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印刷2011/09/10 20:23

イベント

[CEDEC 2011]日本人は,遠近法で風景を見ていなかった。9月8日の基調講演「情報化社会,インターネット,デジタルアート,日本文化」をレポート

 CEDEC 2011の3日目となる2011年9月8日の基調講演は,「ウルトラテクノロジスト集団チームラボ」の代表である猪子寿之氏による「情報化社会,インターネット,デジタルアート,日本文化」だ。
 アートというと,それだけでなにやら得体の知れない雰囲気が漂うが,講演は終始具体的かつエキサイティングなものであった。以下,その模様をご紹介したい。

「ウルトラテクノロジスト集団チームラボ」代表,猪子寿之氏


チームラボとは


 チームラボはスペシャリストの集団であり,創ること・そのプロセスから新たな発見をなしていくグループ――と言うと,いきなりよく分からなくなるので,会場ではまずチームラボの作品が紹介された。
 最初に登場したのは「[吉例]新春特別公演「龍と牡丹」-剣舞/影絵-」で,これは舞台美術に対し大幅にデジタル技術を取り込んだものだ。「剣士(実際の役者)と影が舞台の上で切り結ぶ動画」と言えば,ピンとくる人もいるのではないだろうか。


 もう一つのサンプルが,「インタラクティブハンガー」だ。こちらはECサイトの制作を請け負うことが多いチームラボが,実際の店舗において売上を伸ばすための技術として開発した一種のデジタルサイネージ。といっても構造は簡単で,洋服(商品)がかかったハンガーを手に取ると,設置してあるモニタに,ハンガーにかけられた商品をコーディネイトした画像が表示されるという仕掛けだ。これは「ECサイトにおいて衣料品を売るときは,コーディネイトされた写真を掲載したほうが売れる」という経験を現実世界にも反映しようという試みだという。


 インタラクティブハンガーの面白いところは,例えばCDショップにおける検索機のように,利用するための新しい操作を必要としないことだ。「顧客に新しい行為をさせるのはリテラシーを要求することになる。新しい行為で新しい価値を,ではなく,今までの行為の中に新しい価値を付加するほうが望ましい」という発想が,インタラクティブハンガーを生んだようだ。


マリオで気づいた「行為そのものを楽しむ」こと


[CEDEC 2011]日本人は,遠近法で風景を見ていなかった。9月8日の基調講演「情報化社会,インターネット,デジタルアート,日本文化」をレポート
 「行為」に注目する猪子氏は,行為の持つこういった特徴に「スーパーマリオ」で気が付き,茶の湯で確信したという。これまた何やら深い。
 「スーパーマリオは,ゲームの目的そのものは比較的どうでもいいもので,マリオを操作する,その行為そのものが楽しい。つまり,なにかの目的のために行為が必要になるのではなく,行為そのものを消費する」と猪子氏は語るが,こういった考えは,茶の湯を調べることで確信に発展する。

 猪子氏は,たまたま読んだ100年ほど前のお茶の本に,イギリスの茶と中国の茶と日本の茶について書かれているのを見つけたらしいのだが,「イギリスと中国の茶については,何をどのようにしたらお茶がおいしくなるかが示されている。しかし,日本の茶について本の著者は『日本の茶は,おいしく飲むためにお茶を淹れるという目的を忘れている。異常だ』としている」
 猪子氏によれば,日本のお茶は「俺の淹れ方のほうがカッコイイ」とか「宇宙につながれる」とか「より精神世界的に高度」だとか,そういったことを言い,普通に考えれば,すぐ飲んだほうがおいしいはずなのに,その前に茶碗を回したほうが美しいなどとする。「そこでは本来の具体的な目的は失われており,行為を消費することを楽しんでいる。日本にはそういう文化がある」と語る。


ネットワークにつながるインタフェース


 行為を消費するという点について猪子氏は,情報化社会において「かつて主役だったプロダクトや空間は,今やネットワークに接続するためのインタフェースでしかない」とし,自身のインタラクティブハンガーについても「ハンガーは,インタフェースでしかない,と考えた」と述べる。
 行為を別の目的につなげるインタフェースについて,氏はいろいろな実験を繰り返しているのだが,その別の例として,チームラボが開発した「チームラボボール」が紹介された。


 チームラボボールは,浮遊する大きなボールにセンサーとライトが仕込まれたものだ。多数浮かんでいて,ボールに触れると色が変わり,音を発する。また,ボール同士が相互作用を起こすようにも仕込まれていて,これによって観客がインタラクティブに音と映像の世界に飛び込めるようになっている。

 これは,カリスマミュージシャンがステージの上で演奏するのを見たり聞いたりする,コンサートというイベントを,一瞬であっても観客自らが主役になれるものとして再構築する試みであるとのことだ。


デジタルテクノロジーの特殊性


 情報化社会では,別の変化も起こっている。氏はその変化に関連して「言語化される領域の共有スピードが速すぎて,もはや情報は競争で優位に立つ条件にはならない」と語る。
 従来のテクノロジーは国によって格差が発生した。「例えば製鉄技術のようなテクノロジーは,先進国と発展途上国で技術格差が存在していた」(猪子氏)。
 一方,デジタルテクノロジーは,あっというまに共有されてしまう。したがって,先進国がそこで勝負しても勝ちを保証できない。近年であれば,ヒットしたソーシャルゲームに対して瞬く間に大量の「クローン」がリリースされた現象を想像していただければよいだろうか。
 デジタル技術は,極論すればすべてプログラムで書かれているため,丸ごとコピーしてしまえばオリジナルとまったく同じ物を手に入れることができるのだ。

[CEDEC 2011]日本人は,遠近法で風景を見ていなかった。9月8日の基調講演「情報化社会,インターネット,デジタルアート,日本文化」をレポート [CEDEC 2011]日本人は,遠近法で風景を見ていなかった。9月8日の基調講演「情報化社会,インターネット,デジタルアート,日本文化」をレポート

 また,デジタルテクノロジーは,別の意味でも従来のものとはまったく異なると猪子氏は語る。
 「これまでのテクノロジーは,背後に自然科学があった。自然科学は物理世界の現象を扱い,そこから汎用的/客観的な現象を抽出する。その結果,例えば車であれば,時速100kmとか,100馬力とか,そのように客観的な形で表現できる」。つまり,例えば世界中の老若男女みんなが大好きな戦車であれば,装甲の厚さとか,全長とか全高とかいった具体的な数値として,最終生産物は表記できる。

 だが,デジタルテクノロジーは,そもそも物理世界と関係がない。「デジタルテクノロジーは,人の主観的な行為の集合が起こす現象から,『こんにち起こっていること』を抽出し,テクノロジーに応用する」ものである。あるWebページがどれくらい「凄い」かは,PVや被リンク数,滞在時間,登録ユーザー数などで判断されがちだが,これは前述した「戦車の装甲の厚さ」のような数字とはまったく意味合いが異なっている――Webページは1ページの容量が大きいからよいわけでも,少ないからよいわけでもない。
 「だから最後はもちろん人の主観で終わる。Googleのページランクというのは,『今のところこうなっている』という現象を抽出したものだ。そうやって並べ直すと,人は主観的に『便利だ』と感じる,ことが多い」


先進国の優位は,文化


 このような情報化社会の分析を前提としたうえで,日本はどのような産業をもとにして競争に勝っていけばいいのかと猪子氏は問う。
 「日本は技術立国として,技術格差で優位を築いてきた」という言葉は納得できるだろう。日本車は一時期世界を席巻したし,さまざまな技術水準の高さは世界的に見て群を抜いている。しかし,猪子氏によれば,情報化社会においてそうした技術の差は消えていく。では,なにで,どうやれば優位に立てるのか?


  これについて猪子氏は,「先進国の優勢は,文化だ」と語る。
 「とくに,文化依存度が高くて,言語的に説明できない領域――例えば『カッコイイ,カワイイ,気持ちいい,面白い』という領域において,先進国が優位である」という。
 例えばiPhone登場時,iPhoneより優れた携帯電話はいくらでもあった。だが結局,いまの世界をリードしているのはiPhoneであり,それはそのスペックシート(先の例でいえば「戦車の装甲厚」)がほかより優れていたからではない。

 しかし,文化依存度が高い領域というのは,ほかの文化圏には通じないのではないだろうか,というのは当然の疑問もある。
 これに対しては「世界中,人間はそれほど変わらない。受け手としての差異より,作り手としての差異のほうがインパクトがある」と猪子氏は語った。つまり,受け取り手として見ると,文化が違っても「良いものは良い」と思えるが,作り手として何がうまく作れるかについては,文化の影響が強いということだ。
 「文化依存度が高い領域のほうが差異が生まれやすく,結果的に競争力につながる。つまり,文化依存度の高い領域をテクノロジーで再構築したような産業が,先進国が唯一,世界の中でやっていける産業だ」,氏はそう続けた。


日本の文化を再分析する


[CEDEC 2011]日本人は,遠近法で風景を見ていなかった。9月8日の基調講演「情報化社会,インターネット,デジタルアート,日本文化」をレポート
 かくしてチームラボは,「では,自分達の文化はどのようなものであるか」に強い興味を抱くことになる。
 「文化をひもとく,ということを創業以来ずっと続けている。文化の裏側にあるもの。つまり,世界をどのように捉えているのか,どのような思想があるのか,どのような美意識を持っているのか。そしてそれは,ほかの国とどのように違うのか」。猪子氏らはそれを明らかにするためにアート作品を作ってきたというのだ。

 氏は「西洋的なものが入る前に,日本人はどう世界を捉えていたかに興味がある」と続け,過去の日本人が制作してきた絵画などに目を向ける。そして,「例えば日本画が平面的なのは,実際に,あのように世界が見えていたから,そのとおりに描いたのではないだろうか?」と自問した。
 しばしば日本画については,日本には遠近法がなかったので平面的に描いていたのではないか,といわれる。だが,日本人は空間を日本画のように見ており,日本画を見たらそこに空間を感じていたのではないか。現代人が写真という平面を見ると,そこに空間を感知するように。
 日本画には,西洋の遠近法とは違う論理構造があるのではないかという疑問を持ち,その論理構造を探るために制作されたという,いくつかの作品が続いて紹介された。

百年海図巻

 「百年海図巻」は2009年の作品で,全長25m,コの字型の壁面に映像を流すというものだ。講演では,台北での映像が流された。


[CEDEC 2011]日本人は,遠近法で風景を見ていなかった。9月8日の基調講演「情報化社会,インターネット,デジタルアート,日本文化」をレポート
 この作品は「日本にはパースペクティブ(遠近法)とは違う論理構造が培われていて,それが日本画を産んだ」という仮設をもとに,コンピュータ内部にいったん空間を作り,それを一定のロジックを介して日本画のように表示したものだ。
 「日本画には,遠近法とは違った長所がたくさんある」と語る猪子氏は,その例として「日本画には特定のフォーカス(焦点)がなく,鑑賞者の場所が特定されない」という特徴を挙げた。例えば,映画であれば映画館の真ん中が一番良い席で,そこから離れるほど悪い席になっていく。しかし「フォーカスを持たない日本画であれば,鑑賞者の場所に左右されないので,鑑賞者は自由に歩き回れる」と語る。
 また,映像の投影面が平面でなくても構わない。百年海図巻は絵が途中で90度曲がっているが,現場で見るとほとんど気にならない。これは,屏風に描かれた日本画を想像すると分かりやすいかもしれない。
 もちろん短所もあって,客観的/物理的な大きさといった情報は,日本画では失われてしまうという。


花と屍

 続いて「花と屍」は2008年の作品だ。これもまた,3Dモデルを日本画ロジックで再構築した作品である。


 美術作品では,通常,作品空間内に想定される視点は一つだ。しかし「花と屍」では,CGで作られた空間内に,12個ほどの視点が設定されているという。
 ルーブル美術館で行った展示では,それぞれの視点を,実際の空間に置いたディスプレイの位置に対応させていた。12個に切り取った視点を実際の空間に再構築したというわけだ。
 一般に,一つの空間に12個も視点を置くと,ディスプレイに同じようなものが映りがちだ。12人のプレイヤーがFPSをプレイした動画を同時に再生すると,もちろん違って見える絵も多いが,そのうちいくつかはどうしても似たような画面になってしまうだろう。
 だが日本画ロジックで空間を解析すると,12個の視点から見える「絵」は,それぞれまったく独立したものになる。かくして,鑑賞者は「物語空間を歩く」ことができるようになるのだと猪子氏は語った。


生命は生命の力で生きている

 こちらは最新の作品で,2011年のもの。「生きる」という文字を空間内に立体的に書いた,一種の「書」だ。生きるという書から,だんだん生命が生まれていく様子がアニメーションで描かれる。


 この作品もまた,3D空間を日本画のように射影しているので,静止画にすると日本画のように平面的に見える。ところが映像がアニメーションになったとたん,平面的なはずの日本画が立体的に見える。
 猪子氏はこれらをもとに,遠近法が入る以前の日本人の目には,日本画は立体的に見えていたのではないか」と推測するのだ。


レイヤーとしての空間表現


 「生命は生命の力で生きている」は,オブジェクト(この場合は3次元的に書かれた「生きる」という文字)に対し,視点がとても近い。一方,花と屍では広く空間を捉えている。この二つは同じ論理で作られているのだけれど,花と屍はレイヤーを使って描かれているように見える。
 実際「花と屍」を見た人は,しばしば「すごくたくさんのレイヤーを使って描いていて,大変ですね」という感想を抱いたようだ。また猪子氏本人が冷静に作品を見直すと,やはりいくつかのレイヤーで描かれているように見えるという。
 これはつまり「日本的な空間認識だと,近くのオブジェクトは立体的に見えるが,空間全体を捉えると,空間がレイヤーとして見えるのではないか」と,猪子氏は考える。「日本人は,空間をレイヤーとして見ていたのかもしれない。レイヤーに見えていたからこそ,逆に,空間をデザインするときにも,レイヤーとしてデザインしたのではないか」

[CEDEC 2011]日本人は,遠近法で風景を見ていなかった。9月8日の基調講演「情報化社会,インターネット,デジタルアート,日本文化」をレポート [CEDEC 2011]日本人は,遠近法で風景を見ていなかった。9月8日の基調講演「情報化社会,インターネット,デジタルアート,日本文化」をレポート

 レイヤーとしての空間表現として,猪子氏は禅寺の庭園を挙げた。ほとんどの日本庭園は,レイヤーでデザインされている。一方,西洋の庭園は遠近法でデザインされていて,一つの視点から見たときに非常に綺麗に見える」。
 西洋人は空間がパースペクティブとして見えていたので,空間をデザインするときも遠近法に則ってデザインしたし,だからそうして作られた庭園は,移動するとしても奥行き方向への移動が前提になる。
 日本人は,空間がレイヤーに見えていたから,空間デザインもレイヤーになる。そしてレイヤー式のデザインだと,横方向に移動しながら鑑賞しても美しさが保たれる――つまり「認識していた空間の違いが,人間のつくるデザインに表れる」のだと氏は結論した。


スーパーマリオとドラゴンクエストに見る日本画


 さて,レイヤーで表現された空間が横方向への移動に強いというのは,ゲームでも発見できる。スーパーマリオのようなゲームはレイヤー式の背景を有している。
 「これは,日本の伝統的空間美意識を,無意識のうちに受け継いでいたのではないだろうか。つまり,日本人が素直に横スクロールアクションをデザインできたのは,レイヤーでデザインすることで,少ない要素でも空間を認識できるということを,無意識のうちに感じていたのではないか」

[CEDEC 2011]日本人は,遠近法で風景を見ていなかった。9月8日の基調講演「情報化社会,インターネット,デジタルアート,日本文化」をレポート
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 また,洛中洛外図にあるような大和絵が持つ論理構造や美術表現は,「ドラゴンクエスト」の画面に見る美術表現と同一であるとも語る。異なるのは,大和絵はオブジェクトの側面も描かれていることで,これは絵巻物のスクロール方向に合わせているのではないか,と氏は推測する。ドラゴンクエストのオブジェクトに側面が描かれないのは,左右両方にスクロールするためであろう。
 スーパーマリオのステージ選択マップも,大和絵と完全に同じ論理構造を有している。地面に対して水平に存在する橋と,垂直に存在する梯子が,事実上同じようなオブジェクトで表現されているのを指し「これは大和絵にとっては普通だが,西洋ではあり得ない空間表現」と猪子氏は語る。


「なりきり」を支えた日本独自の空間表現


 西洋の遠近法は,描き手の視点を原点として,扇状の空間が絵として描かれる。絵の中に登場人物がいる場合,その人物になりきって考えると,見えている風景が変わる(肖像画であれば絵を見ている人が見えることになる)。
 このあたりは,FPSの「KillCam」を想像すると分かりやすい。撃った自分と,撃たれた相手で,見えている絵はまったく異なる。
 大和絵において視点という概念は弱く,空間の把握は遠近法とは大きく異なる(写真を参照していただきたい)。日本画に描かれている人が,その人の視点からの画像を描いても,(このような描き方ならば)ほとんど変わらない絵になるだろう。

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 「こんな空間把握が行われていたというと,そんな馬鹿なことがあるかといわれるかもしれない」そう前置きしながら,猪子氏は,遠近法もまた同じくらい不自然であることを指摘する。
 「人の目の焦点は極めて狭く,極めて浅い。だが,例えば写真は手前も奥も比較的はっきり見える」。実際の人間の目は本来,写真やモナリザの絵のように,全部のディテールが一度にはっきりと見えたりしないというわけだ。
 「人間はタイムラインの中で目のフォーカスを急激に動かしている。狭くて浅いフォーカスの範囲を,脳で合成して,遠近法の絵のように見えているだけ」。つまり人間は目という貧弱なカメラで何枚も何枚も連続して自分の周囲を撮影し,そうして得られた大量の絵を一定の法則を使って脳内で合成し,遠近法の空間として理解しているということだ。

 さて,昔の日本人は,空間全体を均等に把握するように世界が見えていた(認識されていた)と仮定しよう。そして今,大和絵の中に登場人物が出てきたとする。

 「登場人物になりきったとき,遠近法と異なり,大和絵では移動しても見えている風景はまったく変わらないし,絵を見ながら絵の中の登場人物になっても,そのまま絵を見続けることができる」――少し分かりにくいが,これは氏が示したゲームの画面を見るとすんなり理解できる。

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 「ドラクエでは,キャラクターになりきってプレイしていた。主人公になりきっているから,経験値が増えるととても嬉しい。そして,主人公になりきっても絵が破綻しないのが,ドラクエの空間表現だ」。確かに,ドラゴンクエストにおいては,画面のこちら側を見ている主人公の視点になりきっても,見える絵に変化はない。
 「ドラクエのような2Dゲームが世界の市場で勝利していったのは,先人が日本独自の美術表現を構築していったのを無意識のうちに引き継いでいたからではないか」というわけだ。


 西洋の遠近法では,先に解説したように,絵の登場人物にはなりきれない。その結果,「手だけ,ハンドルだけ,飛行機のコクピットだけ,といった表現」,いわゆるFPSの表現になる。画面の中に「こちらを向いた主人公」を出してしまうと,見える風景が変わってしまうのだ。
 「日本の美術表現が,ゲーム産業ときわめて相性がよかったから,日本はゲーム産業で世界的な勝利を収めえた。これが,例えば映画なら,一人称視点中心の西洋の美術表現と相性がよい。だから,日本の映画監督がものすごく努力しても,なかなか西洋の作品に勝てないのではないか」。猪子氏はそう仮説を組み立てる。


 「今後,いろいろな産業が生まれてくるだろう。そこにおいて,自分達の文化との相性,文化の強みが活かされたとき,その産業は世界で勝ち残る力を保持できる。ゲームと漫画で育ち,日本の強みが何なのかを知った。もっと日本の強みを意識してモノを作っていけたら,それは世界に届くかもしれない」」と猪子氏は言う。
 「日本の強みと,西洋の強みは違う。3D表現はパースペクティブだから,もしかしたら,3Dゲームは西洋の強みかもしれない。だから,最近のゲーム業界はちょっと調子悪いのかもしれない――けど,ともかく,頑張りましょう!」。猪子氏はそう語って,講演を結んだ。


質疑応答


 最後に,質疑応答の時間が持たれた。簡単に紹介しよう。

質問:
 日本画的表現に対し,西洋人の意見を聞いて,なるほどと思ったようなことはあるか。


猪子氏:
 人間はそんなに変わらない。能力にもそんなに差はない。先人や周囲の人からの影響が積み重なって,差異を作っている。クリエーションというのは多くの積み重ねの上に「ふりかけをかける」ようなものだ。
 自分はファミコンと漫画で育ったので,このような美術表現になっている。無意識のうちに行われた日本美術の表現みたいなものがたくさんあり,それを元に自分ができている。
 「美しさ」には,さまざまなものがあり,例えば西洋ならパースペクティブで認識した美しさ,バランスがとれたものの美しさがある。
 日本はバランスがとれていないものを美しい,可愛いと思うし,バランスがとれていない美しさを追求してきた。西洋の庭は左右対称なのに対して,禅寺の庭にしても,岩の配置がどういうバランスなのか理解できない非対称に配置されている。でも,人はそれを美しいと感じる。キティちゃんの顔にしてもまったくバランスはとれていないが,なぜか人はみんなそれを可愛いと思う。

 そういう美しさやかわいさが作られる背景には文化的蓄積があるけど,そうやって作られた作品に対しては,同じ蓄積を共有していない人が,例えば禅寺を見ても美しいと感じるし,キティちゃんもかわいいと言う。
 日本人もまた,バランスが取れていないものを美しいと感じて育ったにも関わらず,ベルサイユ宮殿の庭を見ると,やはり美しいと感じる。
 人間が美しさを感じるレンジは広いが,文化はその幅広い範囲の,特異点の上に積み重なっている。日本人がキティちゃんや悟空の髪型を生み出せたのは,バランスがとれていないものを積み重ねてきたからだ。だから,自分がデザイナーとして「ベルサイユ宮殿が美しい」と思ったとしても,バランスがとれた美しいものを作ろうとしたら西洋人に負けてしまうだろう。質問にちゃんと答えるなら,「外人の言うことは聞かない」。


質問:
 ハードウェアとしての人間には大きな差はない。にも関わらず,なぜ文化がここまで違ってきたのか。日本が他国と違うのはなぜか。


猪子氏:
 パースペクティブも,大和絵も,脳内の合成だ。人間は空間を脳で見ていて,これはハードというよりソフトウェアの違いといえる。ではなぜその違いができたかということになると,正確には分からない。
 ただ,西洋において自然は人間より劣ったものとして理解され,支配/駆逐する対象になってきた。2000年前は,地球の表面の70%が森林であったという。ヨーロッパもほとんどが森林だった。けれど,イギリスの森林率は現在8%。多いところで20%代だ。日本はいまだに70%を維持しており,これは極めて驚異的な数字だ。つまり日本では人間は自然の一部だと思われている。
 自然とともに生きていると,森の中などは無秩序すぎて,遠近法で見える瞬間がない。事実,ジャングルに住んでいる人に写真を見せると,写真をどう見ていいのか理解できないらしい。
 一方で,5mおきに街灯の立っているまっすぐな道などの人工物で囲まれていると,パースペクティブに見えやすい。そういう,自然に対する捉え方の差が異なる文化の理由の一つとしてあるのではないだろうか。


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