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基調講演「私が出会った素晴らしいゲーム,クリエイター,そしてその創造性について」で,吉田修平氏が自身の関わったゲームを語る[CEDEC 2026]
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印刷2026/07/23 18:17

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基調講演「私が出会った素晴らしいゲーム,クリエイター,そしてその創造性について」で,吉田修平氏が自身の関わったゲームを語る[CEDEC 2026]

 ゲームに関する技術や知識を共有する,国内最大級の開発者向けカンファレンス「CEDEC 2026」が2025年7月22日に開幕した。7月24日までの3日間,パシフィコ横浜ノースとオンラインで開催される。

 期間中は,約200のセッションが予定されているが,本稿では初日の最初に行われた基調講演「私が出会った素晴らしいゲーム,クリエイター,そしてその創造性について」をレポートする。

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 このセッションでは,インディーゲームのパブリッシャやデベロッパのアドバイザーとして活躍するyospの吉田修平氏が,初代PlayStationから現在までに自身が関わったゲームタイトルおよびクリエイターについて振り返った。

 なお,CEDEC運営事務局からの要請により,記事の詳報は8月3日以降とされている。そのため本稿はダイジェスト版として,講演中に吉田氏が言及した全26タイトルのうち,前半の10タイトルを紹介する。
 残り16タイトルを含めた詳報をはじめ,CEDEC 2026のさまざまなセッションのレポート記事は,8月3日以降にお届けする予定だ。

 吉田氏は1986年にソニーへ入社後,1993年に当時のソニー・コンピュータエンターテインメント(SCE)に設立メンバーとして参画した。1996年よりプロデューサーとしてSCEがパブリッシングするゲームの開発に携わるようになり,2000年にはアメリカのゲーム開発部門責任者,2008年にはワールドワイド・スタジオ プレジデント,2019年にはインディーズ イニシアチブにそれぞれ就任。2025年にソニー・インタラクティブエンターテインメント(SIE)を退社し,yospを設立して現在に至る。

吉田修平氏
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■「クラッシュ・バンディクー」(1996,PS)

 吉田氏が最初にローカライズプロデューサーとして携わったのは,1996年にリリースされた「クラッシュ・バンディクー」だ。本作の開発を手掛けたのは,当時Universal Interactive Studiosのプロデューサーだったマーク・サーニー氏と,ジェイソン・ルービン氏およびアンディ・ギャビン氏によって設立されたNaughty Dogである。

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 本作は,PlayStationプラットフォームに,任天堂のマリオやセガのソニック・ザ・ヘッジホッグのようなマスコットキャラクターを用いたアクションゲームを生み出すという狙いで企画されたという。吉田氏は,当時のSCE内で唯一英語を話せるプロデューサーだったことから,本作に関わることとなった。

 本作のプロモーションのために吉田氏は国内の出版社を訪問したが,当時Vジャンプの編集長だった鳥嶋和彦氏から,主人公・クラッシュに対して「このキャラクターは日本では絶対売れない」と指摘されたそうだ。そこでサーニー氏,ルービン氏,ギャビン氏の了承のもと,日本向けにクラッシュのビジュアルを新たに作り,ゲームとしての難度も抑えめにしたとのこと。

 また「バンディクー」というワードも日本では馴染みがないため,マーケティング担当者の発案により歌やダンスを作りCMとして公開したところ,クラッシュは人気キャラクターとなり,のちに「クラッシュ・バンディクー3 ブッとび!世界一周」は国内だけで100万本セールスを記録するヒット作となった。


■「グランツーリスモ」(1997,PS)

 「クラッシュ・バンディクー」シリーズの担当だけでは時間を持て余していた吉田氏は,SCE内製タイトルのプロデュースを希望。SCE内開発チームのポリス・エンタテインメントの担当となり,コ・プロデューサーとして山内一典氏とともに初代「グランツーリスモ」の開発を手がけることとなった。

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 当時の山内氏はまだ20代だったものの,すごく戦略的な人物だったそうだ。エピックソニー(当時)を経てSCEに入った山内氏は,当初から「グランツーリスモ」のようなドライビングシミュレーターを構想していたが,最初は企画が通らなかったという。そこで「PlayStationにも『マリオカート』のようなタイトルが必要だ」と,トゥーン調のビジュアルをフィーチャーしたカートゲームとして「モータートゥーン・グランプリ」を企画。しかしその実態は,物理エンジンを駆使したり,ハンドリングがリアルだったりと,こだわりの詰まったレースゲームだった。

 そのこだわりが初代「グランツーリスモ」の誕生につながったわけだが,吉田氏は山内氏を「クリエイターとしてゲームを良くする,プロデューサーとして全体をまとめるという,クリエイティブとビジネスの双方を考えられる稀有な人物」と評価。
 その一方で,かなり先まで見据えたビジョンの持ち主であり,今作っているタイトルの話をしているのか,未来の話をしているのか分からなくなるとも表現していた。
 また吉田氏は,山内氏に関してゲーム業界を超えた人脈があり,とくに自動車業界からの信頼が厚いと述べた。
 シリーズが続いた結果,プレイヤーが実際のプロレースドライバーになったことも,大きな出来事と言えよう。


■「サルゲッチュ」(1999,PS)

 「サルゲッチュ」は,元セガAM2研の高塚 進氏と新入社員2人が実験的に進めていた企画を,吉田氏が「面白い」と思い,チームの増員を図ったプロジェクトだった。当時SCEが展開していたゲーム開発者発掘プロジェクト「ゲームやろうぜ!」の応募者なども含めて,一番多いときは20名近くのメンバーがいたという。

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 また並行してPlayStation用のアナログコントローラ・DUALSHOCKが登場したことから,本作がアナログスティックを使った操作のゲームになったことも明かされた。アナログスティック2本によって可能になるゲームデザインについては,吉田氏も議論に加わっており,非常に楽しかったそうだ。
 近年では,PS5向けの「アストロボット」に本作モチーフのステージが収録されており,よくできていて嬉しかったとも話していた。


■「ICO」(2001,PS2)

 「ICO」は,当時SCEのCGチームに在籍していた,元ワープの上田文人氏が制作した「少年が少女の手を引いて城から逃げていく」という映像をコンセプトに,PS1向けのタイトルとして開発が始まった。しかし上田氏のビジョンを実現するにはPS1本体のスペックが足りず,プレイに必要なフレームレートを保つことができなかったという。
 そこでプラットフォームをPS2に移す判断をしたのだが,2000年に吉田氏自身がSCEアメリカの開発部門責任者に就任してしまったため,完成を待たずして担当を外れることとなった。

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■「ラチェット&クランク」(2002,PS2)

 「ラチェット&クランク」シリーズなどを手がけたInsomniac Gamesのメンバーは,吉田氏によると手触りのよいアクションゲーム作りが巧みなだけでなく,プレイした人がハッピーになるようなストーリー作りにも長けているとのこと。PS1時代はUniversal Interactive Studios経由の付き合いだったが,PS2へ移行するときにInsomniac Gamesが「スパイロ・ザ・ドラゴン」シリーズなどのIPを手放し,SCEと直接やり取りするようになったことが示された。

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■「God of War」(2005,PS2)

 吉田氏は2000年に渡米し,例年開催される「Game Developers Conference」にて,ゲーム開発者同士が互いの知見やノウハウを交換し合う姿に感銘を受けたという。自社の情報を表に出したがらない日本の会社が作るゲームよりも,欧米で作られるゲームに注目するようになっていったそうだ。
 そうしたなか,SCEサンタモニカスタジオが開発し,2005年にリリースされた「God of War」は,それまで日本のゲーム会社が得意としていた3Dアクションアドベンチャーというジャンルで,第9回D.I.C.E. AwardsにてGame of the Yearを獲得する運びとなった。

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 吉田氏は,「God of War」シリーズのナンバリングタイトルのゲームディレクターが基本的に毎回変わることを指摘(コーリー・バルロク氏のみ2作手がけている)。最新作「God of War LAUFEY」では,どのような解釈でシリーズを変えていくのか楽しみだと話していた。


■「アンチャーテッド エル・ドラドの秘宝」(2007,PS3)

 PS3時代に入り,Naughty Dogは映画のようなリアルな映像とストーリーを持つアクションゲームの開発にチャレンジした。この頃には創設者のルービン氏やギャビン氏はNaughty Dogを去り,エヴァン・ウェルズ氏とクリストフ・バレストラ氏に代を譲っている。

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 リアルな映像表現は,ときにアクションゲームとしての操作感を損なう可能性がある。しかし吉田氏によると,Naughty Dogは「アンチャーテッド」の開発にあたって,その両立を大きな目標として掲げ,試行錯誤を重ねたそうだ。結果として「アンチャーテッド」シリーズは高い人気を誇るIPとなった。

 また吉田氏は,Naughty DogがPlayStationのファーストパーティとして重要な役割を果たしたと語る。PS3におけるゲーム開発は,PS2や競合プラットフォームのそれとはアーキテクチャが大きく異なるため多くのゲーム会社が苦戦したのだが,ファーストパーティのエンジニアが集結し,Naughty DogのエンジンをベースにICEエンジンを開発。それをサードパーティにも提供することで,PS3のゲーム開発が活性化したという。


■「PixelJunk Monsters」(2007,PS3)

 PS3時代には,PS Networkのサービスもスタートし,ゲームのデジタル配信が可能となった。PS Storeにユーザーを呼び込むべく,ファーストパーティでもゲームを作って配信することとなり,吉田氏によると「どうせ作るなら大規模ゲームではできない,小規模でクリエイティブなオリジナルゲームを作ろう」という話になったそうだ。

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 その中でも初期の人気タイトルが「PixelJunk Monsters」で,吉田氏は開発したQ-Gamesのディラン・カスバート氏を天才と表現する。
 17歳のときにイギリスでプログラマーとしてデビューし,任天堂に才能を認められて以来,数々の実績を残してきたカスバート氏だが,吉田氏は,PS2の技術デモとして公開された「お風呂に浮くアヒルちゃん」の制作エピソードを披露。それによると,このデモを共同で制作したマーク・サーニー氏は「ディランと議論すると,10回に3回は彼の言うことが正しい」と発言したという。
 サーニー氏はよく知られているように歴代PlayStationの開発に関わっており,上記のようにゲーム開発にも携わっている優れた人物で,吉田氏は「天才として尊敬している」と語ったが,その彼に「正しい」と言わしめるカスバート氏もまた天才だと改めて実感したと話していた。


■「リトルビッグプラネット」(2008,PS3)

 2008年に吉田氏は,SCE ワールドワイド・スタジオ プレジデントに就任する。それ以前からイギリスのMedia Moleculeが開発していた「リトルビッグプラネット」は,ヨーロッパのチームによるゲームという認識だったそうだ。

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 本作は,横スクロールタイプのアクションゲームをベースとし,プレイヤーがステージやキャラクターを自由にデザインして共有できるという,UGCの先駆けのようなタイトルだ。吉田氏は,Media Moleculeのメンバーは非常にクリエイティブな人たちだったと語る。
 続編の「リトルビッグプラネット2」のリリース後に手がけた,PS4向けのゲームクリエイティブプラットフォーム「Dreams Universe」は,吉田氏もPlayStationの枠組みを超えた展開ができるようサポートしていたそうだが,残念ながら開発が終了してしまったとのこと。現在は,新たなIPを開発しているという。


■「Demon's Souls」(2009,PS3)
 
 ここまで紹介してきたタイトルは,吉田氏がゲームクリエイターやデベロッパとともに開発を進めてきたわけだが,残念ながら「Demon's Souls」ではそれが叶わなかったという。

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 2008年秋,PS4のハードウェア開発にゲームスタジオ側から協力するべく日本に戻ってきた吉田氏は,本作をファンタジーがテーマのアクションRPGだと認識していたとのこと。しかし吉田氏のもとにQAチームから毎週のように本作に関するレポートが届くため,自分でもプレイしてみたところ,2時間経ってもまったく進まず,「なんて不親切なゲームなんだ」と思ってそのままQAチームに「これ,難しいね」と伝えたそうだ。

 本作はリリース前の盛り上がりもとくになく,欧米のSCEでは扱わないことが決まり,国内の初回出荷2万本だけではリクープできないことが判明。それでも最後までしっかり仕上げようと,開発期間を延長して2009年2月にリリースした。するとインターネット上で「メチャクチャ面白い」という口コミが広がり,そこからジワ売れし出して国内の評価も高まる一方に。それを受けてアトラスがアメリカ,バンダイナムコがヨーロッパで本作をパブリッシングし,世界的なヒットにつながっていった。

 デベロッパのフロム・ソフトウェアが精神的な後継作である「DARK SOULS」を企画する頃には,吉田氏も本作がそれまでと異なる,新しいコンセプトを掲げたタイプのゲームであると理解していたという。しかしフロム・ソフトウェアは本作に十分なサポートをしなかったことを理由に,SCEのパブリッシングを断ったとのこと。

 吉田氏は,本作を初めてプレイしたときの自身について「アクションゲームとは,プレイヤーに徐々に遊びを覚えてもらい,スムーズに楽しんでもらうもの」という考えしかなかったと振り返り,「ゲーム開発に対しては,クリエイターがどういったユーザー体験を作ろうとしているのかをしっかり把握しなければならない」と語った。
 また「のちのフロム・ソフトウェアの大躍進を見て,我々が関わり続けなかったことが,ゲーム業界やゲームファンの皆さんにとってよい結果を生んだのではないかと,強がりだがそう思う」とも話していた。

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