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「うんこ」と「美少女」を題材にしたアプリ「うんコレ」は,大腸癌検診啓発のために生まれた。日本うんこ学会の石井洋介氏による講演をレポート
本セミナーでは,日本うんこ学会 会長の石井洋介氏が,ヘルスケアにゲーミフィケーションを取り入れたスマートフォンゲーム「うんコレ」(iOS/Android)の試みを紹介するセッションを行った。本稿ではその模様をレポートしよう。
石井氏は消化器外科医である一方,「“コミュニケーション”で,医療は変わるのか?」をテーマに,コミュニケーションデザインの研究をしている人物だ。
石井氏は,現在の医療現場では,医師が大腸癌の患者とコミュニケーションを取れるのは手術のために入院する2週間前後しかないと語る。もちろんその後も治療は続くが,退院後の治療で患者が通院してくる頻度は2か月に1回程度だそうで,その間患者の生活がどうなっているのか詳しく知ることはできない。この患者の普段の生活をいかにして把握するかが,医療の大きな課題になっているのだという。
そこでデジタルの力を使い,より生活に近いところで医師と患者がコミュニケーションを取れるようにしようというのが,石井氏の取り組みである。
とくに昨今では,癌や心筋梗塞などが目立った症状のないまま進行し,気づいたときには手遅れになっていることもある「緩徐進行型疾患」が死因の多くを占めている。これらの疾患は,ある程度進行するまでは痛みや熱といった明確な自覚症状がないので,医師がどんなに注意しても患者は生活を改めようとはしないのだという。
それでは,より多くの人が自分の健康状態にもっと興味を持つようにするにはどうすればいいのだろうか。石井氏は,歌や映像などのクリエイティブが人の感情を左右することに着目し,「ゲームなどのコンテンツを使って感情を動かせば,現在疾患が進行中かもしれない人に注意を喚起し,受診などの行動を起こさせることができるのでは」と仮説を立てたのである。
この仮説は,石井氏自身が持つ2つの経験に基づくものだという。
1つは,石井氏が19歳のときに経験した潰瘍性大腸炎による大腸全摘手術だ。当時,石井氏は高熱にうなされ,病院にかかることになったそうだが,実はこのとき,同時に血便が出る症状があったのだ。しかし,石井氏は「痔になったかな?」程度の認識で,医師に血便についてはとくに伝えなかったため,発見が遅れ,結果として大腸全摘手術を行うことになってしまったのだという。
石井氏は「きちんとした知識があれば,自分の症状を正しく伝えることができて,早期発見につながったかもしれない。患者は医療に関する情報をそれほど知っているわけではない」と話していた。
もう1つは,消化器外科医として大腸癌の治療をしていく経験のなかで得た,「患者の寿命を決めるのは,外科医の腕より,癌の発見時期だ」という知見である。早期に癌が発見されれば8〜9割が助かる一方,発見が遅れれば遅れるほどいくら外科医の腕が良くてもどうにもならなくなるのだという。
つまり消化器外科医が腕を磨くよりも,患者が大腸癌を早期発見する方法を普及させたほうが,助かる人が増えるということになるわけだ。
上記のとおり,大腸癌はある程度進行するまで自覚症状がない。そこで現在は,健康診断などで検便を行い,便に血がついていれば大腸癌の疑いがあるとして精密検査に進むという手順を取っている。しかし,そもそも「うんこで大腸癌になっているかどうかが分かる」という知識がないため,検便を受けていないという人も少なくない。また病院などに貼ってある大腸癌検診を促すポスターも,誰も興味を示さないような内容である。
そんな状況を改善できないかと頭をめぐらせていた石井氏は,あるときTwitterの2大バズワードが「うんこ」と「おっぱい」であることを知る。
そこで「うんこを使えばバズるのでは」と考えた結果生まれたのが,「うんコレ」のアイデアである。
「うんコレ」は,課金もしくは自身の排便報告を行うことでガチャを回し,集めたキャラクターで敵を倒していくゲームだ。
石井氏によると,こうした取り組みをする場合,医療界には「エンターテイメントファーストにしたほうがいい」というデータが存在するそうで,本作も「いかにも医療っぽくするのではなく,一見,普通のスマホゲームだが,こっそり医療の要素を入れている」という。
例えば本作にはハルトマンという名のNPCが登場するが,これは大腸手術の1つ「ハルトマン手術」に由来するもので,性格などの設定にも実は関連がある。しかし,ゲーム内ではそれらをあえて解説せず,プレイヤーが自分で調べたときに意味が分かるようにしている。もちろん,その意味を知らなくとも,ゲームを楽しむことは可能だ。
また排便報告にはNPC・カンベンヌ様からのアドバイスがあり,便に異常があるようなら,「熱が出ていないか」といった問診が追加される。そこで大腸癌などの兆候が見られるようなら,「病院に行ったほうがいい」と検診を勧めるアラートが表示される。
さらに,ガチャで手に入るキャラクターは,装備化した腸内細菌を身にまとって戦う。石井氏によると「腸内細菌の名前は強そうで,中二心がくすぐられる」とのことで,装備の外観は腸内細菌の効能に沿ったものになっているという。
石井氏は「『うんコレ』」を遊んだ人に,自分の便をチェックする習慣ができれば成功だ」と語る。
また「人は好きなものでしか行動を変えない」とし,19歳当時の自身を振り返り,「医者が何を言っても話を聞かなかったが,大好きなアイドルやゲームのキャラクターが言うことであったならば耳を傾けたのではないか」とも話していた。
なお,「うんコレ」は東京ゲームショウ 2016に出展した結果,Webメディアはもちろん一般のメディアも取り上げられ,最終的にはニューヨークタイムスに記事が掲載され,石井氏自身も腸の健康に関する専門家として露出することとなった。
「誰も興味を持たない大腸癌検診のポスターではなく,ゲームが好きな人だけに向けてアプリを作ったら,海外に届くまでになった。最初から多くの人をターゲットにするのは,必ずしも有効ではない」「一般メディアで取り上げられるには旬やフックが必要。『大腸癌検診が大事』とアピールするだけでなく,『うんこのゲームを作った面白いヤツがいる』とならないとダメ」と石井氏は語った。
また「うんコレ」は,すべてボランティアで作られたのだという。制作は,参加者がイラスト1枚,コード1行を寄付するというような形式で進められたとのことで,「石井氏はソーシャルの力で作られた,真のソーシャルゲーム」と表現していた。
現在「うんコレ」はクラウドファンディングを成功させ,一般公開に向けた準備が進められている。集めた資金はサーバーなどの費用に充てるそうだ(外部リンク)。
以上をまとめて石井氏は,「医療者と患者およびその家族の間にある『情報の非対称性』という溝をゲームというクリエイティブで埋めることができるのではないか」と,展望を語った。
また,石井氏は「クリエイティブの力によって,サイエンスからアートへ跳躍できる」とも語っていた。ここでいう「サイエンス」とは論理的な思考と戦略作りであり,例えば「課題は何か」「ターゲットはどの層か」「独自性や競合との明確な優位性は何か」といった「企画書」の段階を指す。
ただ,それだけでは何となくフワッとしたものにしかならない可能性があるので,感情を刺激し,ターゲットの目を惹くような「アート」にする必要がある。具体的には,目立つ特徴を持たせたり,好意や共感を持たせたり,記憶に残させたり,イメージを表現・増幅したりすることが必要なのだが,そこをつなぐ役割を果たすのがクリエイティブなのだと石井氏は指摘した。
「うんコレ」は,「人々に大腸癌検診を促す」というサイエンスから,「うんこ」と「女の子」を使ったクリエイティブで感情を刺激し,「クリエイティブジャンプ」を果たした事例というわけだ。
セッションの後半に,石井氏は「うんコレ」のプロジェクトについて,「1人では実現できなかったし,医療者のコミュニティだけでもできなかった。医者,エンジニア,デザイナー,イラストレーター,コスプレイヤー,声優といろんな人が関わった結果」と振り返った。
さらに「少人数のプロジェクトだと失敗が少ない一方で革新的なものは生まれにくく,多くの職種が関わるプロジェクトだと失敗は増えるが革新的な成功が生まれる可能性が高い」というスタンフォード大学の実験結果から導き出された法則にも言及。「着実にヒットを狙うか,失敗してもいいからホームランを狙うかで,プロジェクトのデザインは変わる」「これからの時代,イノベーションを起こすには,多職種連携がキーになる」と将来を語った。
そして最後は,『うんコレ』は,誰も見たことのないようなものを作りたかったので,時間をかけていろんな人を巻き込み,ようやく一般公開できるところまで来た。結果として,普通に資金調達をして作るよりも,大きな影響力を持てたのではないか」と石井氏は語りセッションを締めくくった。
「うんコレ」公式サイト
(C) うんコレ
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