インタビュー
津田大介&南治一徳&清水亮らが語る,ゲームとプログラミングの今は昔。ゲームやプログラムはもちろん,大震災にまで話が及んだ座談会を掲載
スプライトやバックグラウンド(BG)はもちろん,バーチャルゲームパッド機能などもサポートしており,さらには無料で使えるグラフィックス素材も用意されているなど,簡単なゲームであれば,このライブラリ一つで作成/公開できるのが大きな特徴となっている。
ソース公開を原則としたGPL(GNU Public Lisence)以外にも,ほとんど制約のないMITライセンスにも対応している点などを含め,enchant.jsは,いろいろな意味で面白い取り組みだと言えよう。
またenchant.jsを開発したユビキタスエンターテインメントは,経済産業省管轄の情報処理推進機構による未踏ソフトウェア創造事業で採択された実績を持っており,学生を対象としたゲームコンテンスト「9leap (ナインリープ)」を主催するなど,一風変わった社歴/社風を持つ会社でもある。
今回4Gamerでは,そんなユビキタスエンターテインメントの代表取締役社長兼CEOの清水亮氏に声をかけ,enchant.jsを開発/公開した経緯や,その取り組みの狙いを聞いてみた。……のだが,話をしていくうちに「せっかくだから,昔話が出来る座談会を開きましょう!」ということになり,「ゲームとプログラミングの今は昔」をテーマにした座談会を実施することになった。
集まったのは,ネット界の有名人であるメディアジャーナリストの津田大介氏と,ビサイド代表取締役社長で,「どこでもいっしょ」の生みの親である“トロチチ”こと南治一徳氏。そして,enchant.jsの開発を手がけた若き学生プログラマの田中諒氏だ。
黎明期のコンピュータ業界の話に始まり,ゲームやプログラミング,果ては大震災の話題まで。さまざまなテーマに話が及んだ座談会の内容を早速お届けしよう。
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「enchant.js」でゲームを作ろう! HTML5とJavaScriptによるアクションゲーム制作入門
清水 亮(しみずりょう):ユビキタスエンターテインメント代表取締役社長兼CEO。電気通信大学在学中にマイクロソフトの次世代ゲーム機向けOS開発に携わり,1998年にドワンゴ入社。同社の携帯電話事業を立ち上げなどに関わりながら,2002年に退社。2003年にユビキタスエンターテインメントを設立 |
津田大介(つだだいすけ):メディアジャーナリスト。大学在学中よりライターとして活動しており,著書は「だれが「音楽」を殺すのか?」や「Twitter社会論 - 新たなリアルタイム・ウェブの潮流」など。「Tsudaる」というインターネットスラングでも知られる,ネット界隈の有名人。人生で一番好きなゲームは「ペンゴ」 |
南治一徳(なんじかずのり):ゲーム制作会社ビサイドの代表取締役社長。SCEのゲームオーディション企画「ゲームやろうぜ!」に応募&合格し,その後,PlayStation用ソフト「どこでもいっしょ」を制作。人気キャラクター「トロ」の生みの親として,“トロチチ”の愛称でも知られる |
田中 諒(たなかりょう):東京大学在学中の19歳。高校一年生からプログラミングを始め、Perl、Ruby、ActionScriptなどを修得。wonder.flで弾幕シューティングを発表する。学業の傍ら,ユビキタスエンターテインメントでenchant.jsの開発を担当する |
プログラミングが元気だった時代ってあったよね
4Gamer:
本日はよろしくお願いします。
清水氏:
今日は「プログラミングが元気だった時代ってあったよね」っていう話をできればと思い,それっぽい人に集まってもらいました。
津田氏:
えっと,ごめん。まず,なんで俺がここに呼ばれたのかが良く分からないんだけど(笑)。
だって概要も聞かずに引き受けてたからね! っていうか,津田さんは安請け合いしすぎだと思うよ。
津田氏:
まぁ,俺は基本的に安請け合いしかしないので……。でも,もうちょっと断っていかないとなぁ。
清水氏:
今回はいいじゃん! それでマジメな話をすると,1980年代のコンピュータ/プログラミング界隈にあった黎明期ならではの熱量というか,「あの頃は面白かったよね」って話をしたくて。あの時代を知ってる人っていう意味で,津田さんを呼んじゃった。
津田氏:
ますます呼ばれた理由がわからないよ(苦笑)。
清水氏:
いや,津田さんってプログラムしてたとか言ってたような。というか,前々からプログラムできそうだなって思ってたんですよね。
津田氏:
えええ? プログラムなんか全然ですよ。
4Gamer:
津田さんは,ゲームとかはそれなりにする方だったんですか?
昔はかなりのゲーマーでしたよ。シューティングゲームとか大好きで。高校時代くらいまでは普通にコンソールやって,浪人時代はストIIターボの対戦ばっかやってた。でも,大学に入ってからはエロゲーばっかりやってたような気がする(苦笑)。相当終わってたな……。パソコンでゲームを最初にやったのは中学生くらいだったかな。カセットテープにデータを保存して……みたいな。
清水氏:
カセットテープ! いや,懐かしいよね。っていうか,津田さんイケるじゃん。全然大丈夫だよ。田中くんは知らないかもしれないけど,昔はプログラムをカセットテープに保存してたんだよ。あ,というか,もしかしてカセットテープ自体を知らないのか?
田中氏:
カセットテープは知ってはいますけど,あんまり使ったことは……。
清水氏:
やばいな。これじゃオッサンがジェネレーションギャップを楽しむ記事になっちゃうよ(笑)。
津田氏:
だって1990年代生まれでしょ?
田中氏:
はい。
清水氏:
1990年代って「大戦略III'90」が出たあとだよ!
4Gamer:
スーパーファミコンも出てる。
津田氏:
もしかして,モデムとかも知らない世代?
清水氏:
ピーガラガラガラって分かる?
田中氏:
分からないです……。
津田氏:
ファックスが繋がるとき「ピーガラガラガラ」って鳴るじゃないですか。あの音って実はプログラムで,それをコンピュータで読み込むことによって機械が動いているんですよ。
清水氏:
いや,津田さんストップ! そんな話をしても,彼の今後の人生になんら影響を与えないよ(笑)。
津田氏:
でもさ。今や「パソコンサンデー」の小倉さんが朝の顔ですよ。いつの間にあんなに偉くなっちゃったんだって感じだよね。俺の中では小倉さんはずっとパソコンサンデーの小倉さんなのに! ……って,パソコンサンデーって副音声でプログラムを流してたんだよね。
清水氏:
小倉さんは知ってる? 小倉智昭は。
田中氏:
いや……。
清水氏:
朝の「とくダネ!」の司会やってる人だよ。その小倉さんが,昔,日曜の朝にテレビ東京でパソコンサンデーって番組をやってて。
津田氏:
ピーガラガラガラってあの音をテープレコーダに録音すると,それを読み込むことによってプログラムになった。
清水氏:
そうそうそう! 当時はプログラムそのものをテレビで放送配信できたんだよね。
津田氏:
だから,今でいう地デジのデータ放送の先駆けみたいなのが,パソコンサンデーだという……って,こんな話をしてて大丈夫なんですか,この座談会は(苦笑)。
4Gamer:
どうぞお構いなく。
清水氏:
あ,南治さんが来た。
数々の伝説に彩られた“黎明期”というもの
南治氏:
遅れてすいません。
清水氏:
大丈夫,大丈夫。これまでの話は,オッサンが若者囲んでジェネレーションギャップを実感してただけだから。
なるほど。今回の座談会は「古い話」になるのかなと思って,私も持ってきましたよ,なつかし本を。これ,昔の「I/O」です。
清水氏:
お,このI/Oいつのですか? 1983年! なついなー。物持ちいいですね。
南治氏:
いや,これはヤフオクで買いました。
津田氏:
この座談会,本当になんの座談会なのか分からなくなってきた。
南治氏:
いいんですか,いきなりこんな話で。
4Gamer:
問題ありません。
清水氏:
(田中氏に本を見せつつ)昔のPCパソコン雑誌ってとても厚いだろ? これって半分以上が広告なんだよ。
南治氏:
えーと,あった。これですよ,この号に「第一回プログラムコンテスト」の受賞者が載ってるんですよ。この記事っていうのは,当時のエニックスが賞金を出してソフト作らせて,そのソフトを売ろうって広告が載ってる回で。
清水氏:
今見ると,錚々(そうそう)たるメンツだよね。中村光一とかさ。
南治氏:
「ニュートロン」や「ドアドア」は面白かったなぁ。あと「アルフォス」も。
清水氏:
「アルフォス」は当時衝撃的だったんだよね。描画の遅いPCで背景がスクロールするなんて,まさに神の所業だった。
南治氏:
昔のシューティングゲームって最初に高速化ありきだったんですよね。たくさん敵キャラ出すために,とにかく高速化を頑張んなきゃみたいな。
清水氏:
そうだね。昔は今みたいに処理は速くなかったからさ。ドット1個出すのに1マイクロ秒かかるとか,今じゃ考えられないくらいめっちゃ遅かった。それこそアルフォスの「背景が付いてるものがスクロールする」っていうのは大発明だった。天才だったんだよ。
南治氏:
それこそ当時のコペルニクス的転回というかね。「PUSHとPOP(※)で絵を書くなら,LDとどっちが速いのか!クワッ!」みたいな感じで騒いでた(笑)。
※PUSHとPOP,LD:データの出し入れを行う命令
清水氏:
スタック(※)を使って絵を描いてたんだよね。スタック使わないと遅かった。
※データ構造の一種。レジスタ退避に使われる。後に入力したデータが先に出力されるのが特徴
津田氏:
今見ると「女子寮パニック」が結構凄いな。
清水氏:
女子寮パニック,全然エロくないのが逆に凄い(笑)。
「キャーッ ノゾキッ!」ってなんだよ,これ(笑)。
一同:
(爆笑)
清水氏:
えっと。田中君はまったく知らないと思うんだけど,知ってそうな考え方でいうとね,例えば,この森田和郎さんて人は,将棋とかオセロとかの思考ルーチンを最初に考えた人。
津田氏:
「森田将棋」でお馴染みだね。「森田将棋」っていうくらいだから,昔,俺この人プロの棋士だと思ってた。
清水氏:
最近だと,「羽生将棋」とかもその後継で。とにかく伝説的なプログラマでさ。こっちの中村光一さんは,この当時高校3年生だか2年生で,プログラムのコンテストの常連で有名人だった。
南治氏:
応募のとき高校生で,その後に電通大(電気通信大学)に入ったんですよね。
清水氏:
この中村光一さんっていうのが,「ドラゴンクエスト」のプログラムを担当して,その後も「風来のシレン」とかを作った人。
名前だけ知ってる……。
清水氏:
分かりやすくいうと,高校生なのに年収4千万だったんだよ。
南治氏:
伝説の塊ですね。
清水氏:
やっぱり金は分かりやすいよ。いつの時代も。
南治氏:
大学生のときは東京にいたんだけど,六本木で一晩600万円使ったとか。「本当ですか!?」みたいな伝説もあったり。
清水氏:
今はそんな話ないだろ。ネットで人気者になっても,せいぜいGoogle AdSense張って1万円儲かりましたとかでしょ。駄目なんだよそれじゃ。
南治氏:
お金の話でつなげると,この1980年代前期の頃は,コンテストの数がかなり多いんですね。今見てる奴はかなり有名なコンテストだけど,ほかにもパっとしなかったコンテストがたくさんあって。それでも総額2000万円! 1位は100万円! とかは普通だった。
清水氏:
この頃は,何を作っても儲かったからね。需要があったんだよ。
津田氏:
黎明期ってそういうものですよね。
南治氏:
あとはI/Oとかだとカセット売ってて,投稿して,そのロイヤリティは一応作者にも入るようになってた。ゲームとか載ってるんですけど,みんな打ち込むのが嫌だから,カセット買うんですよ。そしたら儲かるみたいな。
この当時は,PC買う=プログラム書くのに近かったよね。みんなPC雑誌に載ってるプログラムを自分で打って,ゲームを遊んでた。津田さんみたいにプログラムを自分では作らないって人でも,他人が書いたプログラムを入力してさ。ゲームソフトは高くて買えないというか,そもそもあんまり売ってなかったし。
南治氏:
雑誌に載ってるゲームの画面を見て,「こんなのが遊べるんだ!」ってなると。凄いワクワクして超気合入れてプログラムを入力しちゃってましたよね。今振り返ると,あれってソースコードそのままなんで,見ているだけでも相当勉強になってたみたいな。
清水氏:
間違えると動かないしね。
南治氏:
ええ,自分で間違いを探さないといけない。
清水氏:
でもさ,結構な割合で「印刷からして間違ってる」ってことがあって(苦笑)。
南治氏:
ああ,ありましたありました(笑)。ちゃんと入力したのにバグってんだけど,と。
清水氏:
それを直したりするので,かなり鍛えられた記憶が(笑)。
南治氏:
あ,そういえば「はるみのゲーム・ライブラリー」って本も持ってきたんですけど。
4Gamer:
うお,懐かしい。
これの著者が「高橋はるみ」ってなっていて,なんか女子高生が書いてるって設定なんですよ。でもまぁ,実を言うと,中の人は普通に男性の方なんですけどね。その人は,まだiPhoneの本とか出してる現役の方で。
津田氏:
ほんとだ。「女子高校に通学する傍ら,ゲームプログラムを書いてる」らしい(笑)。
清水氏:
うははは。そんなわけねえだろ!
4Gamer:
んー,ちゆ12歳とかもそういうノリですよね。
津田氏:
ちゆだってもう10年くらい前でしょ。
清水氏:
すげえわー。田中くんは,こういうの見てどう思う? プログラム勉強するとき,君はきっとこういうものがなかったわけじゃん。もっと分厚い本とか?
田中氏:
んー,あんまり本読んで勉強してないんですよね。
清水氏:
ネットかー。
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