第二次世界大戦に関わった,実にさまざまな国でプレイ可能なストラテジーゲーム「ハーツ オブ アイアンII」で,「この国プレイしてどうすんのよ」というリプレイを展開するこの連載,今週はここ,満州からお送りします。
中国東北部へと向かう領土的野心は,明治以来続く日本の国策と評してよいものでした。朝鮮半島の権益を守る外郭,また鉱工業および農業的発展のカギ,あるいは国際共産主義への防波堤と,その意義は時期に応じてさまざまに読み替えられていきますが,「満州」の権益を,ほかの列強の干渉を排して独占的に支配することは,日本の宿願でした。
中国で北伐が進展し,国民革命軍によって張作霖が北京を逐われると,これまで張作霖を通じた満州の権益維持という政府方針に同意していた関東軍は翻意し,政府に断りなく1928年に張作霖を暗殺します(満州某重大事件)。張作霖の子で後継者となる張学良は,この事件をきっかけとして国民党に接近,やがて満州全土で北洋軍閥政府の旗に代わって国民党の旗を掲げる「易幟」を断行します。そうした情勢に危機感を募らせた関東軍が,満州の実力占拠を画策する……という流れで,満州事変が引き起こされるのです。
中国共産党との内戦を優先課題とし,日本軍との表立った衝突を避けたい蒋介石は不抵抗を指示,張学良および北洋軍閥要人による奪回要請はその後も黙殺され続けます。その結果,関東軍による実効支配と傀儡国家「満州国」の樹立は実現しますが,当然ながら国際連盟では支持されず,逆にこれを対立点として日本は1933年に国際連盟を脱退します。
近年の研究成果に従うなら,この時期における国際連盟からの脱退は必ずしも国際社会からの孤立に直結するものではありません。むしろ,倫理や国際世論に縛られることなく,大国とダイレクトな利害調整を行う機会を得たことを意味します。しかしながら日本は,当事者たる中国はもちろんのこと,満州の権益に大きな関心を寄せる米英の,支持をとりつけることができませんでした。
ここで米英との対決路線を選んだことによって,日本は第二次世界大戦に参加する流れとなり,1945年,日本の敗北とともに満州国は消滅します。
農業,鉱業,機械工業から,都市計画や娯楽,民俗学まで,日本は満州にありとあらゆる最新技術と知見を投入して,植民地=傀儡国家の建設に努めました。だが裏を返すとそれは,事実上すべての施策が「日本が」という主語の下で行われたということです。現に満州国の政府内各ポストは日本の軍/官僚の“指導”下にあったうえ,満州における「開拓」は,現地農民の排除と農地の奪取すら伴うものでした。
建国以前/以後,そして解体後を通じて,中国と別個の「満州国」という枠組みには,内的必然性が決定的に欠けていました。満州族の長たる清朝皇帝の溥儀(清朝では宣統帝)を担ぎ出してみたところで,どうなるものでもなかったのです。
ここでクエスチョンです。さまざまな記号操作と実力者の抱き込みを伴って建国された満州国ですが,史実における満州国政府は,自身の政策すら立案できる立場にありませんでした。一個の国家として立つ政治的正統性や内的必然性の問題はさておくとして,仮に主体的に動けたとしたら,満州国は近代史にどのような痕跡を残し得たのでしょうか?