ギリシャ神話では,神々の気まぐれや悪意によって,何の罪もない者がモンスターに変えられてしまうという悲劇が多く見られる。今回紹介するスキュラ(Scylla)も本来は水の精(ニンフ)であったが,神の嫉妬によってモンスターに変えられてしまった悲劇的な存在だ。
スキュラの上半身は美しい女性だが,下半身は6頭の犬という,なんとも異様な姿をしている。下半身の描写は伝承によって異なり,単に「おぞましい獣」と伝えられている場合もある。マンガやゲームに登場するスキュラだと,蛇,タコ,狼といった生物と融合していることもあるようだ。
ギリシャ神話のスキュラは,シチリア沿岸のメッシーナ海峡にある洞窟に棲息し,洞窟から犬の首を出して待ちかまえ,通りがかった船を襲って船員を食らっていたという。魔法などを使うことはなさそうだが,一度に6頭もの犬(もしくはおぞましい獣)と戦わなければならないため,その手強さはかなりのものだ。
おまけに,上半身は女性の姿をしており,知恵も意識もあるわけだから,人によっては攻撃を躊躇してしまうこともあるだろう。へたに情けをかければ下半身のモンスターに襲われるため,戦闘に際しては強い信念が要求されそうだ。
なおスキュラは,魔法(あるいは呪い)によって合成されたモンスターなので,ひょっとしたら強力な魔法の力を借りれば,彼女を元の美しい姿に戻してあげられるかもしれない。
ギリシャ神話によれば,スキュラが生まれたきっかけは嫉妬であったらしい。あるところにグラウコス(Glaucus)という一人の海神がいた。元々グラウコスは人間だったが,魔法の薬草によって不死の肉体や予知能力を得て,海神の一員になった人物である。
あるときグラウコス(伝承によってはポセイドンとする場合がある)は,スキュラという名の女性(水の精ニンフとする場合もある)に出会い,彼は一目惚れをしてしまった。そこでグラウコスは求愛しようと思ったのだが,彼の体は長い海中生活によって鱗に包まれ,髪の毛は海草のようになっていた。その姿を見たスキュラは驚いて逃げてしまったのである。
グラウコスは悩んだ末,魔女にして女神であるキルケ(Kirke)に,スキュラの心を射止める方法を相談し,惚れ薬を作ってもらおうと考えた。ところがキルケは,グラウコスのことが好きで,その嫉妬から惚れ薬ではなく,強力な毒薬を作って手渡したのである。
そうとは知らぬグラウコスは,毒薬を手にスキュラの元へと向かった。そして彼女が水浴びをしているところに,そっと毒薬を流し入れたのである。すると,スキュラは突如水面に現れたモンスターに驚いて逃げようとしたが,そのモンスターはどこまでもついてくる。スキュラがモンスターだと思っていたものは,モンスターなどではなく,無惨に変わり果てた自分の下半身だったのだ。
恐ろしい姿に変わり果てたスキュラは,絶望すると洞窟へと引きこもってしまった。しかし異形の下半身は,腹を空かせると勝手に首を伸ばして,近くを通りかかる人間などを食らうようになってしまったのである。
なおギリシャ神話では,スキュラはメッシーナ海峡に棲息していることになっているが,スキュラの棲息場所の対岸にはカリュブディス(Charybdis)というモンスターがいるので,海峡を通過しようと思ったら,ちょうど真ん中を通過する必要があった。そうしないと,どちらかのモンスターに襲われるのだ。
またスキュラといえば,英雄ヘラクレスが12の難業に挑むエピソードの10番目,「ゲリュオンの牡牛の捕獲」にも登場する。ヘラクレスがやっとの思いで捕獲した牛を食べてしまい,ヘラクレスと戦っているのだ。
そのほかにも,英雄オデュッセウスの物語では,オデュッセウスがメッシーナ海峡を通過する際にスキュラ側を通ってしまったために,スキュラの下半身である6頭のモンスターによって6人の船員が襲われた。その犠牲と引き替えに,オデュッセウスはなんとか海峡を越えられたのである。