業界動向
Access Accepted第319回:ゲームジャーナリズムの父
“ゲームの父”と聞けば,1972年にATARIを創業したノーラン・ブッシュネル(Nolan Bushnell)氏を,また“シミュレーションゲームの父”と聞けば,「Civilization」シリーズなどを作り続けるシド・マイヤー(Sid Meier)氏を思い出す人は多いはずだ。しかし,“ゲームジャーナリズムの父”と聞いて心当たりの人物を思い浮かべられる人は少ないはず。今回は,アーケードゲーム時代からゲーム記事の執筆を続けてきた,我々の大先輩にあたる,ある人物を紹介したい。
アメリカ初のゲーム雑誌を立ち上げた,一人の業界人
ちなみに,イギリスのComputer and Video Games誌が,Electronic Gamesよりも2週間早く刊行されており,「世界で初めてのゲーム専門雑誌」の称号は同誌が保有している。日本で「ファミコン通信」が創刊されたのはその5年後,1986年6月のことだ。
このElectronic Games誌の創刊に関わったのが,ゲーム業界の重鎮とされるビル・カンケル(Bill Kunkel)氏。1970年代後半から,アーケードゲームについてのニュースを新聞に書くなどの活動をしており,欧米ゲームメディアから“ゲームジャーナリズムの父”として尊敬を集めていた。その的確なレビューや正確な記事内容は,勃興期にあったゲーム産業に大きな影響を与えてきた。
Electronic Games誌は,1983年に起きたビデオゲームクラッシュ(日本では,アタリショックとして知られる)や,大手メディアの参入による競争激化などによって,1985年に廃刊した。その後カンケル氏は,多才な能力を活かしてゲーム業界を渡り歩くことになる。
当時,Interplay ProductionsのCEOだったブライアン・ファーゴ(Brian Fargo)氏の助言(というより,“そそのかし”に近いものだったらしい)によって,ゲーム開発会社であるSubway Softwareを立ち上げたり,ゲーム関連の出版社であるPrima Publishingのために攻略本を書いたり,さらには,大学でゲーム開発に関する講師をしたりなど,さまざまな場所で活躍した。“The Game Doctor”という名前でメディアに寄稿したり,また,プロレスライターとしても非常に有名な人物であることから,プロレス会場のアナウンサーを務めたりもしている。
2005年には自伝,「Confessions of the Game Doctor」を上梓し,ゲーム産業の成り立ちをゲームライターの立場から語っている。Electronic Games誌を創刊するために,複数のゲーム企業へスポンサーの依頼をしに行ったとき,当時プラットフォームホルダーとして独占的な地位にあったATARIが“ゲーム誌の存在意義”に関心を示さなかった一方で,ソフトウェア販売会社としてスタートしていたActivisionが,熱意をもって広告を提供してくれたことなどが綴られており,興味深い。
ゲームメディアの今後
ゲーム産業は,ご存知のように若い産業である。1971年にアーケードに登場した「Computer Space」をスタート地点にすれば,わずか40年。Computer Spaceを開発し,ATARIを創業したノーラン・ブッシュネル氏は現在68歳で,現役の業界人だ。事故や病気で道を絶たれた人もいるが,日本のゲーム市場を築いてきた人々を含め,黎明期から現在に至るまでずっと現役で活躍している人も少なくない業界だけに,カンケル氏の若すぎる死は悔やまれる。
ゲームはとてつもないスピードで進化を遂げているが,それはゲームメディアについても言える。最近,イギリス企業であるFuture Mediaが,北米における紙メディアのオペレーションを断念する方向であるという話が聞こえてきた。Future Mediaの北米支部であるFuture USは,「Nintendo Power」「PlayStation: The Official Magazine」,そして「Official Xbox Magazine」という3つの公式雑誌のほか,「PC Gamer」「Maximum PC」「Mac Life」など多くのゲーム/IT情報誌を抱える大手企業だ。しかしアメリカでは雑誌社や新聞社だけでなく,大型書店やニューススタンドチェーンの倒産も続いており,紙メディアを見る機会そのものまでが激減している。Future USは今後,オンラインメディア事業に専念していくのではないかと予想されている。
興味深いのは,このように紙メディアを駆逐しつつあるオンラインメディアさえ,将来的にはどうなるのかが見えていないことだ。アメリカでは「PlayStation Blog」や「Major Nelson」などのように,プラットフォームホルダーやパブリッシャが直接サイトを運営し,ゲームライターを雇って記事を書かかせたり,関係する開発者からの情報を掲載したりすることが一般的になり,そしてそれが,新たな情報源としてユーザーに認識されつつある。
これならメーカーが出したい情報をダイレクトに,そしてタイムリーに読者に届けることができ,いちいちメディアに向けて発表する手間が省ける。
メーカーがさらにこの方向を追求すれば,ニュースを伝えるゲームメディアのあり方も今後,変化して行かざるをえないだろう。
カンケル氏の最後の仕事は「Postal」シリーズで有名なRunning with Scissorsの公式サイトの記事制作だった。紙メディアからウェブメディアに変わり,やがて,メーカーの運営するサイトの編集長になったカンケル氏が,オンラインメディアの将来についてどのように予想していたのか非常に興味があるが,もうそれを彼に聞くことはできない。
筆者にとっては大先輩にあたるカンケル氏が,これまでやりとげてきたことに敬意を表し,カンケル氏の冥福を祈りつつ本稿を結びたい。
著者紹介:奥谷海人
本誌海外特派員。サンフランシスコ在住のゲームジャーナリストで,北米ゲーム業界に知り合いも多い。この「奥谷海人のAccess Accepted」は,2004年に連載が開始された,4Gamerで最も長く続く連載だ。バックナンバーを読むと,移り変わりの激しい欧米ゲーム業界の現状が良く理解できるはず。
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