連載
男色ディーノのゲイムヒヒョー ゼロ:第332回「メジャーとインディーの差」
いやいや,でも,これ言い訳でも何でもなくて,熱が下がったら原稿を書こうと思っていたのよ。でも一向に下がらないまま締め切りをぶっちぎって,ついにデッドライン。土俵際ってやつね。
で,まさに今この状態なんだけれども,そういう感じだから,今週はゲイムの情報はまるでないわよ。そもそもこの一週間では先週紹介した「ブレイブリーセカンド エンドレイヤー」しかプレイしてないしね。新しい情報なんざ一文字たりともないって話よ。
なので,今週はプレイしたソフトの紹介ではなく,ゲイムとプロレスの共通した部分に対する私の考え方を述べさせていただこうかと。興味ない方のために,早々に一度この原稿を締めておくわ。健康って大事ですよ! 体調崩してごめんなさい! 来週までには治しとくわ! ではまた来週!
今週のハマりゲイム
(文字通りゲイムスロットにハマっているゲイム)
PlayStation 4:「トロピコ 5」
PlayStation 3:特殊なDVD ※死亡確認→復活予定
PlayStation Vita:「剣の街の異邦人 〜黒の宮殿〜」
PSP:「サモンナイト5」
Wii U:「ゼルダ無双」
Wii:「ドラゴンクエストX 目覚めし五つの種族 オンライン」
ニンテンドー3DS:「ブレイブリーセカンド エンドレイヤー」
Xbox 360:「剣の街の異邦人 〜白の王宮〜」
で,本題のゲイムとプロレスの共通した部分なんだけども,これすなわち「“メジャー”と“インディー”があるよ」って話。
まず,ゲイム業界では最近“インディーズゲイム”の存在感が日に日に増しているわよね。いろんな理由があるとは思うんだけど,私としてはゲイムをパッケージで流通させなくても,インターネットを介して配信できる時代になったっていうのが大きいと思っているのね。このあたりはいろんな見方があると思うんだけど,とりあえず私が言いたいのは,少ない人数でも開発して売ることができるインディーズゲイムというものに注目が集まる時代になったな,ってこと。
一方で,プロレスにもインディーという存在があるわ。戦後の日本を勇気づけたとされるコンテンツだったプロレス。それが,離合集散を繰り返してきた結果,同じプロレスというジャンルの中で,“メジャー”と呼ばれるものと“インディー”とに,いつの間にか分かれてしまったわけ。
となると,ここで疑問が生まれてくるわよね。メジャーとインディーの違いは何なのか,と。この問題を突き詰めて行くと,どうしても人が生きる世に存在している,“差別”という問題に話が発展しちゃうのよ。いや,割とマジで。
誤解を恐れずに言えば,私は差別ってこの世から消し去ることはできないんじゃないかと思っているの。もちろん,道徳的な観点からいえば,差別はいけない。でも,人間ってカテゴリー分けをしたがるじゃない。なぜなら,それが必要な時もあるから。
私が好きなある小説にこんな一節があるわ。「我々は君のことを差別しなければならない。『自分が罪を犯せば,家族をも苦しめることになる』と,すべての犯罪者にそう思い知らせるためにもね」。一字一句同じではないんだろうけど,だいたいこんな感じだったかしら。簡単に言うと,殺人犯の弟の人生を描いた話なんだけども。言っちゃうと,東野圭吾氏の「手紙」なんだけどね。
私の意見として繰り返すけども,不条理な差別はなくすべきだし,それによって具体的な不利益を被る人達がいていいはずはないんだけど,すべての差別はなくならない。
話がだいぶ逸れたけども,メジャーとインディーの違いっていうのも,要は差別だと思っているのね。同じであって,同じでない。
でも,これはプロレスとゲイムに限ったことではないわよ。産業の多くにメジャーとインディーは存在するの。音楽の世界でもあるわよね。芝居の世界でもメジャーやインディーといった言葉こそ使われないものの,TVにバンバン出ている役者と,小劇場でのみ活躍している役者とでは,実質的には違いがある。同じような業種でも,TVでCMを流すような企業もあれば,こじんまりと営業している企業もある。
細かいカテゴリーの分類方法はあるんだろうけど,実質的な意味でのメジャーとインディーの差別化ポイントは,その業界における“規模の大小”であることが多いわよね。それは顧客側の認識を含めて。
ほかの業種のことは分からないけど,ことプロレスに関して言えば,規模を基準に「インディーのくせに」「これだからインディーは」っていう,メジャーファンからの見方があるの。で,インディーのファンもメジャーの失態を指差して「メジャーのくせに」「これだからメジャーは」とあざ笑う。
最近はだいぶ減ったけど,こういった傾向はいまだにあると思うの。同じようなことは,ほかの業種でもあるのかもしれないけど。こういう差別は,いわゆるすれ違いに起因した,なくすべき不条理な差別の一種ではないかと,私は思っているわ。
要するに,お互いの顧客が抱いている認識が正しくないの。なぜなら,規模だけでメジャーとインディーを分けているから。でもね,そもそも,勝利条件が違うのよ。
ゲイムの場合,メジャーは商品をより多く売ることが目的なのね。それこそ,規模の問題。100万本売れば大勝利。一方でインディーはそうじゃない。作りたいものを作って,顧客を満足させる。それが達成できれば,売れた本数が1000本でも勝利なのよ。
もちろん,ビジネスとしてだけ見たら,100万本売ったほうが勝ちなのは間違いないわ。ゲイムというエンターテイメントを100万人に届けているという意味でも,メジャーの意義は大きい。だから,その基準でメジャーファンは「インディーのくせに」と物事を語るんだけど,それはあくまでメジャーの勝利条件だからね。
インディーにはインディーの勝利条件があり,メジャーではむしろ表現しづらいモノを表現したり,取れない作戦を取ったりできる。それがインディーのだいご味なわけじゃない。顧客を含めてそこをちゃんと認識できていれば,メジャーとインディーは良い差別化が図れると思うのよね。
逆に言うと顧客込みの組織として,目指すべき勝利条件をうまく設定できていない会社は,その業界において厳しい戦いを強いられるんじゃないかしらね。だって目標が見えてないんだから。
100万本売りたい! っていうのは,漠然とみんな思っているわ。だったら,そのためにクリアすべき目標を設定できるかどうか。内容もそうだし,売り出し方もそう。場合によっては印象操作も必要かもしれない。
あるいは,ペイラインを超える程度の利益が出ればいいから,人が興味を持てるような内容や広告にしよう,でもいい。勝利条件の設定=クリアしていくべき目標の設定ってことですかね。
100万本売りたいだけだったらメジャーを目指せばいいし,メジャーとは違う基準で戦うならそれはそれでいいし。私にとってのメジャーとインディーの違いは,その程度のものなのよ。人生が楽しくなるのであれば,メジャーだろうがインディーだろうが,どっちでもいいと心から思うわ。提供するのも購入するのも。
幸い,ゲイムに関しては面白いものは面白い! っていう事実がプレイヤーの間にも浸透していると思うしね。
ちなみに私の最終的な勝利条件は,楽してお金を稼ぐこと。そのために,今なるべく多くの実験をしている最中なの。プロレスに関しては,インディーのアプローチのままどこまでメジャーの勝利条件に近付くことができるのか。それと同時に,多くの人を相手にした場合でも,ゲイレスラーとしてどこまでやっていいのか。
あとは笑わせるのか笑われるのかって,よく議論になるけども,私にしてみりゃそんなもんどっちでも良くて,見て笑えるものを提供できるならそれでいいやとか。
ま,ここまで偉そうなことを言っておいて,結局は無計画に等しいってことなんだけどね。これだからインディーは。
あ! 書き終わったら熱下がってる! ではまた来週!
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