連載 : ゲーマーのための読書案内


ゲーマーのための読書案内

第5回:野蛮な西欧人が先進の中東地域に殺到
『アラブが見た十字軍』→イスラムモチーフ全般

 

『アラブが見た十字軍』
著者:アミン・マアルーフ
訳者:牟田口義郎,新川雅子
版元:筑摩書房
発行:2001年2月(文庫。原版は1986年)
価格:1575円(税込)
ISBN:978-4480086150

 

 今回紹介するのは,アミン・マアルーフの『アラブが見た十字軍』。従来ヨーロッパ側,攻め込んだ側の史料で描かれるのみだった十字軍の遠征を,攻め込まれたイスラム/中東側に残された多くの年代記史料に基づいて記述した本である。その切り口と記述内容ゆえ,上梓された直後には世界中で話題になったため,読んだことはないが題名くらいは知っているという人も多いだろう。
 題名からは,さまざまな年代記史料の記述を比較/考察する学術書ライクな内容を想像してしまうが,そんなことはない。起きた事柄やそこでの各人の振るまいが時間軸に沿って平易に書かれ,まるで歴史小説のような体裁となっている。もちろん,そこに架空のヒーローやエピソードはいっさい登場しないわけだが。

 いまや広く認識されていることだと思うが,中世ヨーロッパは世界のほかの地域に比べて文明が進んでいたわけではない。おおざっぱに言って,西暦1000年代末から1200年代あたりの先進地域といえば,中国と中東地域である。イスラム側から見た十字軍の遠征とは,“凶暴で野蛮な人達が攻めてきた”ことにほかならない。
 実際本書でも,どこの街がどんな「フランク」(攻めてきた西欧人をイスラム側はこう総称した)の軍勢にどう攻められてどうなったという個別の記述に留まらず,当時のイスラム側年代記記録者が見たヨーロッパ人の未開/野蛮なさまが取り上げられている。イスラム側が証拠と弁論で裁判を進めている時代に,ヨーロッパ人が行っていた裁判といえば,原告代表と被告代表を剣で殺し合わせることだったり,被疑者を樽の水に漬けて,沈んだら無罪だったりしたのである。
 とくに知識の差が大きかった医学分野でいうと,イスラム圏の医師が膏薬で治そうとした,足にでき物のある患者に,ヨーロッパ側の医師が斧で足ごと切り落とす「治療」を施して死なせるなどという,ショッキングなエピソードも収録されている。

 古くは日本テレネットの「エグザイル」,またParadox Interactiveの「クルセイダー キングス」,最近でいえば「Assasin's Creed」など,中世イスラムモチーフや十字軍の時代を扱ったPCゲームはそれなりにあるのだが,これらの作品をプレイするときには,ヨーロッパとの相対的な文化水準の差をことさらに意識しておく必要があるわけだ。
 さらに「ストロングホールドクルセイダー」におけるアラブ側ユニット「奴隷」などは,欧米の物差し(というか,使われる言葉の意味)でイスラム圏を捉えたときの誤解を,端的に示しているといえよう。この当時のイスラム圏の“奴隷”は,才覚次第で国務大臣にも一国の君主にもなれる人であって,決して松明1本で放火して回る以外に仕事のない使い捨てユニットなどではない。もちろんゲームギミックであるからして,開発陣は欧米社会の持つ偏見に,あえて乗ったのだと思うが。

 この本の読み物としての面白さを担っているのは,イスラム側もヨーロッパ側も全然一枚岩でなかったという歴史的事実だ。守るイスラム側に地域支配をめぐる対立と,スンニ派/シーア派対立があるかと思えば,攻めるヨーロッパ側にも西欧のカトリックとビザンチン帝国(東ローマ帝国)の東方正教会という対立があり,カトリック勢力同士でも,富に対する欲望や嫉妬が反目の種となる。
 イスラムに対抗するうえで西欧の力を利用したいが,彼らに長いこと居座られるのは,イスラムに圧迫されるより迷惑と考えているビザンチン帝国。それを分かっていて,どうかするとイスラムよりもビザンチンの富に群がる西欧勢力などなど,彼らがそれぞれの利害で合従連衡を繰り返すことにより,戦局は揺れ動く。
 そうした状況で,ヒーローとも呼ぶべきサラディンが登場し,イスラム側をほぼ一つにまとめて,反撃の実を上げていくというダイナミックな展開には,一種のカタルシスすら感じられる。また,彼が教科書の記述などでよく見られる公平/公正な人というよりも,金庫番の側近が慌てるくらい気前の良すぎる人であったというエピソードなどは,読んでいて微笑ましい。

 本書を読むうえで忘れてはならないこととして,著者のアミン・マアルーフが,現在のイスラム圏のあり方につながる問題意識を,きちんと踏まえていることが挙げられよう。無知で野蛮なフランクも,権力の扱い方においては,後継者争いで内紛に明け暮れるイスラム社会より上であり,各人の「権利」という考え方が発達しているという年代記の記述を,著者はきちんと取り上げている。
 そして,攻め込んで占領したヨーロッパ側は,イスラム圏の言葉や知識/技術を積極的に吸収したのに対し,イスラム側がヨーロッパのそれを取り入れることは,侵略者に対する歩み寄りと見なされる危険と常に隣り合わせで,知識/技術の伝達は決して双方向ではなかったと分析する。

 のちに近代を開花させたのがヨーロッパであったこと,イスラム圏にとって近代ナショナリズムが,ときとしていまも据わりの悪いものであることを考えたとき,これは確かに現代にもつながる視点である。イスラム教過激派を悪役として登場させるPCゲームが数々あるなかで,我々は果たしてイスラム圏をどう見たらよいのか。本書はその端緒を与えてくれることだろう。

 

 

東ローマ皇帝が
頼んだ十字軍に
東ローマの都が
荒らされてますけど?
それが大人の事情ってもんです。

 

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■■Guevarista(4Gamer編集部)■■
無駄な読書の量ではおそらく編集部でも最高レベルの4Gamerスタッフ。どう見てもゲームと絡みそうにない理屈っぽい本を読む一方で,文学作品には疎いため,この記事で手がけるジャンルは,ルポルタージュやドキュメントなど,もっぱら現実社会のあり方に根ざした書籍となりそうである。


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