アメリカがアルハンゲリスクに上陸。そのままゲーム終了時まで保持に成功した。ただし,いつ落ちても不思議ではなかった綱渡りである
しかし,ここが連合軍の攻勢限界点だった。そもそもドイツは単独で英軍+米軍を上回る陸上兵力を持ち,そこに枢軸各国の軍隊が加わる。また,枢軸に属していないとはいえ,連合国は日本をも相手にして戦争を続けている。アメリカがもう少しまともに戦っていれば問題ないはずだが,まあそれはともかく。
スターリングラード正面の戦いは少しずつ押され気味になり,やがて北方で戦線が崩壊し始めた。連合軍にとって唯一の救いは時間だった。すでに1946年12月を過ぎ,残るゲーム期間は1年。シベリア戦線は冬を迎えると終息するので,ドイツ軍に与えられた猶予は1年をはるかに下回る。
このあたりからVPを意識し始める。日本は枢軸入りしていないので,もし日本がいまさら枢軸に入ったら,連合は絶対勝てない
勝敗の行方は素晴らしく微妙になってきた。1946年12月26日の段階で,連合が382VP,枢軸が401VP。シベリアに疎開された工業地帯の西寄りで約4VP,東側で4VP程度である。これ以上枢軸からVPを奪うのはほぼ不可能なので,散兵線的防御でドイツの夏季攻勢をしのぐことによってシベリアの8VPを守りつつ,比較的くみしやすい日本から19VPを奪えば,どうにか連合の勝利となる。
|
|
戦線崩壊の足音が聞こえてきた6月。強引に北シベリアでドイツ軍の補給線をカット。じりじり後退しつつも,補給線を切るようにプロヴィンスを取る |
ついに連合軍の戦線崩壊。スターリングラードに大量の民兵と守備隊を押し込んで,決死の覚悟で防戦に入るところ。正規軍の手薄さが涙を誘う |
アメリカも最後で少しはまともな戦争をする。満州でVPを稼いで,一発逆転可能な得点差に入ってきた
そんなことが可能なのかがそもそも問題だが,さすがに太平洋戦域ではアメリカが押しており,満州でも攻勢に出ている。また,南ア騎兵をシベリア北部に派遣,少々強引な攻勢に出ることでドイツ軍を分断することに成功した。これによって中央アジアと極東ソビエトに挟まれたドイツ軍は慢性的な補給切れに陥り,数こそ連合軍に優るものの,戦闘では勝てない状況に追い込まれた。
また,連合国内で新技術のブループリントが飛び交ってきた結果,南アはいつしか1945年式歩兵に最新式の自動車化歩兵を生産できる国家になっていた。情報技術も完備,軍もほぼ常備軍化してドイツ軍の指揮統制値に迫る精鋭である。実質IC27に達していた南アは歩兵を量産し,戦略移動でバクーやそのほかの要地へと配備した。
結果,1947年9月には連合390VP対枢軸398VP。シベリアに冬が訪れるまで1か月を耐え抜き,かつ3か月で9VPを掠め取る作戦が必要となった。
ここで,あたかも夏休みの最終日にあわてふためく小学生のように,南アの生産ラインが活性化する。イギリスに委譲したはいいが沈んだ輸送艦6船団に代わって,新たな輸送艦4船団を発注,また目を皿のようにしてマレー半島を観察した結果,IC0,資源0で軍港を持つプロヴィンス「トンブリ」を発見したので,これを即座にイギリスから買い取る。
そうこうするうちにシベリアには早めの冬が到来。ドイツ軍の動きは止まり,連合軍の足も止まった。VPエリアはほぼ安全を確保していたが,1か所だけ2VPのプロヴィンスが危機に瀕している。
台北に決死の上陸作戦敢行。成功すれば戦勝国,失敗すれば敗戦国だ
天国のルーズベルトも照覧あれ,台北での勝利が戦争全体の勝利に。ヒトラーの呻き声が聞こえる瞬間
1947年11月26日,完成した輸送艦に1945年式歩兵4個師団を載せて,トンブリに出航。1947年12月9日に基地移動を果たすと,そのまま台北上陸作戦を発動させる。台北はVP10。作戦が成功すれば400対398で勝てる。
勝算はあった。データを見ると日本海軍は壊滅状態にあり,米軍の通商破壊で台湾はおそらく補給切れ,兵がいたとしても守備隊1個師団程度に違いない,と。懸念材料はインドネシアや沖縄から来るであろう,日本の海軍爆撃機だ。これに捕まったら悲惨な運命が待っている。そしてもう一つは時間。台北占領が1947年12月30日を越えるなら無意味である。
全滅覚悟の強襲上陸を指示してみると,12月13日頃には到着予定らしい。時間の問題はクリアしたが,あにはからんや,マレー沖で日本の航空隊に捕まって1個船団が失われる。歩兵4個師団が3個師団に減ったが,全滅でなかっただけで御の字である。
12月13日に予定通り台北沖に到着,歩兵3個師団で上陸をかける。台北は案の定,守備隊1個師団が守るのみ。12月15日には無事台北が南ア領になった。なんだか意味がよく分からない気もしてきたが,領土拡大でめでたいめでたい。
ノヴォシビルスクが陥ちたら危なかった。ドイツ軍は2方面から攻撃できるので,攻撃されればアウト。補給線を遮断してきた効果が現れた形だ
さて,この段階で400対398だが,もしシベリアで2VPが失われると,ちょうど逆転して負けだ。万全を期すために,上陸作戦で消耗している部隊に鞭打って沖縄上陸作戦を敢行。台北攻略時にちらっと見えた範囲でいうなら,ここも防備は守備隊1個だけのはず。海岸要塞が気になるが,気にしたら負けということで突入する。
無事沖縄も南ア領になって,極東情勢をさらに混乱させつつ沖縄の2VPを獲得。これで402対398,スターリングラードが陥落でもしない限り,悪くても引き分けに持ち込める。
時計はそのまま進み,1947年12月30日にはゲームセット。VP4点差で連合国が逃げ切った。どう考えても,ソビエト戦線はあのあと大崩壊するしかないはずだったが,ドイツ国内でも厭戦世論が高まりすぎたのだろう。
|
|
まだ逆転可能な点数圏内なので,とどめをさすべく沖縄強襲。成功すれば逃げ切り(悪くて同点)確定。そして,無事勝利する |