCエンジンのタイトルだ。これについてRIKI氏は,「PCエンジンは海外ではあまり知られていないので,特有のサウンドが新鮮に感じられたのではないか」といった旨を語った。
RIKI氏は,ファミリーコンピュータが搭載する音源チップ・Ricoh 2A03(RP2A03)は限定された音しか出せず,出力も5チャンネルのみだった(矩形波×2,三角波×1,ノイズ×1,DPCM×1)が,PCエンジンは音色(おんしょく)のエディットが可能な波形メモリを6チャンネル搭載していたため,8bit機としては豊かな音源設計だったと紹介する。
一方,齋藤氏は裏技的な手法によって短時間で大量のデータを波形メモリに転送することで,PCM再生(簡単に言うとアナログ音声の再現)のようなこともできたと述べた。ただ波形メモリの使い方が難しかったことは有名で,齋藤氏も「“頑張り次第では”いい音が出る」と添えている。また,テクニカルなサウンドを再生するにはCPUやメモリに相応の余裕がなければいけないので,そういった制限には苦労したようだ。
そんな齋藤氏が音楽を始めたのは小学2年生のときで,妹の通っていたピアノ塾を羨ましがって自分も通い始めたのがきっかけだったそうだ。その後,高校生のときにキーボーディストとしてバンド活動を開始したとのことで,RIKI氏は「シンセサイザーだと独りでも作曲できるから,ゲーム音楽との親和性が高かったのだろう」と語った。ちなみに最近の作曲環境はPCとキーボードを用いており,DAW(作曲ソフト)は「Cubase」であるという。
齋藤氏は一緒にバンド活動をしていたボーカルが音楽系の専門学校に進んだことに影響され,自身も入学。卒業を控えたころ,当時のゲーム情報誌の付録だったゲームメーカーを紹介する小冊子でフェイスがサウンド担当者を募集していることや,住所および電話番号を知って直に電話をしてみたところ,面接をしてもらえることになり,結果的に採用されたという。1990年ごろという時代の大らかさが感じられるエピソードだ。
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また齋藤氏の経歴として,現在の埼玉・ふじみ野市近辺に存在した数店のゲームセンターでアルバイトをしていたというエピソードが語られた。ふじみ野市近辺はRIKI氏にとっても地元だったとのことで,プレイシティキャロット,ペル(ハイテクセガペルルの略称らしい),コング,ファンタジアといったゲームセンターの話題に花が咲く。
齋藤氏はナムコ系列店のキャロットで働いていたころ,優先的に入荷される「ワンダーモモ」や「未来忍者」,「ワルキューレの伝説」といったナムコの最新タイトルを楽しみにしていたという。そしてRIKI氏は,同じ店でジャレコの「銀河任侠伝」やカプコンの「ロストワールド」などを楽しんでいたそうだ。ひょっとしたら,両氏は20年前にも出会っていたかもしれない。
休憩を挟んだ第2部では,まず「プレイヤーとして見たPCエンジン」についてのトークが進められた。先述のようにゲームセンター指向の齋藤氏は,アーケードゲーム移植に強かったPCエンジンを発売直後に購入しており,ソフトも「R-Type」や「妖怪道中記」,「ギャラガ’88」といったタイトルを集めていたようだ。また,「邪聖剣ネクロマンサー」などPCエンジンならではのタイトルも遊んでいたという。そのほか,音楽を高く評価する他社タイトルとして,PCエンジンの音源を使いこなしているというナグザッドの「デビルクラッシュ」と,作中の雰囲気をうまく表現しているというハドソンの「ネクタリス」が挙げられた。
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RIKI氏がよく遊んでいたゲームは「ラストハルマゲドン」や「イース I・II」,「ファイティングストリート」(移植版ストリートファイター)などとのこと。そのほか「『美少女戦士セーラームーン』のボイス音源をX68000で再生して聞いていた」「後年,秋葉原でリース品流れのX68000を購入したら,フェイスの開発機だったらしく『マネーアイドルエクスチェンジャー』のスプライトデータが内蔵HDDに格納されていた(しかし間もなく故障してしまった)」といったコアな話や,「Apple系列の企業でピピンアットマーク用のゲームを開発した後,開発機の黒いピピンアットマークを手元に置いておきたかったので引取を頼み込んだが,返却を強制された」「しかし後に,どこからか流出したピピンアットマーク開発機が秋葉原で売られていたので購入した」といったマニアックなエピソードが次々と飛び出す。
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話題は当時のフェイスへと移り,社屋から道路を挟んだ向かいに社長の自宅兼マンションがあり,そのマンションの1階は社員優先で入居させていた(齋藤氏もそこに入居)ため,職場と自宅がほぼ直結した独特な環境だったことが語られた。また,若手に自由をさせて育成するという方針だったそうで,齋藤氏は研究をじっくりできたと振り返る。ただ機材購入は予算の下りない場合が多く,家賃天引きで手取り11万円ほどの月給から8万円のドラムマシンを購入し,先輩社員からお金を借りて生活していたこともあったと語る。
ちなみにRIKI氏もデザイン事務所に所属していたころは会社正面の物件に住んでおり,同僚がしょっちゅう泊まりに来て「ストリートファイターIII」で対戦していたそうだ。
1990年代の初めごろになると,齋藤氏は工画堂スタジオに移籍し,そこでもPCエンジンのタイトルである「スーパーシュヴァルツシルト2」のサウンドを担当する。ただし同作はPCエンジンSUPER CD-ROM2専用ソフトで,媒体がCD-ROM。そのため作曲的な制限は減ったと思われるが,当時のムービー用音源の編集は「録音スタジオ内で台詞が収録されたテープをダビングしつつ,効果音がセットされたサンプラーをキーボードでタイミングよく鳴らしていく」というアナログかつ大掛かりなもので,作業開始から完成まで丸2日を要したという。
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最後に,RIKI氏と齋藤氏からコメントをもらったので,それを掲載して締めくくりとする。
RIKI氏
最強の8ビット機PCエンジン。
インターネット時代の現在でも情報が少ないハードなので,良さを広めようとトークショウを開催しました。当時も今も現役バリバリに活躍する齋藤さんの話は,キレがあって超面白かったです。
ゲームラボで音楽家さんのインタビューを毎月やってた時は,毎回3時間〜5時間しゃべって紙面に全然掲載できませんでした。
今回は時間配分を綿密に考えて!? 内容を盛りだくさんに原稿を作成していたのですが,斎藤さんがリハと全然違う話をするから盛り上がってしまい,終了時間を30分延長しちゃいました。カラオケみたい!?
齋藤氏
私自身これまでほとんど語った事の無かった,当時どのようにしてPCエンジンのサウンドを制作していたかについて,ハードの機能説明からサウンドドライバーの話題,さらに在籍していたフェイスの思い出話なども交えて幅広くお話ができたのではないかと思います。私にとっても大変有意義な時間でした。予定の時間に収まらず話せなかった事もたくさんありますので,また機会があればぜひお話したいと思います!
RIKI氏 公式サイト
齋藤博人氏 Twitter
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