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“世界で最も売れなかったゲーム機”ピピンアットマークの真実とは。「黒川塾 七十六(76)」聴講レポート
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今回のテーマは「世界一売れなかったゲームハード・ピピンアットマーク!」で,1996年3月にバンダイ(当時)の子会社であったバンダイ・デジタル・エンタテイメント(1998年解散)から発売された「ピピンアットマーク」を取り上げた。
ゲストは,当時プロデュースに関わったF2(エフツウ)の代表取締役社長を務める黒川文雄氏(以下,黒川社長)。ホストの黒川文雄氏とゲストの黒川文雄氏,この2人の黒川氏によって,開発経緯や背景,そして共同開発を行ったアップルコンピュータ(現アップル)との関係,バンダイが目指したものなどについての話が進められていった。
![]() メディアコンテンツ研究家 黒川文雄氏 |
![]() F2 代表取締役社長 黒川文雄氏 |
黒川社長は,1972年の映画・コンサート情報誌「ぴあ」創刊などに携わったのち,1987年にF2を創業し,バンダイの映像・マルチメディア事業のコンサルティングを担当した人物だ。さらにメディアの変革に伴って,日本ビクターが推進したS-VHSのコンサルタントや,1995年にはバンダイ・デジタル・エンタテイメントのピピンアットマークのプロデュースに携わった。そのあともコンサルタントとしてさまざまな企業の事業に携わり,またカルチュアパブリッシャーほか4社の代表取締役を歴任。現在は医療とエンターテイメントの融合を目指し,国際的に活躍している。
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黒川社長は,1990年代のバンダイについて,玩具の海外進出や映像・映画ビジネスへの進出といった事業展開を通じて経営を多角化しており,マルチメディア事業=ゲーム事業にも進出しようとしていたと説明。
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そんな中,ピピンアットマークを企画したきっかけは,当時バンダイビジュアルがリリースしていたCD-ROMタイトルをMacなしでも再生できないかという話からだったという。
Mac OSのライセンスを使えばマルチメディアハードが実現できると考えた黒川社長は,さっそく人脈を駆使してアップルコンピュータにプレゼンテーションする機会を作ったとのこと。なお,そのプレゼンは山科 誠氏が直々に行ったそうだ。
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一方アップルコンピュータだが,マイクロソフトのWindowsの台頭によりMac OSの優位性が揺るぎ始めていたほか,莫大な予算を投じた新事業が失敗したりするなど危機に瀕しており,バンダイのマルチメディアハード企画に興味を持ったそうだ。
とくに社内の有力人物だったイアン・ダイアリー氏は,どのようにしてMac OSのシェアを拡大するかと頭を悩ませており,バンダイが提案した「My First Mac」というコンセプト,つまり“子ども達をターゲットにする”ことに関心を寄せたという。
黒川社長は,「アップルは販売に非協力的だったという話が広まっているが,むしろピピンアットマークをMac OSのライセンスの柱だと考えていた」と語っていた。
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![]() 当時の黒川社長は,個人でMac OSの代理人を務めていた |
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![]() エリック・サーキン氏の構想では,DVDーROM対応のピピンアットマークも予定されていた |
しかしピピンアットマークの開発は,当初の予定よりも半年から1年ほど遅れることになる。黒川社長によると,当時のMac OSだったSystem 7に問題があり,ピピンアットマークのCPU・PowerPC 603上で動作する専用OSがなかなか作れなかったとのこと。
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並行して,1996年にイアン・ダイアリー氏がピピンアットマークのプロジェクトから外されて退社。さらに社長がマイケル・ スピンドラー氏からギル・アメリオ氏に交代し,同年4月に社内組織改編が行われたことをきっかけに,カイ=フー・リー氏やデビッド・ネーゲル氏といったプロジェクトの主要人物も退社してしまう。黒川社長いわく「誰と話せばいいのかという状態だった」とのこと。
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なんとか完成に漕ぎつけたピピンアットマークだが,PC用ディスプレイではなく家庭用のブラウン管テレビに接続されることが多かったため映像があまり綺麗に見えなかったこと,そしてなによりMacとの互換性があまり認知されなかったことなど,ソフトタイトルを含めた戦略上の問題も多く発生したようだ。
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黒川社長は,コンテンツと設計思想の関係という観点からもピピンアットマークの失敗を指摘する。例えば「ドンキーコング」や「リッジレーサー」はもともとアーケードゲームであり,それらのコンテンツを家庭で遊べるようにするという思想でファミコンやPlayStationなどは設計されている。
しかしピピンアットマークは「CD-ROMも動くし,インターネットにもつなげる。ほかにも使い方次第でいろいろできる」という,言わばPCの思想で設計されており,それが小売店の理解を得られなかったのではないかと推測した。
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![]() RISC CPUであるPowerPCがPCよりもゲーム機の設計思想に合致することや,日本でインターネットの台頭が遅れたこともピピンアットマークが失敗した理由として挙げられた |
そして話題は,1997年1月のセガとバンダイの合併発表,同年5月の合併解消の話へと続いた。
黒川氏が「当時,山科社長はゲームを分かる人材を探しており,それがセガだったのではないか」と問いかけると,黒川社長は「社内に山科社長の理解者がいなかったわけではないだろうが,先代からいる番頭さん達の中でそれなりにストレスを抱えていたのかもしれない」と回答。さらに黒川氏は,そののちバンダイとナムコが合併したことについて,「当時,山科社長が行動したことによってゲーム,玩具,映画などエンターテイメントビジネスを網羅するバンダイナムコグループが誕生したのではないか」と分析していた。
なお,黒川社長は,CD-ROMやゲームによって台頭したインタラクティブムービーに着目しているという。最近ではNetflixがインタラクティブコンテンツに取り組んでいるが,ゲーム&ウオッチの2画面スタイルがニンテンドーDSで復活したり,バーチャルボーイのVRがVRデバイスに受け継がれたりといったように,過去のテーマであるインタラクティブムービーも技術の進化に伴って再生されるかもしれないというわけである。
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![]() ゲームカートリッジなどの書き換えシステムも,5Gの登場で再生されるだろうという見解も示された |
これらの話を総合し,黒川社長は「何が悪かったのかを検証し,最新の技術によって再生することで新しいマーケットを生み出すきっかけになるのではないか」と語った。
ピピンアットマークの失敗についても「アップルの社内とSystem 7の問題」「『MYST』などを超えるインタラクティブムービー的なキラーコンテンツの不在」としつつ,「当時やろうと考えていたことは,技術の進化によってこれから実現されるかもしれない」と話していた。
またイベントの最後には,黒川社長が現在取り組んでいる「医療とエンターテイメント」についての話も出た。黒川社長は新型コロナウイルス感染拡大の影響で人々が家に籠もるようになったり,AIの台頭で仕事をする必要がなくなったりすると,アルコール依存などさまざまな依存症になる人が今後増えていくだろうと予測している。
とくにゲーム依存症に関しては,「ゲームを止めさせて依存を防ぐやり方は,逆に子ども達を頑なにさせてしまう」とし,「止めさせようとする側が,もっとゲームの面白さを理解することにより,その先にある依存の本質を知ることが大切なのではないか」と語った。
さらに,フェデリコ・フェリーニ監督作品の映画「道」を観て自殺を思いとどまった人がいるというエピソードを披露し,そうした今の医療では解決できない領域をエンターテイメントによってケアしていくビジネスが今後,台頭するのではないかと展望を述べて話を締めくくった。
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