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シブサワ・コウ,「川中島の合戦」から「三國志13」までを語る。コーエーテクモを引っ張るクリエイターは,筋金入りのコアゲーマーだった
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印刷2015/12/29 00:05

インタビュー

シブサワ・コウ,「川中島の合戦」から「三國志13」までを語る。コーエーテクモを引っ張るクリエイターは,筋金入りのコアゲーマーだった

34年前の最初のゲーム「川中島の合戦」の売上本数は1万本


4Gamer:
 さっきの“川中島”の話をちょっと引っ張っちゃうんですが,あのころのシミュレーションゲームのラインってもう今では残ってないんでしょうか。昔の「光栄マイコンシステム」は,シミュレーションウォーゲームをいっぱい作っていたので,改めて最近の技術で作ってほしいなぁ,と思ってたりもします。

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襟川氏:
 確かに「川中島の合戦」は,初心に戻って今のマシンで作るというのは面白いかもしれませんね。リメイクというか,リブートというか。戦略ではなく戦術級ですが,当時よりも格段に細かなシミュレーションができますから,面白いかもしれません。

4Gamer:
 僕も買って遊んでたんですよ。子供だから現金書留ってよく分からなくて,ばあちゃんに書いてもらって送って。赤いパッケージングのカセットテープが来たときは嬉しかったですねえ。
 ところで,最初のテーマに「川中島」を選んだのは何か理由があるんですか?

襟川氏:
 単純に,信玄と謙信の戦いに面白さを感じていたからですね。それに,当時の自分のプログラミング能力やパソコンの性能からして,そんなに大規模なことはできなかったので,1対1で複数の部隊を将棋的にぶつけて,どちらが勝つかという判定をさせていたんですね。

4Gamer:
 部隊名が「キバ」とか「テッポ」とかでしたね。

襟川氏:
 よく覚えていますね(笑)。要素の数は本当に少なかったんですが,ゲームとしては成り立っていて,自分で遊んで面白かったので初めて売り始めたんです。でも,この“趣味の延長”みたいなところが,ゲーム開発の原点だったんじゃないかと思います。

4Gamer:
 当時はみんな同じような感じだったのかもしれません。

襟川氏:
 趣味の延長でゲームを作って商売になるなんて,誰も考えなかったですけどね。ただ単に自分が楽しかっただけです。自分でゲームのプログラムを組み立てて,自分で遊ぶという,内向きではありますけど,趣味の世界でしたからね。それがビッグビジネスになって,1本に何十億円もかけてゲームを作る……そんな風に変わるなんて,夢にも思わなかったです。

4Gamer:
 この業界の「30年」は,世界史の教科書で300年くらいが過ぎ去ったような雰囲気がありますよね。月刊マイコンの後ろのほうのモノクロ広告の光栄のページを見ながら,これが欲しいな,これがやってみたいな,って眺めていた中学生だった身としてはそう思います(笑)。
 ちなみに,川中島っていくらでしたっけ?

襟川氏:
 最初は確か……3500円でしたね。

雑誌「マイコン」1983年8月号の光栄マイコンシステムの広告を掘り起こしてみた。このころの光栄は,シミュレーションゲームのオンパレードだ。筆者くらいの年齢の人には懐かしい写真かも
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4Gamer:
 どれくらい売れたんですか?

襟川氏:
 だいたい1万本くらい出たと思います。本当にそんなに売れるとは思っていなかったので,すごくびっくりしました。

4Gamer:
 じゃあ僕も1万人の中の一人だ(笑)。襟川さんとしては,どれくらい売れると思っていたんでしょうか。

襟川氏:
 うーん,今だから言いますが,数十本か,まぁどれだけ売れても100本はないと思っていました(笑)。その当時31歳でしたが,それくらいの年齢の人で,歴史が好きで,ゲームで遊ぶ人で,パソコンを持っている……そんな人はすごく少ないと思っていましたから。

4Gamer:
 言われてみれば確かにそうですよね。

襟川氏:
 理工系で,エンジニアとしてパソコン……というかマイコンを組み立てたり,コンピュータ自体の構造やOSが面白くて勉強したりとか,そういう人はいたと思うんですが,そこに加えて歴史が好きでゲームで遊ぶ人なんているのかなぁ,と。自分としては,すごくニッチな遊び方をしていると思っていたんですよ。

4Gamer:
 でも実際にフタを開けてみたら。

襟川氏:
 意外や意外。日本人って歴史が好きなんだ,ゲームが好きなんだというのが分かりました(笑)。そんなわけでまったく期待していなかったんですが,まぁモノは試しということで広告を出して通信販売をしただけなんですよね。

4Gamer:
 当時はお店でゲームなんてあんまり売ってなかったですもんね。

襟川氏:
 パソコンにしたって,当時はみんな通販か秋葉原で買う時代でしたよね。私の出身は栃木県の足利市ですが,当時はパソコンを売っている店が1軒もなかったくらいですし(笑)。

4Gamer:
 あの緑の看板のNEC直販店もなかったですか? ええと,なんでしたっけ……。

襟川氏:
 NECビット・インですか?

4Gamer:
 それです!

襟川氏:
 ビット・インが出来たのも,もっとあとでしたねえ。

4Gamer:
 その時点では,パソコンでゲームを作って食べていこう……とは思っていなかったわけですよね。

襟川氏:
 全然思っていなかったです。ただ,プログラムすることが自分の性分に合っていたんですね。論理的な構築をしながら組み上げていくという作業が。

4Gamer:
 理工系だったから……というわけじゃないですよね確か。

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襟川氏:
 ええ。私は慶応の商学部出身で,いわゆる“文系”です。とくにプログラムの勉強もしたわけではないですが,プログラムを組むということが性格に合っていたのか,楽しくて楽しくて。
 そんな感じで夜な夜なゲームを組んでいましたが,昼間は仕事に役立てなきゃいけないので,染料・工業薬品の在庫管理ソフトとか,財務管理のソフト,見積もり計算のソフトだとかを自分で作って,一応はOA(オフィスオートメーション)化に役立たせていました。


4Gamer:
 OA化……懐かしい響きですね(笑)。

襟川氏:
 でもたった2人の会社で,手でやればすぐに終わるので,パソコンを使う必要はなかったんですけどね(笑)。

4Gamer:
 そのシステムを売ったりとかはしなかったんですか?

襟川氏:
 ちょっとそれっぽいことはしましたよ。
 当時シャープさんのOSの勉強会に行った時に,同好の士がたくさんいることが分かったんです。自分でパソコンを買ってプログラムを組んで遊んだり,もっと高価なオペレーティングシステムの内部を勉強して,コンピュータをさらに有効活用しようとしたり,計測制御に使ったり。そんな野心的な人がたくさんいて面白かったんです。

4Gamer:
 そういえば昔は,各社がよく勉強会を開いてましたよね。

襟川氏:
 ええ。そこで基礎技術を吸収するために,いろいろな人と出会ったのですが,そこである人から「OA化のソフトを作ってくれないか」と言われまして。それで工程管理のソフトを作ったのですが,それが非常に好評で,話がどんどん広まったので受託開発をはじめたんですよ。

4Gamer:
 1980年代前半の光栄の雑誌広告って,顧客管理システムとか日本語ワープロとかも一緒に載ってましたよね。当時は自分に関係なくてちゃんと意識したことはないんですが,なるほど,そういうことがあっての,あの広告だったんですね。

襟川氏:
 そうですね。それを1年か2年くらいやって,それなりに楽しかったんですが,やはりゲームのほうが,たくさんの人から注文がもらえるし,お客さんとダイレクトに電話を通じてお話ができるので。

4Gamer:
 直接電話でサポートしてたんですね!

襟川氏:
 ええ。川中島の合戦を買った人から「すごく面白かった」とか「ここはこう変えた方がいい」とか「次はこういうのを作ってほしい」とか,いろいろな話が直接できることに,やりがいを感じていたところなんです。ですから,やはりゲーム開発のほうが手応えがあると思って,受託開発をやめてゲーム開発にシフトしました。

4Gamer:
 いきなり完全に移行したんですか?

襟川氏:
 はい。ゲームソフトに自分の力をすべて持っていこうと考えたので,染料・工業薬品の仕事も全部やめて,ゲーム専門にしたんです。

4Gamer:
 それはまた思い切った決断ですね……。そこで社名も変わったんですか? そういえば,“光栄マイコンシステム”という社名がいつ登場したのか,実はちゃんとした背景を知らないんです。

襟川氏:
 なるほど。その社名は元々ショップ名なんです。

同じく1983年8月当時の「日本ファルコム」の広告。ゲーム会社としてメガヒットを飛ばす前は,マイコンショップだったことが分かる
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4Gamer:
 あら,そうなんですね。ファルコムさんと同じ流れだ。

襟川氏:
 先ほども申し上げたように,そもそも足利にはパソコンを買えるところがなかったので,ゲーム開発をしながら,光栄マイコンシステムという小さなパソコンショップを開いたんです。そこで,PC-8001や日立のベーシックマスターレベル3,富士通のFM-7とかを並べて売っていました。でも,もちろんしょっちゅうお客さんが来るわけじゃないですから,来ない間はゲームを作っていましたよ(笑)。

4Gamer:
 一石二鳥ですね(笑)。

襟川氏:
 そのとおり(笑)。でもそうやっていくうちに,いろいろな人からゲームの話だとか,パソコンの話だとか,そういうものが舞い込むようになって,サロン的な溜まり場になってきたんですね。一緒にゲームを作りたいという人も出てきたので,じゃあうちで仕事したらいいんじゃないのと言って社員になってもらって,だんだん社員が増えてきたんです。

4Gamer:
 牧歌的な時代ですよね。僕が子供のころは,電気屋さんにズラりと並べて置いてあって,誰でも触れるようになってました。カセットデッキも使えるように置いてあったので,朝から晩までそのお店にいて,雑誌のリストを打ち込んで,そのお店でカセットを買ってSaveして次の日また続きから……という。
 あのころ同じくらいの年でマイコンに興味があった子はみんなそこにいましたが,いま彼らはどうしてるのかなぁ。

襟川氏:
 そういう時代でしたね。でも,その電気屋さんはすごく先進的だと思いますよ。

4Gamer:
 ……といいますと?

襟川氏:
 だって,店頭在庫はお店のリスクですから。

4Gamer:
 あああ,そうか! 確かにそうですね。僕が通ってた相模原(注:神奈川県相模原市)のお店は常時15台以上は置いてありましたよ。誰かがPC-8001を使っていたら,自分はMZ-80Bを使って,あとから来た子はベーシックマスターを使って。子供ながらに人気ランキングがありましたね,今にして思えば。

襟川氏:
 15台はすごいですよ。1台1万円とか2万円とかそんなレベルのものじゃないですからね。25万円とか30万円とかいう値段だったのに,それを自分のところのリスクで置いているわけですから。

4Gamer:
 確かに……。今ならその凄さがよく分かります。

襟川氏:
 たぶん,そこのお店のご主人だか店長だと思いますが,パソコンが好きだったんだと思います。各メーカーさんから,展示用として無償で貸与されるものではなかったんですよ。

4Gamer:
 1台20万円としても,15台で300万円か……。

襟川氏:
 そうです。当時の価値で,5台で100万円くらいのものです。それが全部自分のところのリスクですから,その店のご主人は先進性があったのだろうなと。

4Gamer:
 いやあ,相模原にあったエル商会には,改めて感謝したいと思います……。


ワープロからコンパイラ,RPGからアクションまでなんでも作る「光栄」


4Gamer:
 しかしホントに当時の光栄は,ゲームだけじゃなくていろいろなものを作ってましたよね。

襟川氏:
 RPGも作りましたし,アクションゲームの「コンストラクションビデオゲームキット」も作りました。それから,ベーシックコンパイラや「いろは」という日本語ワードプロセッサなど,いろんなものを作りましたね。

これが「いろは」の広告。キャッチコピーからは,なかなか高機能に思える。しかし今改めて見ると,PC-8001で漢字を表示していたのか。すごい……
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4Gamer:
 「いろは」! 当時広告を見ましたよ……懐かしい。私はPC-8001で「ダンジョン」がどうしても遊んでみたかったです。いまでもI/Oに載ってたカラー広告のイラストとか覚えてますよ(笑)。

襟川氏:
 それはまたずいぶん懐かしい作品ですね……。まぁとにかくプログラムを組むのが大好きだったので,システム系からビジネスソフトまでいろいろやり始めて,結局最後はゲームに行き着きました。

4Gamer:
 あれだけのジャンルと作品数を一人で作ってたんですか?

襟川氏:
 いえいえ,そのときにはもう社員が10人くらいいました。家内(=現ホールディングス会長の襟川恵子氏)の実家が日吉にあったので,その実家の軒先を借りて,先ほど話題に出た3坪くらいの小さなパソコンショップ(=光栄マイコンシステム)を作ったんですが,慶應義塾の学生とか早稲田の学生が来て溜まりだして,彼らにアルバイトをしてもらいながら,プログラミングを手伝ってもらっていました。

4Gamer:
 楽しそうだなぁ……。

襟川氏:
 そうこうしているうちに,だんだんゲームの仕事が忙しくなってきましたので,軒先だけだったのを全部借りて開発のオフィスにして,社員数も増えてきて。栃木県の足利よりも,利便性を考えて横浜の日吉のほうに全部引っ越して,本社も日吉に移して。

4Gamer:
 そのあたりがゲーム開発に本格移行したタイミングですか?

襟川氏:
 そうですね。ゲーム開発を組織的に始めたのは……だいたい1985年くらいです。ちょうど「三國志」が生まれたあたりですね。そのころで20人近くになっていたと思います。

4Gamer:
 じゃあ僕が日吉に通っていたころに見た“光栄”は,そのときのオフィスなんですね,きっと。

襟川氏:
 だと思いますよ。


好きな業界で,好きなことに,ずっと接しているという幸せ


4Gamer:
 私が4Gamerを始めて16年目になります。これくらいやっていると,途中何度もモチベーションがガタ落ちになったり,明日辞めたいと思うくらい嫌になったりすることもありました。
 程度の差こそあれ襟川さんにもそういうことがいくばくかはあったのではないかと思っているんですが,そういうものはどうやって“なかったこと”にしてるんですか?

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襟川氏:
 そうですねえ……。好きなことをやっていける幸せ感というか,それがすべてのモチベーションになっていますね。今はそんなにしていませんが,プログラムするのが好きで,ゲームを作るのが好きで,ゲームで遊ぶのが大好きで,ゲームで遊んでくださっている方のお話を聞くのも大好きで。

4Gamer:
 自分が恥ずかしくなってきました……。

襟川氏:
 いやいや。もちろん“山”も“谷”もありましたよ(笑)。でも,いろんな批判も,厳しい意見も,楽しい評価も,そういうもの全部含めてゲームの話をすることも好きですし,そこに自分がいられるということがすごく幸せだと思っています。

4Gamer:
 好きに勝るものはない,と。

襟川氏:
 そうです。確かにツラいときもありますが,基本的に「自分の好きなことをやっている」という気持ちがあるので,モチベーションを保てるという感じでしょうか。まぁ自分としては,ゲームというものが空気みたいなものなのですけれど(笑)。

4Gamer:
 なるほど。「モチベーションを保つ」必要すらないんですね。

襟川氏:
 そうですね。保つという気持ちではなくて……ゲームを取り巻く環境であったり,ゲームそのものであったり,そういうものすべてが嬉しくて,幸せだと思っているんです。

4Gamer:
 いやあでも30年以上ピュアな気持ちで出来るのは,素直にすごいと思います。“尊敬”とかそういう言葉ではない,何か特別な言葉……咄嗟に出てきませんが。

襟川氏:
 そうですね,30年以上経つんですね……。
 今までのゲーム業界の発展の歴史に,ずっと自分の肌で触れてきましたが,業務用ゲームから始まった業界がパソコンゲームになって,それから家庭用ビデオゲームになって,さらに携帯ゲーム機ができて,そしてスマホになって。それらがみんな,成長と衰退を繰り返しながら,業界全体で見ると1980年からずっと右肩上がりを続けているわけです。

4Gamer:
 はい,おっしゃるとおりです。

襟川氏:
 そんな業界のなかで仕事をできているという幸せが,まず1つあります。そして,自分の趣味だったゲーム作りが,自分だけの楽しみではなくて,社員全体の楽しみになっているというのが非常に嬉しいんです。

4Gamer:
 それどころか“世の中の楽しみ”ですよね。

襟川氏:
 ええ。社会におけるゲームというものは,ある意味1つのメディアだと思うんです。むろんいろいろな問題も出てきてはいますが,そのメディアが大きくどんどん成長して,その存在感が世界的にどんどん大きくなっていく。そういうゲームというものに,朝から晩までずっと接していられることが幸せですね。

4Gamer:
 世界に目を向ければ,次は「中国」という巨大な未開拓ゾーンがありますし。

オマケで当時の「エニックス」の広告も載せてしまおう。「ドア・ドア」懐かしいなぁ……PC-6001mk2で遊びました。あの中村光一氏の出世作で,氏はこのあと1984年にチュンソフトを立ち上げることになる
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襟川氏:
 いまはまだスマホばかりですけど,なにしろ12億人いますからね。

4Gamer:
 コンシューマは,政府肝入りで割と真剣に取り組んでいるようですね。

襟川氏:
 コンシューマはすごい勢いで広がると思いますよ。中国の若い人は,PS4やXbox Oneのゲームをプレイすれば,きっと新鮮に感じると思うので。それが今からすごく楽しみです。

4Gamer:
 コーエーの作品群は,中国と相性良さそうなものも多いですし!


日本で最初のMMORPGを開発したのはコーエーです!


4Gamer:
 “新鮮”と言われて思い出したんですが,コーエーって割と昔から,新しいことに真っ先にトライしますよね。「信長の野望Internet」とか。

襟川氏:
 発売したのは……1998年ですね。

4Gamer:
 しかも,割と最近までサービスが続いていたという。

襟川氏:
 新しいことは割となんでも好きなんですよ(笑)。対戦ゲームという話で言うなら,2台のゲームボーイをケーブルでつないで対戦ゲームにした対戦型の「信長の野望」を1990年に作りましたし。

4Gamer:
 ゲームボーイアドバンス版の信長にも対戦機能は付いてましたよね。

襟川氏:
 まぁそもそもの話をするならば,初代の「三國志」も0人〜8人プレイまであって,1台のパソコンで8人が順番にコマンドを入力しながら,みんなでグルグル回してプレイするっていう(笑)。

4Gamer:
 あれは多人数プレイの走りでしたね(笑)。

襟川氏:
 それをネットワークを――当時はパソコン通信でしたけど――使って遠隔で対戦できないのかな,と思ったのが元々の発想でした。なにしろ昔の多人数プレイって,手の内が全部見えちゃいますからね(笑)。

4Gamer:
 画面は1つですし(笑)。

襟川氏:
 誰がどういう戦略を実行しているのかモロバレで。それが楽しくもあったわけですけど。

4Gamer:
 でもFace-to-Faceの楽しさっていうのがありましたよね。のちのスーファミのマリオカートの1画面対戦とかもそうでしたが。

襟川氏:
 ですから,インターネット対戦というフィーチャーについても,割とすんなり入っていけたんだと思います。

4Gamer:
 すんなり……というか,結構早かったと思うんです。でも一番すごいなと思ったのは「アプサラス」ですかね。確か初代「Diablo」の3年後くらいで。

時代を先取りしすぎた(?)「アプサラス」。和製Diabloたらんとした野心作だ(と筆者は思っている)
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襟川氏:
 よく覚えていますね(笑)。「日本初」とか「世界初」とか,よくそういう文言を広告宣伝に使っていた気がします。……せっかくですのでここでひと言伝えておいてもいいですか?

4Gamer:
 な,なんでしょう……。

襟川氏:
 MMORPGなんですが,当社は2003年に「信長の野望 Online」を出しましたが,発売は一歩だけスクエニさんの「Final Fantasy XI」に遅れてしまいました。でも,開発はうちのほうが早かったんです!(笑)

4Gamer:
 ちゃんと書いておきます(笑)。

襟川氏:
 まぁ冗談はさておき,信Onは2番目になっちゃいましたけど,とにかく,新しいことに対する取り組みはすごく大好きです。コンシューマ機でも,新しいハードウェアが出るときは,なるべく同時発売で作品を出していこうと,それに合わせた形でいつもスケジュールを組んでいます。

4Gamer:
 麻雀なら何本も持ってましたよ!

襟川氏:
 そうそう,そういうのです(笑)。でも,スマホだけはちょっと出遅れたかなという気持ちがあるので,もう少し頑張ろうと思って,いま一生懸命力を入れています。

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VRもPS4も,これからもっと盛り上がりますよ


ここ数年盛り上がりを見せつつあったVR市場に,ついにSCEが参入。VRテクノロジーは,やや閉塞感のあるコンシューマゲームの,起爆剤たりうるのだろうか
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4Gamer:
 VRなんかはどうでしょう?

襟川氏:
 いやもう大好きです。今度のPlayStation VRなんかも最高ですね。戦場の中での臨場感をゲームにしたら面白いだろうと誰しもが考えると思いますが,むろん私も絶対に面白いと思って,真・三國無双のなかの戦闘シーンを作ったんですよ。

4Gamer:
 E3で公開されたデモですね。

襟川氏:
 実はあれにはその前のバージョンがあったんですが,それはちょっと前のめりになりすぎちゃって……。

4Gamer:
 どうなったんでしょう……。

襟川氏:
 馬に乗って戦場を駆け抜けると,すごい勢いで酔っちゃうんですよ(笑)。

4Gamer:
 あぁ……(笑)。

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襟川氏:
 さすがにもう少しなんとかしなくちゃいけないということで,馬を使わないで敵がこちらに来るような感じにして,それを一騎当千でなぎ倒していく爽快感を出したんですね。そうしたら,臨場感が本当にすごくて。
 趙雲がこちらに迫ってきて話してくれたり,王元姫が目の前で話してくれたりして,思わず握手したくなります。あのリアリティは革命的ですね。

4Gamer:
 一方でVRって,特別な機材がないと遊べないということもあって,既存の「ゲーム」とはまた違う方向の遊ばれ方になる気もしています。スマホとは違う逆方向への進化というか,“その場所でしか遊べない”何か。最近は据え置きもちょっと元気がないですし,そういうのもアリかな? とは思いますが。

襟川氏:
 いやあ私は元気出てくると思いますよ。PS4も国内で200万台を超えましたし,任天堂さんもNXという新しい“マシン”を発表しています。これからは,各社さんもこれらのマシンに対して,はっきりとしたコミットメントをしていくでしょう。

4Gamer:
 おっしゃることはとてもよく分かりますし私もそうであってほしいと願っていますが,現実として世界に目を向けると,やはり日本のPS4はもっともっとがんばってほしいと思うのです……。

襟川氏:
 確かに日本でのPS4はまだまだ出荷台数は少ないですけど,海外ではものすごい勢いですよね。それが必ず日本にやってきます。以前は,日本でヒットして,アメリカやヨーロッパに進出していきましたが,昨今では図式が変わって,アメリカやヨーロッパでヒットして,それが日本に来る形も多いですし。

4Gamer:
 そのパターンが増えたので,昔と違って,あまり「洋ゲー」と言わなくなりましたよね。かつて好き者しか遊んでいなかった“洋ゲー”もすっかり市民権を得ました。

襟川氏:
 確かにそうですね。あとPS4がちゃんと増えているのは出荷本数でも実感しています。
 当社のゲームをPS3/PS4/PS Vitaの3機種同時発売している場合でも,去年(2014年)はPS3版が一番多かったのですが,今はPS4版が一番多くて,次がPS Vita版です。

4Gamer:
 ちゃんと移行しているんですね。

襟川氏:
 だと思いますよ。先頃出した「ソフィーのアトリエ」もそうでしたから。去年(2014年)に出したアトリエシリーズはPS3が一番売れていたので,2015年がちょうど切り替えの時期になったんじゃないかと思います。

4Gamer:
 なるほど。2014年に入って話題の作品が増えたというのも大きな要因になってそうですね。

襟川氏:
 2月にスクウェア・エニックスさんと一緒に作った「ドラゴンクエスト ヒーローズ」も,結構貢献できたのではないかと思っています。

ドラクエって(というか普通のRPGって)やたらに多くの敵が一斉に登場するものではないので,無双システムとマッチするのかしら? と思っていたが,意外にもしっくり
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4Gamer:
 いずれは……と思ってましたが,思ったより早くドラクエで来ましたね。

襟川氏:
 ずっと前から,堀井さんとは何か一緒にやりましょうという話になっていたのですが,お互いに忙しくて,なかなかスタートできなかったんですよ。

4Gamer:
 まぁ襟川さんと堀井さんじゃあ,そうですよね……。

襟川氏:
 堀井さんがまたトンでもなくお忙しいんですよ。話をした当時は「ドラクエX」をスタートさせていました。オンラインゲームを始めると,ずっと張り付く必要があって,そこから出られないんですよね。自分でもプレイしないと,バランス調整も何もできませんから。

4Gamer:
 しかも,それがずっと続きますし。

襟川氏:
 おっしゃるとおりで,これがパッケージであれば,発売前にテストが終わればその1回でおしまいですが,オンラインゲームの場合はずっと続きます。プレイヤーと同じ気持ちで,バージョンアップしていかなきゃいけないですからね。

4Gamer:
 襟川さんの場合,信Onをどれくらいプレイしてたんですか?

襟川氏:
 確か……2003年から2005年まで2年間ずっと毎日,仕事が終わって自宅に帰って10時くらいから夜中1時くらいまでずっとやっていましたね。

ウルティマ オンライン→EverQuest と歩んでいた筆者には,「信長の野望 Online」のコマンド選択式の戦闘システムは,すごく斬新に感じた。FFXIもそうだが,まさかシングルRPGのターン制の戦闘システムを3DのMMORPGに持ってくるとは,(当時は)思っていなかった
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4Gamer:
 社会人廃人ですね……。

襟川氏:
 ほんとそう思います(笑)。文字どおり毎日ですからね。ただ,ゲームするのは好きですから,全然苦痛じゃないんですけど。

4Gamer:
 その時間なら,人も多いですしね。

襟川氏:
 そうですね,一番混む時間帯です。まぁ堀井さんも同じような感じになっていて,ヒーローズのほうになかなか手が回らなかったというわけです。それでドラクエXが一区切りついたころに,やっと時間ができたので……。

4Gamer:
 でもまたすぐ“次”があるのでは。

襟川氏:
 次はドラクエXIを作るに決まっていますけど,「その空き時間だけでいいんで!」と(笑)。

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