
中つ国神話 
「ロード・オブ・ザ・リング」(指輪物語)の著者であるJ.R.R.トールキンは,物語を作るにあたって,あらかじめ壮大な神話世界を構築したといわれている。舞台となる中つ国の歴史,文化,風習,文字体系,家系などを細かく設定し,そうした甲斐もあって「ロード・オブ・ザ・リング」「シルマリルの物語」「ホビットの冒険」といった著作物は,圧倒的な存在感を備えた作品として仕上がったわけである。
トールキンの設定では,「ロード・オブ・ザ・リング」の舞台となる中つ国は,大いなる存在(神?)エル(別名イルーヴァタール)と,13人の優れた精霊ヴァラや精霊マイア達によって,世界の中心に作られたとされている。そしてエルフの登場と共に第一期が幕が上がり,以後中つ国を舞台にさまざまな物語が展開されることになるのである。ちなみに映画にもなった「ロード・オブ・ザ・リング」は,第三期の終わりあたりに位置しており,中つ国神話は第四期まで存在している。
中つ国とシンゴル王 
![]() | Illustration by つるみとしゆき |
ここで,初期の中つ国にスポットを当ててみよう。第一期は,中つ国のすべてがまだ美しかったころの話である。中つ国を作った精霊ヴァラの一人であるメルコールが中つ国の美しさに心を奪われ,サウロンを副官として中つ国を我がものにしようとした。もちろん,ここで出てくるサウロンは,「ロード・オブ・ザ・リング」で最大の敵として登場する,あのサウロンだ。初期の中つ国神話では,なんとサウロンはメルコールの部下だったのである。
メルコールの進軍によって数々の戦いが勃発し,中つ国は大きなダメージを受けてその美しさを失ってしまった。結局メルコールは至福の島アマンへ幽閉され,多くの精霊やエルフ達も,荒廃した中つ国を捨てて至福の島アマンへと移住していった。
だがそうした中,シンダール(Sindar:灰色エルフ)のシンゴル王(Thingol)と部下のエルフ達は中つ国に留まる決意をし,ベレリアンドの広大な森林に灰色エルフの王国ドリアス(Doriath)を造った。さらにシンゴルの妻・精霊マイアのメリアンが,魔法の力でドリアスを覆ったことから,ドリアスは別名「隠れた王国」とも呼ばれ,ベレリアンドに存在する数々の王国が滅びても,ドリアスだけは健在だったという。ドリアスは発展し,シンゴルとメリアンの血筋は数々の英雄に受け継がれていった。ちなみに系図によれば,「ロード・オブ・ザ・リング」で活躍するエルロンドや(人間だが)アラゴルンも,シンゴルの血筋とされている。
だが,平和は長くは続かなかった。幽閉されていたメルコールが復活。名前をモルゴスと改めると,中つ国のアングバンド要塞を居城に猛威を振るったのだ。そして再び中つ国は戦乱に覆われることになる。
このあとの話はシルマリルの物語で詳しく語られている。ここでシンゴル王の運命などを語るとなると,スペースがいくらあっても足りないので,興味のある人はぜひともそちらを読んでもらいたい。
王の怒り 
シンゴルは銀髪の灰色エルフの王として描かれており,その腰にはアランルース(Aranruth)という剣が吊されていた。アランルースという名前はシンダリン語でaran(王)とruth(怒り)の合成語。「王の怒り」という意味になる。ネーミングから考えると,シンゴルが昔から所有していたわけではなく,王にふさわしい剣として,即位後に製作されたのではないかと推測できる。
製作者についての記述はないが,当時の歴史や情勢を考えると,灰色エルフと交流があったドワーフの都市ノグロド(Nogrod)で製作されたと考えるのが妥当だろう。この都市には数々の優れた鍛冶がいたが,真っ先に思い出されるのが当代随一のドワーフの鍛冶であり,ナルシルを鍛えたテルハール(Telchar)だ。灰色エルフ王シンゴルに献上する剣を鍛える腕を持つ鍛冶となると,彼である可能性は非常に高いと思われる。
形状や特殊能力についての資料は少なく,ブロードソード(刀身の幅がやや広い片手剣)と記述されている程度である。灰色エルフの王として君臨したシンゴルが振るっただけではなく,王の怒りというネーミングを持つことを考えると,なんらかの力を持っていてもおかしくはなさそうだ。
少々ネタバレになってしまうが,アランルースはドリアス滅亡後はエルウイングによって持ち出され,ヌメノール王家に伝えられたものの,その後の行方は不明となっている。おそらくは,最後の王アル=ファラゾンと共に水没し失われたのだろうと考えられている。それとも,密かにどこかに伝わっているのだろうか。
最後に余談を。シンゴル王の話を書いていて思い出したのが,シンゴルの娘のルシアンとその婿である人間の英雄ベレンのこと。あるとき二人は恋に落ちるが,シンゴルは二人の結婚を認めたくないために無理難題を出す。だが二人は協力して苦難の末に難題を解決し,無事に結婚することになるのだ。
実はトールキンは,この二人に自分と妻のエディスを重ねていた。妻エディスが亡くなったのは1971年のことだが,そのとき,トールキンは墓標に「LUTHIEN(ルシアン)」と刻んだという。それから2年後の1973年にトールキンはこの世を去ったが,トールキンの墓標には「BEREN」と刻まれたそうだ。





