気楽に読める「トールキン小品集」 
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Illustration by つるみとしゆき |
映画「ロード・オブ・ザ・リング」の大ヒットによって,原作者であるJ.R.R.トールキンの名前は日本でも広く知られるようになった。言語学者でもあった彼は,独自の神話大系や世界観を確立して,「ロード・オブ・ザ・リング」(指輪物語)や「シルマリルの物語」「ホビットの冒険」といった著書を残している。
トールキンの著作物というと,代表作に大作が多いことから,壮大な物語をイメージしがちだが,実は短編なども多く発表している。「トールキン小品集」(現在は収録されている短編が別々に出版されている)では,「農夫ジャイルズの冒険」「星をのんだかじや」「ニグルの木の葉」「トム・ボンバディルの冒険」という四つの短編が楽しめ,どれもトールキンの世界観を深く理解するうえで興味深いものとなっている。
小説「ロード・オブ・ザ・リング」でフロド達を二度も助けて,一行に2本の古い短剣を与えたトム・ボンバディルは,神/人間/精霊のいずれにも属さない謎の存在として人気が高い。だが,このキャラクターは映画ではカットされており,原作ファンの中には残念に思った人も多いことだろう。「トム・ボンバディルの冒険」(小説ではなく,詩集の体裁がとられている)では,トム・ボンバディルとその妻ゴールドベリのなれそめなどが楽しめるので,ファンにはぜひチェックしてもらいたい。
また「農夫ジャイルズの冒険」は,中世ヨーロッパの民話のような物語で,一見子供向けの冒険譚となっている。しかし,そこかしこに込められたユーモアや風刺などが,作品を大人の鑑賞にも耐えうるものに高めている。もちろん筆者も大好きだ。今回は「農夫ジャイルズの冒険」にスポットを当てて話を進めよう。
この物語では,小王国/中王国と呼ばれる架空の土地を舞台に,農夫ジャイルズの数奇な運命が語られる。ある日のこと,道に迷った巨人がごく普通の農夫であるジャイルズの住むハム村にやってきた。巨人は村の家畜を食べてしまい,これに怒ったジャイルズがラッパ銃を撃つと,驚いた巨人は森へと引き返してしまう(実は巨人は,家で火にかけてきた鍋を思い出して帰っただけなのだが)。
この一件で,ジャイルズは村の英雄になってしまい,中王国の王様であるアウグストゥス・ボニファシウス・アンブロシウス・アウレリアヌス・アントニウス(Augustus Bonifacius Ambrosius Aurelianus Antoninus)は,城の倉庫で蜘蛛の巣の張っていた古い剣を褒美として与えた。
王様から剣を授かったジャイルズは,それを知人の僧侶に見せたところ,なんと名剣カウディモルダクス(Caudimordax)だと判明。これは教養のないジャイルズであっても知っている伝説の剣で,英雄ベロマリウスがドラゴン退治に振るったものだったのだ。
ちょうどその頃,都合が良いことに(?),クリソフィラクス・ダイヴズ(Chrysophylax Dives)というドラゴンがジャイルズの住む王国目がけて飛来していた。王様は騎士団に出動要請を出すが,騎士達はドラゴンに怯えて出撃しようとしない。そこで,ジャイルズに白羽の矢が立った……。
なんの戦闘訓練も受けておらず,本当は英雄でもないジャイルズは慌てふためくが,そんな彼の気持ちを知ってか知らずか,カウディモルダクスはドラゴンと戦う気満々。ジャイルズが剣を鞘に収めようとしても,最後の30センチがどうしても鞘に収まらないのだ。そうこうしているうちに,ジャイルズはドラゴン退治へと送り出されてしまう。
嫌々ながらも出発したジャイルズは,偶然にもドラゴンと遭遇。カウディモルダクスを見たドラゴンは,それがドラゴンスレイヤーとして名高い剣と気づいて戦意を喪失,略奪と破壊をやめてしまった。剣の真価やドラゴンの気持ちなど知る余裕もないジャイルズは,剣を抜き払って振り回すと,剣は意志を持ったかのようにドラゴンを攻撃。こうしてジャイルズは勝利を収めてしまったのだ。
カウディモルダクス 
カウディモルダクスは,英雄ベロマリウスがドラゴン退治の際に振るった伝説の剣で,制作者や生産地は不明。末裔のアウグストゥス〜に継承されたが,伝説の剣ということは忘れ去られてしまい,王の倉庫でぶら下げられたまま,放置されていたという。形状に関しては明確になっていないものの,文中からカウディモルダクスに関係している語を拾うと,「今でははやらない古いデザイン」「長い剣」「刀身と鞘にはルーン文字」などとなっており,それほど立派な装飾があったわけではなく,実にシンプルな長剣だったと考えていいだろう。
またドラゴンに強いことはもちろん,ドラゴンが5マイル以内に近づくと,鞘にちゃんと収まらなくなるという能力があるようだ。ちなみにドラゴンに立ち向かったときのジャイルズは,立派な装備を用意できず,革のシャツに鉄の輪を縫い付けた手製のリングメイルを着込み,カウディモルダクスを手に戦ったとされている。
ネーミングについては不明。日本語版では噛尾刀(こうびとう)と表記されている。これは英語版の文中で使われたTailbiter(尾にかみつくもの)を和訳したものだ。
高尚な雰囲気を醸しだしつつも,腰抜けの騎士,ものの価値が判断できない国王,英雄らしくない主人公と,トールキンにしては異色作という感じさえする「農夫ジャイルズの冒険」。一種の風刺譚やユーモアファンタジーとして,大人も楽しめる小説に仕上がっている。興味があれば,ぜひ一読してもらいたい。
