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「岡本吉起氏がゲーム業界の過去〜現在〜未来!持ちうる全てを語る会」レポート。数々のヒット作を生み出したレジェンドが自身と業界を語った
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印刷2021/11/11 12:13

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「岡本吉起氏がゲーム業界の過去〜現在〜未来!持ちうる全てを語る会」レポート。数々のヒット作を生み出したレジェンドが自身と業界を語った

 クリーク・アンド・リバー社は2021年10月22日,オンラインセミナー「岡本吉起氏がゲーム業界の過去〜現在〜未来!持ちうる全てを語る会」を開催した。
 このセミナーでは,カプコン在籍時に数々のヒットタイトルを生み出し,現在は「モンスターストライク」を筆頭とするスマートフォンゲームの開発に携わっている岡本吉起氏が,これまでのゲーム業界での経験,現在のゲーム市場,そして今後のゲーム業界はどうなっていくかなどについて語った。

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カプコン入社前から退社に至るまで


 岡本氏は専門学校卒業後,コナミに入社した。当初は自身をデザイナーだと思っていたので,「グラフィックスのついでにゲームのプランニングをする」くらいの気持ちでいたという。だが仕事をこなしていくうちに,きちんとゲームを作らないと自分の描きたい絵を表現できないことに気づき,プランニングにもグラフィックスと同じように注力するようになったそうだ。

画像集#004のサムネイル/「岡本吉起氏がゲーム業界の過去〜現在〜未来!持ちうる全てを語る会」レポート。数々のヒット作を生み出したレジェンドが自身と業界を語った

 そんな中で「ゼビウス」に出会って衝撃を受け,「これは(当時の)コナミの技術では不可能な表現だ」と感じたという。しかし,グラフィックスにもっとリソースを割けば実現できると教えられ,「ハードウェアの勉強もしなければならない」「もっと勉強すれば,もっといいものが作れるかも」と考えるようになってからが,ゲーム開発者としての本当のスタートだったと岡本氏は振り返った。

 やがて岡本氏は,デザイナーとしてグラフィックスだけを担当するならともかく,徹夜してまでゲームの設計やプランニングも行い,さらにクオリティを高めるための勉強もしているのだから,この報酬では割に合わないと感じ始めたという。
 不満が溜まっていく中,在籍していたチームのリーダーがコナミを辞めることになったのだが,そのとき「岡本も連れていく」と発言したことから,岡本氏も巻き込まれる形で退職することとなった。

 フリーになった岡本氏には,さまざまなゲーム会社からオファーが舞い込んだとのこと。その中で,もっとも金額が低かったのがカプコンだったそうだ。しかし当時カプコンの社長だった辻本憲三氏の「お前に開発を任せる」という一言に器の大きさを感じ,「22歳の若造にこんな言葉をかける人物はほかにいないだろう」と同社に入社することを決めたという。
 また当時はカプコンが今と異なり小さな会社だったこと,そしてゲーム開発の規模も小さかったことから「自分が本気でがんばれば,1人でも会社を支えられる」とも思っていたそうだ。

 カプコン入社以降,岡本氏が抱いていたもっとも大きなモチベーションは「辻本さんを成功者にしたい」という思いだったとのこと。その背景には,「辻本さんが成功者になるということは,自分達も成功者になるということ。そうなれば,ディストリビューターもゲームセンターの店主も成功者になれるし,ゲームのプレイヤーもハッピーになる」という意識があったそうだ。

 この考え方に基づくと,最初にやらなければならないのは,面白いゲームを作ってプレイする子ども達を喜ばせることだ。一方,辻本氏を成功者にするためには,ヒット作をいくつも生み出してカプコンの経営を安定させる必要があるので,多くの時間がかかることになる。岡本氏は「自分の在籍中に辻本さんを成功者にできたかどうか分からないが,22歳の若造達はそれを目標にゲームを開発していた」と語った。

 岡本氏がそこまで辻本氏に入れ込んだ理由は,人間性にあったという。辻本氏は偉そうにせず,会社の経営が苦しいときも困った顔をしたり社員に当たったりせず,社員が失敗しても「未熟なお前に任せた自分が悪かった」と言うような人物で,その人間性に報いたい気持ちが強かったそうだ。

 当時のカプコンは,自身を含む4人の初期メンバーが中心になって支えていたとのことで,そのパワーは,朝出社してスタッフが組んだプログラムをチェックし指示を出し,前夜書いた企画書や仕様書を提出し,草野球をしに外出し,昼頃会社に戻り再びプログラムのチェックをし,あとは深夜まで自分の仕事をする……という,今の労働基準法では確実に引っかかるワークスタイルから生み出されていたとのこと。

 岡本氏の“自分の仕事”とはプランニングやグラフィックス,デバッグ,ポスターとその版下の製作など,プログラム以外のゲーム開発に関わるすべての作業を指している。「今の人達が見たら,ビックリするほど働いていた」「皆と一緒にワイワイガヤガヤとゲームを作っている空気感が楽しかったからこそできたこと」と,岡本氏は振り返る。

 カプコンは1991年リリースの「ストリートファイターII」以降,いくつものIPをヒットさせていく。そういったヒット作が出た当初,岡本氏は「天下を取った!」という達成感を得られたと同時に,社内における権限を自分が一切持っていないことに対してものすごく焦燥感を覚えたという。

 例えばヒット作に貢献した部下に対して,昇給やボーナスといった形で報酬を出したくても,岡本氏にはその権限がない。実際,あれだけヒットした「ストリートファイターII」のメインプランナーには,岡本氏が会社に掛けあってようやく100万円のボーナスが支給されたそうだ。
 そのとき岡本氏は,「出世しないと,優秀な部下を守ることができない」「部下が『こんなゲームを作りたい』と言ったときに,GOサインを出せる権限を持たなければならない」と気づいたという。

 最終的に岡本氏は,第九開発室まであったカプコンの開発部門をすべて取り仕切る立場に上り詰めるが,2003年には退社してしまう。その背景にはさまざまな事情が積み重なっているとのことだが,岡本氏個人の理由としては,辻本氏から「新作よりナンバリングタイトルを作れ」と指示されたことが一番大きいという。

 岡本氏は「会社は常に成長しなければいけないので,新しいものを作らなければならない」とし,「そのとき作っていたタイトルが,『モンスターハンター』や『レッド・デッド・リボルバー』といった当時の新しいゲーム。それが今のカプコンを支えているけれども,その大元を作ったのは誰だという思いがある」と明かした。
 ただし岡本氏も,ナンバリングタイトルを作ることに否定的なわけではなかった。「並行して新しいものにチャレンジする必要がある」という主張に対して,辻本氏が強い口調で「やらなくていい」と否定したことが心外だったという。

 また岡本氏は,各開発室のトップである9人の執行役員の成長を阻害しているのではないかと感じていたとのこと。そのため,自分が退社することで,社内に何らかの化学反応が起きるだろうと考えたという。
 さらに岡本氏個人として,「もう一度世界に挑戦してもいいかもしれない」と一瞬考えてしまったそうだ。岡本氏は「それを一瞬でも考えたら,もう脳裏から離れない。挑戦したくて堪らなくなり,どんどん思いが強くなっていった。その思いと辻本氏の言葉に対するショック,部下の成長などが相まって『独立しなければ』と考えるようになった」と話していた。

 そんな岡本氏にとって,カプコンは“実家”のようなものとのこと。すなわち,「そこで育ったが,今は兄弟が跡を取っていて,そんなに仲がいいわけでもないからあまり立ち寄らないほうがいいかなという感じだが,常に『実家はいいよな』と思うような存在」だという。また辻本氏も,今なお人間としても経営者としても尊敬できる存在だそうだ。


ゲームリパブリック設立から「モンスターストライク」の大ヒットまで


 カプコンを退社した岡本氏は,ゲームリパブリックを設立し,そのトップを務めることとなる。しかしゲームリパブリックは,自社パブリッシングをしないデベロッパだったことから,パブリッシャのプロデューサーから開発中のゲームに対して何かと口出しされることになった。もちろん岡本氏としても「一切口出しするな」というわけではなく,口を出してほしくない部分があるだけなのだが,そうした部分にもプロデューサーは口出ししてきたという。
 岡本氏は「ゲーム開発の実績は自分達のほうが上なのに,プロデューサーのほうがポジションが高い。会社で言ったら,自分の上司に実績がないのと同じ」と話していた。

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 またカプコンではゲーム業界のトップ開発者がそろっており,「言わなくても分かる」「困ったときは誰かに相談すれば解決できる」という状態だったが,設立直後のゲームリパブリックはまだそんな段階には至っていなかった。
 岡本氏は「1本めがヒットしなかったら,2本めはもっと口出しされるようになる。その負のスパイラルにすぐ入ってしまい,すごくツラかった」「『ここに来たくて来たわけではない』という自分達のジレンマと,『お前に期待したのはそこじゃない』というパブリッシャのジレンマがあり,うまく行かないからパブリッシャがもっと突っ込んでくる,それに対して反発するという,さらなる負のスパイラルに陥った」と,当時の過酷な状況を振り返った。

 さらに岡本氏は自身の大きな判断ミスとして,最初から複数の開発ラインを稼働させたことを挙げた。今考えると,ゲームリパブリックの総力を挙げて1タイトルを一点集中で作るべきだったとのこと。
 しかし独立したばかりの岡本氏は,「断ったら次の機会がないかもしれない」と思い,続々と寄せられるオファーをすべて受けてしまったという。そのため,本来であれば1チームに集めるべき人的リソースを4チームで分けることとなり,「いいゲームなのに売れない」という結果になってしまったそうだ。

 そうした経験から,岡本氏は「ゲーム業界ではヒットを打っても誰も数えていない。ホームランしか数えてくれない」ということを学んだという。すなわち「いいゲームだね」と褒められても,セールス的に奮わなければ誰もそのゲームやデベロッパの存在を認識しないというわけである。
 そんなこんなでゲームリパブリックは経営不振に陥り,2010年には大規模リストラが敢行され,翌2011年には本社オフィスも引き払われることに。

 そこから「モンスターストライク」がリリースされる2013年までの約3年間のうち,岡本氏は最初の1年半,欝で倒れていたそうだ。しかし「次は携帯アプリを作る」と決めていたため,その期間はずっと研究のためにフィーチャーフォンのソーシャルゲームをプレイしていたという。その実態は,お金がないので完全無課金,2つのフィーチャーフォンを交互に使ってプレイし続けるというもの。タイマーをセットしておき眠っても1時間半で起きられるようにし,24時間ずっとプレイしてメモを取り,自分の所感を書き出していたそうだ。そんな生活の中で,「誰も気がついていないことに気づけば勝ち」だとずっと考えていたという。

 その一方で,フィーチャーフォンのゲーム開発を学ぶために,グリーやミクシィなどにも顔を出していたそうだ。自分より若いプロデューサーから「コンシューマゲームを作っていた人には,ヒットするソーシャルゲームは作れない」と言われても,「そうですか」と頭を下げて熱心にメモを取っていたとのこと。
 その中で岡本氏は,彼らが共通して間違ったことを言っていることに気づいたという。「自分が理屈立てて落とし込んでいるゲームの設計と正反対のことを全員が呪文のように唱えていた。そこを直したら全然違うことになる可能性がある。これはチャンスだ」と思ったそうだ。

 そうこうするうちに,世間ではスマートフォンが台頭。岡本氏は「イメージで言うとフィーチャーフォンはファミコンで,流行り始めた頃のスマートフォンはスーパーファミコン」とし,「自分がゲームを作る上で得意なサイズは,ファミコンからスーパーファミコンくらい。このサイズだと,ゲームを1人で企画・開発して,少し運営に関わるくらいのことまで俯瞰で想像できる。それまで準備してきたことが,すべてうまくハマったタイミングで大きなチャンスだった」と語った。
 そのチャンスを逃さず,岡本氏が付き合いのあったミクシィとともに「モンスターストライク」を企画・開発し,空前の大ヒットを飛ばしたのは多くの人の記憶に残るところである。

 カプコン退社後の経験から,ゲーム業界で起業を目指す人に対して伝えたいことを問われた岡本氏は,「起業するときはあれもこれもとなりがちだが,『自分の強みはこれ』と一点突破したほうがいい。あれもこれもと分散するのは絶対ダメ。それは会社のリソースも,ゲームのアイデアも同じ。一点突破しないと,勝ちはない」と回答。
 また「よく若くして成功している人物として,ITもコンサルも賃貸もやっているなんて人が紹介されるが,実はどれも成功していないケースがほとんど。会社としてしっかりするまでは一点突破したほうがいい」「あれもやりたい,これもやりたいは自分が求めること。そうではなく自分に求められること,世間がお金を払ってくれることに針路を切れば,自分の生きる道がある」とも語っていた。


「モンスターストライク」ローンチ以降について


 「モンスターストライク」が大ヒットしたときに何を考えていたのかを問われると,岡本氏は「最大風速をあげるのではなく,ロングテールにするためにいくつもの手段を用意していた」と回答。例として「長所を伸ばすのではなく,不満点をなくす」「貢献した開発スタッフには,それに見合ったリターンを出す」「KPIを予測し,それが上ブレでも下ブレでも実際のKPIとズレていたときにその原因を分析する」といった手段が挙げられた。
 なお岡本氏は「モンスターストライク」の成長について,ローンチから2年4か月がピークだと社内で発言しており,以降は「ゆっくり収束するだろう」と後続に任せてしまったとのことで,「こんなに大きな存在になるとは思っていなかった。自分より後続のほうが優秀だった」と話していた。

画像集#006のサムネイル/「岡本吉起氏がゲーム業界の過去〜現在〜未来!持ちうる全てを語る会」レポート。数々のヒット作を生み出したレジェンドが自身と業界を語った

 岡本氏は「ゲームでヒットを出すということ」について,自分の存在意義を確認すると同時に「世の中を元気にする手段」だと考えているという。ヒットしたゲームをプレイして悪く言う人もいるが,それはノイジーマイノリティであり,それ以上に元気になっている人が多いことを指摘し,「ノイズを気にすることなく,多くの人を幸せにしているという意識を持つ。それで皆が幸せになれる」と語った。

 またもともと日本が得意としてきた表現が研究された結果,中国からは「原神」,北米からは「Ghost of Tsushima」といった優れたゲームが出てきている。その一方で当の日本のゲーム業界は保守的になっていると思える状況をどう考えるかという問いに,岡本氏は「1つに評価の方法がよくない」と回答。「ナンバリングタイトルやシリーズものを作ったとき会社が得る利益は,例えば『○○5』なら『○○5』単体の利益と通常は考える。しかし例え『○○5』に関わっていなくとも,シリーズの始まりとなった初代作品を作った人にもボーナスを出す仕組みにすれば,新しいゲームを作ろうという人が出てくるのではないか」と説明した。
 加えて岡本氏は,若いゲーム開発者に向けて「ナンバリングタイトルやシリーズものに手を出すのではなく,ぜひ新規タイトルを作ってほしい」と強くアピール。「主力デバイスが代わるタイミングで何か特許を取るなど,まだチャンスはあるはず」と話していた。

 最後に,「自身にとってのゲームクリエイターとは」と問われた岡本氏は,「ゲームというものを題材に,皆に夢を与える職業」と回答。「夢を与えるためには,自分もお客さんも夢を見なければならない。遊んだ人が自分もゲームを作りたい,あるいはもっと遊びたいという夢を見せるために,夢を作って夢を与える人達」と表現していた。


ゲーム業界の現在と今後に関する質問に岡本氏が回答


 セミナーの終盤には,岡本氏が聴講者やクリーク・アンド・リバー社のスタッフからの質問に答えた。
 「スマートフォンの次には,どんなプラットフォームが来るか」という質問には,「それが分かるなら今と違ったビジネスをしている」と即答。その上で岡本氏は「何が来るかと思いながら,皆がいろいろトライしているところ。例えばブロックチェーンゲームやVRが来るんじゃないかと言われているけれども,多分どちらもそれほど来ない。とくにVRはまだまだ先」としつつ,「自分を含め多くの人は,おそらくスマートフォンを電話機でなくPCとして使っている。そうなると,次のプラットフォームがどうなるかではなく,次のPCがどんな形になるか,どんな機能を持つのかという話になる」と見解を示した。
 さらにスマートフォンがそれまでのPCよりも優位性があった点として,「ユーザー全員がオンライン環境を持てたこと」「ハードを電話会社が売ったこと」の2点を挙げ,「次に来るのは既存の○○だけど,新たに△△と□□の機能が付いているようなもの」と説明を加えた。

 「中国との付き合い方」ついては,まず日本企業が中国にスマホゲームで進出して売上を出しても,その30%をApple,55%をテンセントに支払わなければならないので,残りの15%しか残らないことを岡本氏が説明。「テンセントは『中国は広いから多く売れるので,海外企業でも儲けられる』と主張しているが,そのぶんテンセントに入るお金が増えていく。そんなマーケットを攻める必要はない。むしろ中国企業と契約して出資してもらい,中国から世界に向けてゲームを出したほうがいい」と語った。ただし契約の内容は,中国企業ばかりが儲かるものではなく,きちんとWin-Winの関係を構築できるものになるよう注意すべきだとも話していた。

 「メタバースやNFTの技術は,今後ゲームにおいてどんな役割を果たすと思うか」という質問には,「自分はメタバースには行かない」と岡本氏は回答し,「過去一番成功したメタバースは『Second Life』だと捉えているが,市場規模的にはまだ小さい。その小さい市場に,ブルーオーシャンだと思って多くの人が押しかけているので,バランスが悪い。同じような例に仮想通貨があり,多くの企業が参入したがビットコインとイーサリアムくらいしか成功していない。メタバースは仮想通貨よりもずっと小さい市場なので,勝てるのはおそらく1社だけ。将来的に成長するかもしれないが,今参入しなくてもいい」と持論を示した。
 またNFTについても,「ブロックチェーンはまだ多くの人にとって使い方が分からなかったり,処理が重すぎてゲーム性が限定されたり,仮に利益が出ても税金として50%持っていかれたりすることを考えると,メタバースよりはマシだがそんなにワクワクするものではない」とした。

 「日本でゲームを作るときに,何がエッセンスになるか」という質問には,「貧しい国ではゲームと言えばコピー品が当たり前というケースもあるし,家でゲームをやろうにも電気代がかかるなどいろんなマイナス面がある。そもそも生きるのに精一杯で,ゲームに費やすリソースがない。その一方で日本で育った人の多くは余裕があり,『ゲームとは何なのか』ということをきちんと肌で感じられると思っている」との回答が。
 岡本氏は,余裕のない国ではクルマは移動手段であり安全第一なので,レースゲームをやらせても誰もほかのクルマを追い抜こうとしなかったという事例を挙げ,「日本では,誰もがゲームをゲームとして楽しめる。それはゲームを作る上でも大きなアドバンテージになっている」と語った。

 「一緒に働きたい人材は」という質問には,「第1条件は,『これだったら誰にも負けない』という長所を一言で表現できるエキスパート」と岡本氏は回答。必ずしも「日本一」のような肩書きは必要なく,「アニメならメチャクチャ詳しい」「音楽にはかなり精通している」というレベルでいいそうだ。また第2条件は,「誠実」とのこと。

 「中国を含めた海外と比較して,日本ではゲームに対する投資が少ない。まずはクリエイターの報酬を増やしてみては」という提案には,岡本氏自身がかつて社員の基本給を少なくし,その社員の関わったタイトルがヒットしたときのボーナスを増やした事例を紹介。ただし,最初から優秀な人材を多額の報酬で雇い入れることも正解であるとした。

 「日本のゲーム会社は日本人ばかりというところが多いが,海外市場を視野に入れるならもっと外国人を採用するべきでは」という提案には,「海外に拠点を展開していくよりは,日本語の話せる外国人を国内の拠点に採用するほうがいい」「日本に来ている外国人は,優秀な方が多いので採用できるとおいしい」と岡本氏。なお,自身は別会社を立てて海外に拠点を移しており,それもまた正解の1つであるとした。

 セミナーの最後,岡本氏は「伝えたいことはいつも同じで,ゲーム業界が元気になってくれたらいいな,日本が元気になってくれたらいいなとずっと思っています。僕自身も日本ゲーム文化振興財団を設立し,若手のゲームクリエイターを支援しています。今日の話が皆さんの参考になれば幸いです」とまとめていた。
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