4Gamerでも何度か報じているし,筆者も昨年,東京藝術大学で行われたシンポジウムで,博物館の関係者によるゲーム保存についての講演をレポートしている。ただそれでも“世界の「遊び」やゲームを保存する博物館に,日本のゲームが評価された”というニュースの一方で,実際にストロング遊戯博物館がどんな展示をしている施設なのかは,まだあまり知られていないのではないだろうか。
もちろん博物館のレポートも過去にはないわけではない。しかし少なくとも,4Gamerには博物館全体の綿密な取材記事はまだない。
![]() |
ところが,ストロング遊戯博物館を取材できる貴重な機会をいただいた。文化庁が支援する分野横断型クリエイター育成プロジェクト「ars●bit(アーソビット)」が立命館大学ゲーム研究センター(以下,RCGS)とストロング遊戯博物館と協働で,館内に「日本のインディーゲーム」の展示コーナーを開設する企画を行った縁で取材が実現したのだ。
筆者もars●bitプロジェクトの育成対象者として,上記展示のオープニングセレモニーやシンポジウムに立ち会うため,初めて博物館へ足を踏み入れることになった。そこでは「ゲームも長い歴史ができてきたけど,未来に向けて保存するってどうするんだろう?」と長らく考えていたことが具体化されていく衝撃があったのだ。
世界の“遊び”を保存するとは何か? 今回,ストロング遊戯博物館の展示のほか,おそらく日本メディアでは初となる博物館の倉庫や工房も紹介し,衝撃の一端を伝えられればと思う。
日本のインディーゲームの歴史が,世界の“遊び”の歴史を保存する博物館の最前線に並ぶ
![]() |
最初に,ストロング遊戯博物館で新たにスタートした常設展示「日本のインディーゲーム」について紹介しよう。この展示は,ビデオゲームの歴史をさまざまな観点から紹介するフロア「HIGH SCORE」(詳しくは後述)の一角にあり,「日本のインディーゲームの歴史」と「ars●bitセレクション」という2つのパートで構成されている。
前者の「日本のインディーゲームの歴史」パートには,長年にわたりストロングとゲーム文化の保存について連携関係を築いてきたRCGSがキュレーションに協力。過去40年以上におよぶ日本の自主制作ゲームの歴史を,おおまかに「自作ゲーム」の時代,「同人ゲーム」の時代,「フリーゲーム」の時代,「インディーゲームの時代」という4つの時代区分で整理しつつ,それぞれの時代の代表的な作家・作品に関連したパッケージやグッズなどの収蔵物が展示されている。
![]() |
このパートでは,時代ごとに展示ケースを分けて作品とその成立環境の解説を行っている。「自作ゲームの時代」の展示ケースには,1970〜1980年代のマイコン雑誌へのプログラム投稿やコンテストを通じてデビューした中村光一氏の「ドアドア」オリジナル版パッケージなどを展示している。1990〜2000年代の「同人ゲームの時代」では,ZUN氏による「東方Project」シリーズ隆盛の起点となった「東方紅魔郷」を代表作として展示している。続いて2000〜2010年代のニコニコ動画を中心に「フリーゲームの時代」を象徴するnoprops氏の「青鬼」,そして2010年代〜現在の「インディーゲームの時代」はKOTAKE CREATE氏の「8番出口」などがピックアップされている。
後者の「ars●bitセレクション」パートでは,国内のインディーゲーム賞のノミネート作品などからセレクトされた毎年の最新タイトルが1年間展示される。ars●bitプロジェクトとストロングが共同で選考を行っており,記念すべき初年度のタイトルには,2025年のBitSummitのアワードでも高い評価を得たHANDSUMのアクションパズルゲーム「MotionRec」が選ばれた。動きの記録と再生を特徴とする本作は,博物館が制作した特別なアーケード筐体で実際にプレイできる。
![]() |
このように,日本で個人や小さなチームが作るビデオゲームの歴史の積み重ねとその最前線が体験できるコーナーが2月27日から始まっており,少なくとも3年にわたって展示が行われる予定だ。
このふたつの試みが,なぜストロング遊戯博物館の“遊び”の歴史に連なることになったのだろうか。
ニューヨーク州の北西部の街・ロチェスターを代表する文化施設
![]() |
ストロング遊戯博物館はニューヨーク州にある施設だ。ニューヨーク州という文化中心地に開設されているのは,“遊び”に関する世界的な博物館というイメージ通りではあるが,博物館があるのは州の北西部にあるロチェスターという街だ。
ニューヨーク州の街といっても,ロチェスターはあまり聞き馴染みがないだろう。ロチェスターはマンハッタンのようにビルが密集し,華やかな情報が毎日のように生み出される街とは違う。カナダとの国境線の近くにある,オンタリオ湖沿いの広大な自然とゆったりとした街並みを持ち,どこか穏やかな空気のある土地だ。
ロチェスターという広い土地だからこそ,ストロング遊戯博物館は世界の遊びやゲームを保存し,展示するという巨大な施設を実現できているのかもしれない。博物館は東京ドーム半分ほどの敷地面積を持つ,ロチェスターを代表する施設であり,そして観光地でもある。
![]() |
長いフライトを経てロチェスター空港に降り立つと,なんと空港の一部にストロング遊戯博物館のコーナーまで設置されていた。立ち並ぶ遊具やおもちゃの展示を前に,取材旅行から早々に博物館の存在感を目の当たりにしたわけだ。
地元のホテルにチェックインするときも驚きはあった。フロントの男性に「日本から何をしに来たの?」と聞かれたとき,ストロング遊戯博物館での仕事というと「おお,あの博物館での仕事なんてすごくいいね!」と返ってくる。それくらい街を代表する文化施設なのだろう。
こうして現地でのストロング遊戯博物館の存在を痛感しながら,実際に博物館へ足を踏み入れたとき,またひとつ考えが書き換えられるような経験があった。そこに広がっていたのは……大英博物館とディズニーランドが混ざり合ったような空間だった。
展示物は“鑑賞”と“遊び”のふたつを同時に行うことで完結する
![]() |
事前に「世界のゲームを殿堂入りさせて,歴史をまとめていく博物館」というイメージもあったので,現地に訪れたときの落差にびっくりした。お客さんも研究者とか学生が多いのかな? と思っていたら,そうでもなかったからだ。
なにしろ開館前の入り口に家族連れが並んでいる。まるで人気テーマパークを楽しみにしているみたいだ。博物館が開場すると,子供たちはおもちゃが広がっているコーナーへ向かっていく。
![]() 博物館に入場すると,すぐに目に入るのが屋内のメリーゴーランドだ。展示物であり,そして実際に乗れる |
![]() さらにダイナーの上に巨大アスレチック「ラルフ・ウィルソン・スカイライン・クライム」まで設置。神奈川県のツリークロスアドベンチャーを屋内に展開しているようなものだ。命綱を付けて地上から6〜8mの高さから不安定な足元を歩いていく。これもまた,博物館が考える“遊び”の展示のひとつ |
入場してすぐの場所にはメリーゴーランドが鎮座している。屋内に遊園地があるかのようだ。
もちろん遊具やおもちゃは見るだけではない。これらは実際に遊べる展示物なのだ。ストロング遊戯博物館では,展示物は鑑賞するだけでなく,実際に遊ぶことで完結する。
先述したメリーゴーランドは博物館の展示スタンスを示す典型例である。展示と遊び,そして保存それぞれが同時に行われているからだ。
![]() |
メリーゴーランドには実際に乗れるのはもちろん,展示品としてキャプションボードで解説を読める。1918年にニューヨーク州ノース・トナワンダのハーシェル=スピルマン社が製造したものだという。
1世紀以上前のものにもかかわらず,今も動く状態をスタッフが維持しているという。修復の過程もキャプションに記されており,木馬は常に作りたてのような外観を保っている。歴史的な一品と知りながら,実際に乗ることで当時はどんな感覚だったかを体感できるわけだ。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
博物館を軽く見回ると,周りでは子供たちが遊び,親が見守る風景が広がっている。子供が遊び疲れたときに家族で休めるよう,ダイナーやフードコートも備わっている。
学術的な博物館とは思えない風景が広がっているのだが,これも博物館の考えなのだ。ストロング遊戯博物館はなにより"PLAY(遊ぶこと)"を館内のさまざまな場所に掲げている。ゲームやおもちゃといった遊びの文化については,鑑賞だけでなく体験することを重視しているのだ。
![]() |
![]() |
もちろん博物館の収蔵品は貴重なものも扱うため,すべてを遊べるわけではない。ガラスケース内で展示されるものと,実際に遊べる展示物のふたつを扱う形である。歴史的な流れを鑑賞しながら,同時に遊ぶことで文化を理解する形だ。
なかでも印象的だったのは,「モノポリー」のオリジナル版の展示だ。現物とキャプションを見ると,今日の「モノポリー」とはまったく違う姿が浮かび上がる。
というのも制作された意図が“戦略の楽しさ”と真逆だったからだ。もともと1904年にエリザベス・マギーが制作した「The Landlord's Game」というゲームで,当初は富裕層が土地を独占してしまう構造を批判的に体験するものだったという。
ところが世界恐慌の最中である1933年,失業したセールスマンであるチャールズ・ダロウが本作のコピー版を「モノポリー」と題して販売するようになり,恐慌下の社会で大ヒットしてしまう。今回の取材に同行したゲーム作家の木原共氏は「最初は資本主義の矛盾を伝える試みだったはずなのに,商業的に展開されることでその部分が抜け落ちて楽しいゲームとして広まる矛盾」と評していたのが印象深い。
このように実際の“遊び”の楽しみの裏で,さまざまなゲームやおもちゃの社会背景も見ることで,そのコンセプトと現実のずれを見つけられるのもこの博物館ならではだ。
ゲームが遊ばれる環境も含めてひとつの体験
![]() |
![]() |
こうした子供向けのおもちゃや遊具の展示が貴重なのはもちろんだが,やはりハイライトなのは数々のビデオゲームの展示だろう。
たとえばアーケードゲーム展示区画である「インフィニティ・アーケード」は,博物館の“実際に当時どんな遊びだったかを体験させる”スタンスの代表的なものといえる。こちらは本当のゲームセンターを思わせるかのように室内の照明は暗く落とされ,薄明りのなかで筐体のディスプレイが鮮やかに映る展示にしている。
ゲームセンターらしく,実際に筐体へコインを投入してプレイする形式を採っている。ほかの展示コーナーのゲームは無料だが,ここでは来場者が自分のお金を使う行為までをゲームセンター体験の一部に含めているのだ。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
さすがに不良のたまり場的な演出のアクセントこそないが,ストロング遊戯博物館はゲームを遊ぶ空間も含めた展示を徹底しているのは確かだ。
副館長が考える,“遊び”を保存するための視点とは
![]() |
ダイソン氏は「たとえば数百年後の未来に向けて,野球という遊びを保存するとしたらどうするべきでしょうか?」と語る。つまり,野球のバットやグローブといった器具を保存すればそれでいいのか? それとも,ルールを保存すれば十分なのか? あるいは,実際の試合映像を保存すればいいのか?
いずれも野球という文化を構成する要素のひとつでしかない。ゲームや遊びを保存することも同じだという。
![]() |
このスタンスは,ダイソン氏が2008年に執筆した論文「Concentric Circles: A Lens for Exploring the History of Electronic Games」(同心円:電子ゲームの歴史を探るためのレンズ)で固まったという。
論文で興味深いのは同心円モデルだ。ビデオゲームとは,中心の1.「ゲーム」(ソフトとハード)から,2.「制作者」,3.「プレイヤー」,4.「遊び」へと広がるかたちで影響していくものだという。
論文では,ゲームそのものだけでなく,それを支える文化も含めて考えることを重視している。ゲームとはソフトの現物だけではなく,制作者,プレイヤー,そして“遊び”そのものといった各レイヤーの文化が集積されたものなのだ。
ストロング遊戯博物館の展示には,こうしたダイソン氏の考え方が色濃く反映されている。
ゲームの現物だけではなく,ゲームが持つ“遊び”の要素そのものを展示する
![]() |
ダイソン氏の保存や展示スタンスをうかがったうえで,筆者が博物館の展示で白眉だと感じたのは「LEVEL UP」コーナーだ。
ここではゲームを構成するさまざまな体験の要素そのものを展示するという異例のコンセプトを持つ。いわば,先ほどの論文の同心円モデルでいえば“遊び”のレイヤーのみを展示するかのような場所である。
つまり「スーパーマリオブラザーズ」や「スペースインベーダー」といったソフトやハードの現物をプレイさせるのではなく,さまざまなゲームに織り込まれている“遊び”の要素そのものを抽出し,来場者に実際に遊んでもらうという体験型の展示にしている。
![]() |
![]() |
ここではゲームを構成する「動き」や「解く」といったさまざまな“遊び”を体験していく。各展示はコントローラで遊ぶ形だけではなく,直接,自分の身体を動かすかたちなのも“遊び”を体感させるうえで重要だろう。
実際に「的を狙ってボールを投げる動き」をしたり,「メタルギアソリッド」のように「隠れる動き」をしたりすることで,ゲームの要素を再確認させるわけだ。
![]() |
![]() |
この展示の斬新なところは,ゲームの展示が具体的なタイトルや開発資料に限らないことを示している点だ。さまざまなゲームの要素を実際に遊ばせ,解説でその要素を持つタイトルを紹介することで“遊び”を展示するというのは,少なくとも筆者が見てきたなかでは類を見ない。
ここがこれまでのゲーム系の企画展とは違う,ストロング遊戯博物館ならではのゲームの展示や保存のやり方なのは間違いない。
![]() |
![]() |
膨大な資料収集と,遊びや体験を継続して展示するための修繕
このように展示品の鑑賞と遊びを徹底している博物館だが,やはり気になるのは展示品のメンテナンスだろう。
展示品を実際に遊べる形にしている以上,劣化や故障からは逃れられない。
ストロング遊戯博物館は年間に約60万人が来場するという。年間約500万人が訪れる著名博物館ほどの規模ではないものの,閑静な地域の博物館としては相当な来場者数ではある。その人数が展示品のゲームやおもちゃに触れるだけでも,ダメージの大きさは想像がつく。
![]() |
![]() |
![]() |
そこで博物館では,館内に工房を用意している。ここでは展示品のメンテナンスや修理を行うほか,先述の「LEVEL UP」コーナーのゲームや,企画展の展示物を制作する。工房の技術力は「アーケードゲームのチップレベルで修理できる」水準だという。
メンテナンスにおいても博物館の“遊び”を重視するスタンスは一貫している。アーケードゲームのレバーやボタン,特殊なコントローラなど体験に直結する部品は,とにかく同一のものを調達して修理するという。
アーケードゲームの部品が故障した場合,日本から代替品を取り寄せるのは困難だ。そのため,部品を3Dスキャンし,3Dプリンターで生成したものを使って修復する。ここまで徹底するのも「収蔵するゲームを100年後も遊べる状態に保つ」という目的があるからだ。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
工房の環境と同じくらい,資料の保管も充実している。
アーケードゲームの筐体やさまざまな企業の生み出したコンソール,膨大な数のソフトはもちろん,目を見張るのはゲームタイトルの関連商品の収集も積極的なことだ。ゲームキャラのフィギュアやぬいぐるみなどが分かりやすいが,中にはスーパーマリオの電話機のようなものまで収集していることには驚かされる。これらもプレイヤーのゲーム文化のひとつであり,ゲームの歴史をより具体的に伝えるものなのだ。
![]() |
![]() |
もちろん開発者側のゲーム文化として,ゲームのオリジナルデータや開発資料の保存も豊富だ。このあたりは博物館として分かりやすい収集かもしれない。
こうした資料や素材の収集には,ストロング遊戯博物館のコネクションならではのエピソードもある。たとえば,「プリンス オブ ペルシャ」や「カラテカ」のクリエイターであるJordan Mechner氏から直々にApple IIを譲り受けているなど,伝説的な作り手たちとの関係も大きいようだ。
![]() |
博物館の収集対象にはデジタルデータが主体のジャンルも含まれている。たとえばオンラインゲームの保存がそうだ。サービス終了で遊べなくなり,存在ごと消えてしまったゲームに心当たりがある人もいるだろう。
そこで博物館は「World of Warcraft」をはじめとするオンラインゲームのサーバーの一部を収集して保管したり,館内のスタッフが5〜6時間ほどプレイした動画を保管する方式を採っている。
![]() |
またオフィシャルのソフトやハードのほか,開発資料を収集する一方で,非公式のものも保存を続けているという。
いわゆるゲームの海賊版やエミュレータ,ゲームのハッキングツールなどがその対象だ。これらもまた,ゲーム文化を形成するひとつには違いない。ゲーム産業の観点からすればこれらが違法なのは間違いなく,非営利の機関が保存を担う意義は大きい。
博物館としては「MODも残していきたい」とのことだ。膨大な数にのぼるため保存は容易ではないというが,“遊び”を取り巻く文化を貪欲に保存していく姿勢には驚かされる。
膨大なコストをかけた“遊び”の保存と展示。なぜこうした博物館の運営が可能なのか
![]() |
![]() |
ストロング遊戯博物館は豊富な“遊び”の保存・展示を支える継続的なメンテナンス環境や資料保存体制も兼ね備えている。だが,この環境の維持に相当なコストがかかっているのは間違いない。
この環境を前に,今回の展示企画のRCGS側の責任者である立命館大学映像学部教授の中村彰憲氏は「ここまでのことがやれたらと思いますね……」と語っていた。
立命館大学は日本国内でゲームの保存に力を入れている機関のひとつだ。それでも現状の環境でできることの限界もあるという。立命館大学は細井浩一教授を代表に1998年からゲームアーカイブを立ち上げ,文化庁や京都府とも連携して保存に取り組むなど,活動を広げてきた。
しかし中村氏は「それでもここまでの資料を収集するには至りませんでした」と語る。そう考えれば,ストロング遊戯博物館はアカデミックの視点で理想的な場所なのだ。
![]() |
なぜストロング遊戯博物館がここまでの運営を可能にしているのだろうか。非営利団体としてゲームの長期的な保存と維持を実現している点は注目に値する。
その理由は博物館の歴史を遡ると見えてくるかもしれない。博物館は創設者のマーガレット・ウッドベリー・ストロングの膨大な収集品が元になっている。
マーガレットは幼少期から装飾品や人形,ドールハウスなど膨大なコレクションを築いていた。そのコレクションから,“遊び”をテーマとした博物館へとつながったという。
マーガレットが収集を活発に進められたのは,両親の家系から連なる豊富な資産を持っていたことも大きい。父方の祖父は馬車用の鞭を扱う産業で財産を築き,母方の祖父ジョージ・モートリー4世は製粉業で成功を収めた。両祖父ともに写真メーカー,イーストマン・コダックの初期の投資家でもあった。コダックが繁栄するとともに,資産を大きくしていったという。
このように博物館は一家の豊富な資金とマーガレットのコレクションが基盤となり,戦略的な拡張や活動の発展を通じて社会的な信頼を集めていく。その後,寄付や助成を受け入れながら拡大した。
2023年には大規模リニューアルを行い,施設を増築。本稿で紹介した「HIGH SCORE」コーナーや「LEVEL UP」コーナーを備えた現在の姿へと拡大し,世界的に類を見ない,"遊び"の保存と体験を徹底した博物館となった。
そして歴史はつづく。日本のゲームがいかに世界の歴史に絡むか
![]() |
こうした展示と保管の両輪を持つことで,ストロング遊戯博物館はゲームの歴史を大きくまとめることができるわけである。
その象徴的なコーナーこそが,冒頭で触れた「HIGH SCORE」だ。ここではアーケードからコンソール,PCなどのプラットフォームを包括したゲームの歴史を展示している。コーナーで真っ先に目に入るのは,天井の巨大プロジェクターに映る「スーパーマリオブラザーズ」や「ストリートファイターII」だ。
![]() |
![]() |
![]() |
このコーナーには,冒頭に挙げたようなストロング遊戯博物館が選出した「ゲームの殿堂」入りのタイトルが展示されている。殿堂入りしたゲームは解説映像がまとめられ,いかにして歴史的な価値を形作ったかが語られるわけだ。
「ゲームの殿堂」は博物館が2015年にスタートして以来,ビデオゲーム史上の重要タイトルを選出し続けている。殿堂入りしたタイトルをざっと眺めてみると,いずれもひとつのジャンルを定義したタイトルが選ばれている。
たとえば「Colossal Cave Adventure」はアドベンチャーゲームを定義したタイトルであるし,「バイオハザード」がサバイバルホラーのジャンルを打ち立てた意義は大きい。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
このコーナーでは20数メートルに及ぶ壁面に各時代のトピックスとなるゲームのほか,クリエイターの言葉などが掲載されている。
“遊び”の歴史はこうした膨大な時の積み重ねのうえで,現在につながっている。2026年現在のビデオゲームの最新動向として「HIGH SCORE」内に設置されているのが,注目のインディーゲームを特製のアーケード筐体で遊べる展示コーナー「Indie Arcade」だ。
「Indie Arcade」に,冒頭で紹介した「日本のインディーゲームの歴史」および「ars●bitセレクション」で選出された「MotionRec」の展示が加わり,現代のインディーゲームがもたらす“遊び”のひとつとして,ストロング遊戯博物館のつむぐ歴史の中に組み入れられたわけである。
![]() |
何をもって日本のインディーゲームの展示が,世界的なビデオゲームの歴史に連なるといえるのか。展示がスタートした2月27日には,RCGSとars●bitの日本側の関係者が記念シンポジウムを実施し,歴史のつながりについて語った。
シンポジウムでは,ダイソン氏が冒頭挨拶で「ストロング博物館は多くの機関とパートナーシップを持っていますが,RCGSとの長年の関係は特別なものがあります」と,今回の企画の意義を強調した。続いて中村彰憲氏と村上雅彦氏が登壇。村上氏は日本のインディーゲーム文化を支えてきたBitSummitの流れを踏まえつつ,2024年に始動したars●bitプロジェクトの概要を紹介した。
その後,両プロジェクトに関わる中川大地氏が登壇し「日本のインディーゲームの歴史」と「ars●bitセレクション」の展示内容を解説。過去40年に及ぶ,日本で個人のクリエイターや小さなチームによるゲーム開発の歴史を語った。
ars●bitセレクションに選出された「MotionRec」のクリエイター3名も登壇し,メンバーそれぞれの役割から作品を紹介。ディレクターのshoma氏はゲームデザインの核となる発想を,m7kenji氏は独自のビジュアル表現を,kyoheifujita氏は音楽による体験の拡張について語り,作品の多層的な魅力が浮かび上がった。
パネルディスカッションでは,中川氏のモデレーションの下で木原共氏も加わり,より踏み込んだ議論が展開された。
議論では,日本のインディーゲームに見られる歴史的特徴と「MotionRec」のデザインとのつながりが主なテーマとなった。1980年代の「ドアドア」に通じるミニマルな設計や,説明を抑えることで想像力を喚起するナラティブ,さらには同人・インディー発の二次創作が連鎖的に広がるメディアミックスの系譜などが論じられた。これらは,日本独自のゲーム文化が単なる技術や市場の問題にとどまらず,表現や受容のあり方そのものに関わっているといえるだろう。
この議論を通じて筆者が強く感じたのは,日本のインディーゲームは各時代で受容のあり方も大きく変わってきた点だ。80年代の自作ゲームの時代と,90年代以降の同人ゲームの時代のような,日本のアニメや漫画文化も含めた同人文化の時代,そしてインターネット文化が主体となるフリーゲームの時代ではユーザーとクリエイターのコミュニティも大きく変わっている。同じ自主制作とはいっても,取り巻く環境が激変してきたことを感じさせる。
その意味で,「MotionRec」は2020年代の日本と海外のインディーゲームシーンに強く影響を受けた作品であり,HANDSUMの活動もそのコミュニティの行動原理に根ざすところが大きい。しかし,部分的には80年代の自作ゲームの時代から連なる要素も見受けられるタイトルだったといえるかもしれない。
聴衆には,ロチェスター工科大学の学生や研究者もいた。ストロング博物館は大学でゲームを学ぶ学生たちともつながっており,"遊び"の歴史の最前線として日本の動向を伝える場となった。
本シンポジウムと「日本のインディーゲームの歴史」展のオープニングセレモニーは地元テレビ局が取材し,ニュースとして全米に放送された。
こうした高い発信力は,ストロング遊戯博物館が研究・収蔵機関としての専門性と,一般来館者に開かれたエンターテインメント施設としての魅力を両立させているからこそ実現できるものだ。ロチェスターから歴史を紡ぐ底力をあらためて印象づけた。
世界の“遊び”を保存して,展示を続けるストロング遊戯博物館。その実態は,ゲームそのものはもちろん,プレイヤーや開発者それぞれのレイヤーから文化をまとめる営為そのものだった。"遊び"を歴史に残すひとつの答えを,コンセプトと物量をもってストレートに示していることが,なによりの衝撃だったのである。
そして今回の「日本のインディーゲーム」プロジェクトでの協働を通じて,日本のゲーム研究やクリエイション,あるいはビジネスの現場にいる各関係者が,初めてその展示空間づくりの一端に参画できたことにも,きっと大きな意味があるはずだ。
これを機に,ストロング遊戯博物館をより多くの日本人が訪れるようになり,関係がさらに深まって新たな展示企画が生まれたり,ゲーム制作や文化アーカイブの現場にノウハウが持ち帰られたりすることを,いちゲーム関係者として望んでやまない。











































































