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印刷2008/04/28 12:00

連載

ゲーム業界伝説の名士録 / 第1回:デイビッド・ブレヴィック

ゲーム業界伝説の名士録
FILE No.001:デイビッド・ブレヴィック

 

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ブレヴィック氏は,学生時代に熱中していたUNIX用の無料アドベンチャーゲーム「Moria」にヒントを得て,Diabloの開発を始めたという。開発当初は,DiabloがアクションかRPGなのか,とくに意識していなかったらしいが,結果として両方の良い点をうまく融合させたゲームとなった

 「Diablo」や「Hellgate: London」と聞いて思い浮かべる人物といえば,普通はBill Roper(ビル・ローパー)氏だろう。ローパー氏は,気さくな受け答えが持ち味で,Blizzard Entertainment,Flagship Studiosの両社で“顔役”として表舞台に立ち続けている。“「Diablo」や「Hellgate: London」の人”として,4Gamerの読者にとってもなじみ深い人物だろう。だが,彼はプロデューサーという立場であり,本当の意味でDiabloを生み出したのは彼ではない。では誰なのかというと,あれだけの作品を作り出したのに,シャイなためにほとんど表に出ない人物,David Brevik(デイビッド・ブレヴィック)氏だ。

 ブレヴィック氏は,Erik Schaefer(エリック・シェーファー)とMax Schaefer(マックス・シェーファー)の兄弟と共に,1993年にCondorというゲーム会社を設立。当初は下請けを担う形で,ゲームプログラミングに従事していたが,1995年頃から,のちにDiabloとなるプロトタイプを作り始めた。
 このプロトタイプが,Blizzard Entertainmentを買収したDavidson & Associatesの目に留まり,Condorごと買われて,Blizzard Northとして新たなスタートを切ったのだ。

 ゲームエンジンの開発を,一手に担っていたのはブレヴィック氏であり,この頃は「看板プログラマーが仕上げてくるまで,ほかの開発者は黙って待つ」という,id Softwareに似た社風だったようだ。ブレヴィック氏はゲームの企画も担当しており,ゲームデザインやアート面でエリック・シェーファー氏が,そして環境アートをマックス・シェーファー氏が受け持っていた。
 また,本部となったBlizzard Southでは,のちにArena.netを設立するJeff Strain(ジェフ・ストレイン)氏やMike O'Brien(マイク・オブライエン)氏らがネットワーク部分を担当し,Battle.netを作り上げた。
 ローパー氏もBlizzard Southで採用されており,Blizzard Northの発足を機にDiablo担当プロデューサーに昇格した。余談だが,ローパー氏にはさまざまな声色も使い分けられるという特技があり,ラスボスであるディアブロの声の主でもあるのだ。

 1997年1月(会計記録上は1996年12月)にDiabloがリリースされるや否や,同作は大きな人気を獲得する。並みいるコンシューマ機用ゲームを抑え,リリースから5か月間にわたってナンバーワンの座を守り続け,北米だけで100万本のセールスを記録したのだ。
 日本でもソース(現ソースネクスト)から発売され,日本語マニュアル付きの英語版だったにも関わらず,日本のPCゲームとして異例のヒット作になった。
 1998年にはエレクトロニック・アーツ・スクウェア(現エレクトロニック・アーツ)から日本語版がプレイステーションで発売されたこともあり,Diabloの人気を肌で感じた人も多かっただろう。

 また,2000年6月に発売された「Diablo II」は,1か月間で200万本という超大型のヒット作となった。日本では,カプコンから英語版と日本語版が同時にリリースされたのだが,このあたりになると,最近の4Gamer読者でも知っている人は多いだろう。
 Diabloシリーズは拡張パックを含めると,合計で1700万本もの売り上げを記録し,稀代のPCゲームとなった。これは,Blizzard Entertainmentが1998年にリリースして人気を博した「StarCraft」の950万本をはるかに凌ぐ数値だ。

 

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Condor時代にブレヴィック氏が手がけた「Pirates of the Dark Water」は,アメリカのアニメ番組をゲーム化したものだ

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アクションRPGの在り方を変えたといっても過言ではない「Diablo」の基礎は,ブレヴィック氏が生み出した

 

 

 

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のちに似たようなゲームが多くリリースされたことを考えると,Diabloは,ゲームジャンルの一つになったのかもしれない。また同時に,MORPGを開拓した作品ともいえるだろう。一緒にプレイしていた人物に突然反旗を翻される「耳狩り」などにもあったが,その殺伐たる展開も今では良い思い出だ。画像はその続編Diablo II

 Diabloが,なぜこれほどのヒット作になったのだろうか。「レスポンスの良さ」が受けた可能性があると,ブレヴィック氏はかつて筆者に語っていた。それまでRPGの戦闘といえば,マップ上に現れたモンスターと交互に戦うというターンベース制が主流であり,ロールプレイングゲームは「じっくりプレイするもの」というのが,一般認識だった。
 ところがDiabloでは,ポイント&クリックによるプレイヤーのアクションが瞬時にフィードバックされた。マップの隅々からワラワラと湧き出したスケルトンを,次から次へと倒していくという,ペースの速いゲームデザインになっており,当時は非常に斬新だったのだ。アクションRPGというジャンルは,Diabloなくして語れないのである。

 また,Diabloは3種,Diablo IIにおいては5種類のキャラクタークラスが用意されており,どのキャラクターを使っても違った感覚でプレイできた。さらに,マップはさまざまなパターンが用意されており,リプレイバリューが非常に高い。レベルアップしてスキルを身につけ,さまざまなアイテムを探し当てるという楽しさもあり,中毒的に長時間遊べたのだ。
 さらに,Diabloのヒットの要因として外せないのは,無料でマルチプレイができた「Battle.net」の存在だろう。バグやチートの問題はあったものの,RPGのマルチプレイを追加料金なしで楽しめたこのサービスは,革命を起こしたといえる。

 日本の消費者の間で,「洋ゲーは大味」という固定観念があるが,それは一部のゲームや見た目的な部分でしかなく,アメリカには奥が深くて面白いゲームがたくさんある。Diabloは,そんなゲームの代表作といえる。
 Diabloは,現在でもアクションRPGというジャンルに高くそびえる壁だ。基本的なシステムが韓国産MMORPGにおけるスタンダードになったり,「Nox」「Divine Divinity」「Dungeon Siege」「Titan Quest」など,Diabloからヒントを得たと思われるゲームが他社からも次々とリリースされている。だが,未だにDiabloを凌駕するほどインパクトがあるものは出てきていない。

 Diabloシリーズを生み出したブレヴィック氏は,2003年6月になってBlizzard Northを仲間と共に退職。その後新設したFlagship Studiosで2007年11月に,DiabloにFPS要素を組み合わせたような「Hellgate: London」をリリースしたが,現時点で判断する限り,Diabloほどのヒットには繋がらなさそうだ。もちろん,Diabloがヒットしたときと現在では,ゲームを取り巻く環境は異なるので,単純に売り上げだけを比較して優劣をつけるのはナンセンスだろう。

 Flagship Studiosの設立から処女作の登場までは,4年以上もかかった。一つの作品を納得できるまで作り続けるという伝統は,Blizzard Entertainmentから受け継がれているようだ。Diablo以上のブームを起こすのは難しいかもしれないが,コツコツとゲームを作り続け,のちに多くの模倣作が生み出されるような作品を再び生み出してくれることに期待したい。

 

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Diablo IIの構想は,ブレヴィック氏がある朝シャワーを浴びていたときにほぼ完成したらしい。ちなみに,“スキルツリー”は彼の造語だ

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ジャンルを開拓したとまではいかなかったがHellgate: Londonの「QuakeとDiabloの合体」というアイデアも,ブレヴィック氏によるものだ

 

 

 

1993年 Aero the Acro-Bat

1994年 Pirates of the Dark Water

1994年 NFL Quarterback Club Football

1995年 Justice League Task Force

1997年 Diablo

2000年 Diablo II

2002年 Warcraft III: Reign of Chaos

2007年 Hellgate: London

※2008年4月現在

 

■■奥谷海人(ライター)■■
当サイトの連載「奥谷海人のAccess Accepted」や,E3 Media and Business Summit,Games Conventionといった海外取材記事でお馴染みの本誌海外特派員。人生の半分近くをアメリカで過ごしているために,すっかりアメリカ人化している様子で,“日本人的な感覚”を失いつつあるのが最近の悩みらしい。
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