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Access Accepted第405回:FPSの先駆者「DOOM」生誕20周年を祝う
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印刷2013/12/16 12:00

業界動向

Access Accepted第405回:FPSの先駆者「DOOM」生誕20周年を祝う

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 現在の欧米ゲーム業界で高い人気を誇る「Call of Duty」や「Battlefield」などは「FPS」(ファーストパーソン・シューティング,あるいはファーストパーソン・シューター)と呼ばれるゲームジャンルに属している。その源流をたどると,ちょうど20年前,1993年12月にリリースされた「DOOM」というランドマークへ流れ着く。今回は,「DOOM」や,それを開発したid Softwareの歴史を振り返り,同社が歩んだ20年に思いを馳せてみよう。


DOOMを生み出したid Software設立への道


公式には1000万本,違法コピーにより,実際にはその何倍ものプレイヤーを抱えていたと言われる「DOOM」。無料で数マップを配布し,もっと遊びたければお金を払ってもらうという「シェアウェア」だった。MicrosoftやIntelでは,社員が「DOOM」に熱中して作業効率が低下したため,インストール禁止令が出たという
画像集#002のサムネイル/Access Accepted第405回:FPSの先駆者「DOOM」生誕20周年を祝う
 1993年12月10日にid Softwareからリリースされた「DOOM」が,先週12月10日で発売20年周年を迎えた。「DOOM」は歴史上初のFPSというわけではないが,この「DOOM」を大きなターニングポイントとしてFPSというジャンルが花開き,その後さまざまな名作が生まれることになった。Electronic Artsの「Battlefield」,Bungieの「Halo」,Activisionの「Call of Duty」,Epic Gamesの「Unreal」,そしてCrytekの「Crysis」など,海外メーカーのほとんどが,看板シリーズと言えるFPS作品を持っており,欧米で最もポピュラーなゲームジャンルと呼んでも間違いないだろう。

 FPSとは,プレイヤーの一人称視点でゲームの中を移動し,銃や素手で戦うスタイルのゲームのことで,ジャンルの始まりは,一般的に「DOOM」の前年にid Softwareがリリースした「Wolfenstein 3D」だと言われている。それ以前にも例えばフライトシミュレータやレースゲーム,あるいはアドベンチャーゲームなどで一人称視点は使われているが,歴史的にFPSとは区別されている。ともあれ,「Wolfenstein 3D」と「DOOM」は,無数の相手に撃ちまくるスピーディなゲームプレイというFPSの基本形を作った作品だといえるだろう。

 「DOOM」を開発したid Softwareは,1991年にテクニカル・ディレクターのジョン・カーマック(John Carmack)氏,デザイナーのジョン・ロメロ(John Romero)氏トム・ホール(Tom Hall)氏,そしてアーティストのエイドリアン・カーマック氏(Adrian Carmack。ジョン・カーマック氏との間に血縁関係はない)の4人によって,テキサス州ダラスに設立された。社名は,精神分析学者フロイトが提唱した精神構造の一つ「イド」に由来している。

id Softwareが設立された頃の写真。左からジョン・カーマック氏,ケビン・クラウド氏,エイドリアン・カーマック氏,ジョン・ロメロ氏,トム・ホール氏,そしてビジネス担当で,現在はEpic Gamesに在籍するジェイ・ウィルバー氏。20年以上も前に撮影されたもので,顔にはあどけなささえ残っている
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 4人の創業メンバーはもともと,ニュース記事やデモプログラムを収めたフロッピーディスクをApple II向けに販売していた出版社,Softdiskで働いていた仲間達だった。彼らはゲームを担当していたが,フロッピーディスクが月に一回リリースされるため,相当なスピードでソフトを量産しなければならず,会社に寝泊まりしながらゲームを作っていたという。

 おそらく,そうした殺人的なスケジュールが技術を磨いたのだろう,1990年にカーマック氏は横スクロール式のアクションゲームを効率的に作り出すプログラミング技法を編み出し,それを証明するため,ホール氏と共に徹夜で「Dangerous Dave in Copyright Infringement」というゲームを制作した。このゲームには,ロメロ氏がデザインした「Dangerous Dave」のアセットが使用されており,ちょうどロメロ氏の誕生日だったことから,カーマック氏とホール氏は,プレゼントとしてロメロ氏のPCにゲームをこっそりインストールしたという。
 ゲームそのものは,当時人気だった「スーパーマリオブラザーズ3」を真似た単純なものだったらしいが,それを見たロメロ氏はカーマック氏の技術力に感銘を受け,独立を思いついたという。


FPSの先駆者としてのDOOMの“伝説”


 Softdisk時代,ジョン・カーマック氏はすでに「Hovertank 3D」「Catacomb 3-D」など,擬似的な3D空間を扱ったゲームを制作していた。
 独立後,カーマック氏とロメロ氏はあるゲーム開発者会議に出席し,Origin Systemsが発売を予定していた「Ultima Underworld: The Stygian Abyss」のテクノロジーデモを見せられる。開発は,技術力に定評のあったLooking Glass Technologiesで,新たな技術によって2Dグラフィックスを使った疑似的な3D空間を描いていたが,それを見たカーマック氏が「オレならもっと速くレンダリングできる」とロメロ氏に宣言。その言葉どおりに開発したのが,1992年にリリースされた「Wolfenstein 3D」だった。

バイオレントな描写やサタンなど反社会的なモチーフから,当時のアメリカでは“大量殺人シミュレーター”などと呼ばれ,社会問題にもなった。現在とは比較にもならないが,当時としては驚くほどのグラフィックスだったのだ
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 「DOOM」では,「Wolfenstein 3D」のプログラムをさらに磨き上げ,すべてのオブジェクトにテクスチャを貼り付けたり,マップに高低差を付けたり,さらには場所によって照明の強さを変えたりなど,さまざまな改良を施した。完全な3D描画のFPSは「Quake」(1996年)を待たなければならないが,2.5Dとも呼べるゲーム空間を作り上げたのだ。
 「DOOM」の描画エンジンは当初,「DOOM Engine」とストレートに呼ばれていたが,現在は「id Tech 1」という名付けられ,同社の技術の出発点として認識されている。
 また,描画のためのプログラムが「Engine」と呼ばれるようになったのも「DOOM」以降のことだ。

 本作を「FPSのマイルストーン」と言わしめる理由は,LANを使ったマルチプレイモードの搭載にあるだろう。最大4人のプレイヤーが一緒にプレイするモードを「Cooperative」(Co-op),そしてプレイヤーが対戦してキル数を競い合うモードを「Deathmatch」と命名し,シングルプレイ以上の比重を置いて開発したのだ。
 DOOM以前にもプレイヤーが対戦するゲームは数多く存在し,必ずしも彼らがパイオニアというわけではないのだが,マルチプレイの面白さをプレイヤーに強く伝えたのは,「DOOM」の功績の一つだと思う。

 見逃されやすいが,もう1つの「DOOM」の大きな功績は,「WAD」の仕組みだ。WADとは「Where is All Data?」(データはどこにあるんだ?)の略だとされているが,簡単に言うとテクスチャやサウンド,マップなどを一つにまとめたファイルで,アマチュア開発者がMODを制作するときの大きな助けになった。北米のPCゲーム市場でMOD文化が花開いたのも,MOD開発が容易にできるように作られた「DOOM」の影響が大きい。

 マルチプレイとMODは,1本のゲームを長く遊べるという付加価値を生み出し,以降のFPSに大きな影響を与えることになった。


id Software創業メンバー達のその後


 id Softwareはその後,「DOOM II」(1994年),「Quake」(1996年),そして「Quake II」(1997年)と立て続けにヒット作品を生み出し,FPSジャンルとゲームテクノロジーの最先端に立ち続けた。しかし,創業メンバーの運命は複雑に交錯していくことになる。

 トム・ホール氏は,ジョン・カーマック氏との不和で,「DOOM」の発売を待つことなく,id Softwareのパブリッシングを担当していた3D Realmsへ移籍している。ホール氏は「DOOM」の開発に際して,重要な設定やアートをスタッフと共有するための詳細な「デザインバイブル」を作成したが,レンダリングとプレイのスピードを重視したカーマック氏に,アイデアをことごとく却下されたという。

 ホール氏の後任として,「DOOM」発売のわずか10週間前に雇い入れられたのが,サンディ・ピーターセン(Sandy Petersen)氏で,彼はホール氏が残した8つのマップをチューニングしただけでなく,新たに11種類のマップを作り上げるといった大活躍をし,ロメロ氏とともに「レベルデザイナー」の称号をゲーム業界で初めて得ることになった。
 ピーターセン氏は,「Quake」が発売される頃までid Softwareにいたが,その後,Ensemble Studiosの設立に参加し,「Age of Empires」のデザイナーとなっている。

2012年のGame Developers Conferenceに登場したジョン・ロメロ氏(左)と,2011年の「QuakeCon」におけるジョン・カーマック氏(右)
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 ジョン・ロメロ氏は,Quakeの開発終了の直前に,開発するゲームの方向性の違いでカーマック氏とそりが合わなくなり,1996年に退社。ホール氏やid Softwareのビジネス面を担当していたマイク・ウィルソン(Mike Wilson)氏らと共に,新たなデベロッパであるION Stormを設立した。
 ロメロ氏がION Stormで時間をかけて作り上げた「Daikatana」と,その大失敗の顛末は本連載の第15回「その時“嵐の中”で起こっていたこと 〜 その1」「ジョン・ロメロ氏の話 その2」で詳しく紹介しているので,そちらを参照してほしい。

 創業メンバー4人の中では,最も表に出てくる回数が少なかったエイドリアン・カーマック氏は,2005年に「アートへの情熱を追求するため」という理由で退職した。「DOOM」では肉片が飛び散る様子を担当し,それを「ギブズ」(Gibs)と命名したことが有名な人物だが,会社を辞めたあと「不当解雇された」とid Softwareを告訴するなど,必ずしも円満な退職ではなかったようだ。

2008年5月に制作が発表され,2011年に「id Tech 5」の採用に合わせて一から作り直されることがアナウンスされた「DOOM 4」。id Softwareは,ジョン・カーマック氏の関わっていたプロジェクトはすべて終わっているので,同氏の退職は現在の計画に影響しないとコメントしている
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 そして2013年11月23日,創業メンバーの最後の一人だったジョン・カーマック氏がid Softwareを退職した。今後は,以前から兼業していたOculus VRの最高技術責任者として,ヘッドマウントディスプレイ「Rift」の開発に協力していくという。
 長らく独立を保ってきたid Softwareだったが,2009年にZeniMax Mediaに買収され,カーマック氏は,新作「Rage」向けのエンジン「id Tech 5」の開発に専念した。しかし,「Rage」は大ヒットとは言い難い結果に終わり,その後,これといった発表もないまま突然の退職に至っている。

 現在,id Softwareは「DOOM 4」を開発中と言われているが,華やかな過去とはうらはらに,2004年の「DOOM 3」を含め,大きなヒットに恵まれていないのも事実。2013年6月には,1996年以来id Softwareのプレジデントを務めてきたトッド・ホレンスヘッド(Todd Hollenshead)氏が会社を去るなど,リリースから20年を迎えた「DOOM」と,それを生み出したid Softwareは岐路に立っているようだ。伝説的シリーズの最新作がどのようなものになるのか,今後の動きに注目したい。

著者紹介:奥谷海人
 4Gamer海外特派員。サンフランシスコ在住のゲームジャーナリストで,本連載「奥谷海人のAccess Accepted」は,2004年の開始以来,4Gamerで最も長く続く連載記事。欧米ゲーム業界に知り合いも多く,またゲームイベントの取材などを通じて,欧米ゲーム業界の“今”をウォッチし続けている。
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