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「飯野賢治没10周年企画」のドキュメンタリー映像と,親交のあったクリエイター陣によるトークの模様をレポート
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印刷2023/12/19 12:37

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「飯野賢治没10周年企画」のドキュメンタリー映像と,親交のあったクリエイター陣によるトークの模様をレポート

 日本のクリエイター,アーティスト,文化を題材としたドキュメンタリーを制作しているチーム・Archipel(アルシペル)は,2023年12月15日から17日の3日間,イベント「Archipel Caravan」を,東京日仏学院にて開催した。
 本稿では,その中で行われた「飯野賢治没10周年企画」のセッションをレポートする。

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「Archipel Caravan」公式サイト


 飯野賢治氏は,「Dの食卓」「エネミー・ゼロ」を筆頭に,それまでの枠組みを超えたゲームを世に送り出したクリエイターだ。飯野氏は2013年に42歳で夭折しており,今回のセッションでは,Archipelが制作した約80分のドキュメンタリー映像「Memories of Kenji Eno」が上映された。上映後には,映像にも出演したゲームクリエイターの水口哲也氏飯田和敏氏,メディアクリエイターの山田秀人氏,そして飯野氏の妻・飯野由香さんがトークを披露した。

会場には特設展示コーナーが設けられ,ゲームのパッケージや開発資料,書籍などが展示されていた
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 「Memories of Kenji Eno」には,上記の4名に加え,小島秀夫監督上田文人氏西 健一氏斎藤由多加氏といった往年のゲームクリエイターや,浅野忠信さんピエール瀧さんなど,飯野氏と親交のあった人達が続々と登場。それぞれがインタビューに応える形で,飯野氏の人となりや世間には知られていないエピソード,彼の作り出したゲームタイトルの裏側などを披露した。


飯田和敏氏
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 トークでは,まず飯田氏が完成した「Memories of Kenji Eno」のリンクを送付してもらったにもかかわらず,何度観ようと思っても,心情的にどうしても観られなかったことを告白。
 結果,この日に初めて映像を観たという飯田氏は,「飯野さんの追悼映像ではあるんだけれど,1990年代に僕らが一生懸命ゲームを作ってきた,ある種の群像劇のようでもある素晴らしい作品」とコメントした。


Alex Zabava氏
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 ArchipelのAlex Zabava氏(以下,アレックス氏)によると,企画が始まったのは2022年の春頃のこと。当初は飯野氏の誕生月にあたる2023年5月に映像を公開する予定だったそうだが,「単純にWebに上げて終わりというものには決してしたくなかった」とのことで,このタイミングでの初上映になったという。
 また由香さんは,飯野氏の誕生日を過ぎてもアレックス氏が「まだ何かありませんか」と素材を求めてきたエピソードを披露。そこで,飯野氏が出演したTV番組などのビデオ映像約60本に加え,プライベートな家族の映像,ラジオ番組「ナイトワープ ENO@HOME」の音源などを提供したそうだ。
 さらに由香さん自身も,アレックス氏から4時間におよぶインタビューを受けたそうで,内心「ほかの皆さんの取材はどうなっているのかな。映像は何巻くらいになるんだろう」と思っていたとのこと。

山田秀人氏
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 山田氏は,2000年頃に飯野氏と出会ったため,「この映像を観て初めて知る飯野さんの一面があった」とコメント。さらに「僕の中では,まだその辺から飯野さんが出てくるんじゃないかという感覚があるので,この映像をネタに話したいくらいな気持ち。強烈なキャラクターだけど,お茶目な一面,すごく強気な一面,人を驚かすのが好きな一面など,いろんな面があったけれど,家庭でくつろぐ姿など,まだまだ知らない一面があった」と続けた。

 水口氏は,「面白い奴がいて,絶対気が合うから」と飯田氏を紹介されたエピソードを披露し,飯野氏が人と人をつなげるような人物だったことを指摘。飯田氏もまた,自身がファンだったミュージシャン・鈴木慶一さんにサプライズで対面させてもらったことを明かした。

 映像では,飯野氏が早朝5:00頃に,食事などに誘う電話をクリエイターに掛けてくるというエピソードが披露されている。それについて飯田氏は「当時は僕らもイケイケのゲームクリエイターだったから,すべてに付き合うことができなかった。それで西さんとか,さまざまなクリエイターが代わる代わる飯野さんの相手をしているという一面があった」と説明。すると水口氏が「でも楽しかったんだよな」と当時を振り返った。

 話題は音楽の趣味にもおよび,水口氏は飯野氏がビートルズの話をすると常に「やっぱりポール(・マッカートニー),すげえな」と言っていたことを明かし,「ポールなのが飯野さんらしいところ」とコメント。「そこはジョン(・レノン)だろ」と思っていたという飯田氏が,「ポールの何がそんなにすごいのか」と問い詰めたところ,飯野氏は「ロックと言うよりポップス。自分はポップス」と回答したという。

 そんな飯野氏について,水口氏が「スタイルとしてはジョンっぽく見えるんだけど,でもそうじゃないところが面白い」と言及すると,飯田氏も「すごく風雲児だし,アウトサイダー的に見えるけど,エンターテイメントにおいては王道を継承する構えがあった」と評した。

会場では「Dの食卓」「エネミー・ゼロ」「Dの食卓2」をプレイすることもできた
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 その発言を受けた水口氏は「『売れないとダメだ』とはあまり口に出しては言わないけど,けっこう強く思っているところがあった気がする」とし,そのため「Dの食卓2」(以下,D2)では内容を盛りすぎてしまったのではないかと語った。
 映像では,インタビューを受けた人達のほぼ全員が同作開発中の飯野氏を心配していたことが明かされるのだが,水口氏は「今ここに彼がいたら,当時をどう振り返るのか。それを考えると面白いね」と話していた。

 ちなみに,山田氏が初めて飯野氏のオフィスを訪れたのは,まさにD2を開発している真っ最中だったという。山田氏は「プレイしてみて,何でもいいから意見を聞かせてほしい」と請われたそうだが,「本当に大変そうだな」と思う半面,飯野氏からどこか楽しんでいるかのような印象を受けたそうだ。

 水口氏は,当時はUnityやUnreal Engineのような汎用開発環境がなく,ゲームはすべてゼロから作らなければならず,時間と人材が必要で,コントロールできないことも次々に発生していたことを指摘。「思考や発想はどんどん先に行くんだけれど,開発が全然追いつかないことが顕著にあった。D2では,飯野さんの思考のスピードや行きたいところと,現実的な問題が乖離しすぎた感じがある。今,彼がああいうことを思いついたら,もっとスピーディにやれると思う。僕もそうだったけど,あの頃はツラかったね」と当時を振り返った。

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水口哲也氏
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 そうしたゲーム開発におけるジレンマを抱えている一方で,飯野氏が大胆なプロモーション展開を行っていたことも,当然ながら映像では触れられている。「エネミー・ゼロ」の制作発表会にて,PlayStationのロゴをモーフィングでセガサターンのそれに変形させたという,いわゆる「エネミー・ゼロ事件」に話題がおよぶ。
 水口氏によると,初めてモーフィングできるソフトが出たので,試しにいろいろいじっている中の一つに,件のロゴ変形があったという。「そうしたら飯野さんがやって来て,めちゃくちゃウケて。絶対使うことはないだろうと思っていたのに,結局ああいうことになった」と裏側を語った。なおアレックス氏によると,この事件で使われたモーフィング映像はまったく見つからなかったとのこと。

 また飯田氏は,飯野氏から実際に何が起きるか知らされないまま発表会の会場に呼ばれ,「これから起こることは,一世一代の大げんか。まばたきせずに見てほしい」と言われていたことを明かした。飯田氏は,飯野氏が直前まで緊張しながら何かを迷っていたとし,自身が呼ばれたことについて「不安だったんでしょうね」とコメント。なお、事件発生直後のソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)の社員達は,飯野氏に掴みかからんばかりに殺気立っていたという。

飯野由香さん
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 由香さんも,当日の飯野氏が珍しく緊張した面持ちだったと振り返る。自身も会場で現場を見たそうだが,当時はゲーム業界に疎かったこともあって,そのタイミングでは「へー」としか思わず,ザワザワしたり,なぜか走っている人達がいたりするのも演出の一部くらいにしか捉えていなかったそうだ。

 なお,飯野氏は自身の会社名を何度か変更しているが,現在も存続しているフロムイエロートゥオレンジでは,ソニーグループに企画提案する機会もあったというが,「俺,行けないから」と山田氏に任せていたというエピソードも披露された。飯野氏が,しばしば「本当,やりすぎちゃったんだよね……」と反省の言葉を口にしていたことも明かされた。

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 そうしたエピソードの中で,水口氏はセガがドリームキャストを手がけるときに,飯野氏がかなり入れ込んでいたことをよく覚えているという。ある日の会議中,飯野氏から「すぐ来て」という電話が何度かかかってきたため,会議を抜けて飯野氏のオフィスに行くと,コンビニに置いてあるものをすべて買い占めたくらいの冊数の雑誌が部屋にあったという。雑誌の表紙に掲載されたいろんな人達の顔が並んでいる中,飯野氏は「この人達全員がドリームキャストを買って喜んでいる姿を想像していた」と水口氏に語ったとのこと。それから6時間近くにわたり,飯野氏は水口氏に向かって「ロゴはこうあるべきだ」「色はこうだ」「形はこうじゃないとダメ」と語り続けたという。

 水口氏はドリームキャストの仕様について,飯野氏のアイデアがかなり影響しているのではないかとする。例えば起動音は,水口氏と飯田氏,そして由香さんの3人によると,飯野氏が依頼して作曲家の坂本龍一さんが制作したもの。それを飯野氏が,会議中に「これ,聴いてください」と流したものがそのまま採用されたそうだ。
 当時,飯野氏は坂本さんと仲が良く,その縁で依頼したのだという。飯野氏は元々イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の大ファンで,その本当に大好きだという気持ちが伝わり,坂本さんに可愛がられていたそうだ。また飯野氏自身も,坂本さんに名前を覚えてもらえただけで「もう,これで俺は上がり」と言っていたとのこと。
 また,由香さんからは,飯野氏が「葬儀をするとしたら,どんな曲をかけてほしいか」と坂本さんに尋ねたところ,「縁起でもない」と怒られたというエピソードも明かされた。それを受けて飯田氏は,飯野氏の葬儀に坂本さんから怒りの弔文が送られたことに得心がいったという。

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 話題が,作曲家のマイケル・ナイマンさんが飯野氏の懇願によって「エネミー・ゼロ」の音楽を手がけたことに及ぶと,由香さんが同タイトルを含むワープ時代のゲームの音楽が,現在デジタル配信されていることを紹介。また由香さんは,お子さんがピアノの発表会で披露した「エネミー・ゼロ」の楽曲を聴き,その素晴らしさをあらためて実感したと話していた。

 1990年代のゲームにナイマンさんを起用するセンスもそうだが,アレックス氏はローラというバーチャル女優を生み出し,三つのタイトルにそれぞれ異なる役として出演させたアイデアは素晴らしかったと指摘。たとえば当時,ローラはファッションブランド・ヨウジヤマモトとコラボしているが,これは,のちにいくつかのファッションブランドが漫画やゲームのキャラクターと同様の取り組みを試みる先駆けだったというわけである。
 また飯田氏も,「エネミー・ゼロ」の雑誌広告に,メジャーでこそないが当時の“渋谷系”という音楽ジャンルでは人気が高かったカヒミ・カリィさんを起用したことを挙げ,「ゲーム好きではない人にも刺さるメッセージを出すのは本当に上手だった」とコメントした。

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 さらに飯田氏は,自身の手がけた「巨人のドシン」のナレーションに俳優・緒川たまきさんを起用したのは,飯野さんの紹介だったことを明かした。
 同タイトルは,あるタレントによるナレーションを前提に開発を進めていたそうだが,トラブルがあり実現不可能になり,強い思い入れを込めて開発していた飯田氏は,「もう無理だ」と失意に陥ったという。そして,そのまま当時開催されていた東京ゲームショウに向かったところ,海浜幕張駅のホームで派手に転んでしまったそうだ。するとまさにその直後,飯野氏から「緒川たまきさん,紹介できるよ」という電話が入ったとのこと。
 しかし,その時点で飯田氏は飯野氏にキャスティングがダメになったことは話していないし,当然飯野氏も飯田氏が転んだところを見ていない。飯田氏は,飯野氏の一言でほかの可能性があることに気付かされ,そのあとはトントン拍子に話が進んだとのことで,「あれは一体何だったのか,ついぞ聞くことはできなかった」と話していた。

 水口氏もまた,飯野氏と一緒にいると不思議なことが起きると語る。映像では,2人がサンフランシスコで開催されたGDCに参加したとき,空き時間に車でビッグサーへと向かったところ,未曾有の大雨に巻き込まれ,1週間ホテルに閉じ込められ……というエピソードが披露されるが,このトークではもう一つのエピソードが明かされた。
 こちらはE3に参加したときの話で,2人で砂漠を見に行ったという。車を走らせていると,やがてインディペンデンスという集落に近付き,その名前に反応した2人は立ち寄ることにした。その集落は100世帯ほどしかない小さなものだったが,ミュージアムがあり,やはりピンと来た2人が中に入ってみると,なぜか下駄や神棚など日本由来のものが,写真とともに展示されていたのだという。
 それらの写真をみると,背景はインディペンデンスなのに日本人が写っていた。「ここはどうやら第二次世界大戦当時,アメリカ在住の日本人が強制収容されていた場所らしい」と気付いた2人だったが,写真に写っている人々は皆,凜としてまったく暗い表情を見せていなかったのが印象的だったそう。
 日本に帰国してからしばらく経って,2人はその体験を先人からの「分かってるよね」というメッセージだったと解釈し,「クリエイティブをやり続ける」という会話をしたそうだ。
 また,そうしたものを引き寄せる飯野氏を,水口氏は「世界中を回って,いろんなインスピレーションを得てくる。感じ取る力も人一倍強い」と表現した。

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 その発言を受けて飯田氏は,「僕も飯野さんも天才ゲームクリエイターともてはやされることもあったけど,決してそうではないんだよね。2人とも常にインプットの努力をしてきたから,飯野さんと一緒にいることで1人の行動範囲では見えないものを見られることがある。そういった世界を見続ける姿勢が,ゲーム作りにも表れている」と語った。

 それでも飯野氏には努力を超えた次元で,「普通,こんなことは起こらないということが,困ったことに起こる」という話になり,話題は西氏が映像で披露していた北海道・有珠山のエピソードに移行。映像では,飯野氏が有珠山の噴火にたまたま居合わせ,めったにないことだから見に来るよう西氏に連絡したという話が紹介されたが,実は水口氏らのところにも連絡が行っていたそうだ。また,興奮した飯野氏が,避難しようとしている地元の電器店のスタッフからCDラジカセを購入し,持参していたお気に入りのチャイコフスキーのCDをかけたという話も披露された。

 また,由香さんにも連絡があったとのことで,彼女は「大変な思いをされている方がいるのに,不謹慎極まりない」と飯野氏に説教をしたという。怒られた飯野氏からは,そのあと「無事です」くらいの連絡しか来なかったそうだ。山田氏は,飯野氏について「不謹慎とか,そういうアイデアがないですからね。その場にいて見る,感じる。それがいずれクリエイティブに影響するという姿勢だった」と表現していた。

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 トーク後の質疑応答では,登壇者それぞれが一番好きな飯野氏のゲームを挙げていく一幕も。由香さんは全部好きだとしたうえで「エネミー・ゼロ」を挙げ,エンディングを観たあとは涙が止まらなかったと話す。

 飯田氏は「リアルサウンド 〜風のリグレット〜」(以下,「風のリグレット」)を挙げ,友情出演でコンビニ店員を演じたことを語る。またこのタイトルは,柏原 崇さんや菅野美穂さんといった当時話題の俳優陣をキャスティングしているため,飯野氏が張り切ってレコーディングスタジオに板前を呼び,寿司を振る舞ったエピソードも紹介された。

 山田氏は,飯野氏とともに作った「きみとぼくと立体。」を挙げ,「ゲームというよりも,子供の頃に友人の家に行って他人がやっているファミコンを一緒に観ている楽しさが詰まっている」と語った。なお飯野氏からは「風のリグレット」をぜひプレイしてほしいと言われていたそうだが,まだ実現していないとのこと。

 水口氏は「Dの食卓」を挙げ,「初めて『どんな奴が作ったんだろう』と思った。ドキドキハラハラが最後まで続くし,とにかく効果音の使い方がすごい。こんなものを作る奴が出てきた,強烈に会いたい,と思った初めてのゲームクリエイター」と語った。また,仮に飯野氏が生きていたら,今の時代の「風のリグレット」を作ってほしいとも話していた。

 アレックス氏もまた「風のリグレット」を挙げ,今だったらアクセシビリティやASMRといった昨今話題の要素や,あるいは水口氏が取り組んでいるシナスタジア(共感覚)などを採用していたのではないかとの見解を語った。

 なお,上映されたドキュメンタリー映像「Memories of Kenji Eno」は,D2の発売日に寄せて2023年12月23日10:00にArchipelのYouTubeチャンネルで公開予定とのこと。

Archipel(YouTube)

「Archipel Caravan」公式サイト

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