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吉田修平氏と404 Not Foundのインディーゲーム企画が始動。「インディーゲームの過去,現在,未来」が語られた「吉Pナイト」第1回をレポート
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印刷2026/07/27 11:39

イベント

吉田修平氏と404 Not Foundのインディーゲーム企画が始動。「インディーゲームの過去,現在,未来」が語られた「吉Pナイト」第1回をレポート

 2026年7月25日,東京・渋谷サクラステージ4Fの複合施設「404 Not Found」が2周年を迎えたことを記念するトークイベント「吉Pナイト」が開催された。このイベントには,yospの吉田修平氏らが登壇し,近年のインディーゲームの盛り上がりや,今後の展望に関するトークを繰り広げた。

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 404 Not Foundは,東急不動産と,BitSummitに実行委員会・運営メンバーとして初回から参画しているSkeleton Crew Studioなどが中心となって,「インディークリエイターのあそびば」をコンセプトに運営してきたもの。イベントスペースや配信スタジオ,物販・カフェスペースなどが設けられており,インディーゲーム関連のイベントが開催されることも少なくない。

開場前の404 Not Foundイベントスペース
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 そんな404 Not Foundが,3年目のテーマとして打ち出したのが「ゲーム愛を深堀りする国内外のゲームラバーの交流拠点へ進化する」だ。その象徴となるのが,かつてソニー・インタラクティブエンターテインメント(以下,SIE)でインディーズイニシアチブ代表を務め,現在はインディーゲームのパブリッシャやデベロッパのアドバイザーとして活躍する吉田修平氏が,Super CLAN(スーパークラン)として就任したことである。

吉田修平氏
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 この取り組みにおける吉田氏の具体的な活動の1つは,Skeleton Crew Studioの村上雅彦氏とともにパーソナリティを務める「吉Pラジオ404」の配信。業界のゲストを招いてインディーゲームにまつわる話題を404 STUDIOから毎月1回提供する。
 記念すべき第1回は,インディーゲームの実況者等として知られるインディーフリークスのLayerQ氏をゲストに招いて7月25日にリアルタイム配信された。アーカイブは404 Not Foundの公式YouTubeチャンネル(外部リンク)にて視聴できる(外部リンク)。

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 もう1つの活動が,以下にレポートする吉Pナイト。404 Not Foundを会場に,吉田氏がホストの村上氏やゲストとともにインディーゲームに関するトークを繰り広げる。開催は隔月を目処にするとのことだ。

 「インディーゲームの過去,現在,未来」と銘打たれた第1回のゲストとして招かれたのは,インディーゲームパブリッシャ・PLAYISMの水谷俊二氏と,吉Pラジオ404 #1にも出演したLayerQ氏である。

当初予定されていたテーマをいくつか飛ばして話し込むなど,ゆるく自由な雰囲気で行われた今回のイベント。ゲストとしては告知されていなかったが,XRに関連する事業を手がけるG-SMASHの原島 駿氏が登場し,同社の歩みを熱く語った後,「仲間を集めるため」のプロジェクトを7月27日に発表すると告知する一幕も
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現在の国内インディーゲーム隆盛の源流は2011年前後にあった?


 トークの最初のテーマは「どのようにインディーゲームと関わってきたか」。水谷氏はもともとコピーライターを生業としていたが,勤務していた広告制作会社が倒産の危機に瀕してシェアオフィスを始めたところ,イバイ・アメストイ氏を筆頭に10数名のスペイン人やイタリア人で構成されたアクティブゲーミングメディアが店子になったとのこと。
 それが2011年のことで,ほどなくして水谷氏が務めていた会社は倒産し,上司がアクティブゲーミングメディアに合流しようと誘ってきたそうだ。

水谷俊二氏
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 最初はあまり乗り気ではなかったという水谷氏だが,上司には恩があり,もともと自身もゲームが好きだったことから,手伝うくらいならとアクティブゲーミングメディアの契約社員になったことが,インディーゲームと関わるきっかけだったという。

 LayerQ氏がインディーゲームの実況を始めたのも2011年のことだった。最初は某大型掲示板のスレッドで「I Wanna Be the Guy」の配信をしたのだが,毎回50人前後の視聴者がいるのにアーカイブが残らないのが残念だと感じたとのこと。

 また当時はXbox Live Arcadeで配信されていたインディーゲームをプレイすることが多かったそうだが,あるとき自身が面白いと思うタイトルの動画を誰も投稿していないことに気づいたという。そこでインディーゲームの動画を投稿すれば,もっと知ってもらえるのではないかと考え,YouTubeでのゲーム実況活動を始めたそうだ。

LayerQ氏
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 2000年から2008年にかけてソニー・コンピュータエンタテインメント(社名は当時。以下,SCE)アメリカのゲーム開発部門責任者を務めていた吉田氏は,2006年のPlayStation Networkサービス開始に伴い,PS3向けのデジタル配信コンテンツの開発に取り組んだという。アメリカですでに盛り上がっていたインディーゲームの楽しさに触れた吉田氏は,ディスクを用いたパッケージでは作れないような,変わった面白さのゲームを追求した。

 そして2008年,SCE ワールドワイド・スタジオ プレジデントに就任した吉田氏は,日本に戻ってきてインディーゲームがまったく話題になっていないことに愕然としたとのこと。そこで当時のマーケティング担当が始めたニコニコ生放送のプロモーション番組の中で,インディーゲームの紹介を始めたのである。

 アメリカでゲーム関連の職に就いていた村上氏は,2008年のリーマン・ショックを機に帰国。2011年頃は,小さなゲーム会社のアーティストとして任天堂のゲーム開発に関わりつつ,その傍らで自分たちのゲームを自由に作っていたという。

村上雅彦氏
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 水谷氏が,2011年の国内インディーゲーム事情を振り返る一幕もあった。当時は「インディーゲームという言葉が通じなかった」とし,説明したところ「そんなの儲かるんですか?」と尋ねられたことや,当時はインディーゲームを購入する場合に日本円で決済することができなかったことなども明かした。

 とくにPLAYISM設立の発表について,アメリカ人が「日本のプラットフォーマーは絶対にインディーゲームに門戸を開かない」とコメントしたことには,悲しく思うと同時に「お前ら見とけよ!」と憤ったことは今でも覚えているそうだ。今,任天堂やSIE,Xboxが揃ってインディーゲームを応援している状況については,売れると分かればチヤホヤされるという旨の感想を述べていた。

 また水谷氏は,PLAYISMの初期で印象に残っているタイトルとして,Amanita Designが開発した「Machinarium」(マシナリウム)を挙げた。アートの独特な素晴らしさに「日本で流行らせるために,少し頑張ろうと思った」という。

 なお,氏によると,当時国内でインディーゲームの開発者を名乗っていたのは「LA-MULANA」のNIGORO氏を含め,2人しかいなかったという。自主制作のゲームは同人ゲームと呼ばれるのが一般的だったが,少しずつ開発者を仲間に引き入れ,また水谷氏自身も自主制作の優れたタイトルを発掘・研究するなどして,日本のインディーゲームシーンを作ろうと努めていたそうだ。

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 話題は,PC版「LA-MULANA」のリリースが難航したことにも及んだ。紆余曲折あり,PC版「LA-MULANA」のパブリッシングを手がけることになったPLAYISMだったが,実のところ台所事情は火の車。先行したWiiウェア版「LA-MULANA」が世界的に認知されていたため,PC版を売ることさえできれば何とかなると,Steamを介して配信しようと考えたが,当初はSteamを運営するValveに連絡しても返信が来ない状況だったという。

 そこで助け舟を出したのが,当時Q-Gamesに在籍しており,BitSummitの発案者でやはり国内のインディーゲームを盛り上げようとしていたジェームズ・ミルキー氏で,Steam Gleenlightへの登録を勧められたという。

 当時のSteam Gleenlightは,ファン投票でおおよそ10位以内なら選出され,リリースに漕ぎ着けるというルールだった。しかし「LA-MULANA」が9位になったときは選出されず,なぜか12位のタイトルがリリースされる事態に。もう諦めてほかのパブリッシャに売りに行こうという話にもなったのだが,明確な根拠もないまま次の月まで待ってみた結果,これまたなぜか選出され,無事2012年にリリースされる運びとなったのだとか。水谷氏は「諦めなくてよかった」と語っていた。


なぜインディーゲームに関わり続けるのか


 トークは「インディーゲームに関わるきっかけのゲーム」「なぜインディーゲームを選んだのか,続けてきたのか」といったテーマで進んだ。

 LayerQ氏は自身が好きだったという「Braid」の名前を挙げつつ,認知度が上がったのは「Goat Simulator」や「Viscera Cleanup Detail」だったと振り返り,「いろんな人に見てもらえて,本格的にYouTubeで頑張っていこうと考えたのはその頃」と語った。
 また学業や資格取得,アルバイトと並行してゲームライターとしても活動していたが,記事の執筆だけでは生活できなかったことも明かしていた。

 吉田氏は,海外で大手ゲーム会社が作らないようなサイズのインディーゲームが続々とヒットしたことを挙げつつ,ドキュメンタリー映画「インディー・ゲーム:ザ・ムービー」に言及。リリース日に自分たちの作ったゲームがストアに並んでいないことに憤る姿や,イベントの舞台裏など,インディーゲーム開発者の生き様やコミュニティを面白いと思ったそうだ。

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 水谷氏は上記の「Machinarium」に加え,「ゆめにっき」を挙げ,プレイしたときは「こんな才能のある人がいるのか」と感動したエピソードを披露。フリーゲームとして公開されていたため,「これでお金をもらわないのは,決していいことではない」と思ったと話していた。

 またPLAYISMとして大きな手応えを感じたタイトルは「メゾン・ド・魔王」だったとのこと。社内のチームでプレイしたところ「面白い」と意見が一致したためリリースを決めたのだが,発表に対する反応がそれまでのタイトルとは明らかに違ったり,リリース時には購入者が殺到しサーバーが落ちるという事態に陥ったりと,水谷氏自身何が起きたのか分からなかったという。

 同作がヒットしたあと,開発を手がけたプチデポットのメンバーと,公園で缶コーヒーを飲みながら「よかったね」と4時間にわたり語り合ったというエピソードも明かされた。

 プチデポットはのちに「グノーシア」を手がけたが,このタイトルは当初PS Vita用として配信された。その理由を,当時のインタビューで「マイナーなハードで出せば一番になれる。それで注目されたら,ほかでも展開すればいい」と説明していたとのことで,吉田氏はその話が印象に残っていると話していた。

 話題は,PLAYISMがパブリッシングを手がけるタイトルは水谷氏のセンスに依るところが大きいのではないかということにも及んだ。水谷氏は,「クリエイティブを多数決で決めるのは絶対ダメ」という持論を示し,その理由を「多数決では誰も責任を取らないから」と説明。「自分の好きなゲーム,いいと思うゲームが出る世の中になってほしい。そのために頑張っている」と続けた。

 また吉田氏もアクティブゲーミングメディアの二見眞治氏から相談を受けたときに,「水谷さんがタイトルを選んでいるからこそPLAYISMたり得るので,そこを変えてはダメだ」とアドバイスしたというエピソードを披露。その後「8番出口」が大ヒットし,映画化されて以降,二見氏が水谷氏のチョイスに疑問を投げかけることはなくなったという。

 現在のPLAYISMには,インディーゲームのパブリッシングに関する問い合わせが年間1000本以上寄せられるとのこと。その中から実際にリリースされるのは年に20本前後で,水谷氏は社内でインディーゲームの選出基準を言語化するようにと言われることもあるが,実行しないようにしている。

 またこれまで15年間,インディーゲームクリエイターのやることには,信頼関係を保つために口を出さないと決めていたが,最近になってようやく指摘しても気分を害さないラインが見えてきて,少しだけ口を挟むようになっていることを明かした。

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 動画や配信の視聴数が伸びやすいタイトルについて問われたLayerQ氏は,「分かりやすいゲーム」と回答。ルールが分かりやすい,テーマや絵面が面白いゲームは視聴者も見ていて楽しいと説明する半面,視聴数が少し減るとしても自身が好きな少しコア寄りのゲームの紹介を続けていくと語った。

 またLayerQ氏にはタイトル特有の言葉をできるだけ使わない,自分が苦手なバイオレンスな要素には触れないといった配慮があることも明かした。LayerQ氏が歌手のLiSAさんと「Fall Guys」を一緒にプレイし,その後ライブに招待されたエピソードを吉田氏が紹介し,会場が盛り上がる一幕も。


インディーゲームの今後,そして真のインディーゲームクリエイターとは


 トークの最後のテーマは,「今後のインディーゲームはどうなると思うか」。水谷氏は,今やインディーゲームと一口で言っても,100人規模の体制や10億円規模の予算のタイトルから,1人で見返りを求めず作っているタイトルまでさまざまで,一方で遊ぶ側からすると開発規模はどうでもいいという側面もあると語る。

 インディーゲームの作り手それぞれに異なる未来があるので,PLAYISMのようなパブリッシャはそれを踏まえたサポートをしていかなければならないと見解を述べた。

 LayerQ氏は,サンリオや東映,松竹,PARCOなど他業界からインディーゲームに参入する企業が増えている状況を挙げた。今後しばらく同じ状況が続くのではないかと予想すると,それを受けて水谷氏は,自身が最初に関わった人たちの中には,自分のゲームが売れようが売れまいが,市場があろうがなかろうが,ただゲームを作り,それを遊んでもらえればいい人がたくさんいたと指摘。そういう人たちこそが真のインディーゲームクリエイターであり,彼らが埋もれることのないようサポートしていきたいと意気込みを語った。

PLAYISMから先日リリースされた「稗:The Dream Of A Cockspur」も紹介に。PVを観るだけで異様さが伝わってくるが,Steamのユーザーレビューの支持率は95%前後となっている(2026年7月21日現在)
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 冒頭で記したとおり,吉田氏がパーソナリティを務める吉Pラジオ404は月1回配信予定,吉Pナイトは隔月開催予定(次回は9月21日に行われる見込み)だ。どちらも国内外のインディーゲームの最新情報や業界事情を取り上げているので,興味のある人はチェックしてほしい。

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