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印刷2022/12/30 11:00

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Oh!X関係者が語る,あのころのX68000。「X68000 Z」のローンチを記念して,かつての関係者にあれこれ話してもらおう

 2022年6月8日にTwitter上で第一報が報じられ,マウスとキーボードのチラ見せ,TGS2022でのモック展示,クラウドファンディングでの展開など,次々と新たな展開を打ち出しているX68000 Z。我々4Gamerも,TGS2022でブースの一部を提供したが,そのあまりの熱気にちょっと動揺している。

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 いろいろな熱意を一身に引き受けて,異様な盛り上がりを見せているX68000 Zだが,比較的プロジェクトを長く見てきている4Gamerとしても,いろいろなものが順調に進んでいるようでとても嬉しく思う。
 当初は,Human68kは使えなさそうだとか,じゃあOSどうしようとか,グラディウスを添付するのはやっぱり無理かなぁとか(あれ?ほとんど○○○さん絡みだな……),ドキドキしながら遠くからプロジェクトを見守ってきたが,Human68kも無事に動き,グラディウスも添付され,「X68000の復刻」という意味合いにおいては,ほぼパーフェクトな状況になりつつあると思う(本当にありがとうございます,○○○さん)。
 今回は,そんなX68000 Zの実機を肴にしながら(動いているX68000 Zの話はまたいずれ改めて),X68000カルチャーの中心にいた「Oh!X」にゆかりのある皆さんに集まってもらった。

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 しかしまぁそもそもがX68000の話題なので,なんでもかんでも古い話だ。古いついでに,4GamerとX68000のつながりについても少しご紹介させていただきたい。「なんで4Gamerブースに展示されてたの?」と何度も聞かれたことでもあるし。

 4Gamerの編集長兼社長である筆者Kazuhisaは,1991年に大学を出て日本ソフトバンク(当時)に新卒社員として就職し,出版事業部に配属された。そのときの編集部は「THE WINDOWS」という,当時まだ珍しかったWindowsの専門誌だ(最終的には専門誌は3誌ほどあった)。まだWindowsが3.0とかそれくらいで,PC-9801シリーズもまだ現役の,そんな時代だ。
 Macユーザーだった筆者は初めてMS-DOSをちゃんと触ったので,毎日が楽しい勉強の日々だった。そう,まだDOSの上にWindowsが乗っかっていた時代なのだ。

 当時のソフトバンク出版事業部の社内レイアウトは,THE WINDOWS編集部の隣が「Oh!FM TOWNS」編集部で(ここは編集長が怖かった),その隣が「Oh!X」編集部(ここは副編集長が怖かった)。今回の座談会に登場しているOh!X編集長の(前)氏は,THE WINDOWSとOh!Xの両方の編集長を兼務していた。つまり,筆者の社会人最初の上司は,Oh!Xの編集長だったのである。
 しかし自分が編集長になって初めてその大変さが分かったのだが,それを考えると,今も昔もソフトバンクはメチャクチャな会社である。編集長兼務とか,ないわー。

 さて当時新卒の,ほとんど実務の役に立たないペーペーだった私の感想でしかないが,THE WINDOWSはライターさん達も比較的みなオトナが多く,ステロタイプの編集部イメージのような,ワイワイガヤガヤしていたような空気はあまりなかった。オトナ同士がコーヒーを飲みながら「ほうほう,なるほど」とか言ってプログラムリストを眺めたりビジネスツールを触っていたりした,そんな感じだ。
 まぁロクすっぽDOSもWindowsも知らず,プログラミングもできない私は,多くの場合蚊帳の外だったが,それでもオトナなみなさんに可愛がってもらった記憶がある。そういえば,先輩社員が好きだったDOSのレースシム「Indianapolis 500」に付き合わされて夜通し朝まで走ってたのも,このころだ。

DOSの名作「Indianapolis 500」。レースゲームが,アーケードゲームから“シミュレーション”に変わった,その端緒となったのがこの作品であることは間違いないと思う。その名のとおり,あのオーバルコースを500マイル走り切るのが目的だ。ちなみにこのIndianapolis 500だが,今回出席の(U)氏がAmiga版を編集部に置きっぱなしだったのだが,それを遊んだ,当時編集部に出入りしていた丹 明彦氏(あのポリフォニー・デジタルの,車両シミュレーション開発エンジニア)が,レースシムに興味を持ったという,現在のグランツーリスモにつながる曰く付きのソフトだ。つまりOh!Xはグランツーリスモに深く関わっていると言っても過言ではないのだ(やや言い過ぎ)
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 そんなオトナの社交場みたいなTHE WINDOWSに比べて,隣のOh!FM TOWNSと,そのまた隣のOh!Xときたら! とくにOh!X! 毎日奇声と奇音(?)を出しながら,自分と同じ歳か,もうちょっと下くらいの人達が日夜集まってワイワイやっていた。もちろん毎日そんなことをしてたわけではないと思うが,THE WINDOWSとのギャップがあまりに激しくて,羨ましいやら恐ろしいやら。

X68000の初代モデル。通称「無印」。欲しくて欲しくて仕方なかったが,1987年当時の36万9000円……
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 「マイコン」と呼ばれていた時代からPCを触っていた人達は皆大体同じだと思うが,コンピュータとは“夢のツール”だったのだ。あんなこともできるかもしれない,こんなこともできるかもしれない。こうしたらこうなるかもしれない。いやこうしたほうがいいかもしれない。おお,やっぱりできた。
 ソフトウェアはもちろんのこと,今に比べたらハードウェアも手が入れやすく,いまで言う“ギーク”達が,日夜いろんな挑戦をして,コンピューティングの未来は少しずつ前に進んでいった。開幕して間もない,個人向けコンピュータの広大な未知の世界においては,何かをすれば必ずどこかに響いた,そんな素敵で牧歌的な時代だ。

 そんな当時のコンピュータ業界で,その最先端にいた集団の一つが,おそらく「Oh!MZ(Oh!X)」であったことは間違いないと思う。やっていることは掛け値なしにハイレベルで,それはもはやパソコン雑誌が扱うようなレベルではない。彼らが当時やっていたさまざまな挑戦は,形を変えていまなお引き継がれているものも多く,Oh!Xが出自の業界人も,探すと結構いる。

Oh!MZの初期の表紙はこんな感じだったので,中学生の自分としてはちょっとレジに出すのが恥ずかしかった,そんな記憶。ちなみに表紙を描いていたのは,アニメスタジオのマジックバスだ。そういえば最初はポケコンも扱っていたっけ。PC-1245/1251は名機
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 記事本文にも頻繁に出てくるが,当時は読者の投稿や売り込みからそのままライターさんになったり編集者になったりするパターンが多かった。若く,気合いとモチベーションにあふれた人材にとって,「新機種にいつでも触れる」とか「新作がすぐ遊べる」とかそういうニンジンもあったかもしれないが,実際にはたぶん「話ができる仲間」が大勢いたから,どんどん増えていったんじゃないかなぁ,とも思う。
 そんな優秀な人材を多く抱え,Oh!Xという,メディアを超えた“何か”はどんどん大きくなって,X68000カルチャーの中心になったのだ。

 そして月日は流れ,Oh!Xは休刊になり,筆者は4Gamerを立ち上げてソフトバンクから独立し,Oh!Xの副編集長だった,新人当時の私が怖いと思っていた(U)は,紆余曲折の末4Gamerにジョインしてくれた。
 長いこと4Gamerで毒舌を振るってくれた(U)も退職したが,今回X68000の復刻版をキャッチして何かしようとなったとき,再び(U)に連絡を取ることになった。そればかりか,なんだかんだで,あのころ横目で見ていたOh!Xの皆さんを集めるような日が来るとは思わなかった。やはりどうも,X68000とはご縁があるらしい。

 そんなわけでX68000 Z記念(X68000復刻記念)的な意味合いでちょっと集まって話しませんか? みたいな軽いノリで集まってもらったのだが,いざ話し出してみると,出るわ出るわ,古い話と危険な話。皆当時の記憶をたぐりながら,お互いに相互補完しながらの会話なので,どこまでが本当なのか分からないものもあり,いまなお書けないようなものもあり,そんな雰囲気も含めて,楽しいミーティングとなった。
 しかし4Gamerが20周年を迎えた2年半前に,昔を思い出してるときにも同じことを思ったのだが,黎明期にあった色々なことは,いまじゃ完全に忘れ去っている“何か”を思い出させてくれる。

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[2020/08/18 12:00]

X68000 Zで動いている「グラディウス」を真剣なまなざしで見つめる,いい歳をしたオトナ9名(筆者含む)
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 集まってくれたメンバーの当時の立場は,編集スタッフだったりライターさんだったり色々だが,まずは8名の方々に自己紹介から始めてもらって,あとは流れ任せだ。もちろんOh!Xには,ほかにもたくさんの編集スタッフや執筆陣がいたのだが,急な招集だったため,このタイミングでは8名が集まるにとどまった。海外在住勢もいたので,ネット越しでの座談会だ。
 なお,4時間近くに及んだミーティングの全ての内容を記事化することは色んな意味で困難であるため,そのエッセンスのみをお届けすることを,あらかじめご了承頂きたい。

 ところで当時の関係者の皆さんにここでお伝えしておきたいのだが,あれから数十年経っても(前)氏はまったく変わっていませんでした。いくらなんでもおかしい。仙人か何かですか?

Special Thanks to...(敬称略)

 牛島健雄 @uchopon
 X68KBBS みゆ🌹 ฅ^•ω•^ฅ @arith_rose
 X68KBBS Awed @Awed_Urshy
 X68KBBS GOROman @GOROman
 西川善司 @ZenjiNishikawa
 早苗月 ハンバーグ食べ男

各種の貴重な写真や画面のご提供,ありがとうございました。

ーーーそんなわけで今日は,「X68000 Z」の発売を記念(?)して,「Oh!X」にゆかりのあるみなさんに集まって頂きました。皆さんお久しぶりすぎです。本当にありがとうございます。編集スタッフだった人,ライターさんだった人,当時の立ち位置は様々ですが,まずは自己紹介と,当時Oh!Xでどんなことをしていたかとか,X68000に抱いてた想いとか,そういうものからお願いします。

(前)
 前田徹です。Oh!Xの編集長を務めていました。……まぁ表向きには編集長でしたけど,実務編集的なところは全部植木さんに任せていた部分も多かった気がします。私の主な業務は調整役といったところでしょうか。
 Oh!MZからOh!Xにかけては,様々な執筆陣が活躍してましたけど,どいつもこいつも荒くれ者ばかりで……。なにしろ,シャープ製パソコンの専門誌なのに「シャープに爆弾を仕掛ける会」とかいう連載記事が掲載されてるわけです。今あれやったら完全にアウトですよね。そりゃもう,各関係者をなだめるのが大変でした(笑)。いやほんとにもう,シャープの方々にはだいぶお世話になりましたし,なによりご迷惑をおかけしました。

これが「シャープに爆弾を仕掛ける会」だ。「新製品は,出せばいいというわけではない」というのは今にも通じる……気がしないでもない
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(U)
 1986年にソフトバンク入社の(U)こと,植木章夫です。初めて一人で担当した特集は確か「MZ-700に不可能はない」でした。その後,しばらくして副編集長になりました。
 入社してしばらくしたころから「凄いものが出るぞ」というのは聞いてはいましたが,実際にX68000の現物を見て最終スペックを知ったときは「えらく詰め込んできたなあ」というのが第一印象でした。

「MZ-700に不可能はない」は,Oh!MZの1987年9月号の記事だが,その前年1986年11月号に登場した「tinyXEVIOUS for 700」が凄かった。MZ-700ユーザーだった筆者も大興奮。まさかあのMZ-700で,「ゼビウス」や「スペースハリアー」が動くとは……
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(哲)
 高橋哲史です。(U)氏が担当していた読者コーナーにイラストを投稿していたのがOh!Xとの付き合いの始まりでした。その後上京して,ライターとして編集部に出入りするようになりました。今日はいませんが,のちにOh!X提供の人気ゲーム「SION」シリーズのメインプログラマとして活躍することになる山田純二君も,最初期は自分と同じイラスト投稿勢でした。なので,自分と山田君は最初期は読者コーナーのライバル同士だったんです。
 Oh!Xライターとしての活動は,ゲームレビュー系やイラスト提供が多かったです。思い出深いのは,やはり,SION IIとSION IVで楽曲提供を行ったことですね。X68000については,20MBハードディスク(HDD)搭載の「ACE HD」モデルを購入しています。当時は20MBのHDDが無限の広さに感じられたっけなあ(笑)。

※筆者が初めて買ったHDDはMacintosh Plusの外付け40MBだったが,そりゃもう広大な空間で,これがあればなんでもできるかも!と思ったものだった。今となっては40MBは,CPUのキャッシュ容量とあんまり変わらない。

有名な「SION」だが,初出時は付録ディスクの紹介記事で,わずか9行触れられているだけ。確かにディスク4枚分の付録で,書くことはてんこ盛りだっただろうけど,9行って!
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 SIONシリーズは,Oh!Xがリリースしたオリジナルゲームシリーズ。宇宙を舞台にしたゲームで,I,II,IVが開発された。表向きは,Oh!X編集部が関わっている3Dグラフィックスライブラリ「MAGIC」シリーズの(アルシスソフトウェアのTUX吉村氏が原作で,今回参加の影山氏がX68000に移植した)サンプルプログラムとして制作されたのだが,ゲームの各構成要素について,当時のライティングスタッフ達がそれぞれの得意分野を担当したこともあって,読者からは比較的高い評価を得た。参加スタッフは,ほぼ全員が学生だったこともあり,制作は本業となる学業の合間に行われており,一種の同人ソフトだったといえる。シリーズを通してメインプログラマーを務めた山田純二氏は,ライターからOh!X編集部員になった。なお,SION IIIはシミュレーションゲームのようなスタイルで制作されていたが,開発中止となって欠番。(善)

(で)
 Oh!Xでは,古村聡という名前でライターをしていまして,通称(で)です。今は「大和(で)哲」(@deyamato)として活動を続けています。
 Oh!Xでは1990年くらいから「(で)のショートプロパーティ」という連載をやっていました。内容としては,やや短めな読者からの投稿プログラム作品を紹介するコーナーでした。ゲームレビューは「闇の血族」や「第四のユニット」に代表されるアドベンチャー系ゲームを多く担当していました。
 自分は当時,富士通の8ビットパソコンのFM-7ユーザーだったんですが,なぜかOh!Xに出入りしていました。出入りするきっかけとなったのは,今日はここにいませんが,Oh!Xのライター陣の一人で友人だった金子君(金子俊一氏)からの紹介です。X68000を購入するきっかけとなったのも,まさにその金子君からの影響でした。

富士通の公式サイトから「FM-7」の写真を拝借。元々の「FM-8」の下位機種という触れ込みだったが,小型化されて低価格になったので,ホビーパソコンとしてはこちらのほうが有名かも? バブルカセット好きだったのに……
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(影)
 影山裕昭です。自分はS-OSのPC-8801版の開発を担当し,1986年に,今名前が出た金子氏の紹介で編集部にこれを持ち込んで採用・掲載された流れから,Oh!Xライターになりました。その後,PC-9801ユーザーになったのですが,Oh!Xでは編集部から借りたX1 turboを使ってゲームレビューなどもやっていました。
 X68000はPROが登場したタイミングで購入し,その後,SWORDなどのX68000向けのS-OS関連の開発や,SIONシリーズの3DエンジンにもなっていたS-OS向け3Dグラフィックス・ライブラリのMAGICのX68000版の開発も担当しました。拡張版ビジュアルシェルや,X68000の標準画像形式「PIC」をX-BASICから使えるAPIC関数などもやりました。

どうしても初代X1 turboの写真が見つからなかったので,Oh!MZの広告からX1 turboIIを。パソコンに「ターボ」とか付けちゃうセンスもなかなかカッコよかった
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S-OSが初登場した1985年6月号のOh!MZ。当時流行っていたコンピュータRPGの武器になぞらえて,最初は“MACE”,次は“SWORD”……とグレードアップしていくネーミングだったのもオシャレ。表紙を見て思い出したのだが,このときちょっとかじったLISPが,のちにemacsを使うときに役に立つとは思わなかった
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 MZ,X1の特徴である「クリーンコンピュータ・アーキテクチャ」を最大限活用し,シャープ製のZ80採用パソコン全機種で横断的に動作するコンパクトOSとして独自開発された「S-OS」は,読者に無償提供されていた。
 のちにこのOSは,同じくZ80採用のMSXやPC-8801/9801,FM-7,PC-6001mkIIなど,シャープ製パソコン以外にも幅広く展開されるようになる。改めて考えてもやはり,Oh!MZ(Oh!X)は,パソコン雑誌がやることの範疇をかなり超えた活動をしていたメディアだったのだなぁと思う。(善)


あのころ“マイコン少年”だった人なら,必ず読んでいたであろう「I/O」。(牛)氏から最新号の表紙を送ってもらったのだが,この表紙にいるガチャピンみたいなキャラがDAN2世とのことで,時代を感じる……(分からない人すみません)
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(牛)
 牛島健雄です。I/Oなどパソコン専門誌の記事執筆に携わったり,電波新聞社系メディアで記事執筆を行ったりして,X68000ではアーケードゲームの移植なども行っていました。1994年に発売された「パックランド」(ビデオゲームアンソロジー VOL.11)は,自分が移植を行った作品です。
 Oh!Xでは,MIDIやSX-Window関連の記事を担当したことがありましたが,それよりはソフトバンクの書籍編集部との付き合いが多かったかもしれません。当時はPC-8001を使っていたんですが,X68000が出たときに強い衝撃を受けて,絶対買うぞと決意したんですけど大学入試で浪人したので1年延期となり,最終的には赤い「ACE」ロゴがかっこよかったX68000 ACE-HDを購入しました。
 当時はアーケードゲームに夢中でしたけど,ゲーセン版に極めて近いクオリティの「源平討魔伝」には大きな衝撃を受けましたね。


(石)
 石上達也です。自分は,投稿プログラムの採用からOh!MZデビューを果たした感じです。最初に投稿したのは,当時,Oh!MZが展開していた独自OSプロジェクト「S-OS」のPC-8001mkII版の移植版でした。その後は,S-OS関連開発を広く担当しまして,代表作の1つに,滝山孝氏が開発した「Fuzzy Basic」のコンパイラ版があります。
 その後,Oh!Xではソフトとハード両面の記事を担当しました。ソフト方面だとSX-Window向けのBASIC言語の「SX-BASIC」とか,ハードだと,X68000の増設メモリボードを純正価格の1/3で自作する企画とか。ただ,これはせっかく作って記事も書いたのに,(U)さんにボツにされて凹みました(笑)。
 X68000が発売された当時は大学受験のタイミングだったので,一切の情報を遮断して勉強に勤しんでいたので,X68000登場の興奮をリアルタイムで経験できなかったのが残念です。

※なんでボツにしたのか(U)氏に聞いてみたが,「なんだったかなぁ……たぶんだけど,メモリだし,カネを惜しんでトラブル抱えさせるわけにもいかないからなあ,とかそういうことだった気がする」とのことでした。

S-OS“SWORD”用の「Fuzzy BASICコンパイラ」の記事がこちら。Oh!MZの1987年6月号だ。35年前か……
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(善)氏の代表作「Z-MUSIC」。いまも一部では使われている。写真は,最新版のver.3.0だが,帯の文言がふるってる
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(善)
 西川善司です。自分も,多くのみなさんと同じように作品の編集部への持ち込みがきっかけで執筆陣に加わりました。最初期はMZ-721,続いてX1 turboを経て,X68000に至ったシャープ一筋派です。高校の青春時代はX1 turboと過ごし,PC-88シリーズ向けに出ていた市販ゲームのX1シリーズ向け移植の仕事を受託して,そのお金で初期型の黒色モデルのX68000を購入して使ってました。
 MIDI音源が大好きで,Oh!X時代はコンピュータ音楽系の特集記事に携わることが多かったです。X68000向けの代表作は,音源ドライバの「Z-MUSIC」シリーズでしょうか。SIONシリーズではSION1とSION2に楽曲を提供しました。Z-MUSICは音楽演奏のみならず,ゲームで使える音源ドライバとして開発しましたが,歴代のSIONシリーズはその実地テストの場にもなっていましたね。

※「X1シリーズ向け移植」と書いてあるが,PC-88版の機械語ベースの市販ゲームソフトをX1へと移植する業務において,一切のクロス開発環境を用いずにS-OS環境上で実機開発を行っていた……とは(善)氏談。

入手できた写真がMZ-731だけだったのでご容赦いただきたい。ちなみに721は,731の本体中央からプロッタプリンターを取り除いたモデル(そう,本体にプリンターが内蔵されていたのだ)。ちなみに筆者が一番最初に買ったパソコンもMZ-731だった。さすが同年代
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“夢のマシン”であるX68000の登場前夜〜登場


(善)
 そういえば,X68000が登場する前後ってどんな雰囲気でしたっけ。

X68000といえば,やっぱりこれ
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(前)
 当時NECも富士通も,ビジネス用として16ビットパソコンを市場投入してたんですよね。なので,シャープも出さないはずがない,何か開発しているに違いない……という確信めいた雰囲気は前からありましたよね。

(U)
 1986年……くらいだったですかね。シャープからも16ビット機が出るべきだ,という風潮はありましたし,様々な噂も流れましたよね。まぁほとんどの噂の出所は我々Oh!MZだった気もしますけど(笑)。

(前)
 CPUにはモトローラの68000が使われるべき,という願望が強かった気がします。当時のNECや富士通と比べたら,シャープはパソコンメーカーとしては追いかける立場でしたから,後追いでインテルの8086系のマシンを出してもつまらない,意味がない……みたいな。

これ(上)が68000。日立の68000は「HD68HC000」で,モトローラのは「MC68000」である。Macは言わずもがな,セガの「システム16」や,カプコンの「CPS-1」「CPS-2」,「NEO GEO」などにも使われており,ゲーム業界とも意外と縁が深い
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(石)
 祝一平氏も,8086のセグメント方式のアドレス指定に関して,だいぶ苦言を呈してましたよね。

(前)
 電卓上がりのCPUに何が出来るんだ……とかね(笑)。

 祝一平氏は当時,Oh!MZ,Oh!Xを通じてナンバーワン人気ライターだった人物。圧倒的なプログラミング能力と,ソフト/ハード両面の莫大な知識量を誇り,歯に衣着せぬ……というかそれすらも超越した毒舌で,当時の読者を魅了した。
 シャープの8ビットパソコンのX1のアーキテクチャ解説とプログラミングガイド書籍である「試験に出るX1」は,当時のパソコンユーザーのバイブルにもなった。ちなみに,筆者の4Gamerでの連載記事(現在休止中)の「試験に出るゲームグラフィックス」は,この書籍名をマネたものである(元々は「試験に出る英単語」だと思うが)。
 祝氏は1986年に,X68000シリーズをソフト/ハードの両側面から盛り立てるために「満開製作所」という社名の会社を設立。X68000ユーザー向けのフロッピーディスクベースの月間マガジン「月間電脳倶楽部」を1988年に創刊した。休刊となる2000年まで,X68000文化の盛り上げに大きく貢献した。なお,同氏は1999年に逝去している。(善)

懐かしの,電脳倶楽部。ところで4Gamerは,年末のクソ忙しいさなかの12月24日に会社の引っ越しをしたのだけど,なぜか編集部の本棚の奥に電脳倶楽部が1冊(1枚?)だけあった。捨てずに保管したことは言うまでもない(どうも(U)氏の私物だった模様。私物は回収してくださいとあれほど……)
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(善)
 編集部に行くと,祝さんにはよく絡まれました(笑)。「おい,お前さ。ゲームが上手いとか威張っているらしいな。今度,ポピュラスでぶっ殺してやるよ」ってね。まあ,返り討ちにしましたけども。

オリジナルとなるAmiga版の「Populous」(ポピュラス)。各種PCに移植されたばかりか,ニンテンドーDS版などもあったりする
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(前)
 ははは。ホントに伝説が尽きない人でしたね。でも確かに,8086の競合として登場していたモトローラの16ビットCPUの「68000」は,そうした煩雑なアドレッシングが不要で,非常に綺麗なアーキテクチャのCPUでした。

 当時のインテルの16ビットCPU「8086」は,20ビットアドレス空間,すなわち容量にして1MBのメモリ空間を取り扱うことができたが,64KBのメモリ空間を16個持つという,独特なセグメントアドレス指定方式が強要された。これは,先代となる8ビットCPU「8080」からの互換性を意識したため。
 このセグメントアドレス指定では「あるメモリアドレスへのアクセス」に際して「セグメント,オフセット」という,いわば2次元空間に対する座標指定に近いステップが必要となったため,「大きな1つのリニアな1MBのメモリ空間」を一度に取り扱うことが面倒だった。セグメントをまたいだメモリの活用が,出来ないわけではないものの,手段が煩雑となり,プログラムやデータを64KB単位で管理するような,独特なプログラミングモデルの意識が必要となった。
 8086の後継となる16ビットCPU「80286」では,プロテクトモードと呼ばれる新モードが搭載され,リニアな24ビットアドレス空間がサポートされるようになり,最大16MBのメモリ空間に対し,一括でアクセスできる手法が実装された。しかし,先代CPUの8086文化があまりにも世に浸透しすぎてしまったために,この新アーキテクチャへの移行には相応の時間を要することとなったのだ。
 当時,8086の競合CPUとしてモトローラが発表した16ビットCPU「68000」は,最初から24ビット/16MBのリニアなアドレス空間を面倒な手順なしに一括で取り扱うことができた。これは,ほぼ全てのレジスタが32ビット幅で提供され,命令体系も,当時としては先進の32ビットアーキテクチャを採用していたことによる。当時,多くの先進アーケードゲーム基板のCPUが68000ベースだったのは,ニーモニック(機械語)レベルでのプログラミングがしやすく,ゲーム開発者にも好まれたため……だとされる。なお,アーキテクチャ的にはほぼ32ビットCPUだった68000が16ビットCPUにカテゴライズされるのは,データバス幅が16ビットであったため。(善)

(前)
 当時シャープは,MZシリーズでもX1シリーズでも「クリーンコンピュータ」アーキテクチャを提唱していましたからね。シャープのパソコンのユーザー層と68000 CPUのアーキテクチャのイメージが合致して,シャープの16ビットパソコンは68000がいい……という風潮になったのでしょう。

シャープクリーンコンピュータの元祖と呼べる「MZ-80C」。1979年発売で,前年には初代である「80K」(末尾の「K」は「Kit」のK)があった。ちなみにこの写真の80Cは,コーエーテクモホールディングスの代表取締役社長,襟川陽一氏(シブサワ・コウ)の社長室に飾ってあるもの。だいぶ古い記事ですが,合わせてどうぞ(関連記事
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(U)
 私がソフトバンクに入社したのが1986年ですが,その年のどこかのタイミングで,当時のシャープのXシリーズの開発責任者(商品企画)であった鳥居勉さんと,編集部の何人かのメンバーが近くの喫茶店に集められて「68000 CPUを採用した16ビットパソコンを開発中です」というのを聞いたことを覚えてます。この時に「あ,ついに出るのか」と思った記憶が。

 電源を入れた直後には,そのメモリ空間のほぼ全てをユーザーに与えるというコンセプトを,1980年代のシャープは「クリーンコンピュータ」アーキテクチャと呼称していた。当時のパソコンは,電源投入直後に,比較的大きな規模のシステムプログラムがROMからメインメモリ(RAM)に読み込まれていたので,そうした競合パソコン製品に対するシャープなりのアンチテーゼの提唱だったといえる。
 実際には,基本I/Oシステム(IOCS)や初期ローダー(IPL)など,ごく少量の基本ソフトウェアはROMからローディングされていたため,完全に"クリーン"というわけでもなかったが,比較的規模の大きい機械語の自作プログラムを起動(ブート)させやすい環境にはなっていた。そのため,マニアックなプログラミング少年達を惹き付けることには大きく貢献していたのだ。(善)

(前)
 編集部に「シャープが新しい"X"を作っている」という正式情報が届いたのは1986年頃でしたが,まあその2年以上前には開発が始まっていたのでしょう。当時のシャープ製パソコンのユーザーが抱いていた“夢のマシン”は,相当にハイスペックのものでしたから,その開発は相当に大変だったと思います。
 実際のところ,X1シリーズから始まったXパソコン開発チームは,パソコン専門の開発部隊ではなく,シャープのテレビ製品事業部だったわけですし。開発部隊の規模は,もう一つのシャープのパソコン開発専業事業部のMZ開発部隊と比べれば,相対的には小規模でした。

テレビ製品事業部が主導したためかX1は,「スーパーインポーズ」など当時のPCとしては珍しい機能をいくつも搭載していた。写真は,X1Dのカタログから抜粋。ちなみにX1Dといえば,世にも希なる「3インチFDD」が特徴。確かPCでの採用はX1Dだけだったような?
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(U)
 X68000の発表は,東京・晴海の見本市会場で開催されたエレクトロニクスショー'86でしたね。発売は1987年です。

1987年11月号の巻頭カラーページで「未来がぎっしり」と祝氏に言わしめた,X68000デビュー
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(善)
 そういえばシャープは,そのMZ開発部隊も16ビットパソコン「MZ-2861」を開発して,X68000と同年の1987年に発売しましたよね。インテルのCPUの80286を採用した16ビット機で,MZ-2500の互換モードも搭載されたモデルだった気が。

(U)
 X68000の発売と同年ではありますが,順序としてはX68000の方が先でしたよ。

(前)
 CPUがメモリやVRAM(グラフィックスメモリ)に読み書きして何かをするだけという,当時の典型的なアーキテクチャのパソコンでは「ユーザーの夢をかなえられない」ということで,ビデオプロセッサなど,かなりの周辺部分が新規開発になったわけです。
 しかし,当時の"X"開発部隊の規模では外注に頼らざるを得なかった。今思うと,ここまで高度なDSPを搭載したり,専用のスプライトハードウェアを載せたりして,よく完成できたなあと思いますね。

(U)
 価格は当時で約37万円。かなりの高額パソコンでしたが,内容を考えれば,まあそのくらいにはなるかなあ,という感想でした。

 スプライトとは,8×8ピクセルや16x16ピクセル程度の「相応に小規模なドットグラフィックス」(スプライト画像)を画面内の任意の座標に表示することができる仕組み。スプライトは「妖精」(Sprite)の意。
 今も昔も,画面上の映像は,画面の左上から右下に向かって,画面に描画されるわけだが,あるスプライト描画を画面上のX,Y座標で与えた場合,Y座標指定は,その映像の走査線の送出タイミングを指定したことに相当し,X座標指定は,その走査線の横軸描画タイミングの指定に相当する。指定された任意のスプライト画像は,メインメモリとは別のメモリ領域に置かれており,前述した表示タイミングの指定原理において,任意のスプライトを表示することになる。
 一見すると面倒な方式に思えるが,あらかじめ定義しておいたスプライト画像同士の表示と合成や,スプライト以外のその他の表示プレーン(背景やテキスト)との合成を,ごく限られた数本の走査線分のメモリ領域(ラインバッファ)で行えるメリットがある。
 現在のコンピュータとは違い,メインメモリやグラフィックスメモリのサイズが限定的で,反復的なメモリへの読み書きの速度が芳しくなく,なおかつそのメモリの実装コストも相対的に高かった時代において,高速かつ自在に動き回るグラフィックス表現の実現手段としては相当に高効率だったために主流となっていた。
 なお,当時のスプライト表示機能の仕様上限が「水平方向に同時表示できるスプライト個数」の形で定められていたのは,このラインバッファのサイズや速度に大きく依存したため。
 現在,同等の表現をしようと思っても,そんな面倒なことをせずともGPUを使えば容易に行える。そのため,今ではこのスプライトのハードウェア技術が利用されることはほとんどない。(善)

(牛)
 そのころ,MSXを始めとした一部のゲームパソコンなんかではスプライト技術を搭載したモデルもあるにはありましたが,仕様的には限定的でした。その意味で,X68000のスプライト機能は,当時の最新アーケードゲーム基板に肉迫した仕様だったので驚かされましたね。

誌名が「Oh!X」に変わる直前の,最後の「Oh!MZ」の読者投稿コーナー。(哲)氏のイラストも
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(前)
 当時,MZ開発部隊は奈良にあり,X開発部隊は栃木にあって,同じシャープの中の組織でありながら,お互いの開発チーム同士は仲も悪くて交流はほぼ皆無だったそうです(笑)。まあ,だからこそ,ここまで中身も外見も違う,2つのパソコンが同時期に2機種も発売されたんでしょうね。

(善)
 雑誌名がOh!MZ(創刊号は1982年6月号)からOh!Xに変わったのは,X68000が発売された1987年の12月号からでしたね。

同じコーナー内にあった祝氏の名文も載せておこう
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(前)
 読んでいた人なら知ってると思いますが,Oh!MZの誌名のMZロゴは,シャープのパソコンのMZシリーズのロゴと同じ図柄なんです。これを許諾して頂いた恩義もあったので,読者のユーザー層の主流がMZユーザーから段々とXユーザーに推移していくのを横目で見つつも,なかなか誌名の変更には至りませんでした。
 ただ,X68000の発売はかなりセンセーショナルで,シャープのMZチームには申し訳ないと思いつつも誌名が変更となりました。

X68000ゲームに関する(終わらない)思い出話


(で)
 X68000は,当時の8ビット機であったザイログのZ80ベースのX1/X1 turboとは全くアーキテクチャの異なるパソコンでした。互換性もなく,まさしく何もかもが刷新されていまして。しかしどんなに高性能なマシンでも,魅力的なソフトウェアがなければパソコンは売れませんから,当時のシャープは大変だったでしょうね。

(石)
 多くの最初期のX68000ユーザーは,そんなことを気にもしないで標準付属の「グラディウス」を飽きずにずっとプレイしていた印象がありますけど(笑)。

X68000 Z上で動いているものを直接撮影したので,粗くて申し訳ない。皆口を揃えて「初めて見たときは感動したなー」と言ってたし,当時X68000を持ってなかった人達もみんなそう思っていたと思います
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(前)
 当時のX68000プロジェクトのリーダー的な存在だった鳥居さんは,ハードウェアメーカー,ソフトウェアメーカーに,「ソフト出して下さい,周辺機器出して下さい」とお願い行脚をしていましたよ。

(善)
 その甲斐あってなんでしょうけど,X68000は,その発売直後から,ゲームはまあまあ充実していましたよね。

(前)
 そうなんですけど,Oh!Xのライター陣はですね,そんな事情を知ってか知らずか,デキの芳しくないものについて相も変わらず忖度なしでボロクソ書くわけですよ(笑)。
 シャープにお願いされて急いで某社が開発した,○○クスなんか,PC-98からのベタ移植だったりしたわけですが,それを祝一平氏がレビュー記事で「尼寺へ行け!」とか書いたりして(笑)。まあ,それが雑誌のカラーとなっていたから,あからさまに原稿に手を加えるわけにもいかず。

レリ○○の画面が,こちらになります。別件で,クリエイターである中里英一郎氏にお会いしたときに「先日,X68000版のレリ○○がひどかったという話で盛り上がりました」と言ったら「いまだにそんな古いネタで盛り上がってもらえて嬉しいなぁ(笑)」と喜ばれた
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Oh!MZの1987年11月号の,該当の1ページを置いておきます
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(U)
 実際,ひどいのもあったからなあ(笑)。

(前)
 当時,そうした辛口の記事がそれほど問題にならなかったのは,時代性もあると思いますが,シャープのパソコンが追いかける立場であったり,Oh!Xという雑誌がある種,マイノリティの立ち位置だったからでしょう。
 ただねぇ。ゲームメーカーの人達が集まる会合やメディアイベントとかに,編集長として私が出向くと,もうほんと,完全にアウェーで白い目を向けられて(笑)。もう,本当につらかった。

(石)
 ただ,いい物に対しては,かなり熱っぽく語ってみんな誉めていたと思いますよ。

(前)
 たしかに,鳥居さんも,ユーザーの声の一部であるということは理解してくれていたようで,各方面からの反発や声に対しては自らの足を使って苦労して収めてくれたようですよ。

(U)
 意図的に悪く書くようなことはなかったと思います。「C Compiler PRO-68K」(通称XC)だって決してデキは良くなかったけど,発売されたことの意義が大きかったので高く評価した気がします。私も「マニュアルがよく出来てる」「マニュアルのために買うべき」とかって書いた記憶がある(笑)。

(U)氏が「マニュアルがよく出来ている」と評した「C Compiler PRO-68K」。あのころの人達は,ホント容赦ない
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(で)
 まあ,黎明期には多少の不出来な作品も目には付きましたが,数年経ってからは膨大な数の名作ゲーム達が誕生しましたよ。

(善)
 X68000は当時のアーケードゲーム基板に肉迫したグラフィックス性能を持っていたので,アーケードゲームの移植版が高い評価を受けましたよね。電波新聞社のマイコンソフトブランドはいわずもがな,付属ソフトの「グラディウス」を移植したSPSも,精力的にそうしたシリーズを展開していました。
 ただ,マイコンソフト作品の一部は,ゲームをさせたいんだか,音楽のおまけにゲームを付けたんだが,曖昧なタイトルもあったけど(笑)。

 電波新聞社のマイコンソフトブランドからは数多くのアーケードゲームの移植版が,当時の国産パソコン向けに発売された。傾向としてはナムコ(現バンダイナムコ)作品の移植が多く,特に「ゼビウス」については,当時のあらゆる国産パソコンに移植されて発売された。当時,マイコンソフトから発売された「ゼビウス」の再現度こそが,当時のパソコンの実効性能を表しているように捉えられていた風潮もあった。
 ちなみに,X68000版の出来映えは良好で,高く評価された。8ビットパソコン版の中では,MZ-2500版PC-8001mkII SR版などが「隠れた良作」としてよく話題に上がる。

 のちにマイコンソフトは,古代祐三氏,永田英哉氏らを始めとした,当時の人気ゲーム音楽作曲家を起用してオリジナル楽曲をBGMにあてた「ボスコニアン」「モトス」などを発売。当時の目線からもゲーム内容的に「レトロ」な同作達に,圧倒的にオーバースペック気味な楽曲群が演奏されるアンバランスさが当時のX68000ユーザーを魅了した。
 なお,後年のX68000成熟期には,コナミやカプコンなどが自ら,X68000に向けたアーケードゲームの移植作を発売するようになる。(善)

多方向スクロールシューティングゲームである「ボスコニアン」は,見る人が見ればすぐ分かる「ラリーX」と非常によく似た画面レイアウトだ。Condition Red!
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(善)
 自分が思い出深いX68000用ゲームとしては「ポピュラス」を挙げないわけにはいかないわけです。当時はRS-232Cを使ったシリアル通信による対戦でしたが,現在のネットを使った対人戦ゲームの楽しさの原点にもなっていたように思います。

Oh!X編集部で「ポピュラス」の腕前トップを争っていた,(善)氏と祝一平氏との対戦記事は,Oh!X通巻100号記念企画として実施された。(善)氏のポピュラス熱はそのまま燃え続け,ついには続編の「ポピュラス・ザ・ビギニング」の攻略本をソフトバンクから出すまでに
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(で)
 祝一平氏と対戦したり,最終的には開発者のピーター・モリニュー氏と対戦することになって,プレイ後,「お前はポピュラスの遊び方を間違えている」とモリニュー氏に言わしめたアレですね。
 自分個人としてはX68000のゲームで感動したのはコナミから出た「A-JAX」の移植版ですね。当時はハイテクとされていた拡大縮小表現をソフトウェア実装で行っていて衝撃的でした。

2010年のTGSで「FableIII」をデモするピーター・モリニュー氏。今はどうか分からないが,かつてのE3やGDCの会場で氏を見つけるのは非常に簡単,喫煙所に行けば必ずいる。大体ウィル・ライト氏なんかも一緒だ
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(牛)
 性能の高いX68000XVIやX68030で動かすとそうした表現がさらにスムーズになったりもして。そうそう「A-JAX」といえば,その2D縦スクロールのシューティング・シーンにおいては,画面の縦横比の関係で,上下に相対スクロールする独特な移植の方に自分は衝撃を受けました(笑)。

KONAMIの「A-JAX」。今回のミーティングでは,印象に残ったとその名を挙げる人が意外と多かった。ちなみに本記事のゲーム画面は,すべてX68000の実機で動かしてキャプチャしているので,ホンモノそのもの(?)だ。(牛)さん,ありがとうございました
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 X68000には,かなり多くの製品バリエーションが存在する。1987年に発売された最初期モデルは通称"無印"X68000として呼ばれることが多い。その後,1988年にX68000 ACE-HD,1989年にX68000 EXPERT/HDとX68000 PRO/HDが発売される。なお,HD型番はハードディスク内蔵モデルを意味する。横型筐体のPROシリーズは価格がやや安価だったために,X68000シリーズの普及に大きく貢献した。
 1990年には金色のモデル名エンブレムを実装したX68000 EXPERT II/HD,X68000 PRO II/HDや,チタンブラックカラーのX68000 SUPER/HDが発売されて,X68000シリーズは成熟期を迎える。
 1991年には,CPUが従来機の10MHzから16MHzにクロックアップされたX68000 XVI/HDが,筐体デザインを刷新して登場。XVIはローマ数字の16を意味し,エクシヴィと呼ぶ。
 この時,X68000コミュニティを盛り上げたのは,メーカー保証対象外ながら,XVIモデルを24MHzにオーバークロックさせる改造だった。これはXVIユーザー間で流行し,当時,満開製作所を始めとした一部のパソコン販売業者の中には,CPUを24MHzにオーバークロックさせた改造済み製品を販売するところも存在した。
 1992年にはX68000 XVIの省サイズモデルであるX68000 Compactが登場。X68000シリーズとしては初めて3.5インチサイズのフロッピーディスクドライブが搭載されたモデルとなった。
 1993年には,32ビットCPUの68030を搭載した上位モデル,X68030/HDが登場。のちに省サイズモデルのX68030 Copmpact/HDも登場している。
 X68030シリーズにおいても,メーカー保証対象外での33MHzにオーバークロックする改造がユーザー間で大流行した。満開製作所は,この時も,オーバークロックさせたモデルを販売している。(善)

1987年03月 X68000 36万9000円 通常「無印」
1988年03月 X68000 ACE 31万9800円
1988年03月 X68000 ACE-HD 39万9800円 20MB HDD搭載
1989年03月 X68000 EXPERT 35万6000円 メモリ2MB標準搭載
1989年03月 X68000 EXPERR-HD 46万6000円 40MB HDD搭載
1989年03月 X68000 PRO 29万8000円 横置きボディ
1989年03月 X68000 PRO-HD 40万8000円 40MB HDD搭載
1990年03月 X68000 EXPERT II 33万8000円 ゴールドエンブレム
1990年03月 X68000 EXPERT II-HD 44万8000円 40MB HDD搭載
1990年04月 X68000 PRO II 28万5000円 横置き+ゴールドエンブレム
1990年04月 X68000 PRO II-HD 39万5000円 40MB HDD搭載
1990年06月 X68000 SUPER-HD 49万8000円 81MB HDD搭載
1991年01月 X68000 SUPER 34万8000円 SCSI標準搭載
1991年05月 X68000 XVI 36万8000円 16MHzモード&ボディ変更
1991年05月 X68000 XVI-HD 51万8000円 80MB HDD搭載
1992年02月 X68000 Compact 29万8000円 3.5インチFDD&ボディ変更
1993年03月 X68030 39万8000円 68030の25MHz,メモリ4MB
1993年03月 X68030-HD 48万8000円 80MB HDD搭載
1993年05月 X68030 Compact 38万8000円 2DD/2HD両対応3.5インチFDD
1993年05月 X68030 Compact-HD 47万8000円 80MB HDD搭載
※初出時に「X68000 SUPER」が抜けていたので追加しました。申し訳ありませんでした


(で)
 ゲームレビューで担当していたゲームで夢中になったのは「ソフトでハードな物語」ですかね。当時のゲーム開発業界をネタにした「業界もの」アドベンチャーゲームでした。
 「ソフトでハードな物語」は「2」が実に難解な作品で,自分は結局グッドエンディングに到達することが出来ませんでした。インターネットがなかった時代で攻略情報もなかったため,グッドエンディングに到達出来たのは「数百人に一人」といわれていましたよ。

というわけで「ソフトでハードな物語」。文字の大きさと解像度に時代を感じるが,いまでも普通に遊べる気がする
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(善)
 開発元のシステムサコムからは,この作品以外にも小説風ゲームの「ノベルウェア」シリーズがたくさんリリースされることになります。X68000には,「DOME」「シャティ」「38万キロの虚空」「闇の血族」シリーズなどが提供されましたっけ。

(牛)
 システムサコムはX68000向けにはたくさんのゲームを出していましたね。オリジナルシューティングとして「メタルサイト」,アーケードゲームの移植作としては「ジェミニウィング」「アトミックロボキッド」などがありました。

(哲)
 「メタルサイト」のBGM作曲者で,現在もゲーム音楽作曲者として幅広く活動している著名なヨナオケイシ氏は自分の同級生で,中高一緒でした。福岡からの上京のタイミングも同じです(笑)。彼がFM音源を触ったのは,うちのパソコンでの経験が最初だと思います(笑)。

(善)
 「メタルサイト」は,ゲーム音楽に関して最初期のMIDI対応(MTー32)作品でしたね。衝撃的なのは,最初期過ぎたので,音楽制作ツールがシャープ発売の「MUSIC PRO-68K」(MIDI対応版)以外なく,実際にヨナオ氏は「MUSIC PRO-68K」を使って打ち込んでいたという逸話があります。実際に“プロ”に使われたんですよ,アレ(笑)。

(で)
 自分は,あとは「第四のユニット」シリーズをレビュー担当ということもあってX68000でよくプレイしていました。主人公で記憶喪失のヒロインのブロンウィンが,実は生体兵器(バイオニックソルジャー:BS)の4号機だったということで,記憶の蘇りと共に陰謀の渦に巻き込まれていく,スリリングなストーリー展開に引き込まれました。
 他の美少女BS達も登場し,激しい闘いに発展していくあたりは,現在も人気ジャンルである美少女ゲームの元祖的な存在だと思います。X68000では6作以降が未発売ですが,FM-TOWNSには出てますね。

(牛)
 自分はアーケードゲームの移植版を好んでプレイしていましたね。具体的には「源平討魔伝」「ドラゴンスピリット」「ファンタジーゾーン」あたりですか。X68000オリジナル作品としては「闇の血族」シリーズとかも好きでした。ゲーム音楽作曲家の斎藤学氏の楽曲が好きだったし。斉藤さんは若くして亡くなられてしまいましたね。

「源平討魔伝」は,素直にX68000を羨ましいと思った一作。NHKの大河的に,2022年はもうちょっと話題になるかなと思ったけど古すぎたか……。風前のともし火……
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(善)
 Oh!Xのゲーム音楽作曲者との対談シリーズでお会いしたことがあります。亡くなられたときにはお別れの会にも参加させて頂きました。8ビット時代に同氏が楽曲を提供していた作品群としては,X1専用タイトルの「ユーフォリー」,PC-88専用タイトルの「プロヴィデンス」「ヴァルナ」があります。これらは特に名曲揃いですよ。

(牛)
 X68000向けに移植されたアーケードゲーム作品の中には,X68000の性能に見合わない移植作もあったりして,それらも一周回って,魅力的でした(笑)。
 コナミの名作「沙羅曼蛇」は,X68000標準付属の「グラディウス」と同様に,SPSが移植を担当した作品ですが,一部のステージではオリジナルと同様の「背景書き換え」をそのまま実装していたので,標準X68000の性能範囲では遅くてだいぶ不評でした。ただ,X68000XVIになると,その忠実移植手法が功を奏してオリジナルっぽい見映えになって感動しましたね。

(善)
 X68000も,当時の16ビットパソコンとしては高性能でしたが,何から何まで出来るわけではありませんでしたからね。一部のアーケードゲームの移植作品は,仕様をだいぶ落として移植されたものも少なくありませんでした。

XVIになって,ようやく速度がオリジナルに追いついた「沙羅曼蛇」。X68000版は1988年発売なので,発売から3年が経過してようやくオリジナルっぽく
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(影)
 タイトーのレーシングゲーム「フルスロットル」もSPSによる移植でしたが,標準X68000ではコマ落ちが酷すぎでプレイしづらかったです。自分がレビューしたのでよく覚えていますが,その時に書いたレビュー原稿が掲載時にはマイルドな表現に書き換えられていましたっけ(笑)。

(牛)
 自分はその「フルスロットル」のX68000版も,さっきの「沙羅曼蛇」のようにX68000XVIでプレイしてみたらどうなるのかと試したんですよ。そしたら,今度は,速すぎて逆走しているように見えるという珍現象が起こって,楽しかったです(笑)。
 SPS移植ではありませんでしたが,同系のゲームとしては,「チェイスH.Q.」がありまして……。いや,この手の話はもうやめておきます。各自で調べて下さい(笑)。

※高速で走っているクルマのタイヤを見ていると逆回転しているように見えるアレ。ちなみにこれは錯覚によるもので,タイヤの回転の速さに目が追いつかなくなったことによるズレ。

(哲)
 自分はOh!Xでゲームレビューは手広くやってはいましたが,時間割いて使っていたのは「Z's STAFF」「Matier(マチエール)」のような画像制作ソフトや,「MUSIC PRO-68K」「SOUND PRO-68K」のような音楽制作ソフトなどでした。
 これらのツールを使って自分で作品を作り,完成しては,当時のパソコン通信でそれらの作品を発表するのが一番の楽しみでした。ヨナオ氏だけでなく,自分も「MUSIC PRO-68K」は使い込んでましたよ。

(前)
 「ジェノサイド」でX68000ユーザーに衝撃を与えたズームも,X68000のゲーム世界においては大きな存在でしたね。
 ゲーム内容,技術力の高さ,世界観設定,グラフィックスの美しさ,楽曲の素晴らしさ,全方位の能力に長けた新進気鋭のゲーム開発スタジオとしてX68000ユーザー達から常に期待されていました。


(U)
 ズームといえば「ジェノサイド」シリーズが看板タイトルでしたが,のちに続く「ラグーン」「ファランクス」「オーバーテイク」……どれも名作として謳われていますね。難易度が高いといわれた「ジェノサイド2」も,攻略要素の深いゲームでした。
 当時のOh!Xで,自動車工学入門シリーズの連載を執筆していた丹明彦氏と横内威至氏の二人は,今ではポリフォニーデジタルで「グランツーリスモ」シリーズの開発に従事している人達なわけですけど,当時横内君はOh!Xで「ジェノサイド2」のタイムアタック攻略なんかも書いてました。あんな敵の硬いゲームでタイムアタックが成立するのかって感じでしたけど,実際,プレイを見てみると早くクリアできてた(笑)。

(石)
 アドベンチャーゲームの名作シリーズといえば,リバーヒルソフトが手掛けていたミステリーシリーズも忘れられないです。J.Bハロルドシリーズの「殺人倶楽部」「マンハッタン・レクイエム」「殺意の接吻 〜キスオブマーダー〜」はX68000版が出ていますね。

(善)
 のちの「D.C.コネクション」「ブルー・シカゴ・ブルース」はX68000には未提供ですね。この他,リバーヒルソフトの名作ミステリーシリーズには藤堂龍之介シリーズがあります。X68000版として出たのは「琥珀色の遺言」「黄金の羅針盤」の2作品のみですが,実はこのシリーズ,その後も続いていて第9弾まで出ているようです。

「殺人倶楽部DX」(マーダークラブDX)。余談だが,シリーズ最新作(とはいえ1994年)である「ブルー・シカゴ・ブルース」の収録は本当にシカゴでやっていて,ある日編集長から「シカゴに取材行ってきてね。期限は1週間。よろしく」と言われてシカゴに(文字どおり)飛ばされたのを思い出す。ダウンタウンのピザ,美味しかったです
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 この後も,X68000にまつわるゲーム談義は終わることがなかったが,本稿では,誌面サイズの都合もあるのでこのあたりで終了としたい。
 当時のX68000ファンには,それぞれに自分だけの「マイベストX68000ゲーム」があると思うので,今回の我々の会話をきっかけにして,当時の思い出を当時の友人達と語り合ってみると面白そうだ。

Oh!MZの1982年12月号の目次。ちょうど40年前だ。中学生の私が読んでいた,懐かしい誌面。40年以上が経っても,いまなお「あの雑誌はさー」と語られるのは,本当にすごいことだと思う
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(善)
 ちょっとゲームの話だけで一日終わっちゃうので,いったん記事的にはここで締めましょう。最後に,今回集まって頂いた参加者それぞれに,令和のX68000こと「X68000 Z」に対する想いを語って頂きたいと思います。

(U)
 Oh!X流の厳しいことを言ってもいいですか(笑)。何か新しいことを,「当時のX68000の枠内に収まる範囲内」で,X68000 Zを使ってやろうとする人って少ないとは思うんです。X68000はやはり16ビットのパソコンでしかなく,現在のコンピュータの常識感覚で何かをしようとすると「X68000の枠内」だと狭すぎるわけです。具体的には,たとえばX68000は12MBまでのデータしか取り扱えないとか。
 X68000 Zには,そうした過去のX68000の枠組みを超えてできるような環境整備や展望にも期待したいです。実体としてのX68000 Zは,64ビットのARMシステム上のLinuxで動くエミュレータなわけですから,たとえばX68000のX-BASICのコードをコンパイルしてARMコードを吐き出して動かせるとか,Human68KからARMのLinux上のファンクションコールが行えるようにするとか,いろんなアプローチがあり得ると思います。X68000 Zが,新しいコンピューティング・プラットフォームの起点のような存在に成長していくことを期待します。

このころのPC文化は「ないものは自分達で作る」が基本。令和によみがえったX68000 Zも,その流れを踏襲してくれるのだろうか
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(で)
 X68000 Zは「当時のX68000の復刻」ということなので,かつてX68000ユーザーだった人達からの注目が大きいとは思うんですが,実は当時「欲しかったけど買えなかった」という,「同時代を生きていたけど触ることが出来なかった人達」からも大きな関心が寄せられているマシンだと思います。
 また,最近では海外のレトロPCマニアの方達からも高い関心が寄せられているようです。なのでメーカーの瑞起さんは,「当時の夢のマシン」を現代に甦らせた以上は単にハードウェア製品を出すだけではなく,様々なユーザー層の人達が参加しやすい開発コミュニティ作りにも大きな力を注いで欲しいと思っています。

※TGS2022で4Gamerブースに展示してあったのだが,チラシの補充とかしているとよく来場者に話しかけられて,その半分くらいは外人さんだった。「欲しいので外国にも送ってくださいね」(意訳)と皆さんに言われて,その人気を実感した。

古美術品か何かのように展示されたX68000 Z。「コアな昔の人が数十人見に来てくれたら嬉しいですねー」と事前に話していたのだが,実際はそれどころじゃなかった
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(牛)
 我々のような「X68000リアルタイム世代」よりも若い世代の人達からも,X68000は「伝説のマシン」として認知されています。そうした若い世代の人達に触ってもらったときに,このX68000 Zというコンピューティング・プラットフォームが魅力的に映らないとダメだと思っています。
 ただ「過去のマシンをエミュレータで復活させた」だけだと,結局,「過去のソフトウェア資産」を動かすだけで終わってしまい,到達できるゴールは「当時の実機」に収束してしまうんです。この後,たとえ“X68030 Z”のような後継機の復刻が予定されていたとしても,です。
 もし「X68000 Zとは新しいコンピューティング・プラットフォームである」という形で提案するのであれば,瑞起さんには「今後のロードマップ」を明確に示し続けてもらえたらいいなと思っています。実際,X68000 Zの今後の拡張性の方針などを知りたいと考えている人は多いと思います。たとえばネットワーク関連機能の整備は不可欠でしょうしね。

(石)
 当時のX68000文化が花開いたのは,やはり当時のシャープの圧倒的な情報公開による「仕様の透明性」だったように思えます。当時のX68000は,IOCSのソースコードが公開されたり,ハードウェアの回路図までが公開されていました。
 これによって,「シャープが想定していた以上の能力」が,当時のX68000パワーユーザー達の手によって引き出されていました。それこそが,X68000というマシンをいじる楽しみであり,X68000文化そのものだったとも思えるんです。
 もし,X68000 Zを新しいコンピューティング・プラットフォームとして育てていきたいということなのであれば,瑞起さんには,徹底した情報の公開をお願いしたいですね。

※改めて調べてみたがIOCSのソース公開という事実は見当たらなかったので,もしかしたら何かと勘違いしてしまったのかもしれない。とりあえず発言をそのままに残しておきます

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何枚もの貴重な写真を提供してくれたGOROman氏の書棚(上)。「何かX68000に関わるものの写真ください」と氏にお願いしたら,氏の周囲にいる方々からもいろいろ送っていただいたのだが,シャーペンとか電卓とか,保管してあるのが普通にすごい
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(影)
 X68000 Zに「夢の続きをもう一度」という期待感を持っている人は多いと思います。その意味ではX68000 Zは,当時X68000ユーザーだった人が,当時の自分のソフトウェア資産を動かせることを期待しているという人も少なくないと思うんです。たとえば自分でも,当時のOh!X誌上でリリースした数多くのソフトウェア作品を,現在の知識でバージョンアップしたい……なんてことも考えたりするわけです。
 ただ,その際に問題となるのが,当時のフロッピーディスク資産をどうX68000 Zに読み込ませたらいいのかということですよね。瑞起さんにはそのあたりの技術的な支援や周辺機器サポートもお願いできたらなと思いますね。当時のOh!X全号の誌面を全て画像ベースではなく,テキストベースで収録されたSDカードとか販売されたら欲しいかも(笑)。

(善)
 自分は,最初に出すX68000 Zは,瑞起さんが得意としている「レトロミニゲーム機」のくくりの製品でもよかったのではないか,と思ったりもしています。当時のX68000には,さっき話題にも上がった数々の名作ゲーム群が存在したので,それらを手っ取り早くプレイできるバージョンの方を先に安価に出してほしいと思ったファンもいたと思うんです。
 そして,新しいコンピューティング・プラットフォームとしてのX68000 Zにおいては,自分はZ-MUSICでまた曲作りがしてみたいですね。ただ,X68000の12MBのメモリ空間では,現在基準サイズのサウンドライブラリを読み込ませるには全く容量が足りません。そうしたことをやるには,先ほどから何人かの人達がいっていたような,16ビットマシンの枠組みを飛び越える手段が必要になってくるでしょう。タイマー割り込み処理の使い方が特殊だったZ-MUSICが,そもそもエミュレータベースのX68000 Zで動くのか心配ですけど。

(善)氏は13歳の時MZ-2000が欲しかったが,親に買ってもらえたのはMZ-700だったらしい。写真は,(善)氏の当時の友人達にMZ-700をお披露目しているところ(いまの氏をリアルに知る人なら,どれが彼だかすぐ分かるはず)。購入後にMZ-700がキャラクタ・グラフィックス(いわゆる絵文字)しか出せないパソコンだと知って絶望したとのこと。「MZ-700に不可能はある!」
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(哲)
 言いたいことは全部言われてしまった……。1つだけいえるのは,今日この場に参加して,当時のOh!Xメンバーに再会できたことがすごく嬉しかったです。
 自分はOh!X誌面上の各連載記事の挿絵も担当していて,沢山のイラストを描いていたので,瑞起さんには,当時,マスコット的な存在として露出度の高かった「牛」や「ペンギン」のイラスト入りのX68000 Zを出してもらおうかな(笑)。

(前)
 Oh!X誌が休刊するときに,今回名前が登場したシャープの鳥居さんに挨拶に行きました。その時,色々な話をしたわけですけれども,そのやりとりの最後に
「このマシンは,ホントおもろかったな」
という印象的な言葉をいただきました。
 X68000の登場時は,その「高いスペック」の方に強くスポットライトが当たりがちでしたが,このマシンが駆け抜けた時代に,我々はみんなが「各々が考えた楽しいモノ」をこのマシンの上に築き上げ,我々は「そのスペック以上」の多くの「夢」をこのマシンに見せてもらえました。
 抽象的な表現になってはしまいますが,瑞起さんのX68000 Zには,そうした,当時のみんなの「想い」を引き継げるような素晴らしいマシンになってもらえたら,と思います。そしてそれぞれのユーザーに「おもろい」といってもらえたらいいですよね。

濃い人達が集まって,濃い人達のために作った雑誌「Oh!X」は,1つの時代を築いて去っていった。X68000 Zにかこつけて復刊とか……どうでしょうか……。ところで今回,古巣のSBクリエイティブ(元ソフトバンク出版事業部)に「Oh!Xの表紙の写真撮って送ってください」とお願いしたら「いやーないですね」と言われ愕然。ちょっとくらい取っておいてよ!
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――2022年12月11日収録
  • 関連タイトル:

    X68000 Z

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