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堀井雄二氏がゲームデザイナーとなったきっかけや,「ドラゴンクエスト」のゲーム作りを語る。「黒川塾(十弐)」聴講レポート
12回目の開催となる今回のテーマは,「堀井雄二に訊く 〜人生はロールプレイング〜」。「ドラゴンクエスト」シリーズなどのゲームデザイナーとして知られる堀井雄二氏をゲストに迎え,氏がゲーム作りに携わるようになったきっかけや,ゲーム開発に向かうモチベーションなどに関するトークが繰り広げられた。聞き手となったのは,ホストの黒川氏と,堀井氏と親交の深い猿楽庁 代表取締役の橋本 徹氏およびタレントの今立 進さん(エレキコミック)の3名である。
(左から)黒川文雄氏,橋本 徹氏,堀井雄二氏,今立 進さん |
漫画家志望の学生がライターに転身し
やがてPCプログラムに出会う
最初の話題は,堀井氏がゲームデザイナーとなったきっかけについて。堀井氏が,もともと漫画家志望だったことは氏自身がさまざまな場で明かしているが,とくに手塚治虫氏の「ふしぎな少年」のようなSF系の不思議な世界を描いた作品を好んでいたという。高校時代には,自身で作品を描き,漫画家の永井 豪氏のところに持ち込んだが,反応は今ひとつだったそうだ。
大学に入った堀井氏は漫画研究会に入り,今度は麻雀にハマったり,つげ義春氏などのガロ系の漫画作品に走ったりしたという。そうこうするうちに,編集者となった漫研OBの依頼をきっかけにして,イラストやライターの仕事を手がけるようになっていく。
やがて堀井氏はアニメ誌「月刊OUT」,集英社の「月刊セブンティーン」「週刊少年ジャンプ」などで記事を書くようになるが,その当時に注目したのがPCである。小説のプロットをPCで制作しているという記事を読んだ氏は,自身でもさっそく普及機として登場したNECのPC-6001を入手し,BASICでプログラムを作るようになった。
堀井氏が最初に作ったプログラムは,左右に動く砲台から弾を撃ち,敵を撃墜するゲームや,占いだったという。前者は,のちにエニックス(現スクウェア・エニックス)のコンテストで受賞した作品の原型で,ある意味,堀井氏の人生を決定付けた作品と言っていいだろう。
後者の占いは,堀井宅に遊びに来る友人についてあらかじめ調べておき,その内容が表示されるようプログラムを組んでおくというもの。PCをよく知らない友人達が「すごい,こんなに当たるんだ」と驚く様子を見て,いたずら好きの堀井氏は楽しんでいたという。
ファミコンの登場をRPGやアドベンチャーゲームを
普及させるチャンスと捉えた
その一方で堀井氏は,当時流通していたPCゲームも楽しんでいた。そうしたゲームのプログラムはBASICで書かれており,プロテクトが掛かっていなかったため,その一部を書き換えて遊んでいたこともあるという。そうした遊びはより複雑なプログラムを持つゲームにも及んでいき,ダンプリストからセーブ前とセーブ後で異なっている部分を分析する,というようなこともやっていたそうだ。
これは今で言えばチートに近い行為だが,この経験がプログラムのさらなる理解を深めただけでなく,のちのゲーム作りに役立ったと堀井氏は語る。たとえば「ドラゴンクエストII」では,薬草を買って福引き券をもらい,それを売却すると利益が出るという,一種のチート的な手法があるが,これに気づいたプレイヤーのためにあえて残したとのこと。また,獲得経験値の高いメタルスライムや,そのものズバリのカジノについては,一発逆転を狙えるギャンブル要素として用意したそうだ。
そして1983年,任天堂がリリースしたファミリーコンピュータにより,堀井氏はRPGやアドベンチャーゲームを世間に広めるチャンスが到来したと考えたという。すなわちファミコンはPCよりも安価なので,普及率もそれだけ高まる。しかもコンシューマゲーム機はアーケードゲームとは異なり,自宅で長時間連続して遊ばせることができるだろうというわけである。
かねてからファミコン向けのRPGを作りたいと思っていた堀井氏だが,このときに作ったのはPC用アドベンチャーゲーム「ポートピア連続殺人事件」である。これは,当時の日本に馴染みのないRPGというジャンルのゲームを,いきなりリリースしても受け入れられないだろうと考えた結果だ。「テキストを読み,文字を入力して遊ぶゲームを浸透させるためには,アドベンチャーのほうが向いていると思った」と堀井氏は説明する。
ちなみに同タイトルで犯人を意外な立場の人物にしたことについては,メモリが少ない中,どうやってプレイヤーに驚きをもたらすかを考えた結果とのことだ。
段階を踏みながらRPGの面白さを
伝えていった「ドラゴンクエスト」
その後に取り組んだファミコン用ソフト「ドラゴンクエスト」は,ライターとして週刊少年ジャンプに「RPGとはこんなに面白いものである」という記事を書き,世間にRPGの概念や魅力を伝えつつ,ゲームの開発を進めていった。ジャンプの記事を書いていく中で,ゲームに登場する町の名前を決めることもあったという。
ともあれこの手法だと,ゲームがリリースされる頃には,ジャンプ読者はRPGという新しいジャンルの知識が浸透していることになるわけである。堀井氏は,自身で開発しているゲームの記事を書くことについて,「今で言えばステマ?(笑)」と振り返っていた。
「ドラゴンクエスト」の開発にあたっては,64KB(!)というメモリの制約に苦しめられたものの,当時の週刊少年ジャンプ編集部には攻略情報に関する問い合わせも多く,リリース後の手応えは確実にあったと堀井氏は語る。
さて,1作めのヒットにより,「II」「III」と短期間で続編がリリースされることになった「ドラゴンクエスト」シリーズ。これは有名な話だが,堀井氏は最初からパーティの概念を提示しても理解されないだろう考え,1作めではあえて勇者一人で冒険を進める形にし,「ドラゴンクエストII」でパーティプレイを採用した。さらに,パーティを体験させるにあたっては,仲間を捜していくストーリー仕立てにして徹底的に分かりやすくしたり,あるいは捜索相手とのすれ違いを多用して展開を盛り上げたりといった工夫が施されている。
こうした配慮について,堀井氏は「僕の特性」と分析している。氏自身は「使いやすさ」よりも「分かりやすさ」を標榜しているとのことで,たとえば「分かりやすくしようと,チュートリアルがいっぱいある状態は面倒くさい」とのこと。そこでゲームを作るにあたっては,まずできることを少しだけ教えて,プレイヤーに分かったような気にさせる。その後,プレイを続ける中で,より理解できるように構成しているという。
そうした積み重ねの結果,長い歴史を誇る「ドラゴンクエスト」シリーズはいずれか1作を遊んだ経験があれば,たとえブランクがあってもすぐに最新作のプレイに馴染めるゲームになっているのである。
なお,「ドラゴンクエスト」シリーズの開発にあたって,堀井氏はマスターアップの直前までパラメータの調整を行っているという。たとえば敵のAIは当初,6種類の行動からいずれかをランダムで選ぶというものだったが,シリーズを重ねるごとに進化していった。
その一例が「グループ制御」だ。これは,たとえば「ザキ」のような即死呪文を敵グループの全モンスターが一斉に唱えるとプレイヤーは相当つらいので,誰かが唱えたら,もう同じターンでは誰も唱えなくなるといったような制限である。このようにパラメータを増やした結果,その数はモンスター1種類あたり,50を数えるようになったという。
また「ドラゴンクエストIV」では,仲間のクリフトによるザキ連発が話のネタにされることがあるが,これは成功確率に関係なく,ザキの効果が高いためにAIの評価も高くなっていることで生じる現象とのこと。そこで「V」以降は,呪文に先入観のパラメータを持たせ,ザキであれば最初は「効かないだろう」という先入観の数値を大きく設定しておき,成功するごとに数値を減らしていくような仕組みにしているそうだ。
鳥山 明氏とすぎやまこういち氏が
「ドラゴンクエスト」に携わることになったきっかけ
さて,「ドラゴンクエスト」のクリエイターと言えば,キャラクターデザイン/イラストを手がける鳥山 明氏,そして作曲家のすぎやまこういち氏の話題も外せない。
鳥山氏が「ドラゴンクエスト」に携わるきっかけとなったのは,当時,週刊少年ジャンプの編集者だった鳥嶋和彦氏(現・集英社 専務取締役)だ。鳥嶋氏から「鳥山さんが『ポートピア連続殺人事件』を気に入って,ゲームを作りたがっている」と聞かされた堀井氏は,鳥山氏の起用を決める。しかし,その後,鳥山氏自身に確認したところ,「『ポートピア』はプレイしたが,ゲームを作りたいとは言っていない」との返答があったそうだ。堀井氏は「鳥嶋さんは,鳥山さんに刺激を与えるために新しい分野の仕事をさせたかったのだろう」と分析していた。
また堀井氏は,鳥山氏の描く絵に対して「非常にゲームになじむ」とコメント。これが同じ漫画家の高橋留美子氏や原 哲夫氏では彼ら自身のゲームになってしまうところを,「鳥山さんの絵だと,きちんと『ドラゴンクエスト』になる」と語っていた。
そのほか,鳥山氏が最初はドット絵でスライムを描いてきたために,わざわざ普通のイラストに書き直してもらったというエピソードも披露された。
一方,すぎやま氏の場合は,氏がエニックスに送ったPC用ソフト「森田和郎の将棋」のアンケートはがきがきっかけで,声を掛けることになったそうだ。当時のゲームでは2〜3音しか使えないにも関わらず,あえてクラシック調で作られたすぎやま氏の音楽は,ゲームに多大な深みを与えたと堀井氏は評している。
驚きを与えるゲーム作りは
「何が起きれば面白いのか」という視点からスタート
前述のすぎやま氏のチャレンジなどを踏まえ,堀井氏は「ゲーム機の機能向上に伴い,何でもできてしまうので,今のゲームは驚きを与えにくくなっている」と語る。しかし,たとえ王道のストーリーであっても,「プレイヤーとして見たときに,何が起きれば面白いと思うのかを考えれば,まだまだ驚きを与える余地はある」とも続ける。
また,プレイを継続させるモチベーションとして,小さな目標を次々に設定することも重要だという。
そうした堀井氏のアイデアの源泉となっているのは,世相やネットに飛び交う情報,国内外のテレビドラマ。また,50歳を過ぎてからスキューバダイビング,最近ではサバイバルゲームを相次いで始めており,さらに10月には舞台にゲスト出演し役者デビューすることも刺激になっていると語った。
ゲームでは,ニンテンドー3DS用ソフト「すれちがい合戦」で兵士を999万人集めるほどやり込んだとのこと。すれちがい通信のために秋葉原のヨドバシカメラ前に座っていたこともあり,ほかには「艦隊これくしょん -艦これ-」にも注目しているそうである。
トークの終盤には,会場の聴講者からの質問に堀井氏が答えるコーナーも設けられた。面白いところでは「『ファイナルファンタジー』シリーズをどう思うか?」という質問に対し,「『FFX』でボイスが入ったことにより,非常に『FF』らしくなった。当初はライバル視していましたけれど,一番びっくりしたのは会社が合併したこと(笑)」と回答していた。
また,トーク本編でも言及されていたが,堀井氏ならではのゲーム開発上の配慮を聞かれると,「いちプレイヤーとしてどんなゲームを遊びたいか,何が起きれば驚くのか」を考える客観性が重要であると強調していた。
今回の黒川塾は,堀井氏の強い好奇心やチャレンジ精神,そして優れた客観性と論理性が,氏自身のクリエイティビティに大きく影響していることを,あらためて認識させられる内容だったと言える。
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