企画記事
実績,いくつ解除してる?――Xboxユーザーをトリコにするアチーブメント要素の甘美な魅力
4Gamer読者であればご存じのとおり,Xboxというハードはどうしても“マニア向け”のイメージが強く,日本国内市場では苦戦していると言わざるを得ない。ただ,筆者はXbox Game Passの存在によって,その風向きが変わるのではないかと感じている。
Xbox Game Passとは,約400本※の対象タイトルを好きなだけダウンロードして遊べる月額制サービスだ。そのお得感は他社のサービスと比較しても群を抜いており,Xbox Game Passをきっかけにして,Xboxプラットフォームに興味を持った人は多いと思う。
※Xbox Game Pass Ultimateの場合。PC用ゲームを含む。
筆者は初代XboxからのヘビーなXboxユーザーを自負している。日本国内で決して主流とは言えないハードを長年,愛用している理由をふと考えてみると,「実績」の存在がとても大きい。
実績とは,Xbox 360の登場時に搭載されたアチーブメント要素だ。その後,Xbox Oneを経て,現行のXbox Series X/Sへと続いている。アチーブメント(Achievement)とは「達成」や「成果」を意味する単語で,ゲーム機に搭載されている“やり込み要素”の総称としてもしばしば使われる。
アチーブメント要素はPlayStationやSteam,iOSやAndroidといったプラットフォームにも採用されているので,その存在をなんとなく知っている人もいるだろうが,Xbox 360の実績はそれらの先駆けと言えるものだった。
また,実績には「解除率」が表示される。そのゲームをプレイしたプレイヤーの総数に対して,その実績を解除したプレイヤーの割合を示してくれるのだ(これはトロフィーも同様)。解除率は「どれくらい困難な実績なのか」という指針になるが,その一方でゲームメーカーも「どのあたりで割合が下がるのか」というデータが取れる。
たとえば,ゲーム中盤を過ぎたら解除される実績の解除率がガクンと下がっていたら,「中盤までしか遊んでいない人が多い」ことになるわけで,以降のゲーム開発に活かせるデータともなっているはずだ。プレイヤー側にはやりこみ要素として,開発側には貴重なデータとして機能するのだから,一石二鳥のアイデアと言えるだろう。
アチーブメント要素は言い換えれば「やり込みの可視化」だ。それまでは各々のプレイヤーが勝手に目標を決めてやっていた「ゲームのやり込み」を,公式にサポートしましょうという試みだと思う。決して強制されるものではないため,「やったろうじゃん!」とコンプリートを目指すもよし,「興味ないや」とスルーするもよし。それらを達成したからといって,ゲーム内の要素に何ら影響することはない。大いなる自己満足だ。
ゲームを遊ぶ。そのスタイルはさまざまだ。アチーブメント要素にこだわる人はとことんこだわるが,気にしない人はまったく気にしない。しかし,そんなアチーブメント要素によって,ゲームライフが大きく変化する場合だってある。今回はXbox Series X/SのローンチによってXboxプラットフォームに興味を持った人のために,“実績という沼”に足を踏み入れた実績マニアの1人として,筆者の思い出話を交えつつ,その魅力の一端をお伝えしたい。
Xbox オフィシャルサイト
実績のためにゲームを買う
実績は基本的に,ソフト1本につき「1000」(単位はG,ゲーマースコア)と定められている。その配分は,達成が難しいものほど高スコアが設定されていることがほとんどだ。たとえば「難度イージーでクリア」が30であれば,「難度ノーマルでクリア」は50,「難度ハードでクリア」は100といったイメージだろうか。
ダウンロード専用ソフトの実績が1000ではなく,200や400と設定されていた時期もあったが,今はどんな小粒のソフトも基本は1000だ。また,追加コンテンツやアップデートに合わせて,実績が追加されることが多い。
「その数字が上がると,どうなるの?」といった疑問が浮かぶかもしれない。しかし,「アカウント名の隣りに表示される数字が増えるだけ」である。本当にそれだけだ。とくにこれと言ったメリットはない。この潔さがいい。さしずめ,「ゲームを愛する者たちの戦闘力」といったところか。
実績の存在を知った当初は「そのゲームをどれだけやり込んだかの目安になるのかな」といった感想を抱いたが,さほど気にしていなかった。ただ,「850」や「950」という表示を目にすると,どうにもムズムズしてくる。
筆者は,複数の難度が用意されたゲームにおいて「最高難度に挑戦する」ということをしないタイプのプレイヤーだった。ノーマルの難度でもクリアできれば満足なのだ。しかし,解除していない実績が「最高難度のクリア」のみだったら,「う,うーん……。ちょっとやってみるか」と挑戦してみたくなるものではないだろうか。
最初に最高難度の実績解除に挑んだゲームは,心が折れてしまうほどの難しさではなく,絶妙な楽しさがありつつも,クリア後には心地よい達成感が得られた。おそらく実績がなければ挑戦しなかったはずだが,それに自ら挑んだという事実。まるで実績が「ゲームの食わず嫌い」を解消して,新しい体験を教えてくれたような気さえした。
「実績がなければ,挑戦しようと思わなかったもの」として,強烈に印象に残っているのが「桃太郎電鉄16 GOLD」だ。同作には「10年トライアルモードで総資産500億円を達成」という実績があり,これが相当難しい。筆者は10年ほど前から何度も挑戦しているが,いまだに解除できずにいる。
10年で総資産500億。この目標はテキトーに遊んでいて達成できるものではない。これを狙うなら,物件を半額で購入できる「シルバーカード」と,お金をかけずに所有物件をランダムで増資できる「増資カード」による合わせ技を決めるしかない。
桃太郎電鉄16 GOLDにはウン百億クラスの高額物件がいくつかある。これをシルバーカードで購入することで出費をグッと抑えつつ,増資可能な所有物件を高額のものだけにした状態で増資カードを使って,一気に資産を増やすというわけだ。
シルバーカードと増資カードは容易に入手条件できるものではないし,それ以上に狙った駅の物件をうまく買い占められるかどうかが最初の高い壁となる。
筆者はこの実績解除に挑み,失敗するたびに反省と次回への課題をテキストファイル(「桃鉄500億.txt」)に書き残してきた。
「最初の目的地が近場でなかったらリセット。最初の決算までに都市の物件を独占して,ある程度の収入を得るため。必然,物件が安くて独占しやすい出雲狙いになる。伊勢や近江八幡なども東京から出雲へ向かう途中にあるので,このあたりが目的地になってもOK。しかし,CPUに先を越されたら意味がない。そのときはリセット」
「物件は1回でMAXまで増資(1か所につき,足踏みカード2枚所持)できないときは買わない。これは徹底する」
「CPUの所有カードは常にメモして把握。刀狩りカードやスキミングカードが手に入ったときに功を奏する」
「ワクチンカードは切らさない。ウイルスだらけの世界に旅立つと思え」
「不思議なものでこれだけ回数をこなしていると,確実に“流れ”が来ているときが分かる。明らかに自分に有利な展開ばかりで,CPUに不利な出来事が起きやすい。目的地が見えた途端,サイコロの目がピッタリ出た。乱数が味方になっている瞬間,その風を感じろ」
「貧乏神を付けられたら,特急カードを使ってでも付け返す。“1ターンくらいなら……”は命取り。貧乏神に1回も行動させるな。CPUを見たら押せっ……!」
ブランクが空いたときに忘れてしまうことから,説明口調になっているのだが,最後のほうはちょっとしたカイジだ。度重なる失敗で相当疲弊している様子が読み取れる。
500億の実績を狙っている過程で,「実は桃鉄って,ローグライクなんじゃないか」と思い始めた。各カードの売値を把握し,カードの取捨選択時には安いものから処分。地理を把握し,次の目的地へ向かいつつ,物件を買い占める予定の駅を通るルートの模索と構築。こうした知識を持っていることが前提としてあり,常に最善手を打ったうえで,圧倒的な運に左右される。まさしくローグライクの本質だ。
というわけで,まだ解除できていないのだが,今後も折を見て挑戦するんだろうな……。
実績には「高難度への挑戦」だけでなく,隠された収集物を見つけたり,特定の武器を使ってステージをクリアしたりするといったタイプもある。これを「面倒だなあ」と感じる人もいるだろうが,これまで見向きもしなかった場所を訪れて思わぬ発見をしたり,手段を制限することで初めてゲームバランスの妙を感じられたりと,意外に得るものは多い。桃鉄にしても,まさかローグライクと結び付けることになるとは思わなかった。時として実績は,“ゲームをより深く味わえるグルメガイド”のような役割を果たしてくれる。
実績の数字が増えていくと,さらなる高みへの欲が出てくる。そして……
そんな悪魔のささやきを聞き流せなくなるのだ。そのゲームにまったく興味はなかった。にもかかわらず,店頭でパッケージを見つけて「これがウワサの……。あら,意外と安いじゃないの」と手を伸ばす自分がいた。
「巨人の外国人選手だってクロマティしか知らないのに,メジャーリーグの野球ゲームを買う気か!」
こうした心の声がなかったわけではない。しかし,悪魔が勝った。「興味があるから」ではなく,「実績がカンタンに解除できるから」という動機でゲームを手に取る背徳感。誰もとがめたりしないのに,実績を解除することが何か悪いことでもしているかのような後ろめたさ。でも,気持ちよかった。すべてが最高だった。
しかし,その闇堕ち感も最初のうちだけだった。実績1000を達成するために,そのゲームを遊んでいることが楽しかったからだ。もしも実績がなければ,そのゲームを手に取ることはなかった。そう考えると「実績のためにゲームを買う」というのも,自身のゲーム観を見直す,良い手段と思えてくる。
実際,このことをキッカケに,ゲームショップでゲームソフトを選ぶときの視野が広がったと思う。しかし,その結果として,もう1つの沼に足を踏み入れることにもなった。海外ゲームという沼である。
実績がキッカケとなり,海外ゲームに手を出す
興味のないジャンルどころか,ついに登場人物が何を言っているかも分からない海外ゲームに手を出すようになった。今でこそ海外ゲームを遊ぶことはまったく珍しくなくなったが,Xbox 360時代の「洋ゲー」は言うのもなんだがマイナージャンルだった。
しかし,「実績コンプがカンタンなゲーム」の話になると,国産ゲームより海外ゲームの名前が多く挙がる。なかには「2分で実績1000を達成できる」というソフトも存在したくらいだ。実績という何の意味もない数字を高めるために,海外ゲームは避けては通れない道だった。
海外ゲームのなかでも,映画を原作とするゲームには「実績コンプがカンタンなゲーム」が多い印象だ。こうしたゲームは普通ならば「映画ファンをターゲットにしているから,話が分からないのでは……」と思うところだが,「どっちみち,英語が分からんことに変わりない!」というポジティブ思考により,何の抵抗もなくプレイすることができた。
また,ガチガチのゲーマー向けではないからなのか,それほど難しくなく,親切なつくりのタイトルが多かった。そう考えると,実績が解除しやすいことにも頷ける。
知らない映画が原作,しかも英語。この「まったくもってワケが分からない」感覚が,逆に面白く感じた。どういう話なのかはなんとなく分かるし,ゲームをプレイしたことで,その映画に興味を持つという逆転現象もあった。
いったん海外ゲームに抵抗がなくなると,(実績の難度ではなく)純粋な興味から触れてみることも多くなった。「Saints Row」(邦題:セインツ・ロウ)もそのひとつ。今でこそシリーズ化され,国内向けに発売されている人気シリーズだが,当時(2006年)は海外版しかなく,ほとんど知られていなかったのだ。
行き交う車を止めたかと思うと,運転席から見知らぬ人を引きずり下ろし,そのまま奪って自分のものにできてしまう。あとは車ごと自宅のガレージに突っ込めば,盗んだ車を所有したことになる。このジャイアニズム溢れるシステムが,当時のピュアな筆者にはたまらなく斬新に映った。
思いっきり壁に激突してフロントガラスが割れて,運転席から外に投げ出されるというダイナミック下車をしても,何事もなかったようにムクリと起き上がる主人公。おもむろに殴りかかったら,ファイティングポーズをとって殴り返してくるタフな街の住人。とにかく新鮮だった。
ご存じのとおり,Saints Rowは架空の街“スティルウォーター”を箱庭とするオープンワールド型アクションゲームだ。グランド・セフト・オートシリーズをはじめとする同ジャンルのゲームを遊んでいた人には目新しいものではなかったかもしれないが,当時の筆者は洋ゲーの門を叩いたばかり。「さすが海外,やりたい放題だぜ……」と衝撃を受けたのだ。
Saints Rowシリーズは後方互換に対応しているが,初代と第2作はダウンロード販売が行われていない。とくに第2作はオススメなので,Xboxプラットフォームを持っている人は,なんとかXbox 360版のディスクを手に入れて遊んでみてほしい。
海外ゲームはメチャクチャなゲームばかりじゃない。そのイメージが確実に変わったのは,「Dead Space」との出会いがキッカケだった。
プレイヤーは連絡が取れなくなった巨大宇宙船に乗り込み,そこで何があったのかを探ることになる。これがもう怖くて,ワクワクして,とにかくおもしろかった。会話もイベントシーンも英語だったが,ストーリーはなんとなく理解できたし,次に向かうべき目的地までのルートを地面のマーカーが示してくれるシステムも素晴らしい。このおかげで迷うことがなかった。
ただ,残酷な表現があるからか,国内向けには発売されていない。当時は本当に惜しく感じたことを覚えているが,今でも大きな損失だと思っている。
実績から話が脱線してしまった。要するに,実績のおかげで海外ゲームを知ることになり,良質な海外ゲームによって抵抗がなくなったということだ。そういう意味で「実績」には感謝している。
もちろん「実績コンプがカンタン」と聞けば,海外ゲームであってもついつい手を伸ばしてしまう。実績に国境はない。国産ゲームも海外ゲームも分け隔てなく,1本につき1000である。
しかし,実績という沼はさらに深かった……。
「実績が別の扱い」は,我々の業界ではごほうびです
「実績コンプがカンタン」と聞いた途端,そのゲームに興味が出てきたりする。海外ゲームだとしても抵抗がなくなる。ここまではまだいい。しかし実績に魅了されると,「同じゲームを何本も買う」ようになってくる。
ほとんどのゲームは,さまざまな地域(リージョン)向けにリリースされている。そして,国内版と海外版では実績が別のゲーム扱いになっていることがあるのだ。さらに海外版のなかでも,北米版と欧州版では実績が別になっているケースが存在する。
脳内では「冷静になって! 同じゲームなんだよ? しかも,北米版と欧州版はどっちも英語。何言ってるか分からないんだよ!?」と天使がささやいてくれる。ごもっともすぎる。でも買っちゃう。
ここまでくると,もう「手元に全バージョンを揃える」ことが主目的になっていて,それらを全部プレイする時間があるかないかは二の次だ。というのも,こうした海外ゲームのバージョン違いは発売から時間が経つと入手が極めて困難になる。お金を出せば,いつでも買えるとは限らないのだ。あとで後悔するのがイヤならば,「買えるうちに買っておくべき」なのだ。
そもそも「……いや,同じゲームを2回やるのかよ」というツッコミは正しい。しかし意外なことに,2回やっても面白いゲームというのはちゃんとある。こういうゲームの場合,実績コンプまでのノウハウをすでに持っていることもあって,「効率よく,もう1回遊べるドン!」というポジティブ思考を持てるのだ。
筆者にとって「天誅 千乱」がそれだった。もともと天誅シリーズは大好きだったが,天誅 千乱の登場により,“天誅の操作方法”は完成したと思っている。
初代「天誅」はPlayStation用ソフトだったため,まだコントローラにはアナログスティックが標準装備ではなかった。それゆえ,「右スティックで周囲を見回す」という現代のアクションゲームではスタンダードと言える操作に対応していない。
「天誅 参」はPS2とXbox向けに発売された。ようやくアナログスティックがあるハードになったが,周囲を見回す操作が「L1ボタンを押しながら左スティック」だったり,カメラの操作が「リバース」で固定だったりと,なかなか「これだ!」という操作方法ではなかったと思う。
その後,PSPに移植されていくのだが,同ハードには右スティックがないため,状況は変わらなかった。
しかし,天誅 千乱は右スティックで自然に周囲を見回すことができ,そのほかの操作もとにかくやりやすく,さらに理不尽な難しさもない。本当に「楽しい!」としか言いようがない天誅だった。国内版の後に海外版も買って,どちらも実績コンプを達成したのだが,「なぜ北米版と欧州版の実績が別じゃないんだ!」と嘆いたほどだ。
「実績が別の扱い」のゲームを何回もプレイするのは大した問題ではない。実績マニアを本当に悩ませるのは,オンラインモード関連の実績だ。
プレイヤーマッチやランクマッチであれば,まだいい。そのゲームをプレイしているフレンドがいれば,プレイ時間を合わせて協力してもらうこともできるからだ。もしくは本体2台とソフト2本を揃えれば,1人でもなんとかなることが多い。
問題はチームバトルだ。たとえば4人一組のチームで挑む実績であれば,同じゲームの同じ実績を狙っているフレンドが3人必要になる。これはハードルが高い。仮に人数が揃ったとしても,実績解除のために同じ時間にログインして,Skypeなどで打ち合わせしながらプレイすることになるわけで,これはもはや仕事だ。
だからといって,1人で完結させるために本体4台とソフト4本を揃えるのはさすがにキツい。何度となく実行しようと思ったが……。
もっと実績を解除したい。まだ実績を解除していないゲームはどこにある? そうなってくると,北米版や欧州版の本体でないと起動しないゲームのために,海外から本体を輸入するしかなくなる。
Xbox 360の海外ゲームには,リージョンロックによって日本版の本体では起動しないものが多かったのだ。「じゃあ,諦めるか……」ではなく,「じゃあ,本体を輸入するか……」というのが実績マニアの思考である。ここまでくると,そのゲームに興味があるかどうか,実績がどうとかではなく,「俺の知らないゲームに会いに行く」といった心境なのだ。
実績はXboxだけに存在するものではない。かつてマイクロソフトは「Windows Phone」というスマートフォンを展開していた。このWindows Phoneで遊べるゲームがいくつかあり,そのなかには実績が搭載されているものがあった。つまり,Windows Phoneでしか解除できない実績があるわけだ。
当然,筆者もWindows Phoneを購入した。ただ,RPGは「タッチパネル上に表示される十字キー」での操作や,小さい画面で長時間プレイすることがツラすぎて,クリアするまでには至っていない。
Windows Phone用「マインスイーパー」では,実績を解除するために素早い操作が求められるのに,たった1回の誤操作が失敗に直結する。そのため,「指での操作は限界がある!」という結論に達し,小さいタッチペンを買って頑張った。
こうして記憶を辿ってみると「実績に何かを狂わされた男の日記」のようでもあるが,ここまで読んでくれた人ならば,ただ時間とお金を費やしてきたわけではないことも伝わっている……と思う。お願い,伝わって。
「何のメリットを生むわけでもない数字を上げる」という目的に向かっていった結果,ゲームの食わず嫌いが無くなり,海外ゲームへの抵抗が無くなり,それまで知らなかった映画にも興味を持つようになり,同じゲームを何本も買ったり,海外から本体を手に入れたり,マイナーなスマホに機種変したり……やっぱり後半のフォローは無理。実績だ,じじじ実績を解除するんだ,ヒャッハー!
“結果”ではなく,“指標”としてのアチーブメント
数年前,ネットで見かけた「俺たちはゲームをしているんじゃない。実績を解除しているんだ」という実績マニアの言葉が印象深い。
この言葉自体,半分はジョーク,半分は本気だと思う。本来,アチーブメント要素とは「ゲームプレイに付随してくるもの」であり,「結果」であるはず。しかし,手段と目的が逆になり,アチーブメント要素のためにゲームをしている実績マニアにとっては,結果ではなく指標になっているということだ。ここが意外と本質を突いているような気がする。
歳をとるにつれて,ゲームに費やせる時間は減り,ゲームより優先順位の高いことが増えていく。ふと気が付けば,近年にプレイしたゲームの少なさや,クリアしたゲームの少なさに驚き,「昔と比べてゲームに対する情熱がなくなったのか……」と思ってしまう人は少なくないと思う。
しかし,そういう人こそ,アチーブメント要素に注目してほしい。「最近のゲームについていけなくなってきた……」という人も,アチーブメント要素を目標にすればゲームを楽しめるようになっていることが多く,難しいアチーブメントを達成できれば「自分もまだまだイケるじゃないか」という自信につながるかもしれない。
アチーブメント要素は「ゲームをより楽しむための指標」でもあると思う。コンプリートする気がなくても,実績リストを見れば「お,だいたい半分くらいまで来たかな」という目安にもなる。
そして,実績とは「軌跡」でもある。自分が今までどんなゲームを遊んできたか,その記憶は時間の経過と共に薄れて,思い出しにくくなる。しかし,実績リストを遡っていくと,そこには自分が歩んだゲームの歴史が確実に残っている。
実績がなければ思い出すこともなかったであろうタイトルを見つけると,「お前には苦労させられたなあ……」と思いがけず旧友に出会ったような懐かしさすら感じる。なかにはオンラインサーバーの閉鎖等の理由でコンプリートが不可能になったゲームや,PC版の場合はWindows OSのアップグレードによって起動できなくなってしまったゲームもあって,時の流れを実感する。
実績は思い出を回想するアルバムの役目も果してくれる。……それはウソじゃない。ウソじゃないんだけれど,心の声に正直になるなら,筆者が実績を解除し続けてきたのは「ただ,気持ち良いから」だった。
誰かと競うためでもない。自慢するわけでもない。「ポコン」という小気味いい実績解除のSEが気持ち良い。実績リストの「1000/1000」を見るのが気持ち良い。実績の数字が増えるのが気持ち良い。ただ,それに尽きる。クゥー!
筆者が実績にハマったのは,たまたま最初の出会いがXbox 360だったからだ。アチーブメントはプラットフォームに紐づくやり込み要素であるため,最初の出会いが何であったかが大きい。「PS3からトロフィー一筋」という人は,そのままトロフィー道を突き進むもよし。「スマホしかないから……」という人はiOSのGameCenter,「PCゲームしか遊んでないぜ!」という人はSteam実績。もちろん,プラットフォームにこだわらず,「目に映るものは,すべてたいらげる!」勢いで複数のアチーブメントを食べまくるのもアリだ。
もし,「Xbox Game Passがお得っぽいから気になっている」という人がいるならば,「実績,解除しない?」と書いておこう。
アチーブメント要素の根底にあるのは“ゲーム愛”だ。ゲームが好きでなければ,こんな要素を作ろうとしなかっただろうし,また挑戦しようともしないだろう。この記事がゲームの新たな楽しみ方のひとつを知り,興味を持つきっかけになったなら幸いだ。
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