連載
科学に裏付けされた,エモーショナルな一大SFエンターテイメント「プロジェクト・ヘイル・メアリー」(ゲーマーのためのブックガイド:第59回)
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「ゲーマーのためのブックガイド」は,ゲーマーが興味を持ちそうな内容の本や,ゲームのモチーフとなっているものの理解につながるような書籍を,ジャンルを問わず幅広く紹介する隔週連載。気軽に本を手に取ってもらえるような紹介記事から,とことん深く濃厚に掘り下げるものまで,テーマや執筆担当者によって異なるさまざまなスタイルでお届けする予定だ。
本との出会いは,運命である。
どれほど話題になっていても,タイミング次第で読みそびれることがある。映画化されるような話題作はその傾向が強くて,ここまで来たら映像化を待つべきか,それとも原著を読んでから映画館に向かうべきか,ずいぶんと悩まされる。そうしてためらっている間に,手にするタイミングを逸してしまうのだ。
今回紹介するアンディ・ウィアー氏の「プロジェクト・ヘイル・メアリー」も,そういう意味で筆者は読み損ねていた一冊であった。日本では2026年3月20日に公開された,同名映画の原作小説である。
アンディ・ウィアー氏と言えば,映画「オデッセイ」の原作となった「火星の人」の作者として知られるアメリカのSF作家だ。そもそもこれを読み損ねていたので,「プロジェクト・ヘイル・メアリー」もずるずると読まずに来てしまった。
つまり本書は,アンディ・ウィアー氏による2本目の映画化作品ということになる。この原稿を書くために手を出してみると,なるほど傑作だ。確かに今,読むべき一冊といえる。
「プロジェクト・ヘイル・メアリー」(文庫版)
著者:アンディ・ウィアー
訳者:小野田 和子
版元:早川書房
発行:2026年1月22日
定価:1650円(税込)
ISBN:9784150125066 / 9784150125073
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とはいえ,あらすじを紹介しようとすると,これほど困る作品もない。
物語は主人公が記憶を失った状態で,ある一室で目覚めるところからスタートする。どうやら昏睡していたらしい。身の回りの世話は,謎めいたロボットハンドがしてくれていたようだが,そもそも名前が思い出せない。ここが何処なのかも分からない。
そこから彼は,非常に論理的な思考で自身の謎に迫っていく。これが実に面白い。はっと思い出した単位がフィートだったので,自分はアメリカ人か? と推測するあたりは,ほっこりとしてしまう。
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この主人公は,名をライランド・グレースという。天文学者であり,小学校の科学の教師であったが,人類の滅亡を防ぐための計画プロジェクト・ヘイル・メアリーに,ひょんなことから関わることになる。その結果,彼は宇宙船ヘイル・メアリー号のクルーのたった一人の生き残りとして,はるか彼方の星の世界で目覚めたのである。
何かの理由で失われていた記憶を少しずつ思い出し,プロジェクトの全貌が明らかになってくるにつれ,直面している状況がいかに深刻で,否応なく過酷なサバイバルとミッションに挑まざるを得ない現実が分かってくる。
難解な科学用語や最新理論についていけなくて,SFは苦手という人もいるかもしれないが,本作の場合,そこはあまり心配しなくていい。もちろん,そうした部分がゼロではないが,興味がないなら読み飛ばしてしまって構わない。それらはこの物語の背景であって,話の筋に関わる――例えば何かのトリックを形作るようなものではないからだ。むしろエンターテイメントとしてのSFはこうあるべきと再認識させられる,エモさこそが本作の魅力といえる。
トラブルやイベントが次々と起こり,息もつかせぬ展開で,最後まで読み手を飽きさせない。
まず記憶喪失の主人公の一人称で,周囲の状況を確認するところから始まる構成が素晴らしい。主人公の健康状態を判定するロボハンドとの会話は,一見コミカルで奇妙なジョークのようだが,仕組みを理解するにつれ,非常にリアリティある設計で,このプロジェクトを考え,推進してきた人々の技術的な理解の深さが分かってくる。
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論文が叩かれたことで心を折られ,科学者の道を諦めたグレースは,小学生に科学を教えることに生きがいを見出す,市井の教師として生きてきた。街角のダイナーで卵とベーコンの朝食を食べることが楽しみの,ただの一般人だったのだ。
だからこそ親近感を感じられるし,徐々に明かされていく切迫した事態に愕然とする彼の心情にも共感が持てる。巻き込まれ型の主人公という点はラノベっぽくもあり,彼の一人称で描写される語り口は平易で,決して読者を置いてけぼりにすることはない。こうしたところにも,著者の設定の腕前が感じられる。
主人公以外の登場人物も,誰もが非常に魅力的だ。
最も重要な登場人物であるロッキーについては,彼(?)だけで一晩語れるほどだが,筆者としてはプロジェクトの最高責任者であるエヴァ・ストラットの魅力にも触れておきたい。
人類を救うにあたり,文字どおり手段を選ばない彼女の言動は,冷徹であるがゆえに痛快だ。それによって人類の危機に立ち向かわされる科学者や宇宙飛行士たちも印象的だが,主人公を通して彼女を見る読者たちまた,彼女という嵐に飲み込まれていくことになる。
とくに映画版では,尺の都合からあえて彼女の人物像を語っていないフシがあったので,すでに映画を観たという人も,この辺りはぜひ原作で味わってもらいたい。最後のページを閉じたときには,きっと彼女だけなく,多くの登場人物のその後に思いを馳せることになるだろう。
もちろん,これで読書は終わらない。
本書を読み終えたあとまだ映画を観ていないなら,それはぜひ観るべきだ。とくにあなたが作家やシナリオライター,映像作家などを志望しているなら,文庫2冊で900ページにおよぶ物語がどう映像化されたかを確認するだけでも,かなりの経験値が得られるだろう。
アンディ・ウィアー氏の長編には,先にも触れた映画化作品である「火星の人」のほか,第二作にあたる「アルテミス」も邦訳されて出版されている。
筆者も遅ればせながら「火星の人」を読み進めているところだが,これも滅法面白いので,このまま作家推しで読んでいくのもオススメだ。映画版の「オデッセイ」を観るのも,今から楽しみである。そしてもちろん,その後は「アルテミス」へ向かいたいと思っている。
いやはや,まだまだ読書は終わらないのだ。
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朱鷺田祐介(ライター)
TRPGデザイン/翻訳を主戦場とするフリーライター。代表作に「深淵」「シャドウラン」「ザ・ループTRPG」など。最近のブームはスウェーデン産TRPGで,「MÖRK BORG」に触発された戦国ドゥーム・メタル・ファンタジー「信長の黒い城」を展開中。蜂蜜酒(ミード)について掘り下げた同人誌「MEAD-ZINE」は,BOOTHにて電子版が購入できる。
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