特集 : シリアスゲーム「3rd World Farmer」の“面白さ”をあらためて見る

シリアスゲーム
「3rd World Farmer」の“面白さ”を
あらためて見る

Text by 徳岡正肇(アトリエサード)

 

内戦と旱魃と貧困の農業経営シム

 

「3rd World Farmer」のタイトル画面。Flashゲームで,Webブラウザからプレイ可能だ

 近年注目されるシリアスゲームは,ゲームであると同時に教育性(および教育的配慮),あるいはスポンサーの政治的アピールといったものをコンテンツとして含まざるを得ないため,純粋にゲームとして見た場合に,その出来は往々にして玉石混淆だ。
 「奥谷海人のAccess Accepted」第113回で紹介されていた「3rd World Farmer」は,そうした視点で見たとき非常に興味深い。シリアスという点においても,ゲームという点においても,実に異端的な怪作なのだ。

 この作品は,第三世界(画面を見る限りアフリカ)の農民をモデルにした経営シミュレーションである。プレイヤーは天災・病気・内戦・難民問題・銀行の倒産といった困難を抱えつつも,農作物を育て家を経営していかねばならない。
 1ターンは1年。農作物を植えたり家畜を購入したり,家族の健康のために薬を購入したり,自分の家の近くのインフラに投資したりといった行動をプロット(事前入力。ただし投薬や購入関係は即時適用)し,「次のターン」ボタンを押せば1年が経過して結果が表示される。ゲームはこの繰り返しで進行していく。
 プレイの目標は,ある程度の資金を貯めてプレイヤーの農家がある地域に対する政治家の庇護を得,収穫保険(crop insurance)を確保することだ。財政的にボロボロでも,保険さえ確保してしまえば勝ちである。

 

ゲーム開始直後。本当に何もない。ここから何がどう転んでいくかは運次第

 プレイヤーにとっての直近の問題は二つ。一つめは家族の健康維持だ。1年経過するごとに家族の健康状態は悪化するので,薬を購入して健康状態を回復させないと,やがて病気で死んでしまう。
 もう一つは,1年ごとに起こるイベントである。「豊作」といったプラスのイベントもなかにはあるが,基本的に悪いことしか起きないと思ってかまわない。
 4種類ある作物のうち1種類の相場が崩壊して,その作物からの収益がゼロになる,牛/豚/鳥の病気で該当する家畜が全滅したりするのは序の口,ゲリラがやってきて家財道具を召し上げたり,腐敗官僚に財産を持って行かれたり,難民が押し寄せて家畜を盗んだり,内戦で家財が失われたり,中央銀行が破産して資産価値が暴落したりと,どれ一つ取っても非常にダメージが深い。
 しかも大半のイベントに対して,積極的な防衛策がないのだ。作物相場は崩壊するものだと思ってモノカルチャー的生産を避け,家畜は病死すると思って複数種類を飼い,銀行は倒産するものだと思って宵越しの金を持たない。人生そんなものと割り切るしかないという,堀田善衛が描いた「シュガーメンタリティ」の世界そのものだ。

 

作物の種を買って,畑に植えていく。単一作物に依存すると限りなく危険なので,作付けはなるべく多くの作物にわたらせる。作柄だけでなく世界市場での市況次第でもあるので,努力が報われる保証などない

 

 また長期的な視点に立つと,別の問題も見えてくる。「家の存続」である。
 この作品では結婚すれば子供が作れ,その子供が成長して結婚すればまた子供を作り……という具合に,家系を連綿と維持していける。収穫保険の購入だけを目標にするならば,一代あればなんとかなるが,さらに未来のことも考えるとなると,子孫繁栄は避けて通れない道だ。それに,子供が増えれば一家全体の労働効率も向上するのだから,一石二鳥というわけである。
 だが,話はそう簡単には済まない。まず妊婦は労働効率が低下(半減)する。当たり前の話である。そして赤ん坊は3歳まで労働力ゼロどころか,ペナルティとして機能する。これまた当然だ。そのうえ,子供が増える=家族の人数が増えるというわけで,健康維持費および生活費が増大する。産めよ増やせよとばかりもいっていられないのだ。

 結果として,この作品で“悪いループ”に乗ってしまうと,

 

  • 作物を植える
  • 植えた作物の市場が崩壊してその収入がゼロに
  • お金がないので種が買えない
  • 仕方なく子供を街に働きに出して()現金収入確保
    実際に何が行われているかはあえて問わない。いずれにしても,働きに出した人間は農村に帰ってこない。
  • 子供が街に出たので労働効率低下
  • 労働効率低下により作物の換金効率低下
  • このままではジリ貧なので子供を作る
  • 一時的な労働効率低下で収入さらにダウン
  • 家族の健康維持のための薬品購入代欠乏
  • 健康状態悪化で労働効率低下
  • 一家全滅

 

 という展開が待っている。ちなみにこの悪いループだが,どうしようもなく運が悪いときは,本当にどうしようもない。本作における収入は,農業からの基本収益に労働力を積算する形で計算されるが,農作物に関していうと,ときどき種の価格が生産物の売価を上回ることがある――この場合,労働効率が100%ならば,1年かけて赤字を作るだけということになる。ええと,中世ヨーロッパの小麦収量倍率じゃないんですけど。

 

画面右上の三角をクリックすると,このような画面になって1年が経過する いきなり旱魃で農作物が全滅。それでも生活費はかかるので借金生活に突入

 

お金がなくては何もできないので,まずはGinaを街に働きに出させる。これで17$確保

 普通の成人の労働効率は1人75%なので,世帯主+配偶者で150%,子供がだいたい40%前後なので2人で80%,ゲーム開始直後はこの4名の構成だから初期労働効率は230%。これなら大丈夫だろうと思うかもしれないが,妊娠すると当該女性の労働効率が38%にダウン,0歳児は−15%のペナルティといったように,労働効率はすぐに低下するので,いともたやすく200%を割り込む。
 ここにおいて,仮にトウモロコシと小麦を2スペースずつ植えたとする。そのうちトウモロコシが市場崩壊で収入なしとなり,小麦売価が種価格とイコールだった場合,労働効率200%でかろうじてトントンである。実際にはここに生活費と医療費が加わるので,マイナスなわけだが……。

 

なけなしの6$を元手に,トウモロコシを1面だけ植えて収穫をひたすら天に祈る 天の答えは内戦。植えたトウモロコシはその影響で失われ,再び総資産はマイナスに

 

 

農具,家畜,アヘンそして幸運が生存の条件

 

シャベルを購入すると農作物栽培の作業効率がいくぶん向上する

 そこで救世主となるのは,まず農業の機械化である。機械化といっても物語はスコップの導入から始まるのだが,とりあえずスコップや鎌といった農具は,労働効率に対するボーナスとして機能する(厳密には単なるボーナスではないが,ゲーム的にその違いが問題になることはまずない)。最終的に大型トラクターなどを導入すれば,三ちゃん農業になっても生産効率は十分である。
 だが,持てる者には持てる者の災難が待っている。スコップや鎌といった農具は「泥棒」イベントがあれば根こそぎ持っていかれるし,ゲリラが来訪すればトラクター類も全部「寄付」させられる。高いお金を払って買った農具が,結果的に赤字を出す可能性は常にあり得る。

 

鶏を飼い始める。この段階に入ると,一家の生存はほぼ保証されてきているが,まだまだ“一発逆転”はある

 もう一つの救世主は畜産である。鶏や豚といった家畜は,安定した高収入源となる。家畜を飼うには前提として家畜小屋を買わねばならないが,家畜小屋それ自体が家畜からの収益効率を上げる効果を持つので,非常に都合がよい。最終的には家畜からの収益だけで家計を完全にコントロールできるくらいの効率である。
 もっとも,これも資金繰りが苦しいときに博打を打ってしまうと,「火事」が起こって家畜小屋が全焼したり,病気で家畜が全滅したりで,結局赤字にしかならないケースがある。

 

観光会社が企画したお祭りのエキストラ(原地民役)として雇われる。さまざまに納得がいかない点に目をつぶれば,非常にありがたい副収入イベントである

 ああ,アフリカでは「幸運」が訪れないかぎり救いはないのか。それはあんまりだと思うので,救いになりそうな材料を順番に検討してみる。
 最初の救いは,「観光客のためのエキストラ」イベントである。これが発生すると,旅行会社の催すイベントに「現地民」役で出演する仕事がもらえ,50$の出演料をもらえる。このゲームの「$」を素直に米ドルと考えると50$≒6000円,それで何が変わると言われそうだが,ゲーム開始直後の年収がだいたい50$強なので,旅行会社が来てくれると収入が倍増する計算だ。
 次の救いは化学廃棄物の不法投棄である。どこが救いなのだと言われそうだが,農地の一部を不法投棄場所として提供すると,ちょっとした現金収入になる。これまた「彼ら」にとってみれば小銭だが,こっちから見れば年収を上回る。もっとも,廃棄物は家族の健康に悪影響を及ぼすなど,最終的にはマイナス効率なので積極的にお勧めはできないものの,少なくとも来年で全滅確定という状況を覆す力は持っている。

 

すっかり窮迫しきったときに「彼ら」が提案した化学廃棄物の投棄。家族の健康を害しようがなんだろうが,75$には代えられない 今度はトウモロコシと麦を植えるが,廃棄物の影響で家族の健康度が急激にダウン,労働効率が57%まで落ち込んで結局赤字

 

財政が苦しくなるとこんなイベントも。これを栽培すると一発で財政が健全化するくらいの高収入。とはいえ一家全滅寸前で,労働効率が100%を切っているとやはり無意味だが

 そして,究極の救いは,えー,こんなこと書いていいのかどうか不安だが,opium(ケシ→アヘン)の栽培である。このイベントが発生すると,農地の一部で1年だけケシを栽培でき,これによる収入は一家に明るい未来を約束するくらい大きい。いまのところこのイベントによるペナルティに出会ったことはなく,たぶんノーペナルティだと思われるので,このゲームでケシを栽培してみないかと言われて,首を横に振る理由はどこにもない。あるんだけどない。
 とまあ,救いをもたらすイベント三つを並べてみたが,いずれもランダムなので,どう転んでも幸運を祈る以外に答えはないようだ。

 

必死で生き延び続けて,ようやくここまで広がった畑。ここからが勝負どころである

 だいぶ陰惨な話になったが,本作では多少とも慣れてしまえば,10ターン以内に勝利条件を満たすことが(それどころかあらゆるインフラと建造物を整えることも)可能だ。上の「悪いループ」は最悪に最悪が重なった場合に限定されるといってもいい。作物中心の収益システムから,バランスよく家畜中心の収益システムに移行させれば,一家全滅はまず起こらないだろう。
 そしていったん軌道に乗ってしまえば,本作の農業経営は決して破綻しない。あい変わらずひどいイベントは目白押しだが,ひどいイベントが1年に二つ起こったりはしない。収穫保険の前提となる「政治家の庇護」を確保してしまえば,最悪のイベントである「ゲリラによる略奪」の被害はゼロになるし,「腐敗した官僚」の被害も防げる。こうなってしまえば,マイナスがプラスを上回ることは決してない。
 ひとたびこのモードに入ってしまえば,道路・学校・診療所といった地域インフラを拡充し,一家はその地域における理想的な農園を経営,子供達は高度な教育を受ける。彼らがもたらす富は地域を活性化し,貧困に対する盾となるに違いない。めでたしめでたし。

 

牛を4頭揃えた段階で,1年の収入が1000$を超えた。こうなってしまえば,まずもって破綻はない。階級上昇を達成したわけだ 診療所を建てると家族の医療費は大幅に下がる。全員が健康であれば,労働効率は高めを維持でき,薬も余裕を持って購入できる

 

ここまできてしまえば,この農場は絶対に崩れない。1年の収入はなんと1万$オーバー。間違いなく地域の有力者である

 

 

理想は手に入らない。現実で手を打つしか

 

子供も増え,家畜も徐々に増えてきたところで政治家の庇護を確保。財政的には苦しいが,このゲームにおける最強の保険の一つ

 いやいや,これは本当にめでたいのだろうか?
 確かに良い政治家の庇護を得れば,ゲリラは一家を避け,腐敗官僚が収奪に訪れることもない。だが,だからといって良い政治家を支援することで,その地域からゲリラ(という名の野盗)や腐敗官僚が消えるわけでないのは,政治家の庇護を得た後でも,イベントそのものは発生することから明らかだ。彼らは単に,「政治家のバック」がある家に因縁をつけるのを恐れたのである。
 説明文いわく,プレイヤー一家を庇護してくれるのは「平和と健康と繁栄を願う政治家」らしいが,そも「平和と健康と繁栄」が希少資源なのは疑いのない事実であり,実際このゲームをプレイすれば,その三種の神器は高い維持費を払うことでのみ確保できるぜいたく品だと実感できる。

 

政治家の庇護があるので,腐敗官僚がやってきても無傷。先生,ありがとうございます

 その貴重な「平和・健康・繁栄」を,願うだけでなく実際にある程度保障できてしまう政治家が,単に超絶辣腕政治家であると考えるのはナイーブにすぎると言わざるを得まい。なにしろ,ケシ栽培が(単なる医療用作物とは思えない)莫大な収入をもたらす世界である。事実,かの政治家は800$という政治献金を払える者以外の平和と健康と繁栄となると,そりゃ祈ることくらいはあるかもしれないが,それ以上のことをしてくれない。彼はプレイヤーにとってかなり「良い」政治家だが,その国にとってどれくらい良い政治家かなど,プレイヤーのあずかり知らぬところだ。
 もっとも,国家にとってプラスでも,我が家族にとってマイナスの政治家というものがこのゲームに存在していたとしたら,そんな人物を支援することは決してあり得ないだろうということも,本作から感じ取れる「現実」の一側面である。

 妄想にも似た,「よくない想像」の種はまだまだ尽きない。
 本作で最も収益率の高い家畜は,なぜかゾウである。牛より豚より,ゾウのほうが収益が多いのだ。で,いったいゾウで何をどうやってお金を稼ぐのだろうか? 観光客を乗せるというアイデアはなしとしないが,そもそも観光客が来るという事態は,ランダムイベントになるくらい特殊な事例である。ゾウアトラクションを運営しても赤字になるだけのはずだ。
 しかし実際には象4頭に牛4頭がいれば,それだけで一家が楽々暮らしていけるだけの収益が上がる。ミャンマーの高地民族でもあるまいし,いったいゾウのどこに,それだけの収益要素があるというのか?
 ちなみにこのゾウ,1頭500$で買えることを鑑みるに,実際には動物ではなく,家畜小屋を使って象牙の密売ルートを運営しているだけではないかという気もしてくる。説明を読んでも「象は助けになります」としか書いてないし。繰り返すが,ケシを栽培して家族の生存を確保するゲームなのである。この作品は。

 

教育で得られる労働効率上昇は,農具や家畜と違ってそう簡単に失われないが,短期的収支ではむしろマイナス。つまり,富裕な家でしか機能しない

 全編にわたってブラックジョークで塗り固められたかのような本作だが,まだまだ論点はある。
 資金繰りも良くなってくれば,子供を学校に通わせられるようになる。最大で10年の教育を与えられ,十分な教育を受けた人々は街に出たとき良い職にありつける。
 だが,子供を学校に通わせれば,当然その子の労働効率は低下するうえ,学校に払うお金もあってマイナスずくめである。それでいて子供に教育を与えたことで何か劇的な変化があるかといえば,まったくの無教育だと街に出たとき20$くらいにしかならないが,10年の教育を受ければ50$になることくらいである。10年の教育を与えるのにかかる費用は30$では済まないので,これはもう露骨な赤字だ。教育によって労働効率の上昇はあるが,そもそも子供を学校に通わせられる時点で,もう労働効率がどうこうという段階は終わっているのだ。

 

結婚相手を見つけた。これで子孫繁栄は保証され,また結納金として一時的に176$も確保。素晴らしい さっそく孫の世代をつなげてもらう。妊娠すると労働効率は落ちるが,そんなことはいっていられない

 

 いや本当に,本作で子供を学校に通わせる即物的な意味はないのだ。一応,勝利条件を満たした段階で表示されるスコアには「学校に通った年数」を基盤にしたボーナスが加算されるので,ハイスコアを狙うならば学校に通わせたほうがよいが,そもそもスコアとは何かという疑問は残る。

 

中央銀行が破産。だが,政府発行の通貨などハナから信用していないので,実質無傷。これが当地での正しい生き方である

 本作のスコアは,経過ターン,生まれた子供の数,通学年数,建てた建造物の種類と数から算出される。一家がどれくらいの経済活動を行ったかなどはいっさい考慮されない。
 より多くのターン数を維持し,たくさんの子供を産み育て,彼らに教育を与え,さまざまなインフラを整えるにはお金が必要だ。ではそのための経済基盤はどこにあるかといえば,ケシを栽培し,ゾウで儲け,政治家に献金して得た「安定した生活」の上にある。そしてそこでどれだけ「これはどうなのさ?」という行動をとっていたとしても,それは「スコア」に反映されない。
 スコアには,あくまでも外から見て安定している社会(経過ターン)とか,乳幼児死亡率の低下(子供の数)とか,教育の普及率(通学年数)とか,公共施設の充実度(インフラ整備)とか,そういった「西側社会の人々が統計を取る数字」しか勘案されない。その背後で構造的な社会矛盾や腐敗がどれほど蔓延していようが,どうやらその部分は知ったことではなさそうなのである。いやはや,「ノリ・メ・タンヘレ」を書いたホセ・リサールもびっくりだ。

 

いらなくなった道具や家畜は,画面右上の丸が三つ重なったようなボタンから売却メニューを開いて処分できる。まあ,勝手に消えることも多いが

 その一方で,このゲームの不運なラウンドにおける「過酷な現実」は,赤の他人からどう指弾されるか分からない行為であっても,為さないよりは為したほうがマシという気分を抱かせるに足る。
 どんな黒い金であろうが,その金で道路が引かれ,学校が出来,病院が出来たなら,それでいいではないか。綺麗なお金が足りずに病気で死んでいくより,なんでもいいからとにかく今日と明日と明後日を生きるほうが大事でないか――それもまた現実の一側面である。そしてこのジレンマは「目の前の一人を救うために,未来の100人を犠牲にする可能性がある行為を為すべきか否か」,ちょっと反転させると「きっとこの先100人くらいに死をもたらすであろう人物は,未然に死んだほうがよいのではないか」ともなりかねない,古典的な政治ジレンマそのものである。
 まあ,ゲームとしてプレイヤーに決断を迫る本作の場合,そこで死ぬのが自分という立場に立たされたら,未来の100人のために自分が死ぬという選択などまかり間違ってもしないという,意地の悪い指摘にもなっているわけだが。

 

 

意図的に(?)破綻したゲーム性が発するメッセージ

 

そして誰もいなくなった……。ん? アンバランスなゲーム? いやいや,現実はおそらくもっとアンバランス

 本作を純粋にゲームとして見た場合,若干バランスが甘いと思う向きもあるだろう。一度安定してしまえばそこから崩れることはなく,終了ターン数も設定されていないので,そもそもハイスコアに意味がないという見方もある。教育的意義はさておき,この作品のプレイアビリティはどこにあるのかということになると,いささか微妙というわけだ。
 しかし,せっかくなのでもう少し考えてみたい。例えばこれはゲームだから1年に一つのイベントという保障があるのであって,ちょっと新聞でも読めば明白なように,1年のうちに「内戦が勃発」して「トウモロコシ市場が崩壊」して「病気が蔓延」して「ゲリラによる略奪」も起こり得るのが現実世界というものである。ここまでの記事をお読みいただけたならご理解いただけると思われるが,要は想像力の問題なのである。
 考えてみれば実社会の「終了ターン」が事前に決定されているはずはないし,にもかかわらずそこで「ハイスコア」を目指すのは必要な行為とみなされる。なんと言うべきか,本作は「ゲーム」という構造が持っているギミックや文法を動員した,独特の「表現」なのである。
 本作のゲーム的ギミックを最大限に機能させるのであれば,終了ターン数を設定してしまうのが最も良い。そうすればプレイヤーがあらゆる手練手管を使って一定期間内にハイスコアを目指すゲームとなることだろう。だが,それはそうやって遊びたい人がやればよいことであって,制作者達はおそらく意図的にゲームとして画竜点睛を欠く選択をしたのではないだろうか。
 彼らはゲームという構造そのものを使うことで,自分達なりの「表現」をしたのであって,それはかように面白い。実際,いわゆる「芸術的表現」に寄りかかりすぎることもなく,奇をてらった仕掛けに舞い上がることもなく,ゲームから離れすぎることもなくと,本作の持つセンスには感服するほかない。

 

収穫保険を購入してゲームを終わらせる。スコアの計算方式には,実に強いメッセージ性を感じてしまう。先進国から見た援助や開発支援のマクロ経済的な正しさと,それ以外の側面での齟齬を想像せざるを得ない

 

 シリアスゲームは,いまだ開拓途上のジャンルという雰囲気も強く,最初に述べたように完成度も内容も千差万別だ。少なくとも現状で「シリアスゲーム」というカテゴリに属することになっている作品を,すべて同じ棚に並べて販売した日には,売り手も買い手も大混乱間違いなしであろう。
 また,これは普通のゲームとてそうなのだが,メッセージ性や教育性に重きが置かれるシリアスゲームでことに重要なのは,「その事象をゲームとして構成し,表現する意味があるか否か」だろう。ドキュメンタリー映像でもルポルタージュ書籍でもないことの意味,すなわち一回性の記録/物語であることをやめると同時に,視聴者性でなく当事者性に絡め取っていく手法の意義をまっとうすることで,シリアス“ゲーム”は初めて意味を持つ。
 そう考えたとき,枠組みといい展開といい,また,おそらくは意図的に描かれていない諸々といい,プレイを通していろいろ考えさせられる「3rd World Farmer」は,シリアスゲームという方法が持つ可能性の一端を見せてくれる。残酷な市場の支配,生と死の偶発性,思うところは人それぞれだろう。
 そもそも,この世界を見ている自分が普通で,見られている他者が異常であることなど,誰が保証してくれるというのか。自分の立ち位置を思惟で「脱構築」していくことにも大きな意味はあるが,異なる論理の世界へプレイヤーを直接に引き込んでいくゲームというメディアには,それとは異なる力がある。良きにつけ悪しきにつけ,その力の使われ方を今後とも見守っていきたい。

 


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