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[GDC 2017]開発者が語る最初期の教育用ゲーム「Oregon Trail」の誕生,そして未来
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印刷2017/03/11 17:08

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[GDC 2017]開発者が語る最初期の教育用ゲーム「Oregon Trail」の誕生,そして未来

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Rawitsch ConsultingのDon Rawitsch氏
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 「Oregon Trail」は,1971年にアメリカ・ミネソタ州で開発された,汎用コンピュータで動くフルテキストのシミュレーションで,教育の現場で利用されたゲームだ。その後,Apple IIなどに移植され,さらに同名のパロディ作品まで生み出すというほど,アメリカ人の多くに知られる作品でもある。
 おそらく世界最古の教育用コンピュータゲームの「Oregon Trail」はどんな経緯で制作され,どのような成果を挙げてきたのだろうか。制作者の一人であるDon Rawitsch氏がGDC 2017のセッション「Classic Game Postmortem: 'Oregon Trail'」で,そのすべてを語った。

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ボードゲームからスタートしたOregon Trail


 「Oregon Trail」が扱っているのは,19世紀中頃から20世紀初頭の西部開拓時代だ。移民達の主要な移動経路になったオレゴン街道,つまりオレゴン・トレイルの旅がテーマになっている。2000マイルにわたるこの長旅には多くの犠牲も伴い,現在ではアメリカ西部開拓の象徴とも呼べる存在だ。

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 「Oregon Trail」は,ミネソタのある学校で,西部開拓と歴史的な旅を生徒達に教えるための教材として作られた。その後,さまざまなプラットフォームに移植されて,累計6500万本以上を売り上げ,今なおフリーゲームとして遊ぶことができる。

 そんな「Oregon Trail」がどのようにして生まれたかを理解するためには,まず1960年代から1970年始めの,アメリカにおけるコンピュータとコンピュータ教育について知らなければならない。

 その頃のコンピュータとは,つまりメインフレーム(大型汎用コンピュータ)だった。今から見れば大した能力とはいえないが,当時としては最高の性能を持った大型コンピュータを,ネットワークで共有して多数で利用するのが一般的なスタイルだったのだ。
 そのため,コンピュータを用いた教育(あるいは,コンピュータの使い方そのものに関する教育)は大学が中心になり,いくつかの小中学校は,大学のメインフレームにつながる「端末」を生徒達の教育に利用しようとしていた。しかしその頃は,教育に使えるソフトそのものが少なかった。

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 そんな中,1971年のミネアポリスに教師を目指す3人の若者,Bill Heinemann氏Paul Dillenberger氏,そしてRawitsch氏がいた。彼らは教育実習生として生徒に数学や歴史を教えていたが,3人のうちの1人,Rawitsch氏は「歴史にもっと興味を持ってもらうためには,ゲーム仕立てにすればいいのではないか?」と考える。
 もちろん,コンピュータゲーム以前の話なので,ゲームとはボードゲームのことだ。「Dungeons & Dragons」のプレイヤーだったRawitsch氏は,西部開拓の旅をシミュレートしたボードゲームを作り,それを実際に教室で生徒達(学年としては,日本の中学2年生に相当)に遊ばせたという。この試みは好評だったが,ボードゲームのルールを覚えるのはそれなりに大変だし,処理にも手間がかかるなどの問題もあった。もっと手軽に,そして生徒が集中できるゲームにできないだろうか?
 そこでRawitsch氏は,これをコンピュータで遊ぶゲームにしょうと思いつく。

Oregon Trailの三銃士
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ディスプレイのない端末でゲームを


 今日なら,それほど革新的とはいえないアイデアだが,当時の端末の性能を踏まえれば,かなり無謀な挑戦だった。1971年,学校に置かれていたのは「テレタイプ」と呼ばれるタイプの端末で,出力はすべて紙で行われ,印字速度は毎秒10文字程度。ディスプレイはなく,使用可能な音源は内蔵されていた自転車のベルだけだったという。
 ネットワークは音響カプラを用いて電話回線を使用したもので,速度はお話にならない。現在の幼児向け電子玩具にも劣りそうな代物だったのだ。

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 ともあれ,Rawitsch氏の企画に応じた2人のプログラマが,Heinemann氏とDillenberger氏で,彼らはわずか2週間で「Oregon Trail」のバージョン1.0を完成させたという。
 こうして教室に持ち込まれた初代「Oregon Trail」だったが,クラスの人数が30人なのに対し,用意できるテレタイプは1台だけ。1人ずつ交代で遊んでいたのでは授業時間に収まらない。そこでRawitsch氏は授業をグループワークとし,「Oregon Trail」で遊ぶグループ以外は本で調べ物をするなど,グループをローテーションさせることでプレイ時間を確保したそうだ。

 きわめて原始的なコンピュータゲームを用いた授業は,どういうものだったのか? Rawitsch氏によれば,生徒達は「すっかりOregon Trailに魅了された」という。授業が終わったあともテレタイプの前にプレイ待ちの行列ができ,また「コンピュータは数学のためのものだと思っていたけど,歴史もできたんだ」という感想を語ってくれた生徒もいた。

 生徒達から好評を得た「Oregon Trail」だったが,教育実習生期間の終了にともない,「Oregon Trail」を使った授業も終わりを告げた。3人は「Oregon Trail」のプログラムをプリントアウトし,ゲームはメインフレームから削除された。ロール紙に打ち出したのだろうか,Rawitsch氏はそのプリントアウトのことを「聖なるスクロール(巻物)」と呼んでいた。

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アクション要素もあったOregon Trail


 ところで,1971年にミネソタの一部中学2年生を熱狂させた「Oregon Trail」とは,どのようなゲームだったのだろうか。
 それは,現代的な言い方をするなら,ターン制(1ターン=2週間)のリソース管理シミュレーションであり,管理すべきリソースは現金,食料,火口(ほくち),衣服などがあった。ゲームの中心的ジレンマは,開拓者達の健康管理だ。
 プレイヤーはターンごとに「どれくらいの食料を食べるか」を決定できるが,たくさん食べれば健康を維持できる代わりに食料が減り,食べる量をセーブすれば健康状態は悪化するが,食料の減りは抑えられる。これを踏まえて,例えば「狩りをするために立ち止まる」「城塞で休憩する」「旅を続ける」などの毎ターンの行動と,食料消費量を決定するのだ。そして,発生したランダムイベント(たいては良くないこと)の結果を見て,次のターンに進むという,この繰り返しだ。

見事なフローチャートだが,Rawitsch氏によれば,「当時はこんなの書かず,直接プログラムを書いてたね」とのこと。マイコン世代の読者なら,首肯する人も多いだろう
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 興味深いことに,「Oregon Trail」ではバージョン1.0から「環境による影響」がゲーム要素として導入されていた。まずはロッキー山脈の存在。ある程度に旅を進めると山岳地帯に入り,このことが旅路にさまざまな悪影響を及ぼす。
 続いては,野盗の出現。これは出現率の変化が凝っていて,出発地(つまり文明的な土地)から少し離れると出現率が急激に上昇し,さらに距離が離れると、今度は出現率が低下していく。つまり「文明的な街の近傍は,それなりに治安がよい」「街から離れすぎると野盗も生活に苦労するので,出現率が下がる(山岳ではほとんど出ない)」といった要素が組み込まれているのだ。

野盗の出現率グラフ。「プログラムでは,数学が得意な2人が数式に落とし込んでくれた」とのこと
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 さらに,教育用のソフトでしかもグラフィックスさえないタイトルとしては意外な仕様だが,本作にはアクション要素もあった。しかも銃を使うシーンだという。
 具体的にはこういうことだ。例えば,プレイヤーが狩りをすると決めたとしよう。このときテレタイプは「BANGと入力せよ」とプリントアウトしてくる(入力すべき文字列は「POW」「BLAM」など,そのつど異なる)。これに対しプレイヤーは,正確にその文字列を入力しなくてはならない。

・入力ミス:何も得られない
・入力が遅い:得られる食料の量が少ない
・入力が早い:食料がたくさん得られる

 といった形で,プレイヤーの俊敏性が要求されるのだ。
 こについてRawitsch氏は「我々が世界初のFPSを作った」と冗談交じりで語った。ファーストパーソンやシューターとはあまり関係ない気がするが,アクション要素を含んだシミュレーションゲーム元祖という立ち位置はほぼ当たっているだろう。

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さらなるブラッシュアップと移植


 このように先進的な作品だった「Oregon Trail」だが,この作品が次に日の目を見るのは,1974年を待たねばならない。
 その年,教育用ソフト開発のためにMECC(Minnesota Educational Computing Consortium=ミネソタ教育コンピュータ協会)に雇われたRawitsch氏は,友人のもとにあった「聖なるスクロール」を借り受け,800行に及ぶプログラムを手作業でMECCのメインフレームに入力したという。
 ここでRawitsch氏は,かつての作品をそのまま復活させるだけでは満足しなかった。そもそも2週間で作られた作品だったためバグも残っていたし,ヒストリカルリサーチも十分ではなかったからだ。Rawitsch氏はMECC版「Oregon Trail」を完成させるため,

・より史実を反映した地形推移および天候の再現
・1840年〜1860年代の開拓者が残した日記に基づくイベントテーブルの再設計
・1970年台の西部劇におけるステレオタイプな表現になっていたネイティブアメリカンを,史実に即して「救援者」として登場させる
・「Oregon Trail」を教室で使うためのガイドブックの作成


 といったことを行った。こうしてMECCからリリースされた「Oregon Trail」は,ミネソタ全域に広がっていったという。MECC版の発売から5年以内に,「Oregon Trail」は教育目的で最も利用されたソフトとなり,プレイヤーのなかには100回以上プレイしたという人も現れたそうだ。

「教師用のガイド」の重要性は今も昔も変わらない。GDC 2017で教育用ゲームのセッションに出れば,必ず「教師用のガイド」の重要性が指摘される
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 1979年,パーソナルコンピュータの普及に合わせて,「Oregon Trail」はApple IIに移植され,1985年にはカラー版が登場する。そして,1991年にはMac版が公開(1990年台,Macは教育用に幅広く利用されていたという),1995年には「Oregon Trail II」が登場した。ちなみに2012年にリリースされたiOS版は,本家「Oregon Trail」の精神的後継作であり,ゲーム性はまったく異なる。

 「Oregon Trail」が子供達に残した印象は強烈だったようで,2016年にRawitsch氏が掲示板サイトRedditで「Oregon Trailの作者だけど,質問はある?」というスレッドを立てたところ,6時間で2000を超えるコメントが寄せられたという。
 同年には,ニューヨークのストロング国立演劇博物館の「世界のビデオゲーム栄誉の殿堂」(Wolrd Video Game Hall of Fame)で,「Oregon Trail」が恒久展示されることになった。殿堂入りしたゲームとしては,「パックマン」「テトリス」「World of Warcraft」など12作品あるが,教育用ゲームでは「Oregon Trail」が最初で(今のところ)最後だ。セッションでは「学校でOregon Trailを遊んだことがあるか?」という質問をしたところ,そのほとんどが「Yes!」と手を挙げており,アメリカのゲーム開発者にとって「Oregon Trail」は,1つの大きな共通体験になっているようだ。

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Oregon Trailはなぜ成功したのか


 こうした成功を収めた「Oregon Trail」だが,その理由はどこにあるのだろうか。1970年〜1980年代の,初期の成功を収めた理由としてRawitsch氏は以下の3点を挙げた。

・1980年台の子供にとって,初めてのコンピュータゲームだった(何にせよ「初めての体験」が与える印象は強烈)
・ヒストリカルリサーチに基づく,当時の環境のシミュレーターとして機能した(生徒達はゲームに再現された過酷な環境をコントロールし,課題を乗り越えることに夢中になった)
・プレイヤーに「一人称視点」での物語を提供した(「Oregon Trail」をプレイすることで,プレイヤーはゲームごとに異なる物語を,自分自身の体験であるかのように味わえた)


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 またRawitsch氏は,「Oregon Trailでは,何が正しいのか定義される以前に,正しいことができた」と振り返る。コンピュータを使ったゲームが,まだ海のものとも山のものともつかない時代に,あとに続く以下のようなことを成しとげていたのだ。

(1)プレイヤーが状況をコントロールできる
(2)プレイヤーに対して魅力ある物語を提供する
(3)ユーザーインタフェースがシンプルで,シミュレーションのモデルが洗練されている
(4)ゲームバランスが良い
(5)教材として考えると,「ゲームの戦略」「歴史や地理のトピック」「そこで何が起こっていたか」という,複数のレイヤーでの学習が可能
(6)さまざまな分野に特化した人間が協力してゲームを作った


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 (5)については,かつてRawitsch氏が教室で「Oregon Trail」を教材として使っていたとき,興味深い知見も得られたという。
 まず,ゲームの戦略がプレイヤーの間を伝播していくという現象だ。これは現在,もっぱらインターネット上で見られるが,1970年〜1980年代にも,プレイヤーからプレイヤーへ攻略情報が伝播していく様子が確認できたという。
 この攻略情報の伝播は,史実の西部開拓でも起こったことだとRawitsch氏は指摘した。西部への入植に成功した初期の幸運な人々のうち,何人かは東に戻り,人々にオレゴン街道を西に向かうにあたっての,成功の秘訣を伝えていたのだ。この情報をもとに,さらに多くの人々が西に向かい,挑戦者の増大に従って成功例も増え,それがさらなるノウハウの共有を進めることになったという。

20年前に開発者3人で撮った写真。中央で掲げられているのが「Oregon Trail」の「聖なるスクロール」
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 教室ではグループでの実習も多かったが,ここでも興味深い現象が起こった。端末1台に対して複数のプレイヤーがいるのがグループ実習での状況だが,このため多くの場合,ゲームの始まりは「(今、何をすべきか)大声で自分の主張を叫び合う」ことだったという。
 しかし,教室でのプレイである以上,時間には制限がある。このままでは叫び合っているだけでは,ゲームが進められないことに生徒達はすぐに気づき,ここで別の意思決定方式が採用されるようになる。それはたいていの場合,挙手による直接民主制だった。

 グループワークの場合,役割分担も自然に発生する。「Oregon Trail」にはアクション要素があるため,最も正確で素早くキーボードが打てる生徒が「射撃手」になり,旅した距離から周辺の状況を推測する「マッパー」が生まれ,長期的なリソース管理の計画を立てる「金庫番」が生まれる。生徒達はチームとして最もうまく動けるように,自発的に役割分担を行うという。

旅の終着点ではなく


 講演の最後にRawitsch氏は,「Oregon Trail」から学んだこととして,以下の点を挙げた。

・前もって計画を立てろ:外界には危険があふれている
・我慢強くあれ:旅路は長い
・辛抱強くことにあたれば,いつか緑の谷へとたどり着ける
・水底までが深くとも,ときには荷車を目張りして,岸から飛ばなければならない


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 これらはまさに,教育用ゲームのパイオニアとなったRawitsch氏ならではの知見だろう。しかし,筆者が最も感銘を受けたのは,セッション後の質疑応答において「もう一度Oregon Trailを作るとしたら,どんなゲームにしますか?」という問いに対するRawitsch氏の解答だった。
 Rawitsch氏はその質問に対し,矢継ぎ早にアイデアを語った。「まずはVR版を作ってみたい。それから,ネイティブアメリカン版のOregon Trailを作りたい。歴史を逆から見たらどういう景色になるのか。これは大事なポイントだ。あと,インターネットも活用したい。開拓の進捗が相互に影響するといった仕様は,現代ならもっと楽に実装できるし,そうすれば開拓者間で発生する社会的なダイナミズムにも期待できる」といった具合だ。
 教育用ゲームという世界を開拓したRawitsch氏は,今なお「その先」を夢見ている。

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