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吉本興業 大﨑 洋氏が登壇した「黒川塾 九十(90)」聴講レポート。数字の勝ち負けだけではない,少し違った物差しを持つことが大事
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印刷2023/06/12 20:10

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吉本興業 大﨑 洋氏が登壇した「黒川塾 九十(90)」聴講レポート。数字の勝ち負けだけではない,少し違った物差しを持つことが大事

 2023年6月6日,トークイベント「エンタテインメントの未来を考える会 黒川塾 九十(90)」が,東京都内で開催された。このイベントは,メディアコンテンツ研究家の黒川文雄氏がゲストを招いて,ゲームを含むエンターテイメントのあるべき姿をポジティブに考えるというものである。

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 今回のテーマは,「それぞれの『居場所。』探し」。吉本興業ホールディングス(以下,吉本興業) 代表取締役会長 大﨑 洋氏をゲストに招き,同社がeスポーツ事業を含むさまざまな事業を立ち上げていった経緯や,3月に出版された著書「居場所。」などに関するトークが繰り広げられた。

大﨑 洋氏
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 1953年生まれの大﨑氏は,1978年に吉本興業に入社した。そのきっかけは,友人から東京の大手芸能事務所の入社試験を受けると聞かされたことだった。翌日,さっそく吉本興業に電話をして,奇数月は7日,偶数月は8日の休日があり,現場の調整次第ではまとめて休めると知った大﨑氏は,「3週間働いて,1週間休める」と考え,入社試験を受けたそうだ。

 試験に合格し,入社した大﨑氏は,芸人のマネージャーを務めることに。今でこそマネージャーという職種には確立したイメージがあるが,当時の吉本興業にはそのような言葉はなく,単に事務員と呼ばれていたそうだ。芸人のマネジメントと言われても何をしたらいいか分からず,先輩のやっていることを真似していたという。
 大﨑氏は「当たり前っちゃ当たり前なんですけど,芸人さんが面白ければ売れるし,面白くなければ売れへんし」と語り,マネージャーが何かを問われるわけではないため,島田紳助さんや明石家さんまさんらとは,まるで友人や仲間──大阪で言う“ツレ”のような付き合い方をしていたそうだ。

 そうした芸人達との付き合いの中で,大﨑氏が嬉しかったのは頼られること。たとえば島田紳助さんは,自身が撮影している16ミリ映画の監督代行を大﨑氏に頼んだり,また明石家さんまさんは東京で特番に出演するにあたってのプランを相談したりしてきたという。

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 現在に至るまで,45年以上にわたり吉本興業に勤務してきた大﨑氏だが,辞めようと思ったこともあったという。入れ墨を入れたスタッフを見たり,借金を抱えた芸人がおどされていたりという現場にも立ち会って,「えらいとこに入ったな」と入社当時のエピソードを明かして当時の心境を語った。

 夏には盆踊りに招かれ,仕事として芸人が漫才を披露することもあったそうだ。いわゆる反社からの依頼もあったが,帰るときにギャラとして渡された札束の分厚さに愕然としたと語り,「今から考えたら,本当に嘘のようなと言うか,そんな時代でした」と振り返った。

 もちろん現在の吉本興業には,そうした反社との付き合いは一切ない。大﨑氏が2009年に代表取締役社長に就任してからは,とくにクリーンであることに努めており,その一例として,反社と接触のあった芸人達がセーフかアウトかを判断する窓口を社内に設けたことが紹介された。

 その窓口には,警察OBや総務部のスタッフが24時間体制で待機しているとのこと。たとえば,芸人がワンマンライブの打ち上げをしているときに,横の席から少々怖そうな人に「お前ら芸人か,とりあえず俺のビール1杯飲め」と言われて,断る理由もないので「ありがとうございます。いただきます」と1杯奢ってもらったが大丈夫か,といったような相談をできるという。

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 また,話題は「サクラ大戦」の生みの親としても知られるクリエイターの広井王子氏が,吉本興業とプロジェクトを始めることになった経緯にも及んだ。大﨑氏は広井氏と対面するにあたって,「何とか仕事を頼まれへんかな」と考えていたという。ただゲームのことはよく分からないうえ,ほかの接点もなかったので,まずは「王子」と呼びかけることにしたとのこと。そのとき,広井氏が嫌な顔をしなかったので,そのあとも「王子」と呼ぶことにしたそうだ。

 広井氏を大阪に誘ってタコ焼きの名店をハシゴし,そのまま「今度は京都行きましょか」と連れ回した大﨑氏は,移動中のクルマの中で「何か仕事しません?」と切り出したという。出身地の大阪・堺にかつて少女歌劇団があったことを話し,「そんなん,どうですかね?」と水を向けたところ,広井氏の答えは「それ,やろう」だった。それが,2018年に広井氏と吉本興業が立ち上げた「少女歌劇団ミモザーヌ」の始まりである。

 大﨑氏にとって,少女歌劇団は「若い人に教えることによって,教えられることもある」存在だとする。また広井氏との関係についても,「なぜかうまく提案できて,王子と一緒にそういう仕事ができる。歳を取ると,接点がなくとも共通の落とし所をお互い無言で探り合いながら見つけられる」と話していた。

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 続いて,大﨑氏は昨今の漫才が昭和の頃と比較してどんどん短くなっていることを指摘した。たとえば1970年前後,横山やすし・西川きよしは1本あたり20〜30分の漫才を披露していたが,1980年代のテレビ番組「THE MANZAI」ではどの漫才も10分前後になり,今は3分程度になっているというわけである。
 それは漫才に限らず,音楽もイントロがなくいきなりサビから始まったり,あるいは動画配信サイト/アプリのショート動画が若年層の間で流行ったりと,多くのコンテンツの尺が短くなっている。大﨑氏はそれらを見て,「どこまで短くなるのか」と思っているそうだ。

 そうした傾向は,月次ベースや四半期ベースで勝負する資本主義が日本に入ってきた結果であり,大﨑氏は経済の成長や国の保全に必要なものとしたうえで,「数字の勝った負けたを唯一の物差しにするのではなく,もう1つ違う物差しを持たなきゃいけない」と持論を展開する。「小さくても,1人1人が違う物差しを持つ。どんなことでもいいと思うんですよ。『この間買ってきた鮭,レモンかけたらうまいな』とか,個人個人が日常の中に小さな幸せや楽しみを見つけて,そこからの物差しを持つ。そういうことを『居場所。』を書いているときに気づいた」と語った。

 「居場所。」の執筆には2年をかけたそうで,その間に大﨑氏は「自分の居場所と言うか,心の拠り所みたいなものを見つけなあかんな」と思ったという。その一方で,6月29日の株主総会終了後に,大﨑氏は吉本興業の会長を退任し,同社から「完全引退」することを明らかにしている。「よく考えたら,次の事務所も会社も作ってなかったんで,『あれ,俺,居場所なくなるんじゃない?』と思って。昨日(6月5日),物件を見に行ってそこに決めて。まだ会社の登記とか口座開くとかいろいろあるんですけど,吉本を辞めても行くとこができてホッとした(笑)」と話していた。

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 大﨑氏が物差しや居場所について考えるようになったのは,建築・都市・地域再生プロデューサーの清水義次氏の言葉に影響を受けたからだという。清水氏は「これからの子どもたちの主要5科目──英国数社理の勉強時間は,全体の2割でいい。今はオンラインで世界中の人達から教わることができるから。残りの8割は美術,保健,体育,家庭の技能4科目や道徳,倫理を自然の中で体験しながら学ぶ。それによって,これからのすごく変化の多い世の中で生きる力を持つことが必要」と語ったという。

 その言葉を聞いて,大﨑氏はすごく納得がいったそうだ。たとえば都市部では,子どもが転んで膝に土が付いたりすると,「汚い」と親が手で払ってしまう。つまりこの親子にとって,「土は汚い」という認識である。しかし,大﨑氏はゴルフのために熊本に行ったとき,子ども達と両親,おじいちゃん,おばあちゃんまで家族総出で,土と触れ合いながら畑仕事に取り組んでいる光景に遭遇したという。
 この2つのケースを比較して,大﨑氏は「体験して感覚を磨いて,感じて考えて,幸せの物差しを作る。数字の勝った負けたの物差しも大事なんですけど,それぞれがもう1つ新しい物差しを作るべき」とあらためて語った。

 「居場所。」を書こうと思ったきっかけは,2020年に書籍「ビリギャル」の著者 坪田信貴氏の誘いで参加した,音声SNSアプリ「Clubhouse」でのトークにあったことも明かされた。それを聞いた編集者の黒川精一氏が,大﨑氏の本を出したいとオファーしてきたそうだ。

 吉本興業の会長退任と「居場所。」の出版。タイミングが重なったことについて,大﨑氏は「吉本は大﨑興業じゃないので,いつまでいてたらいいのかなとずっと考えていた」と回答した。「自分の中ではね,レコード会社も作ったし,出版もやったし,非上場にして日本中の反社やエセ右翼なんかとも全部会って話もした。これだけやったんやから,ずっとおってもいいやな」と思う一方で,「いやいや,創業家でもオーナーでもないので,いつまでもいてるのはみっともないちゃうかな」という葛藤もあったという。そんな中,「居場所。」を書いているうちに「いつまでも会社にいるのは格好悪い。どっかでスパッと辞めるのがいいんや」という思いが強くなったそうだ。

 吉本興業を辞めることを決意したところ,2025年に開催される「大阪・関西万博」の催事検討会議の共同座長をやってもらえないかと,オファーが舞い込んだという。ほかにも,思いがけない出会いにより地方の伝統芸能やアートのギャラリーを始めることになった話や,吉本興業で大﨑氏の秘書を務めていた契約社員のスタッフがたまたま正社員登用試験に落ちたため,新会社に移籍することになったエピソードなどが披露された。

 それらについて,大﨑氏は「セレンディピティと言うか,幸せな思いがけない出会いは,僕みたいな人間にもある。人の出会いなのか,本との出会いなのか,ゲームとの出会いなのか,映画との出会いなのか,ふと乗ったタクシーの運転手さんとの会話なのか。それは分からないですけど,必ずどんな人にも人生の中で1度ならず,2度か3度はあるんですよ。70歳になりますけれども,まだ捨てたもんじゃないなと思うし,70歳になってまた全然違う新しいことができる幸せみたいなこともあります」と語った。
 また年齢を重ねるにつれて,「親を看病できることの幸せ」や「他界した親を思い出すことのできる幸せ」を感じるようになったそうで,「歳を食って,まんざら捨てたもんじゃないなと思う今日この頃です」と話していた。

大﨑氏の写真は,雑誌の取材時に京都・西本願寺で撮影したもの。「遺影にしたい」という理由で買い取ったそうだ
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 後半に入ると,吉本興業におけるデジタル化への取り組みや世界進出,新しいメディアへのチャレンジ,世界進出がテーマとして取り上げられた。大﨑氏は「戦略なんて何にもないんですよ。ちょっとした細かい戦術はあるかもしれませんけど」と評する。

 たとえば,地方創生の取り組みである「あなたの街に“住みます”プロジェクト」は,よしもとクリエイティブ・エージェンシー(当時)所属の芸人を「住みます芸人」と銘打ち,47都道府県に派遣する取り組みだ。2010年末に吉本興業の岡本昭彦氏(現・代表取締役社長)と一緒に見ていた,「日本が疲弊している」というニュースが企画のきっかけだったという。
この企画は大﨑氏の発案と岡本氏の采配により,年明けの2011年1月4日には公式サイトを立ち上げ,4月には住みます芸人47人が決定するというスピード感で展開した。また2016年にはアジア版を発足したが,やはり大﨑氏の発案を受けて,岡本氏がスピーディに展開していったとのこと。

 2016年には又吉直樹さんの小説「火花」のドラマ版がNetflixで展開されたが,その発端は「どうやら最近のテレビのリモコンには,Netflixのボタンが付いているらしい」という雑談にあったのだとか。そこで「えらいことや,そこ行かんとあかんな」と,何のツテもないのに「とりあえず,『こんにちは』で(Netflixに)行ってこいよ」と岡本氏に言ったという。
 ただ,普通にNetflixとビジネスを始めると,昔から付き合いのあるテレビ局がいい顔をしないかもしれない。そこで岡本氏が考えたのが,NHKでも「火花」を放映することだった。

 同様に吉本興業のデジタル化やeスポーツ事業についても,大﨑氏が基本的な構想を口にしたものを,岡本氏の采配で形にしていくというプロセスを踏んでいるとのこと。とくにeスポーツに関しては「流行るらしい」「スポーツか否か」みたいな話を聞きつけて,岡本氏が「渋谷に小さい座れるスペースがあるんで,そこをeスポーツアリーナにしますわ」と言ったところから始まったという。

 このような吉本興業のフットワークの軽さについて,大﨑氏は「個人であろうが組織であろうが,時代の空気を吸わないと生き残れない。『A rolling stone gathers no moss』じゃないけど,ワーッと聞いた話でパーっと動くみたいなことが,いい方向に働いたのかなと。結果論ですけどね」と分析していた。

会場には,吉本興業所属の2丁拳銃・小堀裕之さん,トークにも登場した広井王子氏も訪れていた
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 終盤,「売れる芸人と,そうでない芸人の違い」を問われた大﨑氏は「分からないです」と答えた。その理由は,何かのきっかけで人は大きく変わるからだという。「売れる売れないという数字の物差しとは違う物差しを持たないと,マネージャーとして,吉本の社員として失格だと思う」と述べ,「『この子らの漫才拙いな,M-1予選で滑るやろな』という物差しと,『この子ら,こんなこと面白いと思ってるんや,それをこんな言葉で表現しようとしてるんや』という物差しを持つ。売れる売れないはお客さんが決めることで,マネージャーが決めることではない」と語った。
 さらにマネージャーとは,自分が担当する芸人が誰よりも面白いと思う職種であり,その気持ちがあるからこそ2つの物差しを持って仕事をする意味があるのではないかとまとめた。

 また,時代の移り変わりや芸人の世代交代について,「一緒にやっている人達は,僕にとってそれぞれかけがえがない存在なので変わっていないと言い切りたい」と回答する。島田紳助さんが反社との交際が発覚したときには,吉本興業に苦情の電話が相次いだ中,1人だけ「東京ではアウトかも分からないけど,大阪やったらセーフやで」という内容だったそうで,「大阪でもダメ」と前置きしたうえで「でも,そうやって数字だけの勝ち負けじゃない,ちょっと違う視点や違う物差しを持つことはすごく大事」と,あらためて強調していた。
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