業界動向
Access Accepted第352回:メジャーリーガーが作ったゲーム会社の顛末
野球界に携わる人間にとって最大の栄誉である「殿堂」入りに,最も近い選手の一人と言われたカート・シリング投手がゲーム業界に乗り込んできたのは2006年,まだ彼が現役だった年だ。それから6年,起業当時から夢に描いていた理想のMMORPG「Copernicus」が世に出ることもなく,彼が作ったゲーム会社は破綻してしまった。それをどのように感じているのかは,本人にしか分からないことかもしれないが,今回はシリング氏の,起業から倒産までの6年間をまとめてみたい。
「不屈の闘士」のゲーム業界入り
シリング氏は,メジャーリーグの名投手として知られており,2008年に引退を表明するまで,通算216勝を挙げ,歴代15位となる3116奪三振を記録している。2013年には,大リーグ史上最多MVPを記録したバリー・ボンズ選手や,野茂英雄投手の女房役を努めたマイク・ピアザ選手らとともに,野球殿堂入りの選考対象になる予定だ。
シリング氏は野球人生で3回,ワールドシリーズのチャンピオンを獲得しており,アリゾナ・ダイヤモンドバックス時代の2001年には,強敵ニューヨーク・ヤンキースとの9日の戦いのうち,優勝決定戦を含む3回当番して,すべて勝利投手になった。また,ボストン・レッドソックス時代の2004年には,試合中に受けた傷に応急処置を施しただけで投げ続け,靴下を血で染めながらチームの優勝に貢献したという経歴を持つなど,まさに「不屈の闘士」という言葉そのままのアスリートだ。
そんなマウンドでの戦闘的な姿とは対照的に,遠征中に夜の街を出歩くようなことはしないという生真面目な性格でもあったらしい。登板のない日はホテルの部屋で「Advanced Squad Leader」というボードゲームを遊んでおり,MMORPGが登場すると,やがてノートPCを持ち歩くようになる。MMORPGでは,ボードゲームのようにいちいち対戦相手を探す必要がなく,また自身が誰であるかを知られることもなく多くのプレイヤーと自由に冒険ができることに,大きな感銘を受けたそうだ。とくに「EverQuest」にはすっかりハマり,ゲーム誌に実名でレビュー記事を投稿して多くのゲーマーを驚かせたこともある。
シリング氏は2006年,ゲーム趣味が高じて,ついにGreen Monster Gamesというゲーム会社を設立する。「グリーンモンスター」とは,シリング氏が長く暮らすマサチューセッツ州ボストンの球場,フェンウェイ・パークの,緑色に塗られた巨大なフェンスのニックネーム。ボストン市民にはよく知られた名称だが,この名前は球団がすでに登録商標を取っていたことが明らかになったので,後に自分の背番号に由来する「38 Studios」へ社名を変更している。
会社設立の目的としてシリング氏が発表したのは,当時大きな人気を獲得していた「World of Warcraft」に対抗できるビッグタイトルに挑戦してみたいということであった。ただ,2008年に筆者がシリング氏にインタビューした際には,10代の長男が軽度の自閉症であり,息子と一緒に楽しめるゲームが作りたかったからだとも語ってくれた。チャリティイベントなどの福祉活動にも積極的なシリング氏の話は(息子さんのことは書かなかったものの)本連載の191回「MMORPGを制作中の現役大リーガー」にまとめたので,興味がある人は参照してほしい。
あまりにも常識に欠けた会社運営
ゲーム会社を設立した際,シリング氏は自ら資金を投じるほか,銀行や投資家からも支援を集める予定だった。2010年には最初のゲームをリリースできると見込んでいたが,まだゲームの企画書さえもない状態で,マウンドでの駆け引きなら世界レベルのシリング氏でも,ゲーム業界についてはアマチュアだった。経営者としての手腕もぎこちないもので,従業員が週末に休暇を取る世界に身を置いたことさえ初めてだったという。シリング氏は知らなかったようだが,トップクラスのMMORPGを4年で1から作り出すのは,ベテラン開発者でさえ難しいことだ。しかも,最初に集めた20人ほどのメンバーは,MMORPG開発の経験に乏しかったのだという。
シリング氏はさらに,ゲームに「より箔をつけたい」と考えたのか,シナリオに「ダークエルフ物語」などで知られるファンタジー小説家のR.A.サルバトーレ氏を,リードアーティストに「Spawn」の生みの親であるアメコミ作家のトッド・マクファーレン氏を抜擢。その後の約2年間で,従業員数は70人を超え,2009年夏には「Kingdom of Amalur: Reckoning」の開発を進めていたBig Huge Gamesを買収するなど,急激に大きくなっていった。
ゲームを1本も出していないうちから,クリスマスに従業者全員に最新PCをプレゼントしたり,社内イベントでランチやディナーを提供したり,さらには社員の携帯電話料金を全額会社持ちにしたりなどの大盤振る舞いが続き,経営に関与しない多くの社員は,「使える金は多い」と錯覚していたという。そんな38 Studiosには,ハーバード大学のビジネススクールも興味を持ったようで,「Curt Schilling's Next Pitch」というレポートを,スタートアップ企業のケーススタディとして2009年に出版したりしている。
「有名なメジャーリーグ投手のゲーム会社」ということで,多くの投資家が頻繁に会社を訪れたが,なかなか資金は集まらなかったようだ。その後幹部になった初期メンバーとの間で「ゲームの発売後に得られた利益の50%を与える」という,投資家でなくとも目を丸くしそうな契約が取り交わされていたなど,内実は,健全な経営体質とはほど遠いものだったようだ。
ところが2010年,シリング氏はロードアイランド州に会社ごと移転し,7500万ドルの資金を得ることになる。これは,州政府が雇用拡大などの目的のために用意したファンドで,一気に7500万ドルを支援するのではなく,一定の間隔で社員を増やし,マイルストーンを達成するごとに,州政府から資金が支払われていくというシステムだった。
最終的にはBig Huge Gamesを除く本社だけで200人程度を雇用する計画だったが,トップクラスのMMORPGの運営やサポートなどを考えれば,これは多すぎるという数字ではないだろう。
6年経っても発売できなかった“理想のMMORPG”
報道によると,投資家が資金提供をためらった38 Studiosに対して州政府が援助することになったのは,ロードアイランド州にハイテク産業を誘致したいという思惑だけでなく,当時の州知事によるシリング氏の名前を借りた人気取りであったとされる。真相については,現在も調査が進んでいるはずだ。ともあれ,2011年4月に,38 Studiosは正式にロードアイランド州に引越し,多数の社員を集めていった。会社が巨大化するにつれ,おきまりの幹部間の勢力争いも発生し,この頃から会社の歯車がかみ合わなくなってきたようだ。
シリング氏に対する社員の批判も噴出したが,これは経営者としての資質が云々といった類のものではなく,例えば「プロデューサーやリーダーを通さず,ゲーム開発に口出しする」といったものだった。これを見ても,シリング氏にゲーム会社の運営知識が欠けていたというのは,おそらく間違っていない。
もっともシリング氏は,ミーティングでゲームシステムの詳細が発表されたり,デモを見せられるたびに,自分の夢が実現していくことが嬉しくて涙を流すような人物だったというから,口出しも悪意があってではないだろう。幹部はともかく,シリング氏の人となりそのものに対する批判が一般の社員からあまり聞こえてこないのは,シリング氏のゲームにかける熱意が誰の目にも明らかだったからではないだろうか。
資金状態は良くなかったが,2012年2月にはElectronic Artsをパブリッシャーにして「Kingdom of Amalur: Reckoning」がリリースされ,現時点で130万本ほどのセールスを記録し,メディアやプレイヤーからも一定の評価を得ることになった。発売後の会社の雰囲気は悪くなかったはずだったが,その矢先,ロードアイランド州が資金提供をあっさり中止してしまった。
近年のロードアイランド州の税収は大きく落ち込んでおり,長い目でハイテク産業を育てていく余裕はなくなっていた。加えて,2012年行われる総選挙を前に,州知事や議員には無駄を削減しろというプレッシャーがかかっていた。その結果,州政府は5月14日に開いた記者会見で,38 Studiosへ7500万ドルを貸し出していたことを明らかにするとともに,これ以上の支援を中止すると発表したのだ。
38 Studiosは,3月頃から各種の支払いが滞り始めており,5月には必要経費の112万5000ドルが払えない状態になっていた。シリング氏は,5月の時点では追加投資を諦めていなかったが,州政府の援助打ち切りの決定を受け,役員会議であっさりと倒産が決まったという。シリング氏は「38 Studiosは,ロードアイランド州にサボタージュされた」と語っている。
「Kingdom of Amalur: Reckoning」の続編の制作/販売権をTake-Two Interactiveに売るという契約が進んでいたようだが,州政府の決定によって,その話も打ち切りになった。「不屈の闘士」であるシリング氏は最後まで新たな投資家を見つけようとしたが,やがて「ロードアイランド州の税金を無駄使いした」という批判が集まったことから,身動きが取れなくなってしまったようだ。
38 Studiosの倒産により,医療保険が無効になったり,ボストンから引っ越したはいいが,家が売れず,再就職のあてもないまま二重ローンを抱える元従業員の例などが報道されている。オーナーだったシリング氏自身も多くの負債を抱えてしまっており,今後は金銭がらみの訴訟も増えていくと思われる。
「資質がなかった」と片付けてしまうのは簡単だが,損得勘定を超えた大きな夢を抱きゲーム業界に参入してきたシリング氏が失敗してしまったのは,一人のゲームファンとして非常に悲しいことだ。現役時代,困難な状況を何度も克服してきた彼だけに,起死回生のピッチングで切り抜けてほしい。このままでは終わってほしくないという願いを込めつつ,シリング氏の今後に注目したい。
著者紹介:奥谷海人
4Gamer海外特派員。サンフランシスコ在住のゲームジャーナリストで,本連載「奥谷海人のAccess Accepted」は,2004年の開始以来,4Gamerで最も長く続く連載記事。欧米ゲーム業界に知り合いも多く,またゲームイベントの取材などを通じて,欧米ゲーム業界の“今”をウォッチし続けている。
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