本日紹介するのは,『定刻発車 日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?』だ。第三世界諸国への旅行体験がある人,いや,アメリカやヨーロッパにしか行ったことのない人でも十分驚けると思うが,日本の鉄道ほど正確な運行を実現している例は世界にない。その依って来たるところを解明しようというのが,本書の狙いだ。
先に述べておくと本書は,その狙いを必ずしも十分に達成したとは言いがたい,いささかピントのずれたところがあるルポルタージュだ。しかしながら,鉄道をシステムとして捉え,正確な運行の構成要素を解説していく段での記述は,個別のエピソードとして十分に興味深く読める。
本書のもともとのタイトルが『定刻発車 日本社会に刷り込まれた鉄道のリズム』であったことを念頭に置いて読み進めると理解が早いのだが,本書は鉄道を,近代がもたらした時間秩序との関連で,日本社会のなかに位置付けていく。
大化の改新後,白鳳時代の朝廷で始まった「漏刻」(水時計)の運用や,江戸時代初期に発達した時鐘システムが,長い年月をかけて日本社会に時間秩序を発達させたことを指摘。同様に,徒歩での頻繁な移動を前提に発達した宿場のシステムと,参勤交代の経験が,日本における鉄道時代の前史を形作っているのだとする。
そうした状況で明治を迎えた日本は,乗客も鉄道員も比較的スムースに近代の時間秩序と規律/訓練を受け入れ,鉄道は順調に発達していく。そして,明治39年に行われた鉄道の国有化を機に要職に就いた,投炭の名人にして「運転の神様」こと結城弘毅らの活躍を通して,1920年代には極めて正確な運行を実現していたという。さすがに鉄道も,第二次世界大戦の惨禍を免れることはできなかったが,戦後は速やかに回復して,正確な運行は引き続き理想とされ,実践されていく。
日本の地勢は山がちであるし,また前史として述べられたとおり,主要な街道には徒歩で移動できる間隔で宿場が整備されていた。こうした前提条件を考察しつつ著者は,正確な運行を構成する要素をさまざまに分析していく。石炭や石油を燃料とした「汽車」から,モーターを使った「電車」への速やかな移行が,山あり谷ありの地形に合わせた出力調整を容易にしたとか,従前の宿場のあり方から,ごく短い間隔で駅を作る必要が生じ,これが正確な運行の必要性を生み出すとともに,ダイヤが乱れたときに安定化装置として機能しているとか,そういった話だ。
鉄道利用が,半日や1日かかる列車の利用に終始するなら,実のところ分単位,秒単位での正確さや頻繁運転はそれほど重要ではない。短い距離で気軽に利用されることが頻繁運転の必要性を生み,頻繁な列車を無事に運用するためにこそ,正確な発着が重視されるというわけだ。
そうした,日本の鉄道が持つ宿命や課題がプレイ内容に反映されたゲームといえば,「電車でGO!」シリーズや富士通の「Train Simulator」シリーズが挙げられるだろう。駅の発着はもちろんのこと,定点通過への並々ならぬこだわりは,地形に合わせたきめ細かな速度/出力管理が,日本における列車運用の基本であることを教えてくれる。その時代その時代のテクノロジーで,実現可能な出力や制動距離をフル活用し,保線員がミリ単位で線路を調整してきたからこそ,我々の前に今日のような姿の鉄道があるのだ。
ただ,因果の問題として列車運用の正確さを語るなら,本書の後半で述べられている日本の鉄道の特徴,つまり貧弱な設備と厖大な運用負荷の面を,もっと掘り下げるべきだったのでは? とも思う。運行ダイヤの相互依存性が高いのは,頻繁運転に加えて,駅や車両基地の設備に余裕がないからであって,良好な時間管理(フロー)と,貧弱な設備(ストック)が形成してきたニワトリと卵の関係を,国際比較の中で経緯として分析してみないことには,日本の鉄道を十全に捉えたことにはならない気がする。
冒頭でも少し触れたとおり,本書がタイトルに掲げた課題に対して,いささか残念に思われるのはこの点だ。そして,この点を興味の主軸に据える人であれば,「A列車で行こう」シリーズに代表される運営シムが格好の題材ということになるのだろう。自動車も飛行機もまだ発達していない近代初期において,鉄道システムの設計は国の産業計画や需要把握そのものであって,例えば南満州鉄道株式会社(満鉄)が世界有数のシンクタンクを持っていたのも,決して偶然ではないのである。
ともあれ,本書には興味深い個別情報がふんだんに盛り込まれている。執筆時点(2001年)における東京駅の新幹線ホーム2本は,合計で1日に217本の入線/出線を捌いていたとか,新宿駅の乗降客数は1日約160万人で世界一だとか,JR東日本の利用客が1日約1620万人だとか,JR北海道の利用客数がほぼ東京駅1個分,JR四国が品川駅1個分に相当するとか,2003年におけるJR東日本の在来線は,90.3%が1分以内のずれで運行されているとかいった,物事の規模を漠然と掴むのに役立つ数的要素は,それなりに貴重なものだ。
我々がよく知っているようで知らない鉄道の世界に触れるのに,格好の入門書といえるだろう。