自キャラが文字どおり人物キャラクターで,CV付きの幕間劇が展開される,おなじみの縦スクロールシューティング「式神の城II」 |
作品としての紹介は,すでに当サイトの「こちら」にレビュー記事を掲載している。ゲームとしてのフィーチャーや特典,PC版ならではの特徴といったものはそちらを参照されたい。改めて注意したい点は,本製品が基本的に店頭販売品ではなくメーカー専売のため,アルファ・システムのサイトの通信販売でのみ購入可能というところだろうか。2005年6月6日の時点で販売はまだ継続されている。価格は送料/手数料/税込みで5800円だ。
自機選択画面で早くも実感できる,「分かりやすさ」というキャラの役割。もっとも,女の子は見栄えがするので使用されやすいといった法則もある気がするが。とくに画面の小夜は,キャラの凛々しさとワイドショットの見た目で強そうな印象を受ける |
本作の"キャラクター性"をゲーム全体から見た場合,それはせいぜい狂言回しやストーリーの説明役に留まる。しかしながら,そもそもシューティングにおけるキャラクターには,もっと重要な役割があるのである。
シューティングゲームの歴史は,かなりの程度アーケードゲームの歴史といえる。その中でシューティングが追い求めてきた課題とは,ゲームの"分かりやすさ"である。ゲームの状況や内容をいかに単純化/記号化し,理解させるか。その努力を続けてきたからこそ,積み重ねた歴史と現在の成熟があるのだ。先回りして述べるなら,キャラクターとはこの"分かりやすさ"を実現するための道具立てと言ってよい。
ソフト/ハード両面にわたる技術の進歩の中で,シューティングゲームはより複雑で,深く濃いものに進化してきた。敵の種類が増えても変わらぬ"分かりやすさ"を維持するために,まずは世界観やストーリー,敵の名前といったものが用意された。
やがてプレイの選択性を高めるために,自機に複数種類が用意されたとき,それらを区別するための"分かりやすさ"としてキャラクターがシューティングの世界に登場する。最初は当時ブームだった格闘ゲームのように,戦闘機の国籍を具現するパイロットという安直なものに過ぎなかったが,次第にキャラクターから世界観が構築されてストーリーを支配し,その個性を基に自機の性能や外見が規定されるようになる。その行き着いた先が「式神の城」であると言ってもよいだろう。
もはやパイロットではなく,自機はキャラクターそのもの。ステージボスまでもが分かりやすくキャラクターだ。個々のキャラクターの設定を把握することで,その連想から生み出された自機の設定やボスの攻撃は理解しやすくなる。さらにキャラクターの存在感をデモの画像や音声で補強し,情報を付加する。これはゲームのストーリーラインや世界観そのものへの理解につながっていく。つまりキャラクターは今や,シューティングゲームにおけるラベルであり,見出しの役割を果たす重要なパーツなのである。
本作はこれらに加えて,同社の他作品でも使われている世界観,いわば"アルファ・サーガ"に彩られており,さらに"アルファ・サーガ"の典型的な使われ方である,あえて全体を説明しない思わせぶりな表現手法が取られている。これによりキャラクターへの関心や注目が煽られ,その先にあるゲーム本体への求心力の一助にもなるというわけだ。そこに巫女さんやらメガネっ娘やら耽美系男性キャラといった,近年のゲームに必要なあれこれが加わる。
ただ,こうした"狙い"の要素は,シューティングという本分の前では,やはり枝葉に過ぎないものではある。
――プレイヤーキャラ――
結城小夜
人の姿をした魔道兵器で,何かにつけて人でなし呼ばわりされるのだから,言ってみれば薄幸のヒロインだろうか。運命を受け入れたはずなのに意外と些細なことで感情が揺れ動く不安定なヒトでもある。一般常識に欠けるところは,逆にチャームポイントかも。外見は巫女さんだが,信仰の内容を示す言葉はどこにも出てこない。式神のパートナーとしてヤタという鳥(八咫烏?)を操るが「大自然のおしおきよ」とは言わない。ショット攻撃はお札(ふだ)を扇状に発射するもので,式神攻撃はヤタが自分の周囲を旋回し,敵の弾を消すというもの。壱式と弐式があって,攻撃範囲と速度が異なる。(CV.堀江由衣) |
ふみこ=オゼット=ヴァンシュタイン
魔女(+眼鏡)。すべての事象を想定範囲内に抱え込める実力者。物事を斜めに見下ろす冷酷さが,衣装からくる荒唐無稽さを中和している。主人公の玖珂光太郎を育てあげ,良い男にして侍らせようという野望を進めている。忠実な下僕の執事ミュンヒハウゼン44世の凛々しい姿は,式神発動時に画面隅で確認可能。ゲームスタート時に「ふみこ発進!」と叫んだりはしない。ショット攻撃ではレバーの左右で軌道がスイングする結晶を連射し,式神攻撃はボタンを押すことで自機が動けなくなる代わりにレティクルが現れ,好きな場所にサテライトレーザーを落とせるというもの。壱式と弐式ではレティクルの形態が異なる。(CV.百々麻子) |
ちびふみこ
ふみこの隠された仮の姿。媚びというかサービス精神の塊のようなポジションだ。本来の冷酷さに加えて,子供が持っている,自分の欲望を抑制しない奔放さを兼ね備える。本人が通常時の自分のことを,他人行儀に「あの人」呼ばわりする程度の説明で,周囲の人間が全員彼女をふみこの妹と認めて疑わないところは,ストーリー上の謎というよりもはやギャグとしか思えない。主人公の光太郎を兄のように慕う素振りを見せるが,決して「兄や」とは呼ばない。なお攻撃の種別や性能は,すべてふみこと同一である。(CV.こやまきみこ) |
ニーギ=ゴージャスブルー
男性と誤解させれそうなパーソナリティと外見だが,自分で何度も言うように,女としての自覚はかなり高い。だがちょっと薄汚れ気味の外見などもあり,ポジションが微妙で萌えづらいキャラと化している気もする。「世界」を移動しながら「先輩」を追いかけているなど,けなげな乙女のパーツが今一つ噛み合っていないところは,ユニークといえばユニークだ。残念ながら武器のシャープペンに「くまさん」のマスコットはついていない。ショット攻撃はリング状で幅広弾を,自機と周りのオプションから発射するもの。式神攻撃は相棒の「グレーターまねき猫」をバリアとするもので,壱式では反射,弐式では吸収後にまとめて放出する。(CV.矢島晶子) |
玖珂光太郎
とりあえずバカと呼ばれ続ける主人公。それどころか,自分で自分をバカだと言ってはばからない熱血キャラである。あまりにも正直過ぎてギャグの領域に昇華された,新世代のヒーロー像かもしれない。しかし,オバQのドロンパを連想させるTシャツなど,ファッションにはやや難があるようだ。本作のストーリー上,熾烈な兄弟喧嘩を繰り広げるが,ガクランは白くないので「覚悟完了!」などとは言わないようだ。ショット攻撃では,やや幅広で真上に進む弾を連射する。式神攻撃は女性の姿をした精霊「ザサエさん」が,敵を自動追尾して斬りまくる。壱式は自機,弐式は式神自身の出現位置を中心に動く。(CV.岸尾大輔) |
――敵ボス――
アララ=クラン
1面のボスとして登場し,プレイヤーにこのゲームのキャラが持つ"濃さ"を正確に伝える役目を担っている。プレイヤーキャラを見るだけで,その本質や正体に気づいたらしい発言をするので,結構頭は良いのではないかと思われる。一方で男性キャラに対し「おねーさんの服の下」というフレーズを乱発するなど,サービス精神を発揮している部分も。長々とツインテールをぶら下げているが,ボケ気味のキャラ達に「バカばっか!」とはツッ込んでくれない。(CV.田村ゆかり) |
堀口ゆかり
登場は4面ラスト。デッキ型カードゲームをする少女の精神が,城に囚われているという設定で,攻撃や台詞はそのままカードゲームを連想させる。一見シリアスなポジションだが,多くのキャラによりボケキャラとして無残に弄ばれる。人生の勝ち負けで言うと間違いなく「負け」側のキャラクターであるようだ。本体は現実世界で意識不明の入院中とのことだが,寝ている間に親友に「彼氏」を奪われていたりする……かどうかは定かでない。(CV.甲斐田ゆき) |
エイジャ兄弟
萌えや耽美にキャラクター分布が偏らないよう,バランスを取るために置かれたフシもあるおっさんキャラ。しかも兄弟で濃さは2倍という念の入れようだ。氷と炎の両極に位置する,決して交わらない力をまとい,運命の悲しさを匂わせつつも,その実体は過剰なまでの芝居っ気と汗の匂いに満ちている。最初は面白がって見ていられるが,何度も戦ってると必ずデモをスキップされるキャラでもあるらしい。「兄者」という叫びが耳につくが「さすがだよな俺ら」とは言わない。(CV.土屋利秀&長嶝高士) |
基本のシューティング部分は,縦シューとして簡単な部類といわれているが,本格的でそれなりにハードな構成だ。終盤も近くなると敵の無慈悲な攻撃により,画面は弾で埋め尽くされていく。敵の配置に合わせた,自分なりの攻略を考えていこう |
ゲームのルールはシューティングだけに単純明快。押し寄せる敵をショットや式神で攻撃して破壊し,自機が敵の攻撃に当たらなければOKだ。すべての敵を倒すと1ステージクリア,全ステージをクリアすればエンディングで,逆に3ミスでゲームオーバーである。
ただし,一定の得点に到達することでミスを回復するチャンスもあるし,ゲームオーバーになっても画面上部に表示されている[CREDIT]の数だけ継続プレイが可能だ。
そして,ゲームプレイの最も原初的な評価指標である得点(スコア)を競わせるために,このゲームではプレイヤーに対し,とあるスキルを要求する。これがアーケードゲームでは今やお約束ともいえる,点数"稼ぎ"システムだ。
ここでの条件はただ一つ。敵が発射する弾に自機をできるだけ接近させることだ。それにより攻撃力や撃破による得点がアップし,さらに敵を倒すとバラ撒かれるドロップアイテムの得点や倍率もアップする。危険度と得点をトレードオフにした,いかにもゲーム的な枠組みであるが,ギリギリのコントロールを要求しつつもプレイヤーの自由度を広げ,かつそれを評価する構図は,アーケードシューティングという歴史あるジャンルが築き上げてきたものだ。キャラクターの存在によるライトな印象とは裏腹に,本作は真剣に遊び込む価値のある良作に仕上がっている。
スピンアウト作品というべきアドベンチャーゲーム「式神の城 七夜月幻想曲」がプレイステーション2で間もなく発売されるという一事をとっても,キャラクターゲームとしての「式神」の面目躍如という思いがする。
ただ,あくまで本筋はシューティングゲームであって,新キャラの追加も含めていくつかのアーケードゲーム系展示会(例えば「こちら」)で告知のあった「式神の城III」の動向が,今は大いに気になるところだ。