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ネットから生まれた最新の恐怖の源流を辿る「リミナルスペース 新しい恐怖の美学」(ゲーマーのためのブックガイド:第53回)
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「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,テーマや執筆担当者によって異なるさまざまなスタイルでお届けする予定だ。
“リミナルスペース(識閾空間)”というインターネットミームがある。日本で知られるようになったのは2019年の中頃だが,元は海外で急激に広がったもので,それが少し遅れて伝わってきた形である。
リミナルスペースとは,何かしらの機能や目的があるわけではない,どこか特定の場所から別の場所へと向かう中間に存在する過渡的な場所──例えば病院の廊下や駅の構内の待合スペースなどを指す言葉である。それが無人であることで生まれた奇妙な違和感が,見る者の不安を煽るミームへと変化していったのだ。
始まりとなったのは2019年の5月,英語圏の匿名掲示板である4chanで立てられた一つのスレッドだった。
この匿名のスレ主は,蛍光灯の列に照らし出される,黄色い壁と床に囲まれた空間の写真(これ自体は2018年4月に投稿されたもので,その背景も判明している)を投稿し,同じような不穏な画像を投稿するように促したのだ。
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するとこれに呼応した別のユーザーが,この写真を膨らませて,どこまでも続く空間の中のどこかにある“バックルーム(The Backrooms)”にまつわる意味深なメッセージを投稿した。ほかのユーザーもこれに続き,この不穏な無人空間をテーマとした怪談話が続々と集まるようになる。それらはやがてインターネット全体に拡散し,やがて海を超えるほどに広がっていった。
さらに数か月も経つ頃には,これを題材としたホラームービーがYouTubeで人気を博し,インディーゲームがいくつも制作された。日本では2023年に話題を呼んだ「8番出口」もまた,この派生作品の一つである。
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今回紹介する「リミナルスペース 新しい恐怖の美学」は,インターネットという形の捉えにくい媒体の生み出したこの概念に焦点を定め,その不気味な感覚の正体を見極めようと試みた解説書だ。
著者であるALT236は,フランスのマルチメディアクリエイター,クエンティン・ボエトン氏の筆名であり,同時に氏のYouTubeのチャンネル名でもある。「本書を読む際のBGMに最適なアルバムリスト」が冒頭に掲げられているのは,いかにもビデオアーティストらしい仕草といえよう。
「リミナルスペース 新しい恐怖の美学」
著者:ALT236
訳者:佐野ゆか
版元:フィルムアート社
発行:2025年9月
価格:3400円(税込)
ISBN:978-4845924004
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リミナルスペースという言葉がここ数年で急激に拡散したために,この語の指し示す概念が突然生まれたかのように錯覚されがちだが,ボエトン氏が実際にはそうではないことを丁寧に説き起こすところから,この本はスタートする。
文化人類学における“リミナリティ”の概念がまず存在し,さらには建築・美術の領域においては,人工的な無人空間がときに恐怖の感情を呼び覚ましてきたことを,さまざまな写真や絵画を例示しながら,氏は説明していく。
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ドイツ第三帝国の夢見た幻の首都計画“ゲルマニア”や,日本の漫画家・弐瓶 勉氏の「BLAME」などにも言及しつつ,丹念に描きこまれた巨大な都市の廃墟のイメージが示されると共に,その過程ではシュルレアリスムの先駆者として知られるイタリアの画家,ジョルジョ・デ・キリコの名前も当然ながら登場する。
どこかひずんだ遠近法で描かれ,理由のはっきりしない不安,得体のしれない恐怖に満ちたキリコの陰鬱な風景画は,「ICO」をはじめ多くのゲーム作品にも影響を与えてきた。
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また50年前には,まさにこのキリコの世界を再現したかのような映像作品も存在する。アニメ「母をたずねて三千里」の伝説のトラウマ回として知られる第21話,「ラ・プラタは銀の川」のAパートである。
これは消息不明となった母を訪ねて旅をする主人公のマルコが,母の死を告げる謎めいた声に追われるように,遠近法の狂った奇怪な街の中を焦燥感に駆られながらさまよい続けるという悪夢めいたエピソードで,全体に漂うただならぬ雰囲気は“リミナルスペース”そのものであった。
まあ,「母をたずねて三千里」の映像体験は筆者のもので,残念ながら本書で触れられはしないものの,例示される数多くの作品や画像の中には,きっと何かしら引っかかるものがあるだろう。それくらいに,“リミナルスペース”を探求するボエトン氏の筆致は執拗だ。
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本書の第1章,第2章では,もっぱら2019年以前のリミナルスペースについて紹介と掘り下げが続き,そして迎えた第3章において,ボエトン氏は満を持したとばかりに,“バックルーム(The Backrooms)”をはじめとしたネット上のリミナルスペースについて語り始める。
ここでは安全な場所からただ眺めているだけの映像や絵画ではなく,自身が行動主体となって入り込む,あるいは放り込まれてしまう仮想空間としてのリミナルスペースのおぞましさ,そして美について腑分けが行われる。
ここで紹介される作品は,比較的最近のものが多いので,読者がその気になれば,実際に“体感”することも可能だろう。
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そして最終章となる第4章で,ボエトン氏は「なぜバックルームが,さらにはリミナルスペースが,これほどまでに関心を集めるのだろうか?」と問いかける。明快な回答のある問題ではないと断りつつも,「それでもこの成功の理由をいくつか見つけようとすることはできる」とのことである。
リミナルスペースは,テキストと想像力のみの怪奇文学からは生まれてはこない種類の視覚的・本能的な恐怖であり,立体的なオブジェクトを自在に操ることのできる現代のゲームとは非常に相性がいい恐怖感情の発生源だ。まさにこの連載「ゲーマーのためのブックガイド」で取り扱うのに相応しい一冊と言えるだろう。
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続く序文においても,ボエトン氏は「本書で扱われるホラーは、これまでのホラーとは正反対で、過剰な演出よりも空虚さを好み、露骨な縁起よりも示唆を選び、他の何よりも謎を促す」と,ラヴクラフトの語り口を彷彿とさせる表現をしているのだが,自身はどの程度自覚的だったのだろうか。
リミナルスペースの特徴として,氏は「舞台の場所自体に恐怖の主役を演じさせる」ことを挙げるが,これはラヴクラフトが“宇宙的恐怖”の最高峰として,しばしば言及しているアルジャーノン・ブラックウッドの「柳」を想起させる。
いみじくも作者自身が主張しているとおり,リミナルスペースがもたらす恐怖は,昨日今日生み出されたものではないということだろう。
■■森瀬 繚(ライター)■■
フリーのライター,翻訳者。クトゥルー神話ジャンルにライフワーク的に取り組んでおり,「クトゥルー神話解体新書2」(コアマガジン),ラムジー・キャンベル作品集「グラーキの黙示3」(サウザンブックス社),「ラヴクラフト語辞典」(誠文堂新光社,2/12発売),「新訳クトゥルー神話コレクション6 狂気の山脈にて」(星海社,2/18発売)などの近著がある。シナリオ,設定考証系のお仕事は随時募集中。
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