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「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,テーマや執筆担当者によって異なるさまざまなスタイルでお届けする予定だ。
今日,クライムアクションゲームは日本でも世界でも,人気ジャンルの一つである。これを遊ぶ人や作ろうとする人にとって,その元であるクライムアクションストーリーに親しむことは,必ずや有益なはずだ。
クライムアクションストーリーとは,暴力と「人はなぜ暴力をふるうのか」を問いかける物語である。そして暴力と「人はなぜ暴力をふるうのか」の話といえば,その古典たる「イリアス」に触れないわけにはいかないだろう(そうか?)。
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ギリシアで紀元前8世紀頃に成立したこの叙事詩は,それよりもっと昔のギリシア諸国と小アジアの都市国家トロイアの戦いと,その渦中で争う敵味方の英雄たち,そしてギリシア最大の勇士アキレスが,ひどく個人的な動機によって暴力から離れ,また同じ個人的な動機によって暴力に戻ってゆく様を描いている。
いわば西洋文学の1行目がイリアスの「怒りをうたえ」であり,そして東洋文学の1行目が「論語」の「思無邪(感情の純粋さ)」なのだ(そうかも?)。
つまりクライムアクションストーリーには,イリアスを下敷きにしたものが複数ある。というか,ここへ来て複数登場してきている。アメリカ合衆国の大ベストセラー作家ドン・ウィンズロウ氏が,イタリアヤクザとアイルランドヤクザの抗争を描いた小説「業火の市」3部作がそれである。
作者がこれをどの程度コメディとして書いたのかはさっぱり分からないが(きっと作者に聞けば「どちらにとっていただいても問題ありません」と言うに違いない),ヤクザとカタギの関わりの描写に必要以上の迫力があって,引きつけられる。
今回は原典との相似と相違が面白い,この「業火の市」を紹介してみたい。
「業火の市」
著者:ドン・ウィンズロウ
訳者:田口俊樹
版元:ハーパーコリンズ・ジャパン
発行:2022年5月20日
定価:1440円(税込)
ISBN:978-4-596-42927-8
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君が向うところ、アヒレスの利き剣、
パトロクレスが讐をもとめて、血に飢えたり。
真の傑作がすべてそうであるように,イリアスもまた,作者の思惑とは異なる形で大衆受けをした物語である。イリアスの1行目を信じるならば,イリアスの主題はアキレスの怒りであるはずだ。しかし多くの人は,イリアスをトロイア勢に肩入れして読んでしまう。
その理由としては,少なくとも以下の3つが考えられる。
- ローマ王が,トロイアの英雄アイネイアスの子孫を称したこと(そして西洋はローマ文明を通じてギリシア文明を受容した)。
- ヘクトルとアンドロマケが,別離を知る人の心を常に捉えたこと。
- ロマンチック・ラブ・イデオロギー※確立後に生まれ育った人間は,それ以前の人間に比べてパリスとヘレネを憎むのが難しいこと。
※ロマンチック・ラブ・イデオロギー(恋愛至上主義)の確立時期には議論があるが,それがローマの建国よりあと――つまりイリアスの成立よりあと(共に紀元前8世紀)であることに異論はないはずだ。
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イリアスにおけるパリスは,「全ギリシア最強の王であるアカイアのアガメムノン」の弟メネラオスの元から,メネラオスの妻である美女ヘレネを誘惑して連れ去り,ギリシア勢とトロイアの戦の引き金を引く人物である。だが戦が始まってメネラオスに戦いを挑まれると,怖じ気づいて一度は逃げ出し,兄ヘクトルに責められて戦場に舞い戻る。
しかるに漫画「イリオス」のパリスは,人格は原典とは別物で,野心家で凄腕という欲張り設定である。もちろん21世紀の主人公なので,それでいいのだが。
一方,「業火の市」の主人公のモデルは,トロイアの武将アイネイアス(こちらの名前はダニー・ライアン)だ。
原典でのアイネイアスはヘクトルに次ぐ勇将であり,イリアス完結後のトロイア落城の折には父を背負い,幼い息子の手を引いて脱出する。ローマの叙事詩アエネイス(紀元前1世紀成立)などによれば,のちにイタリアに渡ってローマの祖となったという。
しかるに「業火の市」の主人公の妻は,さながらヘクトルの妻アンドロマケのよう。母はさながらアキレスの母テティスのよう(テティス6割,アフロディテ4割かな?)で,これまた欲張りな設定である。もちろん21世紀の主人公なので,それでいいのだが。
世界は定まり,主人公のモデルも定まった。この時点で作者はほぼ勝利している。あとはイリアスと完全に同じ話でも充分読めるものになる。しかるにあらゆる物語作家には,「俺ならもっと面白くできる」という創意があり,誇りがある。ゆえに「業火の市」3部作の物語は,徐々に原典から筋書きを違えていくことになる。
第1部の最後までは,比較的忠実だ。とくに出だしの2ページには,原典ファンが求める「不吉な予兆」がすべて入っていて,たいそう秀逸である。
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原典では,最初の1行目からすでに戦争がいつ終るともなく続いており,さながら「装甲騎兵ボトムズ」の冒頭のキリコ・キュービーの独白――「だが戦いは長引くばかりで終りがなかった。おれは疲れた。誰も彼もが疲れていた」――のようである。
一方,「業火の市」は開巻の時点で抗争は始まっておらず,分厚い本の序盤は,アイルランドマフィアであるダニーの楽しいマフィア生活が,大変丁寧に描かれる。アイルランドマフィアとイタリアマフィアは“なあなあ”でうまくやっており,イタリアマフィアのドンは,しばしばアイルランドマフィアを別荘に招いて手料理をふるまうほどだ。
とはいえ,出だしの2ページですでに不安の種が撒かれているので,読者は居心地が悪いこと甚だしい。
そこから物語は快調にペースアップし,ある瞬間に主人公に強い動機がインストールされる。以降,彼はしばしば「はて,俺には逃げる動機が十分で,アイルランドマフィアのために命を張る動機もないはずなのに,どうしてこんなことやってるんだっけ」と自問自答するのだが……主人公には分からずとも,読者にはその答えが分かるのだ。ははーん,さてはこの作者,小説がうまいな?
「業火の市」3部作の物語は,ギリシアの叙事詩イリアスを下敷きにした「業火の市」の終了後,ローマの叙事詩アエネイスをベースにした「陽炎の市」「終の市」へとつながっていく。日本語版の出版も,2024年6月に完了済みだ。
すべてが傑作だが,第2部はバイオレンス度がガクっと下がるので,バイオレンス分を摂取したい向きには,漫画の「イリオス」も併せて読んでみるといいかもしれない。
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![]() 「終の市」(リンクはAmazonアソシエイト) |
桂 令夫(著述・翻訳)
著述・翻訳業。主要翻訳ゲームに「ダンジョンズ&ドラゴンズ」シリーズ(共訳,ウィザーズ・オブ・ザ・コースト),「サイバーパンクRED」シリーズ(共訳,ホビージャパン)。「コマンドマガジン」(IED)誌にも書評記事「ゲームから本へ、本からゲームへ」を連載中。ところで,実はウィンズロウを「業火の市」3部作以外何一つ読んでいないそうである。






















