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[GDC 2019]ゲームにおける身体的・精神的な障害の表現と,そこに働くバイアス,そして秘められた可能性とは
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印刷2019/03/21 14:06

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[GDC 2019]ゲームにおける身体的・精神的な障害の表現と,そこに働くバイアス,そして秘められた可能性とは

画像(001)[GDC 2019]ゲームにおける身体的・精神的な障害の表現と,そこに働くバイアス,そして秘められた可能性とは
 ゲームにおいて「アクセシビリティ」が重視されるようになってから,結構な時間が経過した。結果として,例えば「色覚異常を持つ人の場合,特定の色が区別しにくいので,色でオブジェクトを区別するゲームの場合は事前にちゃんと見分けがつくかチェックしよう」といったノウハウは,ゲーム産業全体に広まったと言えるだろう。

 とはいえアクセシビリティという概念が急激に広まった背景には,「そのほうが売れる可能性が高まる」という大変に分かりやすい事情もあった。上記の色覚異常であれば男性の10%は何らかの種類の色覚異常を抱えている。逆に言えば,色覚異常に配慮したデザインをすることで,ゲーム市場において大きな割合を占める男性ユーザーの母数を,さらに「10%水増しして考える」ことが可能となるわけだ。PCでもモバイルでも激しい競争が繰り広げられるゲーム産業において,10%という巨大な数字を取りに行かない理由はないだろう。
 けれどもこれは,「お金になりにくいアクセシビリティは,どうしても軽視されがち」ということでもある。できる限り多くのプレイヤーが不自由なく楽しめるような設計・実装になっているのが理想だが,その結果として「たくさん売れたが大赤字」では次が続かない。
 ……といったラインが,アクセシビリティが直面している分かりやすい問題と言える。

 「身体が不自由」という状態は,アクセシビリティ以外においても,ゲームという文化全体に「暗部」と言うほかない領域を形成している。GDC 2019でCherry Thompson氏が行った「You Can Take an Arrow to the Knee and Still Be an Adventurer」という講演は,まさにその暗部にメスを入れるものだった。非常に濃い講演だったこともあり,そのすべてをお伝えするのはとても難しいので,ざっくりとした概要をお送りしたい。

Cherry Thompson氏
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この講演は手話通訳つきで行われた
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人を自由にするはずの車椅子が,恐怖の象徴になる


 講演のタイトルは言うまでもなく「The Elder Scrolls V: Skyrim」に登場する街の衛兵NPCが口にするセリフ「膝に矢を受けてしまってな」を踏まえたものだ。そして登壇したCherry Thompson氏もまた,「膝に矢を受けた」一人である。
 Thompson氏はプロのカメラマン/アーティストとして活動していたが,31歳のときに重度の障害を負って車椅子生活に入り,それからはゲームのアクセシビリティを専門とするコンサルタントとして活動している。これまでに,インディーズデベロッパからUbisoft Entertainment,ソニー・インタラクティブエンタテインメント,MicrosoftといったAAAゲーム開発会社にまで,幅広くその知見を提供したそうだ。

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 今でこそ精力的な活動をしているThompson氏だが,障害を負った直後は非常に苦しい思いをしたと述べる。「これまではできたのに,もうできない」ことが一気に増えて,その「できない」は自身のキャリアにも直撃したのだ。どうしたって障害をネガティブに捉えることしかできない状態だったという。
 やがて障害をポジティブに捉えられるようになったThompson氏は,車椅子や杖を駆使してさまざまな活動を行うようになるが,そんな中で,「ゲームにおける車椅子」が現実における車椅子とあらゆる面において「違っている」ことに気づいた。

画像(004)[GDC 2019]ゲームにおける身体的・精神的な障害の表現と,そこに働くバイアス,そして秘められた可能性とは

 そもそも車椅子のユーザーは,必ずしも障害者とは限らない。一時的に怪我をした人であっても車椅子を使うことはあるし,さらに言えばまだまだ健康な高齢者が安全に外を移動するために車椅子を活用することもある。
 実際,「Everyday Wheelchair」(日常用車椅子)でイメージ検索すると,医療用のステロタイプな車椅子ではなく,カラフルでスポーティな車椅子をいくつも確認できる。
 しかしながらゲームに登場する車椅子は,しばしば「醜くて鈍重」なものとして描かれる。ここには明らかに,何らかの先入観が働いているのだ。
 現実における車椅子ユーザー(Thompson氏を含む)にとってみると,車椅子は「人を自由にしてくれるもの」だ。これを少なからぬゲームは「人を拘束するもの」として描き,ときにはその架空の不自由さや異形をもって「人を怖がらせるもの」として利用しているのである。

日常用車椅子の例(右半分)
画像(005)[GDC 2019]ゲームにおける身体的・精神的な障害の表現と,そこに働くバイアス,そして秘められた可能性とは
「恐ろしいもの」「不格好なもの」としてゲームに登場する車椅子
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 これは統計的な面からも見て取れるとThompson氏は指摘する。
 ゲーマーの30%は,何らかの障害を負っているという。その一方でゲームに登場するキャラクターが障害を負っていることは,極めて稀だ。ゲームの世界において,障害は「とてつもなく特殊なこと」なのである。
 しかも,障害はいわゆるダイバーシティ(多様性)のスコープから外れやすいという。

 「障害を負っていること(負うこと)は,100%ネガティブなこと」という表現は,ゲームのあちこちで見受けられる。ゲームの中で障害をポジティブに描くことで,障害を受容する構造に期待できるはずなのに,現状の多くのゲームが語る物語からは,障害を拒絶する構造しか生まれ得ないのだ。

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 けれどThompson氏は,ゲームには「リアルな可能性」があると語る。
 どんなにポジティブに捉えたとしても,現実世界において障害を負った人間は「できない」ことを抱え,なにかしら疎外された状態になりやすい。けれどゲームの中であれば「一緒にゲームを遊ぶ人」として,何の疎外もない時間を過ごし得る。MMORPGなどのオンラインゲームはその典型と言えるだろう。あるいはゲームの側から,日常では得られないような感謝の言葉を受け取ることもできる。

日常に散らばる「疎外」
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「分かりやすさ」を越えた先にある可能性


 ゲームの世界において,障害に対して独特の先入観(ないしステロタイプ)が見て取れる。Thompson氏はこれを「ゲームにおいて障害を負った善人は非常に頻繁に物語の途中で死に,一番悪い悪人は何らかの障害を負っていることが多い」「視覚障害や聴覚障害は,なぜか年老いたキャラクターにしか発現しない傾向がある」と冗談混じりで指摘する(言うまでもなく,例外はある)。

Thompson氏が指摘した「ポジティブな例外」。左端に車椅子に乗ったキャラクターがいるが,このキャラがなぜ車椅子に乗っているかの説明はない。「理由なんてなくてもいい」というのがThompson氏の主張である
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 一方で,「ゲームだから」「分かりやすくするため」に用いられる表現としての障害を避け,もっと普通に障害を負った登場人物を作中に登場させたとしても,問題は残る。その人物があまりに非現実的な振る舞いをする,というパターンだ(ゲーム内で車椅子に乗った老人が,到底あり得ないようなモーションをすることは珍しくないという)。
 例えば先に触れたように,「車椅子のユーザーにとって,車椅子は人を自由にするもの」という感覚は,非車椅子ユーザーにはなかなか抱けない。その結果「車椅子」にまつわる物語が「拘束と恐怖」の側にすり寄ってしまう危険性は低くない。世界に存在する障害のバラエティを見るに,車椅子という比較的一般的なガジェットですら起こるこの手の齟齬が,ほかの局面で起こらない(ないし避けられる)と考えるのは,あまりに楽天的すぎるだろう。

車椅子に乗った老人があり得ない挙動をする例
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 結局,この問題は「ゲームを作る側が,障害についてより深く理解する」ことでしか対応できない。そして理解を深めることによってゲームの幅が広がるというのは,「Hellblade: Seuna's Sacrifice」が示しているとThompson氏は指摘する。
 「Hellbladeは開発者が精神疾患についてしっかりと研究しているというだけでなく,主人公であるSeunaが希望を抱いた人物として描かれている」というのがThompson氏の分析だ。Seunaが「故郷の村を焼かれ精神疾患を患った悲劇の女戦士」というところで止まっていれば(そこで開発者が「精神疾患ってこういう可愛そうなものなんでしょう?」で済ませていれば),彼女が「悲劇の女戦士」という量産型キャラクターを越えることもできなかっただろう。

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 ……ということを言張すると,反射的に「つまりそうやってコンサルタントがお金を稼ぎたいんですよね?」と思ってしまう人も,いるかもしれない。
 けれどこの点は,我々ゲーマーこそがもっと真剣に考えねばならない問題だ。
 世界にはゲームとゲーマーに対する先入観が溢れている。「ゲームってこんな程度のものでしょう?」どころか「ゲームとは(ゲーマーとは)こんなにも邪悪なものなのだ」といった根拠のない主張をする人すらいるのが現状だ。ゲーマーとしては「こっちの話も聞いてくれよ」「少しくらいは調べてから発言してくれよ」と言いたくなる。

 この「こっちの話も聞いてくれ」「少しくらいは調べてから発言してくれ」という思いを,同じように社会に漠然と広がっている先入観に苦しめられている人々が感じるのは,不自然なことだろうか。ここで我々ゲーマーの側が「だってそれって『そういう』ものでしょ,ゲームなんだし」と言ってしまえば,まさにその言葉で刺されるのは我々ゲーマーではないだろうか。もしテレビドラマに,常識ではあり得ないような行動をする「ゲーマー」が登場したとき,「それって『そういう』ものでしょ,ドラマなんだし」と言われたら,どう反応すればいいのだろう?

 重要な点だが,Thompson氏は「障害を持った悪人は一切登場すべきではない」という主張をしているわけではない。
 だが「障害があること」と「悪人であること」の間に,「それはそういうものだから」「そのほうが分かりやすいから」という安易な関係性を設定すれば,物語の幅は自然と狭まる。また,「障害を負った善人がもっとたくさんいてもいいし,盲目の預言者は旅の途中で死ななくてもいい」といった形で,表現できる世界の幅を広げることもできる。
 同様にThompson氏は,「障害と多様性は同居し得る」ことも指摘する。性的マイノリティであることと,身体的障害を負っていることは,並立するのだ。これもまた,表現の可能性を広げる効果がある。

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 もちろん,何もかもを「綺麗な話」で進められる話題でもないだろう。
 けれどゲームの持つ楽しさと可能性を慎重に追求していくのであれば,「障害をどう描くか」という問いは早晩浮上してくると思われる。実際GDC 2019では,ナラティブ系の講演でメンタルヘルスに触れた講演が,筆者が確認しただけでも最低2つはあった。
 より発展的な未来を模索するのであれば,Thompson氏がこの講演で提示した問いかけは,ゲーム制作者はもちろん,遊ぶ側も真剣に考えねばならない問いになり得るだろう。
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